1-8 竜騎兵
広間に戻ると、パスカルが深刻な表情を浮かべていた。レイジはそれも仕方ないかというように思い、溜息をついた。ショウヘイが初めて暗号を使い、それをパスカルが中々解除出来なかったのだ。多分、プライドが少しばかり傷ついているのかもしれない。ド素人相手にプロが苦戦すればそうもなるとレイジは同情を覚えていた。
「あらあら? パスカル君はショウヘイに嫉妬かしら?」
「うるせえ……ってアリソン嬢か。ええそうですよ。ド素人と思ってた奴の書いた暗号が見たことない組み方されてたんだからな。輪っかにするなんて考えてもみなかった」
「まあそうかもな……こっちの世界でもあの構造思いついたのもケクレっておっさんか夢で蛇が尻尾噛んでぐるぐる回ってるのを見たからっていうしょうもないキッカケだから……」
ショウヘイは苦笑いを浮かべながら言う。論文やら何やらを読み漁ったが、どれも鎖のように一本線で繋げたものだったり、そこから枝分かれしているというのが主流のようだった。それを無視して環状にしてみるというのは画期的な事だったのかもしれない。
「どうやったら上手くいくんだよ……俺も環状構造試した事はあるけど失敗してるんだよ……それでずっと忘れていたってのによ……」
パスカルはクッキーをガジガジと噛みながら溜息を吐いた。何が悪かったのだろう、どこがおかしかったのだろう。パスカルはコードディフューザーで解除ついでに読み取った暗号を見て考え出していた。
「よくできた暗号だな。本当、よくこんなの考え付いたものだよ」
「ベンゼンの構造をそのまま転用しただけさ」
「ベンゼン……? ああ、王立科学研究院で研究してるやつか……お前、それの論文作ったら勲章貰えるぞ?」
「マジ? 狙ってみようかな……」
そんな時、アーロンが耳をピクリと動かした。初めて耳が髪の毛を突き破って出てきたが、エルフのように長い。ショウヘイはそれを見てアーロンに興味を持った。
「ゼップ、客のようだ。ハミドが気づいて見に行ってる」
「アーロン、なんで分かったんだ?」
ショウヘイは堪らず訊いてみる。すると、アーロンはその長い耳をつついた。
「音だ。竜騎兵が乗ってるような竜の足音とハミドのブーツの音が聞こえた。俺は耳がいいからな」
「エルフなのか?」
「いや、吸血鬼だ」
ショウヘイはフリーズしてしまった。アーロンは吸血鬼だ。それなのに日中平気で出歩いてるし、水を恐れてないし、血も吸っていないようだ。自分の知る吸血鬼とは違うのだろうか?
「太陽に当たっても平気なの?」
「平気だ。朝は眠くてたまらないから日中は嫌いだが。それに日焼けすると痛いし……」
「血は吸わないの?」
「血は栄養価が良いだけだからな……食事の量を増やせば吸わなくても平気だ。食費がかさむが」
「水は怖くないの?」
「昔溺れたから川、特に流れが強いのは怖くてな……」
「にんにくは?」
「息が臭くなるから嫌いだ」
「銀に弱いの?」
「吸血鬼じゃなくても銀は体に悪いような気がしなくもないが……」
結論。吸血鬼だけど弱点は体質や育ちに起因するものと判明。というか息が臭くなるからにんにく嫌いって……ちょっと元の世界から口臭を消すタブレット買ってこようかと思ってしまった。
ショウヘイは天を仰いだ。吸血鬼という種族というだけで、中身は殆ど人間と変わらない。
そんな所へハミドがやって来た。後ろには金属製の胸当てと関節にプロテクター、頭にヘルメットを被り、腰にサーベルを提げた男性がいる。肩には剣と稲妻のエンブレムが描かれている。
「おいゼップ、トゥスカニア竜騎兵中隊の伝令だってよ。例の人狩りの捜索の件について」
すると、その伝令の兵士は挙手の敬礼をした。レイジが自衛隊でやっていたのと同じ敬礼だ。騎士が兜のバイザーを上げる動作がルーツと言われているため、この世界でもそんな感じで出来た敬礼なのだろう。
「申し上げます。人狩りの追跡に成功しましたが、少々どころではなく厄介な事態に陥り、連隊長の指示を仰ぎに参りました」
ゼップが真剣な表情で伝令へ向き合う。ショウヘイはメモ帳を取り出し、話を聞く準備をした。
「内容は?」
「人狩りがウィンザー子爵の領地、ラインラントに逃げ込み、追跡を続行しようとしましたが、警備隊に阻まれました。また、警備隊については賊の侵入は無いと言い張っています」
「見たのか?」
「関門を堂々と通り抜けておりました。間違いありません。中隊長が直々に目撃しております」
「ゼップの部隊って、他の貴族の領土に入って下手人捕らえてもいいの?」
ショウヘイが質問する。確かに、他の貴族の領土に軍隊が入り込むなんて戦争以外のなんでも無いだろう。
「トゥスカニアは国軍だからね。僕の私兵じゃない。国の治安維持も任されているから、場合によっては他の貴族の領土に立ち入る権限を持ってるんだ」
「じゃあそれを門前払いとはクロって言ってるようなものだな」
レイジが言う。ケイスケも同感のようで、レイジと目線が合うとやれやれといったように両手を肩の高さまで上げて溜息をついた。
「分かった。連隊本部に行くから各指揮官を集合させるよう伝達してくれ」
「御意」
「レイジ、ケイスケ、悪いけどアドバイザーとして付いてきてくれないか? 異世界の軍人の作戦を見てみたい」
「俺らでよければ」
「今は雇われてる立場ですからね。行きますよ」
ゼップはテキパキと指示を出す。こういう事態には慣れているのだろうか。レイジは心の中で思い出せる限りの上官に詫びていた。本来なら日本に尽くすべき身分なのにこのようなことになり申し訳ないと。
もちろんショウヘイはそんなことを知る由もなく、どうすればいいかとオロオロするしかなかった。そんなショウヘイへとゼップは声をかける。
「ショウヘイもレイジと行ってくれ。出来ることは限られているかもしれないけど、見て学ぶものも多い」
「は、はい!」
ショウヘイは何が出来るだろうかと考えつつも、リュックを背負った。レイジとケイスケは部屋に走って行く。背のうを取りに行ったのだ。その中に色々入れている上に、レイジはLAMを部屋に置いて来ていたのだ。ショウヘイに言えるのは、あんな重そうなロケットランチャーを持つのは嫌だということだけだ。
レイジの足音がいつもより大きいのはその重さのせいだろう。歩くスピードも心なしか遅い。
「兄貴、それ置いてきたら?」
「阿呆。何が出るかわからないからこそ持っていくんだろうが。たった1発の虎の子だが、トーチカだろうと機関銃陣地だろうと戦車だろうが関係なく潰してみせる」
「3曹、その虎の子も使わなきゃただの重りっすよ?」
「うるせえバーカ!」
レイジはLAMを抱き抱えて涙目になりながら言い返す。ケイスケとしては、レンジャー訓練でそれを持って反省の屈み跳躍をさせられたのを忘れたのかと言ってやりたかった。だが、それを言ったら跳び蹴りが来そうで怖かったので黙っておいた。
「ほら行くよ。竜車なら30分で連隊本部に着く。急いで出発しよう」
ゼップは苦笑いを浮かべつつも3人にそう促す。そうしなければ収拾がつかなくなりそうだったのだ。3人はそろそろ次に進みたかったらしく、それにあっさりと乗った。
レイジはケイスケより重い荷物を持っていながらも同じ速度で歩く。身軽なショウヘイはレイジとケイスケの荷物を少しばかり通学カバンに詰めている。主に食料と水だ。2人の背のうは色々詰め込んでいるため、欲しい物が底にあると出しにくいのだ。だから一部のものを通学カバンに詰めた方が背嚢の中身は減り、欲しいと思ったものがすぐに出せるのだ。もちろん、水と食料は1番出す機会があるだろうから出しやすい通学カバンに詰めたわけだが。
そんな3人はゼップに連れられて玄関から一歩踏み出す。そこに止まっていた竜車とやらを見て、3人揃って仲良く絶句してしまった。よく中世風の異世界もののラノベに出てくるような馬車に、四つん這いで角は3本。頭部は扇か盾のように大きく張り出している。目の上の角は1mはあるし、角の生えた頭骨は3mを超えるくらいの大きさがある。全長は9mはあるだろうか。
「兄貴……俺は夢を見てるのか?」
「3曹……これって……」
「……トリケラトプス?」
3人は目を疑わずにはいられなかった。かなりメジャーな部類に入る恐竜がそこにいたのだ。竜は竜でも恐竜が出てくるとは思ってもみなかったのだ。トリケラトプスは推定歩行速度が時速24〜40kmはあるから車を引かせるには妥当な選択と言えるだろう。
「どうした? こいつがそんなに珍しいか?」
トリケラトプスと車の間、御者が座る椅子に座っていた青年が声をかけた。茶色みがかった短髪で、瞳は青い。肌も白い。とりあえず人間なようだ。
「リョーハ、お前が今日の御者という事は、車酔いを覚悟しなきゃならないかな?」
「ヨーゼフ卿の辛口コメントどうも……」
リョーハと呼ばれた男は苦笑いを浮かべる。どうやら竜車の運転が荒いのだろう。そう思いつつも、結局乗り心地はトリケラトプス次第ではないかと思う異世界トリオであった。トリケラが本気で爆走したら乗り心地なんて風に吹かれて飛んでいくだろう。
そんなやり取りを気にしないトリケラトプスは呑気にその辺の雑草を食む。嗚呼、草むしりが楽になりそうだ。護衛兼雑用の男3人はそう思っていた。デカイ落し物をされることをすっかり忘れているようだが。
「ボロクソ言われてるけどちゃんと送り届けることは保証する。早いところ乗ってくれ」
リョーハが急かす。レイジとケイスケはレンジャー訓練の時に荒い運転のトラックで移動したがために切れ痔になった仲間を思い出し、覚悟を決めて車に乗り込む。そんな悲痛な覚悟を知らないショウヘイは興味深々に乗り込んだ。
そして、ゼップは乗り込むなりドアを閉める。車の中はあと1人分空いているが、パスカルたちが3人も乗る余裕はない。
「パスカルたちは?」
「大丈夫。護衛として付いてくるから」
ショウヘイの心配をよそに、ゼップは外を指差す。3人とも、色とりどりの羽毛を生やした小型の恐竜にまたがっている。鉤爪が生えたその肉食竜の名はディノニクス。全長3mくらいで、運動神経もいいので騎兵にはもってこいなのだろう。肉食竜だから騎手が死んでも勝手に戦ってくれる。
「……恐竜の空似だと信じたいよ」
「俺もだよ」
ショウヘイとレイジはそう呟くと、ほぼ同時に溜息をついた。おとぎ話のドラゴンとかではなく、恐竜がいたのだから。なぜ異世界に元の世界と同じ生物がいるのだろうか。2人は移動間、それを考察することに決めた。ケイスケは軽機関銃を握りしめ、窓から周辺の警戒を行うことにした。
「ショウヘイ、パスカルたちが乗ってるの、ラプトル系列のか?」
「初めて発見されたラプトル類のディノニクスだね。確か」
竜車と並走するディノニクスは前をしっかりと向いて走る。ヴェロキラプトルの方が好きなんだけどなとレイジは呑気に思いながらも考え事に耽る……はずが、考え事に夢中でつい意識を手放してしまった。レイジはそのままこっくりと眠ってしまい、ゼップから起こされるまで眠り続けた。
※
レイジが起きると、そこはカレリア中央市街、トゥルクにあるトゥスカニアの拠点、トゥルク駐屯地付近だった。トゥルクにはパルテノス広場という広大な広場があり、そこからカレリアのあちこちに道路が伸びている交通の要衝で、物流が盛んな事から、市場としても兵站拠点としても優秀な場所だ。ここに連隊本部を置くのは妥当な判断だろう。
広場の中央からは巨大な塔、リベトラが天へとそびえ立っている。直径は500mはあるだろうか。外周は黒い金属板に覆われ、てっぺんは雲の彼方へと伸び、目視することができない。遠目にもどこかの領地から伸びるリベトラが見える。まるで、天を支える柱だ。誰が、何のために作ったのかわからないこの塔は神の遺物とされている。世界の終焉の際、落ちてくる天を全能神カリニスがいくつもの塔を立てて防ぎ、生き残った人々を救い、世界を再生させた。それが、国教のレナトゥス教の教えだ。ショウヘイが書庫で知り得たのは今の所そこまでである。
パルテノス広場にはトリケラトプスを繋いだ竜車、哺乳類のインドリコテリウムを2頭繋いだ荷馬車が行き交っていた。広場周辺には人が市場に集まり、盛んに取引が行われている。物流が盛んな場所は経済もいい。行き交う人の身なりがいいのは儲かっているからなのだろう。
パルテノス広場から伸びている道路の1つは柵で厳重に封鎖されている。駐屯地への入り口なのだ。レイジたちの竜車はそれに近づく。門の所に立っていた歩哨2人はリョーハが何かを見せると、門を開けて道の端に整列し、ライフルを地面に垂直になるように持った。捧げ銃である。
歩哨は竜車が行き過ぎると門を閉じ、再び警戒任務に戻った。レイジとショウヘイは元の世界であんな事をやっていたなと思った。
本部の施設は駐屯地中央に位置するレンガ造りの建物で、5階建てだ。その近くでは巡回中の兵士が歩き回っている。兵士は2名1組で、ディノニクスに跨った竜騎兵だ。手にはハルバードを持ち、不審者がいないか目を光らせている。レイジ以下3人も勿論身なりからして不審者だが、ゼップがいたため警戒は解かれ、巡察の2名はディノニクスから降り、ゼップへ敬礼する。
ゼップがそれに手早く返礼し、本部隊舎に向かう。隊舎には上が青で下が白にユニコーンと星をあしらったアリエス聖王国の国旗が翻り、その隣では赤地に金の銃と剣が交差したトゥスカニアの連隊旗が翻っている。
ゼップは隊舎に入り、階段を上って最上階を目指す。それにパスカルとハミド、アーロン、ショウヘイ、ケイスケと続くが、レイジが少し遅れている。額には汗を浮かばせているし、息も少し荒い。
「兄貴、それ置いてきなよ……」
「嫌だ」
ショウヘイは苦笑いしながらLAMを置いてくるように言ったが、レイジは拒否した。もうすぐ各大隊長が集う会議室だ。ショウヘイは人知れず手に汗を握っていた。