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「まどか」

 食い入るように文字を辿っていると、ふいに肩を叩かれた。まどかは思わず小さく悲鳴をあげてしまう。一瞬止まりそうになった鼓動が、早鐘のように蘇る。彼女は胸に手をあてて、目の前に立っているあきを仰いで、大きく息をついた。

「さっきの日記?」

 晶も興味深げに、手元の日記を覗きこむ。

 夕食を終えてから、ゆったりと時間が過ぎて、もう深夜になろうかとしている。

 浴室から戻ってきた彼は、用意されていたバスローブを羽織って出てきたようだ。濡れた髪から雫が落ちて、黄ばんだ紙の上に落ちかかりそうになり、彼は慌てて一歩下がった。

「何か面白いことでも書いてあるのか?」

 大きなソファのある部屋にあった日記を、まどかは寝室へ持ち込んだ。寝室には一人で眠るには大きすぎる寝台が二つ置かれている。先にシャワーを浴びたまどかは、既にゆったりとした夜着に着替えて、寝台に腰掛けていた。

 晶が浴室へ入ってから、彼女は立派な日記帳を抱えるようにして、膝の上で広げていた。

「面白いということじゃないんだけど。この城に住んでいた人みたいだから。その、今の怪異的な雰囲気が作り物だったら、昔はどんなところだったのかしらと思って」

「おまえ、やっぱり怖いんだろ」

 晶が言い当てると、まどかは「少しだけよ」と強がった。

「それで?昔は平和な城だったのか」

 まどかは首を横に振った。

「残念ながら、今と変わらず湖には昔から怖い噂があったみたい」

「だったら、そんなもの読んでも、余計に怖くなるだけじゃないのか。もしかしたら、その日記もこの城の仕掛けの一つなのかもしれないな」

「仕掛けって?」

「ここを尋ねた人間が怖くなるように、わざと古びた日記帳を作って、小道具としておいてあるのかもしれないってこと」

「……そうね、そう考える方が怖くないわ」

 できるだけ自分が怯えないように、晶が気遣ってくれているのが分かってしまう。怖いもの見たさの好奇心は、まどかにも少なからずある。けれど、わざわざ恐怖を書き立てるために、日記を読む必要はないのかもしれない。

 まどかは分厚い日記を閉じて、寝台の上に置いた。

「だけど、もし仕掛けなら読んだ方が面白いのかもしれないな」

「そうね。晶ならその方がいろいろとお城を見て回るときに面白いかもしれないわね」

「あとで、ざっと目を通してみようかな」

 彼はタオルで無造作に髪を拭いながら、二つの寝台に挟まれた小さな棚に歩み寄る。外して置いてあった腕時計を横目で眺めた。

 それから何かに気づいたように、腕時計に手を伸ばす。

「どうかしたの?晶」

「時計が止まってるんだ。自動巻きの筈なのに、こんなところで故障か」

 まどかも立ち上がって、彼の手の中を覗きこんだ。

 針は昼過ぎの時刻で止まっている。時間に追われていないせいか、ずっと気づかずに過ごしていたようだ。

「明日、観光で街へ行ったとき、時計屋さんを捜さなくちゃね。だけど、すぐに直るのかしら」

「……わからない。無理なら、新しいものを一つ買ってもいいかもしれない」

「ね、どうせなら記念に、二人でお揃いの時計を探してみない?」

「そうだな」

 コトリと、晶が動かない腕時計を棚の上に戻した。彼はそのまま右側にある壁際の寝台に腰を下ろす。まどかも向かい合うように、さっきまで日記を開いていた左側の寝台に座った。

「そろそろやすもうか。今日は疲れただろう」

「ううん。楽しかったから、疲れたっていう感じはしないけど。……部屋の明かりを落とすわね。真っ暗になっちゃうかしら」

 まどかが立ち上がって、寝室の照明を消す。一瞬だけ闇に沈んだ部屋が、寝台に据えられた小さな照明で、わずかに照らされた。晶が灯してくれたようだ。照明の灯りは淡い橙の色合いで、明度を調節できるらしい。煌々と灯っていた光が、彼の手によってすうっと絞られる。

「これくらいなら、眩しいこともないだろう」

 口には出さなかったが、湖の噂を思うと、まどかは明かりを失うのが怖かった。すぐ近くに晶の気配があるとわかっていても、真っ暗闇ではさすがに恐ろしい。平気なふりを装って明かりを消したが、晶はそんな彼女の強がりを察していたようだ。

 淡い光の中で、何もかも見透かして笑っている彼の顔が見えた。単なる噂に怯える自分が幼稚に思えて、まどかは恥ずかしい思いがしたが「ありがとう」と呟いた。

「おやすみなさい」

 彼に声をかけて、当たり前のように左側の寝台へ入る。隣にある壁側の寝台から、彼の声が追いかけてきた。

「やっぱりそっちのベッドへ入るか、おまえは」

「え?」

 横になって布団に潜り込む前だったので、まどかは体を起こしたままで彼の方を見る。絞られた柔らかな光では、彼の顔がはっきりとは見えない。

「どうやら本気でわからないって顔をしてるな」

 顔がよく見えないのはお互い様のようだ。

「何の話?」

 意味がわからずに聞くと、彼が溜息をつくのがわかった。

「あの、それは。その……」

 まどかにも何となく彼の言いたいことが伝わってくる。けれど、伝わってきたところで、はいそうですかと行動には移せない。どうしようかと戸惑っていると、くすくすと低い笑い声が響いた。

「何、その間は。こっちに来る理由でも考えてるわけ?」

「そういうわけじゃ……」

 照明の光が絞られているのが幸いだった。顔が紅く染まるのを彼に見られなくてすむ。

「理由なんて、腐るほどあるだろうに。例えば、ここは怖いとか。もう結婚したからとか。――そうだな、子供が欲しいからとか?」

「また、人のことからかってるでしょ」

 拗ねてみせても、彼は全く動じることがない。

「仕返しには倍返ししておかないと」

「そんな人は嫌いです」

 また低い笑い声が響く。

「俺が悪かったよ。おまえに傍にいてほしいから、こっちにおいで」

 反則技だと、まどかは思った。そんなに素直に呼ばれると、ますます恥ずかしい。恥ずかしいけれど、拒むことができないのも事実だ。いつでも主導権は彼が握っている。悔しくないと言えば嘘になるが、居心地は悪くない。むしろ、心地良い。

 彼と同じベッドに入ると、思っていた通り抱きすくめられる。まだ乾き切っていない彼の髪が頬に触れて、ひやりと冷たい。

「本当は、すごく怖かったの」

「知ってるよ」

 何もかもお見通しのようである。からかっているような彼の態度は、突き詰めて行くと、全てが素直に振舞えないまどかを思っての行動なのだ。

 甘えるのが下手な自分を思って、晶はわざと仕掛けてくれる。

 きっと、彼の優しさを誰よりも知っているのは自分だ。

 本当は身に染みるほど、わかっている。

 彼の傍にいて、こんなふうに抱きしめられて、想いを証明されて、居心地が悪いわけがない。身に余るほど幸せだった。

 時折、悪戯の度が過ぎる事があったとしても、そんなことは些細なことだ。

 もう少し、この恥ずかしさに負けてしまう自分と、臆した心をどうにかしたいと願ってしまう。

「ごめんなさい、晶」

「何が?」

「ううん、独り言よ。――ありがとう」

 素直に言葉にしてみて、まどかも彼の体に腕を回した。

「まどか」

 小さく、彼が呼ぶ。返事の代わりに身じろぐと、低い声が続けた。

「おまえは、そのままでいいよ。そのままでも、充分いい女だから」

 やはり、何もかもお見通しなのだ。まどかは彼を抱きしめる腕に力を込めた。彼が身動きすると、まどかは体に彼の重さを感じた。

 ゆっくりと、唇が重なる。

 まるで、こみ上げる想いを形にするかのような行い。

 触れ合う体の熱にまどろみ、その甘さに酔いそうになる。

 二人が後戻りできないところへたどり着く間際。

 その時。

「―――……っ」

 どこからか、細い悲鳴が聞こえたような気がした。まどかは思わず身を固くする。

「――晶、今なにか聞こえなかった?」

「風の音じゃないのか」

「だけど」

 ガタガタと窓が風に煽られて、音を立てている。確かに、外では風が吹いているのだろう。少し安堵した時、再び奇怪な悲鳴が響いた。

「イひヒひ、いぃぃぃぃっいぃぃっヒひぃぃぃ」

 細く長く、静寂を破って伝わってくる。

 まどかは咄嗟に小さく声をあげて、晶に抱きついた。さすがにただ事ではないと判断したのか、彼はまどかを宥めるようにポンと肩を叩くと身を起こす。

「何かあったのかもしれない。様子を見てくる」

 寝台を出て、彼は素早く上着を羽織る。部屋の明かりをつけてから、顔色をなくしているまどかを振り返った。

「すぐに戻るけど、一人でいる方が怖いか?」

「う、ううん。大丈夫」

 何とか気丈に答えると、晶は優しく笑いかけてくれる。何かを言葉にされるより、まどかはずっと落ち着いた。

 それでも、彼を送り出すと、途端に恐怖が這い上がってくる。まどかは強く手を組み合わせて、ひたすら晶が戻ってくるのを待ち続けた。

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