2-23 偽陣地
「邪魔するよ、レイジ、いるかい?」
レイジが天幕で武器の整備をしていると、突然ベラが訪問してきた。レイジは持っていた銃身を取り落としそうになるが、なんとかキャッチし、ベラの方を向く。
「お、ベラのねーちゃん、どーしたん?」
「中隊長がお呼びだよ。あと、あたしの格好を見て一言」
「凄く……エロい?」
「全く……」
ベラの格好は胸部を覆う、金属板に革を貼り付けた装甲と腰巻程度のものだ。露出が多すぎる。そんなので戦えるのだろうか? レイジにはそんな疑問が思い浮かんだ。それを察したかのようにベラは少し笑ってみせた。
「あたしらは暴れるからさ、暑くてたまらないんだよ。それにみんな暗号である程度の攻撃は防護してるからね。そこに思いつくとはさすが根っからの軍人だよ」
「なるほど、とはいえ目に毒。そして俺は根っからではないと思う」
「……レイジ、あんたまさかど」
「あーあー、聞こえないー! 中隊長のところだな、行ってくる!」
レイジは89式小銃を目にも留まらぬ速さで組み立て、さっさと中隊長のいる天幕へと逃げ去って行った。
「……悪いこと聞いちゃったかね。まあいいや。今度お店来た時に弄るネタにしようっと」
※
「で、中隊長ってアドルフォの事だったんだな」
天幕でレイジは驚きを隠せずにいた。各部隊の指揮官の集まる中、中心にいたのがあのアドルフォだったのだ。
「ああ、久しぶりだね。士官学校から実戦への派遣はよくあるんだけど、まさかこんな事になるとはね。緊張するよ」
助言や補佐役として、副大隊長が付いているから一応安心はできるだろう。レイジは公式の場ということもあり、しっかり居ずまいを正し、中隊長へと敬意を払う。
「お呼びとはなんでしょうか?」
「まあ楽に。此度の敵の布陣、君はどう思う?」
「1列目で突撃を押さえ、2列目で完全に止めて反撃。3列目は備えでしょう。それかゴブリンメイジを配備しているかと」
ふむ、とアドルフォは地図に目をやる。そう考えるのが自然だろうと副大隊長も頷いている。だが、アドルフォは引っかかるものがあるようだ。
「ここ、君の見つけた洞窟があるね? これ、なんだと思う?」
「自然に出来たものとは思い難いです。砲撃の際に身を守るための待避壕とか?」
「……この岩山、昔は炭鉱だった。それを知ったら?」
「……坑道?」
レイジの脳裏に浮かぶのは硫黄島の戦いだ。日本軍は岩山に18kmにも及ぶ地下壕を作り、要塞とした。そしてその地下壕を使ってゲリラ戦を展開し、米軍を苦しめた。もしあの洞窟がどこかに繋がっていたとしたならば……?
「だとしてもどこへ?」
「わからない。坑道の図面が破棄されているようだし、奴らが掘り進めた可能性もある。ともかく、ここを占拠して、オークの巣がある丘の洞窟を攻撃したい。塹壕への突撃支援に砲兵隊だけで十分だろうか、意見を聞かせてほしい」
「まあ、自分の世界で突撃とあらば砲兵の支援が普通かな……あとは空爆とか……」
「空爆?」
「空からの攻撃。こっちは空飛ぶ乗り物があるのでそいつから爆弾を落として吹き飛ばす。ところでこっちに増援の予定は?」
「ないな。北が本命で、こっちは偽陣地と見積もられているからね。今の手持ち全軍突っ込むしかないよ。その突撃手順を教えてほしい」
「了解です」
レイジは戦闘訓練や演習で培った野戦における突撃手順をアドルフォへと教える。
まず、敵の射程に入る前に砲撃で敵陣地をあらかた制圧し、砲弾の最終弾が落下すると同時に射程圏に侵入、短い距離を疾走しては隠れ、これを繰り返して敵陣地へ接近する。
あとは野戦特科の突撃支援射撃のもと、突撃発起位置へ接近、最終弾弾着と同時に横隊で突撃するのだ。
「なるほど。とはいえすぐにとはいかないね。会議で承認を得て、各部隊の連携についても調整しなきゃならない。時間はかかるし、その間は防戦一方だ」
「あくまでも一例です。この世界は魔法がありますから、それを組み合わせてみるのもいいかと」
「ありがとう。下がっていいよ」
レイジは天幕を出てからも考え続けた。あの洞窟がやはり引っかかるのだ。点と点がどうしても線で結べない。後一つ点が足りないような気がするのだ。
北の陣地、ここの陣地、岩山、オークの巣。残りのピースはなんだ? レイジの思考はループ状態に陥る。何もわからないのだ。
命令が下るまでまだ時間がある。レイジは敵陣地の方を見つめ、何か不安を感じていた。いつもは気持ちの良い風が、なにやら今日は不安を煽る。気のせいであってほしい。そう願うばかりだ。
※
あれから5時間が経過した。各指揮官は会議に会議を重ねている。作戦計画や火力調整、その他諸々戸部隊の足並みを揃えようとアドルフォが奮闘しているのだ。レイジに手助けできることはない。士官と下士官には大きな隔たりがあるのだから。余計な口出しをして、大勢の犠牲を出すことは避けたかった。
89式小銃からダットサイトを取り外し、ダットサイトを粒子化する。この世界に来て、電池の交換なんてできるわけもなく、ダットサイトはそろそろ電池切れを迎えそうだった。戦闘中に切れるくらいならばと取り外したのだ。
V-8も電池残量が怪しい。レイジはため息をつきそうになる。弾薬もあとどれ程残っていただろうか。もはやジリ貧の戦いへ陥っていることは火を見るよりも明らかなのだ。
「皆坂、弾薬残量は?」
「ベルトリンク4本。今回使えるのは1本程度かなぁ……なくなったら魔術銃使いますよ。それか拳銃」
「俺も残量怪しいなぁ……弾倉何本分弾残ってるんだろう……」
「ゴブリンからサブマシンガン鹵獲します?」
「弾どーするよ?」
「オーシット」
結局付いて回るは弾の問題。魔術銃かトゥスカニアで使っている銃を使うのがいいのかもしれない。
そこへリョーハがやって来た。分隊長が来るということはまた何か指示があったのだろうと察し、リンデンの面々が集まり始める。リョーハはリョーハで物凄くだるそうな顔をしていた。
「明朝、リンデンを主力として編成した小隊で突撃を敢行」
おいマジか、と声が上がる。いよいよその時が来たのだ。突撃して、塹壕を制圧。その奥をさらに制圧。果たして生き残れるのだろうか。レイジもケイスケも緊張していた。
「突撃方法は300mまで横隊で行進。そこから暗号化部隊が速攻でプロテクトの暗号を全体にかけて前進、一旦手前100mで停止。そこから突撃支援射撃5分間、その間に匍匐前進で50m手前へ接近。最終弾落下と同時に突入。質問は? ないな、よし」
レイジは理解しやすくて助かったと言わんばかりだ。自衛隊なら300m手前のところから低姿勢での早駆けと匍匐、伏せるか隠れるを繰り返して接近するところを、バリアのおかげで走っていける。これは楽だ。
「リンデンはエルフ自警団及びアマゾネス義勇軍と共に集成小隊を編成。共に行動する。連携をしっかりしろ。以上だ」
リョーハは伝達を終えると、怠いと言わんばかりに自分の寝袋の上に寝転がる。そこへやってきたのは、ベラと耳の長い、よくおとぎ話に出てくるような典型的なエルフの美青年だった。
「邪魔するよ、レイジ、あんたも突撃に参加するんだって?」
「おう、こき使われて大変だよ。そこの彼は? 彼氏?」
そんな冗談を抜かしたレイジはベラのチョップを何も被っていない頭に喰らい、一瞬意識を飛ばしかける。鍛えているアマゾネスの腕力はおそるべし。
「寝ぼけてるんじゃないよ。エルフ自警団の代表さね。そっちの隊長と話に来たの」
「リョーハ、お客さん」
「なんだい、レイジが隊長じゃないのかい」
「ポッと出のクロノスの招き人に軍任せるアホがいるかよ」
レイジは肩をすくめてリョーハにバトンタッチした。だがリョーハは逃げようとするレイジの襟首をつかみ、その場に座らせる。どうやら逃す気はないようだ。何をさせると言うのか、レイジは少しだけ困惑した。
「とりあえず、アマゾネス義勇軍指揮官のベラと、エルフ自警団指揮官の……名前は?」
「エリックです。よろしくお願いします、ルナチャルスキー軍曹」
「リョーハでいい。エリック、ベラ。今回の攻撃、そっちの連中は覚悟できてるんだな?」
「アマゾネスは誰も恐れちゃいないよ。筋金入りの戦闘民族なんだ。そっちこそどうなのさ?」
「どいつもこいつも可愛げのねえ戦争屋揃い。エルフは?」
「仇討ちにみんな燃えてますよ」
「ならよし」
リョーハはそれを聞くや否や、地図を広げ、駒を置いて作戦の流れを説明し始める。リョーハはこう言う説明が得意なようだと、一緒に行動していたレイジは感じていた。
「現在主力は北方の陣地への攻撃準備中。明朝に攻撃を開始し、呼応するようにこちらも攻撃を開始。敵陣地手前500mのところまではいい感じに窪地があるから、そこを通って接近。砲兵の突撃準備射撃終了と同時に、暗号で防御しつつ前進。100mまで近づいたら5分間の突撃支援射撃、その間に匍匐か暗号で防御しつつ50mまで接近。そののち、各人ごと暗号で防御するなりして突撃する。質問は?」
「突撃に成功したら?」
エリックの質問に対し、リョーハは駒をさらに動かし、ペンであちこちにマークをつける。
「この陣地を制圧したら、残存兵力を半分に分けて、片方は前進してオークの巣を北側陣地を制圧した部隊とともに制圧に向かう。あとは、塹壕がつながっている洞窟内を探索、掃討する」
この突撃のカギを握るのは砲兵の支援と暗号化部隊の暗号による防御にある。攻撃を喰らわず、兵力を残したまま突撃すればそれだけ敵を倒せる公算が上がる。
だがそれは、これから攻める陣地が偽陣地であると言う見積もりの下の計算だ。もし違ったとしたら……その時待つのは地獄の惨状だろう。
※
「だから、この暗号はこれを組み合わせる事で止血効果を高めることが可能になるわけだ」
「なるほど。火傷治療はこっち?」
「そう。水のエレメントを組み合わせる事で冷却、こっちで壊死を防いでいる」
ケイスケはアーロンから治療に役立つ暗号を習っていた。止血や火傷治療、心肺蘇生やら使えそうなものをかたっぱしから習い、暗号の写しをとる。写した暗号は後で手に転写するなりすればすぐさま使えるから、あって損はないはずだ。
「これだけあればなんとかなるかな。ありがとう、アーロン」
「いいさ、ケイスケの熱心さに教え甲斐があると言うものだ」
「突撃だからやはり使うかなーって。班長がヤバくなったら助けないとね」
「レイジの事か?」
「そう。俺が尊敬する上司。まだ死んでほしくはないからね」
ケイスケは笑いながら暗号を書いた紙をメディカルポーチへしまう。手に予め複数の暗号を転写しておく方法は制御が難しく、パスカルのようにはいかないのでやめておいたのだ。
「なるほど。レイジもいい仲間を持ったものだ。お前自身はどうする?」
「自分でやるか、また班長が助けてくれるさ」
「そうか……今のうちに寝ておけ。明け方だから朝は早いぞ」
「演習でよく味わったよ。お言葉に甘えてもう寝る」
ケイスケは勉強を終えて今のうちに寝る事にした。眠れる時に寝て、食える時に食うのが1番なのだ。体がいつでも万全にできるとは限らない。だから、できる時に回復させる。
疲れがどっと押し寄せる。ケイスケはあまりの疲労感に眠りに落ちるのにそんなに時間はかからなかった。
※
ショウヘイは腕時計を見る。時刻は午前5時。カレリアは日照時間が日本の秋くらいしかないので、まだ空は暗い。それでも砲兵隊は歩兵の突撃支援のために慌ただしく準備に取り掛かっている。
ショウヘイは飯ごうをカップ代わりにして暖かいコーヒーを啜り、双眼鏡を握りしめる。まだ敵陣地は見えない。だが、リリアーヌに写させてもらった暗視の暗号がある。これを使えば見えるはずだ。
右目に暗号を転写した手を当てる。暗号はその瞳に入り込み、その効果を発揮した。暗闇の中の筈が、視界が緑色になり、景色を浮かび上がらせ始めたのだ。
「見えた、ベルグ軍曹!」
「よし、メリニコフ大尉! 1番砲観測射撃可能!」
「観測射撃開始、各砲照準合わせ次第突撃準備射撃を開始する!」
「了解! ショウヘイ! しっかり見ていろよ!」
「はい!」
ショウヘイは双眼鏡を覗く。着弾を観測し、砲撃を敵のいる位置へ誘導する。実感はないが、自分は間接的に敵を殺している。結局、自ら手を下すわけでなければ出来てしまうのだろうか。
あまりにも現実感のなさすぎる戦い。キャッチボールでもしているかのようにも思えてしまうほどで、でもその双眼鏡のレンズの先では、誰かが死んでいる事実があるのだ。
轟音、風切り音。腹の底まで響く爆音がこだまする。今発射されたから、着弾までは……と残り時間を心の中でカウントする。3、2、1、着弾。
カウントぴったりで土煙が上がるのが見えた。丘の下がった位置で砲撃している砲兵隊は射撃の光を敵に見られることはないが、直接照準はできない。だからショウヘイたちが観測して照準を合わせるのだ。
「塹壕にドンピシャ!」
「もう1発! それで当たれば1番砲の照準はいいぞ!」
次の砲弾も、少しズレたが有効な範囲に着弾したことを確認できた。これで照準は合った。これで仕留めるのは訳もないことだ。
「1番砲よし!」
続いて2番、3番と砲撃が始まる。別の観測手が指示して照準を合わせた。これで全ての準備は整った。
「各砲、突撃準備射撃開始!」
メリニコフの号令。それをかき消すように野戦砲の轟音が鳴り響く。猛烈な砲撃による激しい土煙や光でもはや観測は出来ない。ショウヘイは双眼鏡を下ろして一息つく。そこへ、美春がやって来た。
「翔平、始まったの?」
「うん。大丈夫。兄貴たちならやってくれるさ」
「そう……これ、持ってて。少し、嫌な予感がする」
美春はショウヘイへ1枚の呪符を渡す。何が書いてあるかは相変わらずわからないが、美春が心配して持たせてくれたお守りなのだ。ショウヘイはありがたく受け取ることにした。
「ありがとう」
「ピンチの時、これを持っていて。きっと役に立つから……」
相変わらず爆音は轟き続ける。まるで落雷のようだ。地獄の惨状から目を背けて美春と向き合うショウヘイには、これから死地へ赴こうと集まるレイジたち歩兵部隊の姿は、映っていなかった。
※
突撃準備射撃が始まった頃、北方に移動した本部には伝令がひっきりなしに駆け込んで来ていた。またしてもゴブリンメイジのジャミングでグライアスが通じなくなっていたのだ。
「報告! 詠唱魔法中隊、突撃支援射撃開始! 既に敵塹壕の7割が破壊済みとの事!」
「報告! 突撃歩兵が敵塹壕前縁部のトラップ型暗号の破壊に成功、主力突撃可能!」
「報告! 暗号化歩兵突撃を開始! 敵陣地からの反撃は散発的!」
ゼップはサジタリアスとトーラスの大隊長や参謀長などの幕僚とともに報告から地図に置いた駒を動かす。突撃し、敵を殲滅したのならばグライアスでリアルタイムに報告が入るようになるだろう。だが、全員が違和感を感じていた。
「……トゥスカニアの虎の子が全力で仕掛けたのだから、既に敵が壊滅していたという見方もできる。だが、何故ここまで反撃が少ない?」
ゼップに答えるものはいない。攻撃を開始してからというものの、いくらなんでも敵の反撃が少ない……なさ過ぎるのだ。ここに敵主力が集結しているのならば、もっと熾烈な反撃があるはずなのだ。
「……我々は誘引されたのでしょうか?」
「だとしたらどうやって……」
スペンサーやトーラス大隊長が一抹の不安を感じたその瞬間、グライアスで報告が入った。それが、まるで不安の答え合わせだと言わんばかりのものだったのだ。
『報告! 陣地制圧! ですが……敵の死体が少なさすぎます! 事前の偵察の際確認した戦力のおよそ3分の1以下! また、塹壕横に連結されていた洞窟入り口が爆破され、侵入不能!』
「……クソ、こっちが偽陣地か! まさかとは思ったが奴ら、炭鉱跡をさらに掘ってトンネルで繋げてたな! どこの部隊でもいい、急ぎ南下させてリンデンの支援に当たらせろ! あっちに戦力が移動された可能性がある!」
ゼップはすぐに指示を飛ばし、陣地から騎兵隊、竜騎兵隊、翼竜隊が出撃したが、リンデンの突撃に間に合うかは怪しいところだ。
「連隊長! 集成部隊との連絡とれません! また妨害を受け、グライアスが使用不能!」
「クソ! こんな時に限って!」
退かせることもならず、援軍が到着するか、敵の主力がもっと他のところへ行ったか、勘違いであってくれとゼップは祈る。それでも、攻撃開始は刻一刻と迫っていた。




