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「駄目、かしら」

「それは、どういう意味なのかな」

 目があうと、あきは興味深げにこちらを見ていた。これといって嫌がっている素振りはない。少しだけ安堵すると、彼女はもう一度勇気をふり絞って伝える。

「とにかく、晶の子供を生みたいの」

 気をつかわずに思いを口にすることも大切だと、まどかは開き直ってみた。

「晶がいらないって言っても、あたしは生むもの。生まれたら、絶対に可愛いんだから」

「その会話のなりゆきから察すると、……おまえ、子供できたの?」

 思いも寄らない質問に、まどかは一瞬だけ取り残された。次の瞬間に、今までの会話がざっと巡る。

「ち、違うの」

 たしかに圧倒的に言葉が足りない。彼がそんな結論に達するのも無理はないと、一気に顔がのぼせた。これでは、伝えたいことにたどり着かない。

「その、あたし達の子供なら、絶対に可愛いって思って」

「そんな当たり前のことを、俺に力説しなくても分かってるよ」

 あっさりと、彼がそんなことを口にした。自分達の子供を可愛いと思ってくれるのなら、それは嬉しい。まどかは思わず笑みが浮かんだが、今伝えたいのはそんなことではない。

「そ、そうじゃなくて。あたしが言いたいのは――」

 どんどん話が逸れているような気がする。

 まどかの反応を楽しむように、彼は口元に悪戯っぽい笑みを浮かべていた。指を組み合わせるように握られた手に、ふいに力が込められる。

 引っ張られて、ぶつかるような勢いで、まどかは彼の胸に頬を埋める。突然の力に、何事かと慌てて彼の顔を仰ぐと、至近距離に夜空の色を湛えた瞳が迫っていた。

 端整な顔が近づいたと思うと、そっと唇に何かが触れた。体に回された彼の腕に、力がこもる。

「!――っ……」

 重ねられた唇は、押し当てられるだけでは終わらずに、奪われるような深い口づけになった。そのまま、抱きすくめられた体に、抗いきれない力が加わる。

 なす術もなく、まどかは弾力の効いたソファに押し倒されていた。この後の展開が想像できてしまい、慌てて身を起こそうとするが、彼の手が二の腕をしっかりと捕まえている。起き上がろうにも叶わず、彼の顔を見あげているしかない。

「あの、ちょっと待って」

「何が?」

 彼はからかうような眼差しで、組み敷いたまどかを見下ろしている。

「せっかくおまえが誘ってくれたのに、それに応えないのもどうかと思うけど」

「あ、あたし、誘ってない」

「あれ?子供が欲しいなら、その前にやるべきことがあるはずだろ」

「もうっ、そういう意味じゃないの」

 まどかは顔を真っ赤にして抗議する。その勢いに任せて、逸れていた話を一気に元に戻した。

「あたしが子供を欲しいって思うのは、自分の子供ができたら、晶も簡単に死んだりできないだろうって思ったからなの」

「なんだ、それ。俺は簡単に死んだりしないけど?」

「だけど、あの時に思ったの。命が関わると、晶は真っ先に自分の命を諦める。あたし一人だけじゃ、食い止めるには難しいけれど。でも、もう一人、子供ができて二人になったら、どうかしらと思ったの。子供を見守るためなら、生きることにもっと執着したくなるでしょう」

 何とか、やっとの思いで、まどかは言いたいことを伝えることができた。ソファに押し倒された状態では、どうにも説得力に欠けるような気がする。

 晶はなぜかおかしそうに笑っていた。

「そんな究極の選択は、そうあることじゃないだろ」

「だって、そう思ったんだもの」

「気持ちは分からないでもないけど。それは、おまえにも言えることだからな。常に俺のことを想って、自分のことは後回し。余計な気をつかって、俺に甘えない。――まぁ、おまえの場合、単に恥ずかしくて甘えられないみたいだけどね」

 見透かされて、まどかはますます頬に血がのぼる。

「とにかく、あたしは絶対に誘ってなんていないから、離して」

 起き上がろうと身動きしても、彼は力を緩めてくれない。逃れることができず、じっと見つめられて、更に恥ずかしさがこみ上げる。

 そんなまどかの思いを知りながら、まるでからかうように、彼は顔を寄せた。額に口づけてから、頬にも軽く唇を押し当てる。

「晶っ。もう、からかわないで」

「からかってない」

 耳元の囁きは低く、かすかに彼の息遣いが触れた。まどかは思わず身を硬くする。このままでは、彼は本当に事に及んでしまう。それだけは何としても阻止しなければならない。

「こんなことをしてる場合じゃないと思うの」

「どうして?せっかくのハネムーンなのに、二人だけの時間を堪能しないともったいないだろ。もう、陽も暮れたことだし」

「だから、さっき夕食の準備が整ったら、呼びに来るって言ってたから。もう、そろそろだと思うのよ」

「ああ、じゃあ、それまでに終わらせるから」

「そ、そういう問題じゃなくて」

 何を言い出すのかと、ぎょっとする。彼は浅い笑みを浮かべたまま、まどかに宣言した。

「せっかくだから、思う存分、楽しんでみようかと思って。いっそうのこと、我儘なくらいに。……俺も、まどかに甘えてみようか」

 どうやら、この旅行中の解放感に甘えようと思ったのは、自分だけではないらしい。彼の場合は、恥ずかしさに負けて躊躇うということがない。まどかは目まぐるしく、彼の行動を振り返って頭を抱えたくなった。それは、相当に性質たちが悪いかもしれない。

「おまえも子供が欲しいみたいだし。いつまでも恥ずかしがっていないで、素直に俺に甘えてみれば?」

 思ったとおり、彼はこの状況を楽しんでいる。彼の外見は魔的なほどに整っているが、これでは性格も鬼か悪魔である。想像のつく彼の悪行を阻止する為に、まどかは思い切り拗ねて見せた。

「あたし、もう絶対に晶に甘えたりしないんだから」

「怒った顔も可愛いけど、照れ隠しに拗ねても無駄だから」

 完全に読まれている。太刀打ちできず、まどかは途方に暮れそうになった。体に触れようと伸ばされた手を、何とか捕まえて止める。

「―――っ、だから、そろそろ人が来ると……っ」

 まどかの言葉を封じるように、彼が素早く唇を重ねた。

 吐息が触れ合うのを感じながら、ソファの上で抱き合っていると、まどかの予想に違わず、扉を叩く音がした。

「夕食をお持ちしました」

 闊達な声が知らせる。

「―――……」

 さすがに無視できないらしく、晶が腕の力を緩めた。その反応を見逃さず、まどかは乱れた襟元を直しながら、すぐにソファを離れる。

「はい、今でます」

 扉を開けると、気の良さそうな青年が立っている。二十歳になるかならないかと言ったところだろうか。まどかと目があうと、彼は満面の笑みを浮かべた。

 ロイド以外にも使用人がいるようである。

 この古城に似合う、中世風な作りの制服を身に纏っている。穏かな茶色に、深い青が縁取りをしていて、仕立ての良さそうなユニフォームだった。この広い敷地を管理するのであれば、それなりに人手が必要なのだろう。

 まどかが部屋の中へ促すと、彼は夕食を乗せたワゴンを押して入ってきた。室内の晶は既にいつもの様子で、快く彼を迎えた。まどかはまだ何となく気恥ずかしいのに、彼はけろりとしている。

「初めまして。僕はフレデリック=ルイスと申します。良かったらフレディと呼んでください」

「こちらこそ、はじめまして。結城晶です。彼女は妻のまどか。しばらく滞在するので、よろしく」

「はい、よろしくお願いします」

 笑みを絶やさず、気持ちのよい気性の青年だった。彼はすぐに左側にある部屋へ赴き、金で縁取られたテーブルに、手際よく料理を並べた。

 まどかが後をついて行って、申し訳なそうに彼を見る。

「わざわざ、ごめんなさい。ここまで運んでもらわなくても、呼んでいただけたら、食堂へ伺うのに。あの、良かったら、それ手伝うわ」

「いいえ、そんな。これが僕の仕事ですから。どうぞ、ゆっくりしていて下さい。お客様の相手は久しぶりなので、任されて嬉しい位です。それに、お二人は列車の長旅でお疲れだろうから、お部屋まで運んで差し上げなさいとロイドさんにも言われたので」

「何だか、気をつかわせてしまって悪いわ」

「いや、そんな。気にしないで下さい、本当に」

 彼は夕食の支度を終えると、二人に料理の説明をしてから会釈した。

「明日の朝食にまた伺います。その時に夕食の食器を下げますので。今夜は二人きりでゆっくりなさって下さい。それでは、失礼いたします」

 空になったワゴンを押して、彼が部屋を後にした。急に部屋が静かになって、晶と二人きりに戻る。ついさっきのことを思い出すと、居心地の悪い恥ずかしさがあった。

 晶が傍に歩み寄ってきて、ぽんとまどかの背中を叩く。

「せっかくの料理が冷めるから、とりあえず食べようか」

 照れもせず、うろたえることもない彼の仕草が、まどかは少し悔しい。料理の並べられた部屋へ入っていく彼の背中を眺めながら、一矢報いてみようと考える。

 恥ずかしがっている場合ではないと、決意した。

「晶」

 呼びかけてから、腕を伸ばして、勢い良く彼の背中に抱きついてみた。彼が驚いて立ち止まり、まどかを振り返る。逃さず彼の頬を両手で挟んで、引き寄せる。彼に届くように少し背伸びをして、まどかは挨拶ていどのキスをした。

 清水の舞台から飛び降りるくらいに、彼女にとっては勇気のいる反撃だ。

「さっきの仕返しよ」

 頬を染めて呟く。思いがけず、彼は優しく笑ってくれた。

 けれど、まどかはこの仕返しを企てたことを、あとで死ぬほど後悔するのだった。

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