おひるねたいむ
どうあがいてもオレが特異ー四二五の恩恵に与れる事はなかったけれども、クロネコは大変満足してくれたみたいだ。アレから距離を取った時には、既に眠くなっていた。何かの間違いで体を打とうものなら大変な事になる。オレの胸で体を受け止めると、彼女は少しの躊躇いもなく眠ってしまった。多幸とは安心、それは疲労とは正反対でありながら、結果が共通する。
疲れているから、眠りたい。
安心しているから、眠りたい。
彼女が眠ってくれて、ホッとする自分が居た。少しでも眠ってくれないと、こんな調子で特異巡りなんて初めていたら幾ら何でも心臓が持たない。
「……こうしてみると、普通の女の子に見えるんですけどね」
「姫乃崎さんもそう思いますか?」
「まあ、一応ね。人型の特異はいますが、貴方達二人は特にそう見えますよ。九九九、まして職員として認められている貴方はそう見えないといけない。この施設には特異に対する偏見が……あながち間違ってはいませんが、蔓延っていますから」
「あーいや、僕もそう思いますよ。だから僕は、どうだっていいんです。危害さえ加えなければ。美墨さんさえ担当に居てくれるなら」
オレはもう、何も壊したくないし、何も失いたくない。特異たるオレの人間性はこの一点に集約されている。『過保護』がある限り間違っても人間ではないけど、人間っぽくは振舞える。姫乃崎さんは何も言わず、たた隣を歩いていた。
クロネコが目覚めないようなら、このまま収容室に送るつもりだ。睡眠の妨害は『変容』を起こすきっかけになりうる。そうならないためには、一刻も早くあの部屋で戻してやらないと。流石にこの状況下で、再び脱走した八七七と遭遇する事はないだろう。遭遇しても、オレに危害は加えられようがない。ただ姫乃崎さんはどうなるか。
「九九九。彼女を戻した後に予定はありますか?」
「いや…………美墨さんでも探して、付き纏おうかなくらい?」
「ああ、非常に迷惑ですね。やめましょうか、それ。暇という事なら俺に付き合ってください。自分の担当エージェントをストーキングするよりは有意義に過ごせると約束しましょう」
「何するつもりですか?」
「今の俺は自由です。貴方が居る限り射殺の心配はないでしょう。万が一にも貴方に命中すれば大変だ。俺を殺したくても当たるかもしれない。貴方が庇おうとするか否かでも変わってくる。本来であれば記録室に戻るべきなのかもしれませんが、こんな外出の機会はめったにありません。行きたい場所があるのです。ついてきてください」
「…………僕を使って実験とか、やめて下さいよ」
「そんな事はしませんが……確かに危険な所には行くつもりです。しかし貴方が居れば何の問題もない。彼女も連れていければ盤石と言いたいところですが、性質上、起爆剤になる可能性の方が高いでしょう。ですからまあ、戻していただいた後にでも」
「…………いつ起きるか分からないですけど、あんまり長時間連れ出さないで欲しいですね。クロネコは寂しがり屋ですから。ストレスを与えちゃ色々と困ります」
それはまるで子供を甘やかしているような言い分だが、クロネコは子供じゃない。男とか女とかそういう簡単な問題で片付けられる様な存在ですらない。オレも彼女も特異だ。過剰なまでの気配りは、やって損はない。やりすぎて駄目という事もない。少なくとも彼女は繊細で、こんなに気をつけてもストレスを貯めさせてしまうかもしれないのだから。
「ていうか具体的に何処に行きたいんですか? 僕もこの施設全体を知っている訳ではないですけど、僕が居ないと行けないような場所ってありましたっけ?」
「特異の収容室とか。いえ、行きませんが。俺が行きたいのは謎の空き部屋ですよ。ただそこへ行くにはどうしても収容室を通過しないといけないので、貴方を頼りたい。お願い出来ませんか?」
「……良く分からないですけど、すぐ帰れますよね」
「貴方を殺そうとする無謀な存在さえ居なければ、すぐに帰れますよ」
オレの『過保護』は相手に自我が存在するならまず攻撃をしてこない。二五四だってオレやクロネコの言葉を奪わなかった様に、任意の特異性を持つ存在は自動反応する特異性を何故か察知できてしまう。だからどんな特異も、自動反応でなければ安全だ。
「……分かりました。行きましょうか」
オレの身体を掴むクロネコ。抱き方が悪いから落下しないように抵抗しているだけだ。早い所連れて行ってやらないと。
「俺は記録室に戻っていますから、後で来てください」
「僕から離れたら死ぬと思いますけど……」
「だから、一旦ついてきて欲しいな。俺は故意に出た訳じゃない。君達に事実上脅されたから外出したんだ。そういう建前でもないと殺されるかな。いや、あながち間違ってもないかも……」
特異と関わるのは非常に面倒だなと。姫乃崎さんは困り気味に微笑んだ。彼が殺される心配はないと思っている。オレはまだしも、友達と思い込まれた彼が死ねば、クロネコのストレスに関わってくる。
ああ、なんて特異は面倒なんだ。
オレも特異だけど。
「ロキぃ……ん……むにゃ」
天蓋付きのベッドにクロネコを置いて部屋を去る。無意識に俺を探知しているのか暫く手を握って離さない。あんまり強く握られると『危害』に該当する可能性があるので、俺も強くは抵抗したくない。どうすればいいか悩み、とりあえず頭を撫でてみるとゆっくり拘束が解かれていく。
「……お休み、クロネコ」
何事もなければそれでいい。布団を身体にかけて、オレは速やかに収容室を退室する。約束通り向かうのも何だか億劫になってきたが、してしまったものは仕方がないと歩いていると。
通路の陰からぬっと美墨さんが姿を現した。
「何処に行くの、幸太」
「み、美墨さん? 何でここに……」
「用事が済んだから……とも言うわね。所で何処に行くの?」
「姫乃崎さんに行きたい場所があるから危険除けになってくれって言われたんです。大分振り回したし、お礼代わりにいいかなって」
「やめなさい」
「……え?」
「ごめん。言い直すわ。私も後ろからこっそりついていくから、これを持って行って」
美墨さんは制服のポケットから黒くて丸い物体を取り出して俺に手渡す。透視能力もなければ専門知識もない。普通にゴミを渡された気分だ。
「何ですか?」
「発信機。本当は全職員に配られている物なんだけど、私のを敢えて貴方に預ける。これで今の私はゴーストも同然。だから大丈夫。行ってきて。私の存在は……内緒でね?」
「姫乃崎さん、何か訳アリなんですか?」
美墨さんはゆっくり目を瞑ると、気まずそうに眼を逸らして、ホルスターの拳銃に手を掛けた。
「訳アリじゃなかったらあんな所に監禁されないわ。何にもないならいいの。私も報告面倒だし」




