3-13 立ち込める暗雲
柱に縛り付けられた忍者は縄抜けされても逃げられないよう、レイジとパスカルに厳重に見張られていた。変な動きをすればレイジの89式小銃で射殺されるか、パスカルのリストブレードで刺殺されるかのどちらかだ。
そろそろ緊張の糸を張りすぎて限界なレイジのところへ美冬がやって来た。交代の時間かな? とレイジは少し期待を抱いた。
「その者を連れて行きます。逃げないよう警戒お願いします」
「了解。パスカル」
「おう」
忍者は手を縛る縄とは別にもう一本の縄で柱に縛られている。パスカルはその縄をリストブレードで切断し、忍者を無理やり立たせる。逃げようとすればパスカルかレイジが即座に殺害する手筈だ。
忍者は最早抵抗を諦めたようで、抵抗することなく大広間まで連行される。逃げようとしたところで助かる見込みはないと分かったようだ。
大広間の襖を美冬が開けると、多くの人や、狐耳や猫耳を生やした人、鬼と思わしき角を生やした人と、多種多様な人が集っていた。
「美冬さん、この人たちは?」
「近隣の村の代表者の方々です。尋問のために集まっていただきました」
「なるほど。ほら、跪け」
レイジは銃口で忍者の背中を少し小突く。すると、忍者はいつのまにか縄を切っており、片手で銃口を払いのけ、レイジの首筋を狙って手刀を振り下ろした。
レイジは咄嗟に首を傾ける。そうすることで、てっぱちの縁と肩が密着し、首筋を守れる。咄嗟に動けたのはもはや奇跡に近い。
思い切りてっぱちを殴ってしまった忍者はあまりの痛みに一瞬動きが止まる。それをレイジは見逃さず、右手をグリップから離し、拳を忍者の腹へ叩き込む。
さらにはパスカルが膝裏を蹴り、跪かせると、銃を持ち直していたレイジが銃床で思い切り殴りつけた。
「あぶねー……」
「気をつけろ。縄切られてるのに気付かなかったのか?」
「全く。爪にカミソリでも仕込んでたのか? マジで気付かなかった」
レイジはなんとか命拾いし、今度はポーチに入れてあった結束バンドで両手首をしっかりと縛り付けておく。何かと便利だから入れていたのだが、こんな事で役立つとは思ってもいなかった。
「貴様、高嶺の手の者か?」
美冬が凛としてかつ、威厳のある声で詰問する。忍者は何も答えようとしない。レイジは答えない忍者をもう一度殴ってやろうかと思ったが、美春も見ているし、捕虜への虐待の禁止というジュネーブ条約が身に染みている為、やるにやれない。
「沈黙か。それも無駄だと知るがいい」
美冬は目を閉じ、指を向けて何かを唱える。詠唱魔法の類いだろうか。ショウヘイは美春へこっそり訊いてみることにした。
「美冬さん、何してるの?」
「読心術。お母さんは読心術なら悟り妖怪にも引けを取らないよ」
「すげー……で、高嶺って何者?」
「隣の国の大名。祇園によくちょっかいを出してきて、困ってるの。祇園の大名から人と妖の橋渡しを任されているお母さんもよく手を焼いてた。鬼の里を攻めたのも高嶺なの」
「つまり直接侵略ってわけか。兄貴の出動案件だねこれ」
絶対またレイジが銃をぶっ放す。ショウヘイはそう悟った。いつもこうして巻き込まれる。巻き込まれ体質を本気で疑わなければならないだろう。
美冬は読心術でこの忍者の知ることを全て読み取る。忍者は拘束を解いて抵抗しようにも、結束バンドが解けず、爪に仕込まれたカミソリでも切り裂けない。
「……ほう。高嶺は更級の命日に集まった鬼たちを一気に攻め滅ぼすつもりか。斥候1人捕まったところで計画を中止はしないだろう。皆の者、どう思う?」
「最早戦う以外ありませぬ」
近隣の村の長老だろうか。白髭を蓄えた男が言う。周りの全員が同じだとばかりに頷く。その場に居合わせた鬼は美冬の言葉を待っているように思えた。
「支度を済ませよ。高嶺が攻めてくる。坪田様へ伝令を送り、援軍を送ってもらうのだ。急げ!」
美冬がそう指示する。人と妖の橋渡し役だからこそ、人と妖の長老を集めて足並みを揃えられるのだろう。どれだけ信頼されているのだ。端で警備していたケイスケは感服した。
解散となる、まさにその時。忍者がふと、ケイスケの顔を見た。その顔はみるみる怒りに歪む。
「……貴様、その服、その兜、その武器……貴様か、貴様が宗盛様の仇か!」
憤怒が露わになる。怒りが力を増幅させ、結束バンドの留め具が壊れ、忍者は怒りに任せてケイスケへと突撃する。身に覚えのないケイスケだが、体は咄嗟に拳銃を抜き、忍者の膝を撃ち抜いていた。
膝を撃ち抜かれた忍者はその場に崩れ落ちる。それでも、這いずるようにしてケイスケへと迫る。鬼気迫ると言う表現がまさにピッタリなその様に、ケイスケは底知れぬ恐ろしさを感じた。
「俺が何をした?」
「とぼけおって……貴様に2代前のお館様は討たれたのだ、忘れたとは言わせぬ!」
「2代前の……? 鬼哭恋歌っていつの話なのさ?」
ケイスケは美春へと目をやる。美春は少し考えるような仕草を見せた後、思い出したように答えた。
「確か、80年前だったかな」
「80年かあ……平均寿命短ければ、言い伝えになるには十分な時間なのかな? でも生きてる人はいるよね。お前は一体何年生きてるんだい?」
忍者は沈黙を貫く。覆面を剥ぎ取られ、素顔を晒しているのだが、初老にしか見えない。何か暗号でも使ったのだろうか。老化しているようには見えない。
「高嶺に仕える忍びには老化を遅らせる秘薬があるって聞いたことがあるよ。本当、らしいね」
美春はケイスケに秘薬の存在を教える。だが、それがなんだと言うのだ。討った、ということは記憶にはないが、時空の歪みを越えた時に戦闘の最中に討ち果たしたのだろう。
「……ごめんなんて赦しは請わない。俺はその時やるべき事をしたんだろう。だから、俺は蔑まないし誇りもしない。それが、俺のやり方だよ」
ケイスケは拳銃をホルスターへ戻す。殺しはしない。そういう意思表示だ。
「討たれたのは貴様らの大将だけではない!よくも我らが頭領を……!」
「貴様ら妖から人の子を守ると言うのが我らが大義! なれば討つは当然であろう!」
「ふざけるな! 我ら鬼が何をしたと言うのだ! 更級様は人と共に歩むと、鬼と人とを繋ごうとしたと言うのに! 我らとて、我らより弱い人に合わせるようどれだけ努力したと思っている!」
「そこまでにしろ」
パスカルはそう言って鬼を制すると、忍者の首に一撃入れて失神させる。忍者はパスカルに担がれてどこへかと連行されて行く。
「美冬さん、あの捕虜はどうするんです?」
「近くの村の牢へ収容します。人質交換に使えるでしょうから」
殺すわけではない。レイジはその返答に少し安堵感を覚えた。別に、殺す事なんて幾度となく繰り返して来たが、やはりできるならば避けたい事だ。特に、日本人とほとんど変わらない飛鳥人相手ともなれば。
守るべき国民、それが脳裏にチラつく。ケイスケも致命傷とならないように撃ったし、本当ならもっと早く撃てた筈だ。躊躇ったのだろう。
「……美春、やっぱり人と妖が共存することって難しいのかな?」
「そんなことないよ。零士と翔平と、啓介は私が獣人なの、気にしてた?」
美春は狐耳をピクピクと動かす。少なくとも、あの家で過ごしていたメンバーは気にするどころか、存分にモフっていた。違いを受け入れていたのだ。
「そうだね。"昼の光に、夜の闇の深さがわかるものか"とも言うからね。違いを完全に理解はできないんだから、受け入れるしかないんだね」
ニーチェの言葉を、ショウヘイはそう解釈していた。美春たちとの違いを、完全に理解することは難しいが、お互い受け入れて過ごすことは出来る。それを放棄したならば、あの忍者たちのようになるのだろうか。
「で、美冬さん。俺らはどこへ配置につく?」
レイジは既に戦闘態勢だ。ショウヘイはやはり怖いと思いながらも、美春たちのために戦おうと覚悟を決めている。
「……飯盛山に、更級の墓があります。恐らく、そこに集まる鬼たちを狙うでしょう」
「そこに防御陣地を作るか。シャロン、時空の歪みの発生点は?」
「地図を……パスカルさん!」
パスカルは何も言わずにいつものホログラムを浮かび上がらせる。極東の島国をどんどんクローズアップしていき、シャロンが予めパスカルに教えていた座標が拡大され、止まった。
「あれ、ここって俺が迷い込んだところ……」
そこには、あの墓標が見えた。あの廃村……更級の墓標のある場所が、丁度時空の歪みの発生予測ポイントなのだ。
「更級の墓標ですか……鬼たちが集まるのもそこ……運命かもしれませんね」
「運命なんてありません。全ては偶然の集まり。それを人は運命と呼ぶんですよ」
ケイスケはそういうと、ミニミ軽機関銃を手に、覚悟を決めた目になる。レイジが辺りを見回すと、全員が戦う意思を示すかのように頷いた。
「美冬さん、総大将はあなたです。俺と皆坂、翔平は現時刻を持ってあなたの指揮下に入ります。パスカル、いいな?」
「お前らが決めろ。俺らは調査の邪魔を排除するだけだ」
パスカルはあくまでもシャロンの調査を優先させるらしい。レイジは縦に頷き、美冬に向き合う。美冬の隣にいる美春も、戦う気のようだ。
「……貴方たちまで、よろしいのですか?」
「ええ、こいつが鬼哭恋歌絡みなら記憶を取り戻すいい機会ですし、俺たちの世界の手がかりもあるかもしれないですから。指示を」
レイジは静かに、告げるように言う。その目は、何かを諦めたかのような目をしていた。濁った眼は、その先に起きることを見ないために視界を曇らせたのか。
「……高嶺の軍を迎え撃ちます。奴らは祇園を牛耳るために必ず動くはずです。人と妖の繋ぐ場所を守る為にも、お願いします」
「任されました。皆坂、陣地作ろう。主陣地と予備陣地、あと補足陣地も必要だな」
「まーた穴掘りっすか? ミニミの穴デカイから嫌なんすけど」
レイジの想定しているのは、いつもの自衛隊式に掩体を掘り、身を守りながらノコノコ現れた敵を撃つと言うことだろう。だが、この穴掘りという作業は意外に重労働なのだ。人が隠れられる穴を掘るのだから。
「上にプレート敷いて埋めないだけまだマシだろ! それとも、陣地掘らずに機動防御でもするか?」
「だったら、あそこ森に囲まれてますから、俺と班長で森に潜んで遊撃しましょうよ。迫られたら祇園の人たちに任せて、祇園はおっかないんだぞと見せれば有効かと」
「近衛班長が神というような提案ありがとよ。美冬さん、俺たちの動きはそれでいいですか?」
ケイスケの案を聞いていた美冬は少し考えたのち、縦に頷いた。
「お願いします。我々は廃村に陣地を作ります。遊撃は任せました。引っ掻き回してください」
「わかりました。皆坂、準備しようぜ」
「はい!」
「お前らだけじゃ不安だな。俺もついて行ってやる」
パスカルはそう言ってレイジとケイスケの肩を叩く。遊撃においては最強のパスカルが加わるとは百人力だ。振り向くパスカルへとシャロンは不安を堪え、頷いて"行ってきて"と意思を伝える。
「じゃあ皆坂はやっぱ残って防御準備。ハミド」
「へーへー、俺は陣地の周りにトラップ仕掛けまくればいいんだな? 久々に腕が鳴るぜ」
「俺も陣地で色々準備するよ。兄貴、死なないでね」
「保障はしねーよ。戦って死ぬ時は死ぬ。それが役目だ。お前は学生なんだから、こんなとこでくたばる必要ないんだからな」
むしろ、終ってしまえばいいんだ。こんな命、捨ててしまいたい。そうすれば楽になれるのにと、何度考えただろう。何度願い、捨てようとしただろうか、もう忘れてしまった。
今度こそ、戦いの中で死ぬのだろうか。仲間を、弟を見送って、自分だけ斃れるのだろうか。それで、いいのだろう。
「まったく。美冬さん、ちょっと用意してもらいたいものがあるんですが、大丈夫ですか?」
「用意出来るものでしたら……」
「今メモにまとめるのでお願いしますね」
ショウヘイはメモに必要なものをまとめ、美冬へ渡す。美冬はそれを見て少し唸り、頷いた。
「わかりました。明日までには」
「お願いします!」
ショウヘイは自分なりに戦うための準備を始める。化学の教科書を実体化させ、あるものを作ろうとしていたのだ。