不眠不柩の男
監視カメラよ、見ているか。見ているならどうか、ここに来て欲しい。特異ナンバー九九九は困っています。
具体的には特異ナンバー〇二三が脱走して、オレの収容室に入ってきているのです。しかも『危害』判定がシビアなオレと一緒に眠りたいと言っているのです。オレはどうすれば良いのでしょう。
「…………」
どうしよう。時間帯がいつであれ職員及びエージェントは見かけるが、通りがかる人はまがりなりにも特異であるオレに関わりたくないのか、意図的に避けている。何故かは知らないがご丁寧に耳栓までつけている人までいた。そんなに無視したいか!
「あの―――」
「失礼します」
「あのすみま―――」
「ブレイン博士に呼ばれているので。失礼します」
「あの、済みません―――」
「管轄外です。失礼します」
…………駄目だこりゃ。
声をかける事には成功しても、取り合ってくれるとは限らない。部屋を出てからざっと十人くらいに声を掛けたが、誰一人として用件を聞こうという気概は感じられなかった。ここまで五分。もし本当にトイレへ行っているのなら、そろそろ戻らないといけないだろう。クロネコに探しに来られても困る。
次に声を掛けた人も取り合ってくれなかったら部屋へ戻ろう。そして急に持病の痔が悪化したとして、改めて時間を稼ごう。
「あの、済みま―――!」
声を掛けたと同時に、オレは丁度通りがかった人物が今までの誰とも似ていない事に気が付いた。過去に声を掛けた人は顔こそ違えど服は同じだった。職員ならば白衣、エージェントなら防護服。それがこの機関における日常風景であり、だからこそたった今声を掛けた人物の格好はとても目立つ。
「…………何でシょうか」
その男の服はボロボロだった。上着からズボンに至るまで、どの方向から見ても傷だらけ、穴だらけ。毛髪はパッサパサに乾燥しているし、その双眸さえも、ひび割れを起こしていた。
先程オレは職員ならば白衣、エージェントなら防護服とまるで二種類しかない様に言ったが、そこには例外がある。クロネコを思い出していただきたい。彼女は白衣だったか、防護服だったか?
否、私服である。
それも猫耳フード付きの服だ。どう考えても彼女の要望に応えるべく機関が用意したのだろうが、そう。特異だけは―――オレみたいに職員を兼ねている奴が居ない限り、私服なのである。つまり声を掛けたこの男は職員でもエージェントでもなく―――
「あ、あの。貴方は……どちら様でしょうか。僕はロキです。特異ナンバー九九九に割り当てられてる存在で、職員も兼ねてます!」
「そうデスか。貴方も特異……職員という事は、脱走シている訳ではないのデスね」
「ま、まあ。貴方は?」
「私は、眠れないのデスよ。眠りたいと思っているのに、眠れないのデス。貴方は眠れますか?」
微妙に会話が成立していない。名前を聞いているのに、今の状況を答えられても。返答に困って何気なく足元に視線を向けた時、オレは目を疑った。
男の服から砂が漏れているではないか。それも白い砂が。見つめていると何故か吸い寄せられる様な気がして、視線を逸らした。機関銃付きの監視カメラがばっちりオレ達を捉えていたが、発砲する気配はなかった。
「僕も眠りたいんですよ! でも駄目なんです、眠りたくても眠れないんですよ」
「…………というと?」
「その、僕の担当している特異が、今、僕の部屋で僕と一緒に寝たいって言い出してきかないんです。でも訳あって、その子とは一緒に寝られないし、かといって別の場所で寝るのも駄目だしで、どうしようもないんです!」
男が腕に不釣り合いな程長い袖から手を出し、オレの前に翳した。髪や目の様子に違わず、その肌も水分が失われきっている。腕全体にひび割れがあり、指が動く度に皮膚が剥落。肉など無いのかそこから既に骨が見える。しかし只の骨とは思えない。見た所、砂の塊の様だ。足元から零れている砂を固めたら、丁度こんな感じになりそうである。
「…………事情は分かりまシた。シかシ貴方を眠らせる事は私には出来ません。『それ』が居る限りは」
オレの隣に視線を向けながら、男が言った。
「いや、僕は眠れなくても別に。どちらかと言えば僕の部屋に入ってきた子をどうにかしてもらいたい! その……あんまり乱暴な手段を取る訳にもいかないんで、出来れば……いや、絶対に優しくお願いします」
「分かりまシた。それでは―――」
男が服の内側に手を入れるべく服を広げた瞬間、何処に積もっていたのか大量の砂が足元から漏れ出した。それは足元に積もるだけでは飽き足らず、徐々に徐々に外側へ、床全体を侵食せんと漏れ出してくる。男の身長は見た所二メートル前後だが、服の中から溢れてくる砂はどう見ても二メートルに収まりきる量ではない。既にオレの足元を埋め尽くし、尚も貪欲に勢力を広げている。
「これを使ってください」
服の内側から手が出て来た瞬間、砂の侵食がぴたりと止まる。男がオレに渡してきたのは、白い砂の詰められた小瓶だった。
「これは?」
「その子に振りかけなさい。きっと眠ってしまうでシょう。その眠りは特別デス。眠っているその間は、まるで死んでいるみたいに動く事はありません」
「……本当ですか! え、こんなものをタダで貰っても良いんですかッ?」
「今日会えたのも何かの縁。この眠れぬ日々に、貴方を巻き込もうとは思いません。どうか安らかに、そシて健やかに。眠りに就くのデス」
「あ、ありがとうございます! 直ぐに戻って使わせて頂きます!」
親切をしてくれた理由がさっぱり分からないが、とにかく使ってもいいという事なら遠慮なく使わせて頂こうと思う。眠る間は動かないという事なら、寝返りの心配もあるまい。何ならこっそり収容室に戻してもいい。
丁度すぐそこなので、脇目もふらずオレは自分の収容室へ。足元が砂のせいで非常に走りにくかったが、転ぶ事は無かった。収容室の中にまで砂が満ちていたらどうしようかとも思ったが、そんな俺の危惧を知ってか知らずか、男から溢れた砂は直前で止まっていた。
「本当に、本当にありがとうございまし―――あれ?」
収容室の扉に手を掛ける寸前、改めてお礼を言おうと振り返った時、男は姿を消していた。
「お、お待たせ! ま、待ったかな?」
「遅ーい! もう寝ようかと思っちゃったんだから!」
女の子座りの状態でクロネコはオレを待ってくれていた。寝ようかと思ったとは言いつつもその眼は冴えており、何ならこのまま夜明けまで起きている気配があった。本人の状態とは裏腹にフードについた耳は垂れているが―――まあ、感情と連動しているなんて事はあり得ない。偶然だ。
「ロキって随分トイレが長いんだね」
「ああいや、その―――ごめん。トイレが故障してたんだ。だからちょっと遠い所のトイレを使わないといけなかった」
「もういいよ! 早く寝よ! ほら、ほら!」
クロネコに促されて、直ぐにベッドへ。布団の中に入るや否や、彼女の身体が布団を貫通し、オレの隣にすっぽりと収まる。
「く、クロネコ……近いよ」
「うふふふふふ! ロキってば顔赤ーい! 身体もあったかーい!」
「…………こ、これで寝られそう?」
「うん!」
どれくらい彼女との距離が近いかというと、お互いの吐息が顔に掛かるくらいと言えばその密着具合が分かるだろう。流石に吐息は『危害』として判定されないようで良かった。オレはすかさず先程貰った小瓶を取り出し、布団の中からクロネコの頭に優しくかけた。
「ひゃッ! く、首筋に何か入った!」
「あ、ああごめん。よく眠れる薬を入れたんだ。気にしないで」
「薬? そうなんだ……薬………………薬…………………………………………すぅ」
使用から一分も経たず、クロネコは眠りに就いてしまった。軽く体を揺らしてみたが、起きる様子はない。
オレは空になった小瓶をまじまじと見つめる。
―――なんだ、この砂?
明日にでも美墨さんに聞いてみようか。今日出会った不思議な男の事を。
『過保護』の判定はマジでシビアです。吐息も目に強くかけたりしたらアウトになります。




