3-12 忍び寄る足音
先日、セシャトさんから初レビューをいただきました! この場を借りてお礼申し上げます!
温泉を楽しんだ後は、美冬と美春が夕食の用意をしていた。たまたま通りかかったレイジとショウヘイ、ケイスケは見ているだけでは申し訳ないと思い、手伝いを申し出ることにした。
「手伝いますよ?」
「宴会の準備なら俺と皆坂にお任せ!」
「演習のたびにパシられてますから慣れっこ!」
ケイスケだけは何やら悲壮感漂うが、レイジも通ってきた道だ。ショウヘイとてそういう目にはバスケ部で少しだけ遭った。体育会系の宿命なのだろう。
「いえ、お客様ですからお気遣いなく」
「そりゃありがたいですけど、料理覚えたいんですよ。店でも開こうかと」
「そうでしたか……それでは、お願いしてもよろしいですか?」
美冬はショウヘイが真っ直ぐに向けてきた目に負けたのか、微笑みながら隣を空ける。どうやら、野菜を切っているところのようだ。
「何作るんですか?」
「牛鍋です。囲炉裏で煮込むので、ここではお野菜を切るだけです」
「お、牛鍋といえばあれか、我らが諭吉様が食えと勧めてたやつ?」
レイジは傍からケイスケとともに覗き込む。薄切りの牛肉や野菜、容器に入れられた特製の割り下。すき焼きと同じ物が揃っている。
「兄貴、知ってるの?」
「少なくとも高校の日本史とか中学校の歴史で習った。肉食のススメだっけか?」
「少なくとも自衛隊に諭吉様が嫌いな人はいないですし、その教えに従うのはまた当然のことですね」
「自衛隊って本読む人多いの?」
ショウヘイは首をかしげる。脳筋なイメージの自衛隊だが、案外知的な人が多いのだろうか。そんな予想に反して、レイジは首を横に振った。
「阿呆。諭吉様といえば我らが給料じゃねえか」
「野口様と樋口様にも頭が上がらないっす」
「万札かよガッカリした!」
ショウヘイはいつでも変わらない2人に最早笑うしかなかった。笑いながら包丁を握り、白菜を切ろうとするが、うまくいかない。大きさがバラバラになるのだ。
「翔平くん、ちょっと貸してくれる?」
「皆坂さん、コツとかあるんです?」
「まあね。見ててよ」
ショウヘイから包丁を受け取ったケイスケは手早く、均等な大きさに白菜を切っていく。トントン、と規則正しくリズムを刻む包丁。いつしかケイスケは歌を口ずさんでいた。
「ここに——がいて
どんな——も僕らを——くれる
だから——
優しさは——
——になるから」
口ずさむ歌は途切れ途切れだ。歌詞の抜けたところは鼻歌でメロディだけ奏でる。古びたレコードかのようだ。断片的にしか聞こえない。
大切なものが抜け落ちてしまったかのようだ。1日、この世界で生きるたびに元の世界の記憶が失われていくかのように。
「おい皆坂、白菜切りすぎ。そんなに食えねーぞ」
「あ、やっべ! 班長食べます?」
「俺は青虫か何かかよ?」
レイジはそう言いながらも白菜を一切れつまみ食いする。
「あー! 零士、お腹壊すよ!」
「俺の胃酸はヤワじゃねえから平気」
美春が注意すれどもレイジはもぐもぐと白菜を齧る。生ではあまり美味しくはないが、腹が減ってたまらなかったのだ。
「兄貴、待てって出来ない?」
「俺の胃に待てという言葉はない。レンジャーで一生分の待てをして来たからな」
「同じことした俺が耐えてるんすけど!?」
ケイスケすらもツッコミに回り、レイジは渋々とつまみ食いをやめる。流石に生肉を食べるとかいう真似はしないようだ。
そんなおバカなことをしている間もケイスケは手を止めていなかった。既に春菊や椎茸もケイスケによって切られており、後は運ぶだけになっていたのだ。
「美冬さん、なんか運ぶものあります?」
「お鍋とお皿、あとは材料くらいでしょうか?」
「じゃあ、これだけ人がいれば大丈夫ですね。兄貴、力仕事お願い!」
ショウヘイの仕事割りに、レイジは仕方ねえやと笑いながら鍋を腕に引っ掛け、取り皿を持つ。ケイスケは材料を乗せた皿をお盆に乗せ、美春と一緒に運ぶ。
そして、ショウヘイの任務は割りしたを運ぶことだ。転倒はもちろん、よろけることも許されない。慎重にレイジたちへついて行き、零さないように神経を研ぎ澄ます。
ノロノロと囲炉裏に辿り着く頃にはレイジが鍋を設置し、ケイスケが取り皿を配分していた。アリソンたち残りのメンバーは腹を空かせて狼のように待ち構えていた。
美冬が鍋へ具材を綺麗に並べるように入れる。まだ火は点けていない。
「翔平さん、割りしたを入れてもらえますか?」
「全部行っていいですか?」
「半分ほどで。残りは煮詰まってから注ぎ足しに使います」
ショウヘイは美冬の指示に従い、鍋に半分ほど割りしたを注ぐ。すると、美冬が指をピンと立て、囲炉裏へ向ける。すると、自然と置いてあった薪に火がついた。
「すげー……これってアレか、狐火?」
「よくご存知ですね」
美冬はクスリと優雅に笑う。動作一つ一つが優雅、雅と言う言葉が合いそうなほどにおしとやかだ。思わず見惚れてしまう。
そんなことをつゆ知らずと言うかのように、アリソンとルフィナ、ハミドは鍋に目を奪われている。花より団子とはまさにこの事だ。ショウヘイはため息をついた。
鍋は囲炉裏の火に熱され、しばらく待っていると湯気が上がり始めた。グツグツと音を立てて泡立ち始める。肉、ネギ、白菜、豆腐。みりんと醤油が主な割りしたに煮込まれた具材は色を変えながら、その味を染み込ませていく。
「そろそろ頃合いでしょう。どうぞ」
「いただきまーす!」
美冬の言葉に真っ先に反応したのはアリソンだ。さあ食べよう。そんな時、美冬から卵を差し出され、アリソンは不思議そうに首をかしげる。
「卵?」
「はい、溶き卵にお肉を絡めて食べるのです」
美冬は手本とばかりに卵を割って、箸でよくかき混ぜる。どうやら、カレリアは生卵を食べる習慣がないようだ。レイジたち日本人には慣れ親しんだものだが、アリソンには衝撃的なようだ。
「新鮮なものはいけるから食ってみたら?」
ショウヘイは躊躇うアリソンをよそに、煮えた肉を卵に絡め、口へ運ぶ。甘辛い味のしみた肉は、割りしたの味と肉本来の旨み、溶き卵の甘さが混ざってなんとも言えぬ旨味を口いっぱいに広げてくれる。これには誰もが表情を綻ばせた。
恐れを知らないパスカルとハミドも卵に肉をつけて食べ始め、この2人が大丈夫ならばとシャロンとミランダも食べる。
さらにはニーナとアリスもつられて食べ、ルフィナはいつの間にか肉を頬張っていた。取り残されたアリソンは慣れていない生卵に戸惑いながらも、意を決して肉を卵につけ、口へ運ぶ。
刹那、アリソンは目を見開いた。甘い卵と甘辛い割りしたが混ざったものがまず舌を蹂躙する。そして、肉を噛むなり旨味が溢れ出し、先の卵や割りしたと混ざり合って絶妙なうまさを、言葉にできない味を広げ、口を蹂躙し始めた。
脳が旨いという信号で埋め尽くされる。情報量に耐えかね、脳がパンクしてしまいそうにもなる。なんだこれは、こんなもの食べたことがない!
アリソンは気付けば夢中で次から次へと肉を卵に絡めては口へ放り込んでいた。魅力に取り憑かれてしまったからには抜け出せない。
「ハミド、ねえちょっと」
ミランダに呼ばれ、ハマドはどうしたのかとミランダを見る。すると、ミランダは目を閉じて口を開けているのだ。ああ、そういうことかと察したハミドはミランダの口へ肉を放り込んでやる。
ミランダは満足そうに笑顔を浮かべながら食べる。それをみたシャロンはパスカルに同じことをしてみた。
パスカルは無表情のまま、シャロンの口へ肉で包んだ野菜を放り込んでやる。
「野菜も食え」
「むー……健康に気を使ってくれるんですね……」
「肉しか食ってねえだろ。健康には気を使えよ」
ちなみにパスカルはちゃんと野菜と肉をバランスよく食べていたりする。親子じゃあるまいし。シャロンはそう思いながらも、パスカルの不器用な優しさに満足そうにしている。
そんな中、美春と美冬の耳がピクリと反応する。ケイスケとパスカル、ハミドも突然剣呑な目に変わった。レイジは何が起きたかわからなかったが、少なくともいいことではないと感じ取った。
「……翔平くん、俺がバンドやってたことって話したかな?」
「バンド? いきなりどうしたんです?」
「バンドをやってたら音がわかるようになったんだ。入り混じる音の中から、そこにあるはずのない音を見つけ出し、聴き分ける」
ケイスケは敢えて粒子化させずにレッグホルスターに入れていた9mm拳銃をゆっくりと抜き、天井の一角へと向ける。パスカルとハミドも魔術銃を向け、レイジも実体化させた89式小銃を向けている。
察したショウヘイは美春を庇うようにして少し後ずさる。非戦闘要員はレイジたちの後ろへ下がるような形になった。
「この仕事でも結構役に立つものさ。違いは、危険が伴うこと。大きな危険がね」
ケイスケはここだ、と見定めた場所へ発砲する。木製の天井を9mmの拳銃弾は貫通する。そして聞こえてくるのは呻き声。天井の裏にいた何かに命中したのだ。
「ビンゴ! やっぱり人の足音だったな!」
「お手柄だ皆坂! 出てこいクソ野郎が! 飯の時間邪魔しやがって!」
レイジは2発ほど89式小銃を撃ち、威嚇する。ケイスケが撃ったところから離して撃ったが、爆音は威嚇としては持ってこいだ。
「パスカル、そこの天井一部ぶっ壊して引きずり出すか?」
パスカルは美冬に目をやる。やってくださいと言わんばかりに毅然とした表情で縦に頷いたので、パスカルはハミドに目をやる。
「伏せてろよ!」
ハミドの警告で、レイジとケイスケ以外が伏せる。ハミドは天井に爆破の暗号を打ち込み、人1人が通れる穴を開けた。そこへパスカルが飛び込んでいく。
しばらく天井で揉み合う音が聞こえたが、すぐに静かになった。そして、パスカルが忍び装束の男を引きずり出して降りて来たのだ。
「スパイか?」
「そのようです。目を覚ましたら尋問しましょう」
忍者は気絶している。美冬は何やら覚えがあるようだ。楽しい夕食を邪魔されたレイジたちはイライラしながらも忍者を縛り上げ、起きるまで待つことにした。
残りの牛鍋を食べる間、会話はなかった。これから、時空の歪みどころではない、何かに巻き込まれるであろう。そう予感していたのだ。




