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たった壁一枚。それを境に、しん、と空気が透き通った。廃墟独特の場の力によって、恐怖とも高揚ともつかない感覚に襲われる。だが、こんなものにいちいち動揺しているようでは賞金稼ぎは務まらない。腹に力を入れ、意識して冷静さを保ちつつ廊下を奥に進む。
それにしても、先ほどから上階より聞こえてくる物音は何だろうか。ところどころの小部屋にある小型モンスターの真新しい死骸も、である。ここを根城にしているモンスターが寝ていることは、ジャッキーが言うのだから確実だろうに。
試しに、近くに転がっているモンスターの傷を確かめてみる。
致命傷は明らかに刃物によるものだった。
(……これはもしかしなくても、あれか?)
すなわち、夜行性のモンスターならば昼間は動きが鈍る。そこを急襲すれば仕留めやすいはず。と、ロイドと同じように考えた他のバウンティハンターが先行している可能性が高い、ということなのだが。
げんなりと顔を歪めるとロイドは、極力気配と音を殺しながら歩く速度を上げた。足早に上を目指す。
はたして、何事も起きないまましばし。見上げた階段の向こうが明るくなった。越えてきた階数と外で見た窓の数とも一致する。この先が最上階だ。
ロイドは右腕を肩越しに背中へ回し、両手持ちの剣を掴んだ。柄の感触を確かめることで気合いを入れ直し、慎重に階段を上る。そして頭が天井――最上階の床から出る直前で足を止めた。
(さぁーて、吉か凶か)
身をかがめて、一歩前へ。上階を覗く。
そこは、廊下も扉もなく、今までの階とは違って大きなひとつの広間になっていた。
半分近く崩れ落ちた天井からは空が見える。降り注いでくる陽光に明るく照らされた屋内には、無事残っている高い天井を支える柱が等間隔で立ち並んでいた。壁はない。手すりが外周に張り巡らされているだけである。
折れて床に転がっている柱がかつての通りであったならば、さぞ壮観な光景だったことだろう。しかし今となってはただの廃墟以外の何者でもなく、さらに自分にとっては獲物の巣以外の何者でもない。
感動もそこそこに構造確認を済ませ、奥へと視線を伸ばしたロイドは、すぐに生物の姿を確認した。
(おー、いたいた)
標的のモンスターだ。ジャッキーより一回りは大きいだろう。苔や草を大量に背負った体は丘のようだ。丸まった格好でこちらに背中を向けたまま、身じろぎする気配もない。よく寝ている。奇襲をかけるにはうってつけの状況だ。
次いで周囲を窺うが、懸念していた存在の姿は見えない。いつの間にか追い抜いてしまったのだろうか。ならば、今のうちだ。
ロイドは上階へ駆け上がると、そのままモンスターめがけて突進した。右手に力を入れ、ツーハンデッドソードを――
「――ッ!」
抜く寸前で前進する足と手を力ずくで止め、大きく跳びすさった。着地と同時に腰位置を下げ、身構える。
正面に据えるのは、ロイドの腹を狙って迫った刃渡り三十センチほどの剣。それを持った男だ。突きつけてくるのとは逆の手にも同じ得物を持っているのを視界の端で見たロイドは、そのさらに向こうに無事立っている太い柱を見、状況を理解する。
ロイドは焦点を男に戻し、口端に笑みを浮かべた。
「こんなとこで待ち伏せかよ。いい度胸してるじゃねーか」
「獲物を横取りする気満々の奴には言われたくないな」
軽量型の鎧に身を包んだ男――口ぶりからして紛れもなく同業者が、眉間のしわを深くした。
なるほど。依頼主である村のギルド掲示板を見てここのモンスターの情報を得、向かったタイミングと、先に奥へと到達していた順番を考えれば、間違いなく男の言い分は是である。だが、情報を仕入れた順で狩る資格が確定するわけではない。いつ情報を得ようが先に賞金首を倒した者が勝ちなのだ。ゆえに、相手の主張は馬鹿馬鹿しいことこの上ない、という結論に尽きる。
「お前、新人? 素人か?」
ロイドはゆっくりと剣を抜いた。両手で慣れた重量を受け止め、握り、構える。
「そう言う台詞は、俺より先に獲物を狩ってから言えっ!」
一気に踏み込んだ。
体を前へ。刀身は水平に。腰を回し、引いた切っ先を相手の胴鎧に当て、斬るのではなく押し弾く。
双剣士がよろめき、後退した。急いで体を支えた反動で鎧のつなぎ目が大きく鳴る。これはフェイクではない。本気でまともに食らったのだ。
こちらの得物は両手持ちの長剣で、あちらは双剣。防具も違う。二人の間には明確な重量差がある。だが、それらを差し引いてもこんな簡単に体勢を崩すとは。
この程度の相手、敵には不足だ。
追撃は加えず、ロイドは一歩ですれ違った。奥へ向かって走る。
が、
「やべっ」
急停止したのはすぐだった。慌てて下がりかけた切っ先を持ち上げる。
それと同時に双剣士が横に回り込んできた。こちらに体を向けて剣を構え、睨みつけてくる。
「不意打ちでもしたつもりか? その程度で――――」
「アホかてめーは!」
目も向けずに言葉尻を奪って怒鳴る。
「ンなこと言ってる場合じゃねえだろっ! 前見やがれっ、前っ!」
勢いに押されたか、双剣士が口を閉じた。ロイドに視線を置いたまま首を回し、そして、ようやく気づいた。体の向きをロイドから広間の奥へと変更する。
そこでは、苔むす甲羅を背負うモンスターが目覚め、頭をもたげるところだった。
野生の獣は総じて敏感だ。寝ていたとはいえ、目と鼻の先で殺気を放ち、喋り、物音を立てれば気づかれて当然だろう。そのほとんどの原因は双剣士であるものの、自分も完全に無実とは言えない程度のことをした自覚はある。
(ちょっとばかりお喋りがすぎたな)
腹を据えて柄を握り直す。
完全に目を覚ましたモンスターが振り返った。こちらに気づくなり立ち上がる。眠たげであった目が鋭さを増し、警戒色へと移行するに至り、ロイドはいつでも回避あるいは攻撃できるよう気を引き締め直した。
(さーて、図体からして動きはトロそうだが……。弱点はどこだろうな)
「……あいつ、低血圧なのか?」
「ぶほっ」
隣でぼそと呟かれた感想に不意を打たれ、ロイドは噴き出した。急いでモンスターに集中力を戻すも、先ほどの発言は無視できない。
「お前、いきなり何言ってんだっ」
すると、双剣士は視界の端で窺っただけでわかるほどまったく表情を変えずに、同じ調子で続けた。
「ずいぶん機嫌が悪いから、寝起きが弱いのかと思っただけだなんだが……。問題でもあるのか?」
「い、いや、別に……」
素で問われ、逆にこちらが動揺したが、咳払いひとつで気を取り直す。
「まぁ、夜散々暴れ回って、気持ちよーく寝てるところを叩き起こされりゃ、誰だって不機嫌になるだろ」
「なるほど」
納得しやがった。
変な奴だ。けっこう面白い。
再度噴いたところで、モンスターの様子が変わった。四肢が大きく広がり、力が入る。そして臼のような歯を口角まで露出させ、吠えた。
大音声に鼓膜を叩かれ、頭どころか末端の神経まで痛む。しかし全力で――否、根性でやり過ごす。翻弄されている場合ではない。今の咆哮による音波衝撃で、ついに建物が崩れ始めたのだ。
柱は鈍い音を立て、埃には見えない大きさの破片が天井から降ってくる。今はまだかけらが落ちる程度で済んでいるが、ここで戦ったら間違いなく短時間のうちに崩壊するはずだ。
(さすがにここでやるわけにはいかなさそうだな。外に誘い出すか。……いや、待てよ? 不機嫌、か)
それはつまり、冷静さを欠いているということでもある。ならば安易な挑発でもすぐに乗ってくるかもしれない。
ロイドは剣を鞘におさめた。
「あの体のでかさだ。この高さから落ちればかなりのダメージを食らうよな」
「何をする気だ?」
問いに笑い、腰につけた袋から携帯小型爆弾を出す。
「この建物を崩す。先に逃げろ」
「断る!」
「お前なぁ……」
こちらの油断を見たか、モンスターが突進してきた。
両サイドに分かれて回避。受け身を取って体を起こすと、ロイドは双剣士に向かって声を上げた。
「この高さから外に出る方法があるのかっ? 言っとくが、お前まで拾う気はねえからなっ。自力で崩壊する建物から無事に戻れる自信があるなら好きにしろっ!」
モンスターがこちらを向いた。走り出す。
柱を背に待ち、ぎりぎりのタイミングを見計らって、ロイドは思いきり横へ跳んだ。モンスターの直撃を受けて柱が折れ、天井ごとがれきとなって降ってくる。
「うっは、すげっ」
突進力とそこから繰り出される破壊力に対し脂汗まじりの感想を吐くと、がれきをよけつつ爆弾の安全装置を抜き、振り返りざまに投げつけた。
モンスターの足元で爆発する。
小さい爆弾だから大型モンスター相手では驚かす程度の効果しかないが、ぼろぼろの廃墟には効果覿面だ。三個も爆発させる頃には、建物から不穏な音が響き出した。
「……っ、くそっ」
双剣士が踵を返して階段を駆け下りていく。装備品が軽い分、それなりに速く走れるだろう。崩壊に巻き込まれないことを祈ってやりながら、立て続けに爆弾を投げる。
連続衝撃が効いたらしい。ついに天井が大きく崩れた。大きな破片の直撃を頭部に受け、モンスターが威嚇の声を上げながら地団駄を踏む。だいぶ苛立ちが激しくなってきた。ついでに建物の崩れ方もだ。良い頃合いである。
ロイドは手持ちの小型爆弾をすべて出し、モンスターの足元へと投げた。
最も大きい爆発音。
ワンテンポ遅れ、地鳴りが。
直後、ついに床が崩れ、モンスターの体がわずかに沈んだ。そう思う間にもひび割れは放射状に広がり、陥没と隆起がでたらめに起きて動く岩場と化す。
ロイドは即座に百八十度方向転換すると、外周に向かって走った。そして崩れゆく手すりに足をかけ、全力で跳ぶ。外へ。
風が、髪と頬を優しく打つ。
眼下にはどこまでも続く緑の森。その上には雄大な空。
浮遊感はわずか。すぐに落下が始まる。だが恐ろしくなどない。自分は空高く流れる風の強さを、その心地よさを知っている。
ロイドは笑って空を見た。
今どこを飛んでいるかもわからない奴に、声が届くだろうか。
否、届かないわけがない。この程度のこともできない奴を相棒にしたつもりはない。できない奴に、この自分の相棒である資格はない!
「来い! ジャックナイフッ!!」
遠くに風鳴り。
空によぎる一筋の影。
刹那の静寂。直後、影が赤くきらめき落ちてきた。
翼をたたみ急速降下してくるのは深紅の飛竜。
黒眼と目が合うや否や、竜の体が眼前に迫った。背中にすくい上げられる。と、焦土色の翼膜が開き、大きく羽ばたいて急上昇する。
翼の根元に左手をかけ、しがみつき、重力に耐えること数秒。不意に体が軽くなった。頬に当たる風も優しい。いつの間にか閉じてしまっていた目を開け、周囲を見渡す。
そこは森の遙か上空。塔を中心に、巨体が円を描いて滑空していた。




