3-3 王立魔術研究院
この日、レイジたちは馬車に揺られていた。パスカルについてこいと言われ、どこかへ運ばれていく途中なのだ。あの輸送用ではなく、普通の人が乗る馬車ゆえに、乗り心地はいい。ハミドにアーロン、ミランダも付いて来ている。
「なーパスカルー、どこ行くん?」
「言ってなかったか? グナイゼナウの王立魔術研究院だぞ。厳密にはそこに併設されている王立魔術師養成学園の時空科研究室だが」
「マジデジマ?」
レイジがいつも通りのアホの子を発揮している間、ショウヘイは美春と持ってきた教科書を読んでいた。現代文の教科書に載っている作品——作家の書いた長い長い物語のほんの一部分、それでも美春が興味を示すには十分だったようだ。
王立魔術研究院、アリエス聖王国の魔術研究機関であり、魔術師を養成する王立魔術師養成学園と併設されている、アリエスにおける魔術のメッカだ。そこへ行くということは、ついにレイジたちの異世界転移の鍵が見つかったということだろう。
「期待していいと思うぞ。シャロンがパーティかよってくらいテンション上がってたからな。少なくとも卒論には困らなそうだ」
「卒論とか急にファンタジーから現実感に引きずり戻すのやめろよな」
レイジは苦笑いを浮かべる。とはいえ、レイジもケイスケもショウヘイも大学に行ったことはないから卒論と言われても実感はない。とりあえず時期が近づくにつれてSNSで遊び呆けてた大学生どもが悲鳴を上げているのをよく目にしたくらいだ。投稿してる暇があったら書けやと言いたい。
「王立魔術師養成学園の卒論はどれもレベルが高いから、研究雑誌の編集としては必ず見ているわ。分野が違うけど、参考にはなるの」
「ミランダは暗号専門の雑誌だもんなー。まあ、詠唱魔法の研究雑誌なんざ買うやつほんの一部だろ。使える奴が少ないんだからな」
だろ、パスカル? とでも言いたげにハミドはパスカルへ目をやる。パスカルは肩をすくめて見せるばかりだ。パスカルも使えるには使うが、あまり使いたがらない。
「それにしてもグナイゼナウか……帰りにベラの酒場で美味いもん食って帰ろうぜ」
「美味しいもの!?」
レイジの一言に美春が食いつく。レイジたちによって舌が肥え始めた美春は美味いものに目がない。年頃の女の子らしく甘いものも好きだし、肉や野菜もしっかり食べる。それで太らず、最近背丈が伸び始めた気がする。その栄養何処へやらと、アリソンやルフィナからは羨望の眼差しで見られていたりする。
「この前食った肉、マジで美味かったからな」
「肉と聞いて!」
育ち盛りかどうかは怪しい歳のショウヘイも肉の魅力には抗えない。こんがり焼けて、噛み付くと染み出す肉汁の旨味。噛むほどにタレと絡み合い、増していく肉の旨味に抗えるなんてそいつは男じゃないと断言してやると息巻くほどだ。
「えー、班長、どうせならレシピ聞いてウチで作りましょうよ」
「阿呆。シュバイネハクセの作り方教えてくれたはいいけど激しくめんどくせえぞ。少なくとも2時間張り付きで煮込むのが俺的にはだるい。集中切れる」
レイジは苦笑いを浮かべている。パスカルはやって見るかどうかです迷っているようで、ハミドは完全に食う側に回る気でいる。パスカルに睨まれようと知ったことではないとばかりだ。
「ほら、見えてきたぞ」
大きな門、そこから伸びる石畳の道と、まるで城のような建物。ここが王立魔術研究院であり、王立魔術師養成学園なのだ。見る者を圧倒する学問の府。ここに、この国の叡智が集っているのだ。
「すごい……大学なんて目じゃないね!」
「オープンキャンパスで行ったどこの大学とかよりもでかいなこりゃ」
全員が眼を見張る。パスカルが馬車を止めたので全員がいそいそと降りる。そこはまるで別世界だった。制服に身を包んだ学生や研究員があちこちを歩いていて、庭には花が咲き乱れる、おとぎ話の世界のように見える。
「凄いなぁ……日本のとは大違いだけど、やっぱり面白そうだな……ねえ翔平くん、講義に紛れ込むとか出来ないかな?」
「うーん、やれるんじゃないでしょうか? 大学に興味あるんですか?」
「まあね」
ケイスケはそんなことをショウヘイと話しながらパスカルたちについていく。入り口ではシャロンがパスカルを待ちわびていたのだ。シャロンはパスカルを見つけると、嬉しそうな顔をして駆け寄ってきた。
「パスカルさん!」
「うっす、来たぞ。用件は?」
「もう、無粋なんですから……とりあえず中へ来てもらえますか? 研究室にあるんです」
「わかった。行くぞ」
パスカルはいつも通り仏頂面を貫こうとしているが、少しだけ声色が優しい。誤魔化しきれていないじゃないかとレイジは少し笑いをこらえながら付いていく。
その研究室へ到着するまでに、先頭にいたレイジは最後尾のケイスケとショウヘイがこっそり離脱していたことにしばらく気づくことは無かった。
※
壁にあった案内板を辿ってたどり着いたのは大講堂だった。ちょうど講義が始まるところだったらしく、ケイスケとショウヘイは端っこの方に着席し、講義を聞いて見ることにした。正式な学生ではないのに講義にお邪魔するのは少し悪い気はしたが、大学を知らない身なのだ。少しだけ体験するくらい許されるだろう。
「あら、新顔さん?」
ショウヘイとケイスケを挟むように2人の少女が座る。銀髪のセミロングの髪に少し赤みがかった瞳の少女と黒髪ロングに茶色の強い瞳の少女の2人だ。緑のブレザーの学生服のショウヘイと、迷彩服のケイスケは物珍しく思えるらしく、好奇心が目に浮かんでいた。
「まあね。こういう大学……じゃなかった、まあ、講義に興味を持ってね。こういうのを体験する機会がなかったし、呼ばれたついでに少し興味本位なんだ。許してくれ」
ケイスケは黒髪の少女へそう答える。隅っこでいいから置いておいて、といった口ぶりだ。
「まあ、別にいいと思うわよ? 理解できるならだけど」
「ちなみに内容は?」
「神学。レナトゥス教の事ね」
「レナトゥス教……なんだっけ?翔平くんは分かる?」
「この世界の一般的な宗教だって聞いてます。あっちのキリスト教的な?」
ちゃんと予習していたショウヘイは答えてみせた。なるほど、ケイスケが頷くのを見て、2人の少女の目の色がさらに好奇心に染まっていた。
「もしかして、クロノスの招き人?」
「それって結構ポピュラーなの?」
ショウヘイは苦笑いを浮かべる。よくその単語は聞くのだが、そんなにホイホイ転移してくる哀れな人がいるのだろうか。
「ううん、私たち時空科だからね。それでクロノスの招き人についても習ってたの。まあ、こっちに引きずり込まれても言葉は通じないし何も知らなかったり……そのせいで野垂れ死ぬ人がほとんどなのよね」
「俺運良かったな!?」
黒髪の少女の口から語られる衝撃の事実に、ショウヘイは自らの運の良さを痛感していた。
「そのようね。ねえ、講義終わったら話聞かせてもらえないかな? 」
「あ、私も聞きたい!」
「俺はいいけど……皆坂さんは?」
「いいよ。とりあえず教授が来たようだし、先に講義を聞こうか」
初老の教授が教壇へ立つ。ショウヘイとケイスケはこの世界を知るというよりも、大学の講義を聴くという体験を楽しみにしているように見えた。
講義は淡々と進んでいく。ケイスケは要点をメモにまとめていく。レナトゥス教、旧世界が戦争によって壊滅した際、全能の神カリニスが生き延びた人を導き、新世界を作り出した、というありきたりな成り立ちの宗教のようだ。
人が生きられぬ世界を生きることが出来るように、カリニスは世界のいたるところへ"リベトラ"を建て、世界を制御している。そして、カリニスは魔法を人に与え、末長く反映せよと命じたという。
レナトゥス教はカリニスの下にも様々な神が存在するとしていて、その中の1柱が時空を司る神"クロノス"であるという。
自分の世界にもクロノスは存在したな、とケイスケもショウヘイも同じことを思いながら講義を聴く。少なくともこの世界を知るにはいいだろう。
講義が終わると、学生たちはいそいそと次の講堂へ移動したり、その場で学友と話していたり、レポートをまとめたりと各々の講堂へかかっていた。ショウヘイとケイスケは、先程の2人に連れられて廊下を歩いている。
「どこいくのさ?」
「研究室。同じ研究室の子がクロノスの招き人連れてくるって言ってたからちょうどいいと思ったの」
まさか、ショウヘイはケイスケの顔を見る。ケイスケの顔も引きつっているところから察するに、このあと待ち構えているのは……
「犯人発見! 確保ー!」
「げるぐぐっ!?」
角から飛び出して来たレイジの飛び蹴りがショウヘイを強襲し、ケイスケは遅れて現れたハミドの突進を食らって廊下の向こうまで吹き飛ばされるハメになってしまった。
※
しばらくして、『時空科研究室』と札がつけられていた部屋でショウヘイとケイスケは『私はJDにチヤホヤされて鼻の下を伸ばしました』『私は最強のエースです』と書かれた板を首からぶら下げながら空気椅子に座らされていた。反省の真っ最中だ。
「やべ〜……膝が笑って来た……」
「皆坂さん……俺もう座っていられない……」
「お前ら講義中座ってたんだろ? ここで追加授業、ゆっくり座って受けとけよ」
「班長、どうかお許しを!」
レイジはとてもいい笑顔で言う。こいつはドSの臭いがプンプンするぞと2人は戦慄しながら必死に空気に座っていた。ちなみに2人の少女はそれを見て苦笑いを浮かべている。
「まさかシャロンのお客さんだったなんてね……」
「あはは……パスカルさんに呼んでもらったのはいいんだけど……これじゃあお話にならないというか……」
「仕方ない。2人ともその場に立て!」
レイジがようやく2人を解放する。ショウヘイもケイスケも天の助けとばかりに立ち上がった。太ももが笑っている。ガタガタ震えてまともに立っていられそうになかった。
「レイジ、ドン引かれてるぞ。程々にしておけ」
「ういっす。ところでなんで俺らまで呼ばれたのさ? パスシャロのイチャコラを見せつけるため?」
そんな事を不用意に言ってしまったレイジの腹をパスカルの回し蹴りが襲い、レイジはその場へ倒れ伏した。防弾チョッキを着ておくべきだったと最後に思いながらレイジは床へ沈み、シャロンは顔を赤く染めていた。
ちなみにアーロンはその辺の本を読んでいるし、ミランダはハミドと一緒に研究資料を読んでいる。資料を読むミランダの目がキラキラ輝いている。ハミドはそれを楽しそうに眺めているのが微笑ましく思える。レイジは呼吸困難から回復しながらもしっかり周りを見ていた。
「さて、本題に入りましょうか。アリスちゃん、ニーナちゃん、アレ覚えてる?」
「もちろん、卒論のために必死に作ってるアレね!」
どうやらあの名前のわからない2人組はアリスとニーナと言うらしいが……どっちがどっちだかショウヘイにはわからない。ケイスケを見てもわからないと目で答えていた。
「どれがアレだよ」
「もう、パスカルさんはせっかちなんですから。この机の模型です」
シャロンの示す模型は、まるで螺旋階段のように針金が土台から天井へと螺旋を描いて伸びている。さらにはいくつもの針金が同じように螺旋を描きながら交差し、交差しているところへ発泡スチロールか何かで作ったであろう球と、そこへメモが貼り付けられていた。何のオブジェだろうか。
「これは?」
「"時空の地図"ですよ。この台座は今。上へ行くほど未来になっていくんです。そしてこの球は時空の歪みの現れる予測位置。ありとあらゆる資料をもとに予想して、こうして作ったんです!」
パスカルだけでなく、来ていた全員がその模型を見る。別の針金と交差している場所と無数の針金。これが示すのはなんだろうか。
「いくつも針金が伸びてるのはなんで?」
「その針金はひとつひとつが独立した世界なんです。普段は平行線を辿るように進む時間が何かの影響で交差し、そこが時空の歪みとなるのではないか? という仮説をもとにしたんです」
ショウヘイは返ってきた質問の答えと共に、改めて模型を見上げる。このどこかに自分の世界があるのだろうか。いつ繋がるのだろうか。それは見た限りでは分かりそうにもない。
「どこかに俺たちの世界があるのかな」
ショウヘイは指で点が繋ぐ2つの線を追いかける。帰りたいのだろうか。返ったら何が待っているのか。帰らなかったら、何が起こるのか。どうしてもショウヘイは考えてしまうのだ。
「で、これを見せたかったのか?」
「それありますけど……これを実証したいんです。手伝ってもらえませんか?」
「具体的には?」
「次の発生予測地点へ行きます。場所は……ここ、飛鳥の祇園です」
シャロンが指差したのは、3つの世界が交差する場所。ほぼ同時期に2つの時空の歪みが発生するであろう地点だった。そして、飛鳥の祇園と聞いた美春は目を見開いていた。
「美春?」
「私の……故郷だ……」




