110話『恐怖』
よろしくおねがいします。
冷たい…………? 熱い…………? 痛い…………?
体の感覚が失われ、手足を動かすほど逆に身動きが取れなくなってくる。
ボコボコという音が絶え間なく聞こえてくる――。
くるしい……――。
下から上にあがる気泡が私の体を滑って通過していく―――。
こんな状態じゃなかったら綺麗なんて、思ったのだろうか……。
沈み込んでいく体にはもう力が入る事は無い――。
見上げる水面はゆらゆらと揺れていて、ゆっくりと霞んでいく。
薄れる視界で、揺れていた水面に大きな衝撃が広がった。
見覚えのある銀色の長い髪の人影が揺れながら近づいてくる。
肺の中に残っていた空気が私の口からボコボコといっきに漏れ出る――。
くるしい―――。
うすれいく意識の中、
唇に何かの感触を感じて、私は意識を手放した。
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ゆっくりと瞳を開ける。
気だるい感覚が全身を襲っている。
眼にかかる髪が気持ち悪い。
髪をよけるために手を上げたが思うように動かせない。
大きな褐色の手が、かわりに髪をよけてくれる。
心配そうに覗き込む顔には見覚えがあった。
「ベリアル様……?」
出した声は思った以上に小声でかすれている。
「エミリア。どこか体に不調はあるか?」
「気だるさで、体が思うように動かせませんが大丈夫です。
それよりも、私どうして……?」
記憶がぼんやりしている。
「覚えていないのか?
エミリアは湖に落とされた」
ベリアル様は少し怒っているようだ。
声のトーンが少しだけ低い。
「そして助け出して、今は馬車の中だ」
見上げた天井が見覚えのある馬車の内装だった。
私が広々と寝ているということは、向かい合わせのソファーをずらして、
背もたれを倒して広く使っているのだろう。
馬車に備え付けてある救護用の簡易ベッドが完成していた。
カタカタと揺れているという事は、きっと移動中なのだろう。
なるべく、大きな振動が起きないように慎重に操縦してくれているのだろう。
揺れはそこまで大きくない気がした。
そしてだんだん記憶も思い出してきた。
馬車に乗っているという事は、2時間以上経ったのだろうか?
私は湖に落ちた事を思い出し、体が震えた。
恐怖だった。
死ぬかと思った。
溢れてくる涙を拭おうとするけれど、手が思うように動かない。
こんな顔、見られたくないのに。
手で顔を覆いたいのに。
私の意志に反して、どんどん涙は溢れてくる。
張り付いた喉から嗚咽に混じって、疑問の声が漏れる。
「なんで…………どうして…………」
思い出す。
フードの男達の声には、聞き覚えがあった。
お茶会の後から、ナナリーと少しずつ話すようになっていっていた。
イケメンsとも、少しは仲良くなれたと思っていたのに。
歩み寄るために、皆で幸せになるためにって頑張ってきたのに。
神様、どうして?
この世界は、私だけ、こんな仕打ちになる運命の世界なの?
これじゃあ、私はきっと2年後には、本当に――――。
一番、考えてこなかった。
いや、考えないようにしてきていた問題を直視したようで、
私は張り叫ぶように泣き出した。
「ぅああああああああああ―--!!」
マリエラが言っていた。
お母さんも言っていた。
エドワード兄も言っていた。
状況が少し変わったくらいじゃ、運命は変わらない――。
物語は進行していく――。
褐色の大きな手が目元に当てられる。
私は、その手にしがみつくように泣き続けた。
湖の中でどうやってベリアル様が助けたのかって?
そんなの好きに想像すればいいじゃないか。ぐヘヘ。
ちなみに、ポアソン君の密偵たちは動物です。
どこにでも潜り込めるよ。