3-9 揺らぐ想い
ショウヘイは一歩一歩を踏みしめる。行っていいのだろうか。そんな、見えない壁があるかのような気がする。それでも進まなければ、何も始まらない。苦しくても前に進め。それが人間なのだから。
石畳の道を半分まで進むと、向こうがショウヘイたちに気付いた。運命の時だ。レイジも緊張したように89式小銃を握りしめ、ケイスケも呼吸を乱している。
少し待っていてね。美春の母が美春へとそう言ったような気がした。美春は頷き、その場で待つ。そして、白銀の狐巫女は静々と、それでいて優雅に歩みを進め、立ち止まってしまっていたショウヘイたちの前へと立ち、深々と頭を下げた。
「この度は、娘をありがとうございます……!」
パスカルはもちろん動じないとしても、ショウヘイやレイジ、ケイスケにシャロンは狼狽える。そこまで地に頭を擦り付けそうな勢いで頭を下げられたところで、慣れていない事もあってどう返事をすればいいのかわからなくなってしまう。
「え、ええと……どういたしまして……ですかね?」
「相手に訊いてどーするんだよ?」
答えに詰まり、しどろもどろに返事するショウヘイへ、レイジが冷静にツッコむ。とはいえ、レイジも上手く言葉を紡げないようで、何も言うことができない。レイジとて、大抵頭を下げる立場で、頭を下げられることには慣れていないのだ。
パスカルへ救いを求めるような目線を向けても、返ってくるのは"お前が自分で責任を持て"とでも言いたげな目線。対処法は教えてくれない。
「とりあえず顔を上げていただけませんかね!?」
ここで漸くケイスケが頭を上げるよう促すことを思い付いた。話をするにしても、この状態では何も出来ない。
「わかりました。立ち話をするわけにもいきませんので、中へご案内します。どうぞこちらへ」
どうやら神社に併設されている社務所のようなところへ案内してもらえるようだ。そこなら話もしやすいだろう。レイジが見回すと、全員がその通りにしようと目線で返してくれる。最後にパスカルを向くと、パスカルも瞬き一つ返してくれた。
「ハミド! ミランダ! 来い!」
パスカルはハミドとミランダを呼び寄せてから美春の母へ着いていく。アリソンとルフィナはハミドとミランダにくっ付いて歩いて来ている。それを確認したレイジたちは一足先に随行し、社務所の中へと案内された。
畳張りの中はいかにも和室で、レイジたちに故郷を思い出させる。ショウヘイは即座にスニーカーを脱ぐと、畳へスライディング正座をして、い草の感触を久し振りに味わう。
レイジとケイスケは半長靴の紐を緩めるのに手間取って、遅れてしまった。履くのは早いが、脱ぐのは遅いのだ。
漸く脱いだ2人も畳へ正座し、久しぶりの和室に和む。二度と見ることはないだろうと覚悟していた畳へ再び正座することが叶ったこの奇跡に、3人は心和んでいた。
「兄貴……和室ってなんか落ち着くよね……」
「わかりみが強い。俺、畳の上で死ねるかな……」
「俺らが死ぬのは土くれの上っすよ。演習だって、演習場の大地に死亡判定食らって伏せってましたから……」
「おい寂しいこと言うな」
畳に落ち着く3人を見て、パスカルたちは何か変な仕掛けでもあるのかと警戒し始めた。だが、暗号を使って解析してもただ草を編んだ敷物で、なんの仕掛けもない。恐る恐るパスカルたちも座るが、なにも起こらない。
「……パスカルさん、どうなってるんでしょうか?」
「奴らにだけ効く何かだろ。俺らにはなんともないから放っておけ」
シャロンへ放っておくよう指示したパスカルは、手頃な暗号でも撃ち込んでやろうかとメモ帳をめくり始めた。手にショートカット登録出来る数には限りがあるのだ。
これにしようか、とパスカルが選んだその時、襖が開き、美春と美春の母がお茶を持ってきた。そのタイミングの良さに、レイジたちはすんでのところで助けられたとは知らない。
「翔平、お茶だよ」
「お、ありがとう美春!」
美春が湯呑みを置いていく。中の緑茶は美しいと思える緑で、香りもいい。立ち上る湯気が和の雰囲気を味わわせてくれる。嗚呼、なんと贅沢なのか。
お茶を配り終えた2人はレイジたちの前へと座る。凛とした雰囲気を醸し出す美春の母は、まず自己紹介を始めた。
「改めまして、美春の母、鈴城美冬。この神社の巫女頭を務めています。この度は娘をどうもありがとうございました」
「たまたま居合わせただけだ」
パスカルの態度は変わらない。飾らず、仮面を被ることも無い。いいところでもあり、悪いところでもあるのだろう。少なくともこの場にはあまり合わなそうなので、レイジはパスカルを遮って話す事にした。
「いえいえ、こちらこそ美春ちゃんのおかげで毎日楽しくて堪りませんでした。最初は弱っていましたが、元気になって何よりです」
堪りませんでした。過去形なのは別れを察したレイジが無意識に発してしまった言葉。顔は笑顔を貼り付ける。それでも、揺らぐ心までは隠しきれずにいた。
「そうでしたか……すみません、お礼もそんなに出来る身分では無いので……」
「見返りなんてそんなに求めてません。強いて言えば……教えて欲しいことがあるくらいで」
レイジはシャロンへ目配せする。鬼哭恋歌と時空の歪みについて訊くなら今だと言う無言の合図だ。鬼哭恋歌はまだしも、時空の歪みは帰還への手がかりになるだろう。
「そうでした。鬼哭恋歌と時空の歪みの事です。レイジさんたちに乗る形で申し訳ないですが、教えて頂けませんか?」
「鬼哭恋歌はわかりますが……時空の歪みとは?」
「まずはそこからですね……私も見たのは一度だけですが……」
シャロンは話し始める。時空の歪み。それは光の球であり、どこか知らない世界や過去、未来につながる入り口であり、出口。それがこの近くに現れる可能性がある。シャロンに説明できるのはそれだけだが、説得には十分だろう。この世界を揺るがす恐れもあるのだから。
美冬は考えるような仕草を見せる。何か心当たりがあるのだろうか。
「もしかしたら、書庫に資料があるかもしれません。昔の絵巻物ですが、その中に似たような記述があったと思います。"時の門"と言うものです」
「時の門、ですか……ミランダさん、調べるのを手伝っていただけますか?」
「お安い御用よ、飛鳥の歴史も別の雑誌に寄稿するからネタ集めにね」
「逞しいなオイ……」
編集者であり、ライターのミランダのやる気にハミドは苦笑いを浮かべる。自分たち傭兵より逞しいのでは無いかと思えるほどだ。
「鬼哭恋歌の事ですが、少々長くなるのでかいつまんでお話しします。かつて、この神社の裏手にある飯盛山には鬼たちが人と共に暮らしておりました」
——ある時、隣国の武家が名を上げようと軍を起こし、鬼を退治して人々に平穏をもたらす、と飯盛山に攻め込みました。
人々は農民です。太刀打ちできるわけもなく、隠れることしかできません。鬼たちも多勢に無勢。旗色は悪くなる一方。このまま滅びるものと誰もが覚悟しました。
そこに、ふらりと異邦の青年が現れ、鬼たちに味方しました。彼は強く、巻き起こす轟音は武士たちの馬を驚かせ、近寄るものは目に見えぬ刃が貫き、命を奪いました。
その間に鬼たちは散り散りになって各地へと落ち延び、滅亡を免れました。しかし、棟梁の更科雪葉と言う名の鬼女は鬼たちが逃げる時間を稼ぐため、青年とともに最後まで戦います。
とうとう、更科は凶刃に倒れてしまいます。青年はその場で仇を討ち、必死に手当てをしますが間に合いません。
更科は青年に感謝の言葉を残し、息を引き取ります。青年は失意のまま、何処へやら姿を消しました。
そして、飯盛山には今も助けてくれた青年を想い、更科の霊が泣いていると言われます。
「……これが、鬼哭恋歌の言い伝えです」
「やっぱり、クロノスの招き人なのかなぁ……」
「可能性は高いな」
ショウヘイは鬼哭恋歌にクロノスの招き人が関わっている可能性が高いと考え、パスカルもまた同じ考えのようだ。
「それにしても、悲しいお話ね……」
「お姉ちゃん、そう言う話好きだもんね……」
アリソンは話に聞き入っていたようだ。ミランダは熱心にメモしており、ハミドはうつらうつらとしている。
「それについても調べたいですね。書庫を見せてもらえませんか?」
シャロンは鬼哭恋歌と時空の歪みを文献でさらに調べたいようだ。
「分かりました。ご案内します。他の方はどうされますか?」
「俺はシャロンへ着いて行く」
パスカルはそう言うと、お前らはどうする? と言うかのようにレイジたちを見回す。ショウヘイとケイスケはレイジに目をやり、判断は任せるとでも言いたげに見えた。
「俺らはその鬼哭恋歌の問題の山を偵察に行く」
「ならば、道案内に美春を行かせます」
美春は耳をピンと立てると、嬉しそうにレイジたちのグループへ加わった。さあ、行こうか。レイジはそう言う代わりに頷いてみせた。
※
書庫は棚に絵巻物や書籍が無数に収められていた。どれに時の門についての記述があるかはわからない。シャロンとミランダ、ついでにパスカルとハミド、アリソンとルフィナを頭数に入れたとしても、膨大な量を読むのは時間がかかりそうだ。
「……知識の山だな。知識は武器だが……これは時間かかるな」
「本を前にすると心踊りませんか?」
「ダルい」
「もう!」
シャロンは頬を膨らませ、パスカルの胸をぽかぽかと叩く。じゃれている程度なので、パスカルには別に痛いわけでもないが、百面相するシャロンは見ていて面白いようだ。
「ねえハミド。あっち側から見てきてくれるかしら? 面白そうなのをピックアップして頂戴」
「目的忘れてねえか!?」
ミランダは時空の歪みのことよりもネタ集めに躍起になっている。大丈夫なのかこいつは? とハミドはため息をつきつつも、やはり放って置けないのだ。
「鬼哭恋歌に関する資料はこちらに。時の門の資料は……この中としか……」
「あるだけでありがたいです!」
早速シャロンたちは書籍や巻物を読み漁る。和紙に筆で書かれた本は活版印刷で刷られたローラシア大陸の本とは違い、独特で、極東語を母国語としないものには読みにくくて堪らないものだ。
パスカルたちの持つ解読の暗号はある程度までなら言語を変換してくれる。飛鳥でもスピエルは通じなくはないが、極東語が主流なのだ。
そして、解読の暗号はある程度のニュアンスはわかるが、細かいことがわかりにくいと言うこともままある。それが、資料の解読を難しくさせていた。
「レイジたちをこっちにするべきだったな」
パスカルは断片的な情報をメモへ書き起こし、分析していく。暗号に関してはトップレベルの技術を持つパスカルとシャロンでも、暗号での翻訳には限界があるのだ。
「……パスカルさん、極東語わからないんですか?」
「日常会話程度ならできるが、ここまで専門的な資料になるとキツイ。北欧語なら専門的なのでも分かるんだがな」
この世界では世界中にスピエルが普及し、公用語となっているが、その土地に根付いている独自の言語もまた存在する。それが極東語であり、北欧語であり……無数に存在するのだ。
「確かに日常会話レベルではこれは……パスカルさん、オルレアン語も話せてましたよね?」
「士官学校でオルレアン語取ってたからな。ポーツマス語は必修でやったし、極東語は魔術師養成学園で取った」
「……今度、教えてもらえますか?」
「機会があればな」
パスカルは書物へ目を落としたまま答える。一つ一つ情報を解析し、まとめていく。まだ時空の歪みには辿り着けない。
めくるページに記されている、昔の人たちの足跡。誰かが生きていた証。そのルーツを辿るかのように資料を読み進める。
「うーん、この本難しすぎない?」
「お姉ちゃんがおバカなだけ……」
「うるさいわね!」
アリソンが相当苦労している中、ルフィナは涼しい顔で絵巻物を読む。絵がある分わかりやすいから読めているのであって、アリソンをバカにするほどは読めていない。
そんな中、シャロンは本棚に手を当て、目を閉じる。静かに語りかけるように紡がれる詠唱の言葉が書庫へ静かに響いていく。
「これは、時の声
無数に紡ぐ人の歴史よ、人の知恵よ
私に教えておくれ、その叡智を、その足跡を
紡がれし言葉、我が手に示せ
時の門を、我に示せ」
触れた指先から伸びる光が書庫を辿る。時の門に何かしら関連するものがあれば知らせてくれる、本探しの詠唱魔法。資料を探す時に重宝するもので、あまりにも膨大すぎる量に痺れを切らしたシャロンがとうとう使ったのだ。
やがて、その中の一冊に光が集約され、本が光る。これが最有力候補という事だ。
「ここに、答えがあるみたいですね」
「最初から使えよ」
「次からそうしますね」
シャロンはルンルン気分で本を手に取り、開いてみた。その内容に、シャロンは表情を険しくする。
「……パスカルさん、全員集合をかけてください」
「わかった。なんかあったな?」
「ええ、鬼哭恋歌、おとぎ話と思ったら意外な繋がりでした」
パスカルは深くは聞く事なく、レイジへグライアスで連絡を取った。