世界の歪みは特異点につき過保護を求ム
何もないならいい。
オレにはその言葉が引っかかっている。何もないなら、は大抵前振りになる。美墨さんが何を警戒しているかが分からないし、多分教えてもくれない。オレは職員であると同時に特異、美墨さんは俺専門の隊員。その関係は何処まで切っても切り離せない。美墨さんがオレを人間扱いしてくれていても。結局ここに居る以上、特異は特異なのだから。
「よし、それじゃあ行こうか」
「……本当に何もないんですよね。僕、どうせ生き返りますけど痛いのは嫌ですよ。収容室を通過するって言ってましたよね。部屋の構造はさておき、何かいるんじゃないんですか?」
「……まあ、大丈夫さ。そこに居る奴は尻尾を踏まれなければ何もしないから。報告書通りならば」
不穏な言葉を残して、姫乃崎さんはオレを連れて歩き出す。この施設は二四時間稼働していて(それぞれの特異に性質がある以上、全員が一斉に休むのは不可能)、歩き回るなら何人かの職員と遭遇するのは必至。姫乃崎さんを見て驚く人も居たが、オレが傍にいる事を知り、事情を察した様に無視をする。今は完全フリーな特殊部隊員の人も、オレの存在を視認するや向けていた銃を下ろした。
「うーん。やっぱり君を連れていく判断は正しかったね。どうやら特異以前に、君がいないと僕は何十回と射殺されていたらしい。感謝するよ。ロキ」
「あー。その呼び方、凄く恥ずかしいのでやめて欲しいかもです」
「あはは。ごめんごめん。では特異ー九九九改め九九九と呼ぼうか」
「……ロキって言われるくらいだったらそれでいいです」
その名前で呼ばせるのはどうかクロネコだけであってほしい。オレから言い出した事だが、ロキというのは名前を騙るにしても適当というか、本当にパッと出ただけに何度も聞きたい名前じゃないというか。番号呼びはニンゲン扱いされてないみたいで良い気分じゃないけど、それよりもマシ……マシ?
その後も幾度となく職員とすれ違って、目的の部屋はまだ到着しない。この施設、構造的に妙だと思ったら、特異の影響を受けているらしい。詳しい事は分からないとしても……何となくそれを感じている。攻撃じゃないから『過保護』にはならないけど。一階が同時に複数存在していて、地下一階に続く一階と、二階に続く一階と、三階に続く一階と…………
「…………?」
何だ、この階層。
現実の何処にもない階がある。
「…………」
姫乃崎さんの行きたい場所はここか。オレには複数存在する一階を任意に行き来する方法なんて見当もつかないし、多分出来ないのだろうが、それでもここに向かって進んでいる事くらいは分かる。何が空き部屋だ。謎の空き部屋なんて冗談は大概にした方が良い。
そうなるべくしてなった、危ない部屋だろう。
「……」
―――なんて。
全て憶測だ。実際何も起こらないかもしれないから、行ってみないと分からない。時たま訳もなく後ろを振り返ってみるが、誰も俺達を尾行などしてこない。美墨さんはどうやってこの施設の廊下で死角を見つけているのだろう。そもそも、本当に付いてきているのかも疑問だ。物がなさ過ぎて、隠れ場所なんて存在しないというのに。
「どうかしたの?」
「あ……いや。僕が脅したでも何でもいいですけど。姫乃崎さんって外出しちゃダメな人でしょ? 不審に思ってついてくる人とかいないのかなって」
「もし居ても、問題ない。危ない事をする訳じゃないんだ。俺はただ、その部屋に行きたいだけ。歩いているだけだ。そこまで咎められちゃいよいよ死ぬしかなくなる。せっかく外に出られたんだからはしゃいだって誰も文句は言わないよ」
道は続いていく。物理的には何も変化のない道だ。オレが今まで通ってきた道と違いがあるならとんだ激難の間違い探しだ。実際違いなんてないのかもしれないが―――肌で感じている。同時に存在していた一階が絞り込まれ、目的地に続く現実が選択された事を。
セキュリティに何度か阻まれるも、キーカードで以て何度も通過する。歩数が増える度に人の気配が薄くなっていく。心なしか空気も、そして重力も段々と薄くなっていく。
「もう少しだ。俺の行きたい部屋はこの先の扉をくぐって、階段を下りた先……早く行こう」
「すみません。何もないって嘘ですよね。明らかに環境が……空気が……薄くなってます」
しかし環境は攻撃にはならない。オレに害意を持って構築された攻撃は例外として、元々その性質を有している状態にオレが苦しめられているなら、それは自殺と同じ反応を見せる。だから例えば、オレが宇宙に行っても『過保護』が宇宙に向けて行使される事はない。
姫乃崎さんは俺の手を引っ張って扉のセキュリティを解除。一三桁のパスワードの内訳は『0132874690084』。重力が軽くなっているお陰で姫乃崎さんの力でもオレを引っ張る事が可能だ。しかも無理に引っ張らなくていいからやっぱり危害に該当しない。
「さあ早く! 行かなきゃ! 行くんだ!」
踏ん張れない。空気が薄くなって、苦しくなっていく。オレはともかく姫乃崎さんはタダの人間である筈だが、この環境の悪さに苦しむ様子がない。風船を掴む子供みたいにオレを引っ張って、暗闇が支配する階段の底を駆け抜けていく。
タンタンタンタンタン!
トタン板の階段は音を立てて俺達を歓迎する。狭く細長い空間が足音を何倍にも反響させて響き渡らせる。
「ど、何処まで行くんですか! 僕の手を離してください!」
地下へ潜る度に人間が生存出来る環境が崩壊していく。暗闇を突き進む事十五分。階段が終わらないどころか、光源自体消え失せてしまった。オレには何も言えない。背後を振り返っても、階段が暗闇に向かって突き進んでいるだけだ。入る瞬間までは存在していた光が消えている。
オレは、殺された所で生き返る。
けれども痛いのは嫌だ。死ぬのも困る。ほんの少し前までオレは普通の人間として。普通の―――
『……アイツに近づくと死ぬらしいよ』
『殺人犯だ!』
『……あんな子、うちの子じゃありませんから』
オレハフツウノニンゲン。
『私個人にとってみれば貴方は只の高校生―――心配しない訳、ないじゃない』
「嫌だ! 離せ! 離せ!」
薄い空気を無理に使って声を上げる。オレの特性として報告書には記されなかったけれど。ただ一つだけ。『過保護』には例外がある。
「僕に触れるなアアアアアアアアアアアアアアア!」
自害も厭わぬ拒絶を示した場合、その力を任意に行使出来る。そしてその代償に。オレは死ぬ。
ああ、この大海原は見た事がある。
ボクの身体は沈んでいて、息を吸い込むと水の代わりに空気が流れ込んでくる。すると身体がどんどん浮き上がってきて、水面が近づいてくる。
死んだのだろう。そして間もなく生き返る。でも今回は自発的に死んだから痛くはない。ああでも……終わらないというのは、苦しいか。ボクはボクが使えるどんな手段を使っても生きる以外の選択肢が与えられていない。『過保護』が僕を蘇生させて、いつまでも見守っている。
寿命を迎えた時、ボクはどうなるのだろう。
それでも死ねなかったら、死に続ければいいのか。死にたいボクは言う事を聞いてくれない親の『過保護』で生き返る。ボクの言葉は届かない。
ボクの生きてる意味って、何だ。
「幸太! 幸太!」




