2-22 斥候
今回はトマス・マコーリーの「橋の上のホラティウス」を一部引用しています。引用に関しては運営から著作権切れのため、引用可能との返答を頂いております。
夜間、レイジとケイスケはV-8が映し出す緑の景色を頼りにオークの陣地へ迫っていた。火力で勝る2人が正面から偵察。ミーシャ、グリーシャの組はそれぞれ側面から偵察だ。オークは暗視の暗号を持っていないという希望的観測だが、どのみちやるしか無いのだから仕方ない。
『兄貴、聞こえる?』
「なんだ、こっちは斥候なう。手短に頼む。バレるから」
『斥候って何?』
「偵察」
『ああ……それならちょうどいいや。その塹壕、正面から見て左に岩山あるでしょ? ちょっと気になったから見てもらおうと思って』
「岩山?」
『うん、この陣地からじゃ裏がよく見えなくてさ。その後ろにも塹壕が伸びてるみたい』
「あいよ、後で見とくわ」
レイジは手早くグライアスを切る。そして、ケイスケへ手信号で合図を出して草に隠れつつ、潜入を開始する。2人ともレンジャーや演習で斥候の経験は十分だ。
本来なら戦闘で多少なりともショックを受けたであろうショウヘイの話を聞いてやりたいところではあるが、状況がそれを許さない。あまり声を出したらバレてしまう。夜間は昼間に比べて音がよく響くのだ。レンジャーで腕立てとともに叩き込まれた教えを忠実に守る。それが任務成功に繋がるのだ。
V-8越しの景色には一面の草地で、他に何もない。音も無く、敵の影もない不気味な世界が広がる。グローブの中が汗で蒸れる。指ぬきだというのに、手のひらがじんわりと汗で蒸れているのだ。
ケイスケがしゃがめ、と手で合図をした。レイジはそれを認識するなりゆっくりしゃがむ。急激な動きは気取られてしまう。ケイスケはそのまま手信号で敵がいると合図する。V-8のピントを合わせると、塹壕から飛び出すオークの頭が良く見えた。ゆっくり見回してその数を数え、武器も見えたらメモする。
積み上げている投石用の岩くらいしか見えない。あとは近接戦闘用の斧だろうか。ゴブリンの姿はない。いたらどこかに銃が転がっていそうな気もする。それとも、オークとは体躯が違うから塹壕の中に埋もれてしまっているのだろうか?
しかし斥候の報告の基本は"見たまま聞いたまま"だ。余計な憶測を挟む余地はない。レイジとケイスケは塹壕に並行するように移動し、1列目の塹壕をよく偵察する。オークどもは一部を除いて眠っているようだ。20mは離れているのにいびきの合唱がよく聞こえる。
ショウヘイに言われた岩山近くには何もなかった。夜間用の匍匐前進で音を立てずに接近したが、罠も何も仕掛けられていない。
レイジはゆっくり塹壕に降りる。オークの体に合わせているためか、レイジが頭まですっぽり隠れてしまう。岩山の裏まで続く塹壕はそこで途切れ、代わりに岩山にぽっかり空いた穴の中に連結されていた。V-8でも奥の様子はわからない。待避壕だろうか。
レイジはとりあえず持ち合わせのパラコードと手榴弾で即席のトラップを仕掛け、塹壕に入らずに待機していたケイスケの手を借りて塹壕をよじ登る。
その時、銃声が響いた。遠い。だが、オークたちを叩き起こすには十分な音量だった。レイジとケイスケに戦慄が走る。
走れ、叫んだのはどちらだっただろうか。2人は死力を尽くして走った。味方の陣地に逃げ帰るためだ。視界が激しく揺れる。V-8を装着していると揺れる視界で気持ち悪くなりそうになり、V-8を2人とも跳ね上げておいた。
単眼式なのが幸いと言うべきか、もう片方の目は暗闇を見続けていたため、暗闇に慣れてぼんやりと周りが見えるようになっていた。そんな時、グライアスに悲鳴のような声が聞こえてきた。
『すまねえ、見つかった! サンヤがやばい! 誰か助けてくれ!』
ミーシャの悲鳴が聞こえてきた。グリーシャ組とミーシャ組では塹壕の左右に分かれて潜入したため、距離がありすぎる。1番近いのは、中央に潜入したレイジ組だった。
「皆坂! 行くぞ!」
「はいはい、地獄の底までお伴しますよ!」
——さあ、私の隣に立ち、橋を守るのは誰か?
2人の声が重なる。トマス・マコーリーの"橋上のホラティウス"の一節だ。橋に群れなす敵を前に問いかけた勇敢なホラティウス。それに答えるように、2人の若者が現れたところだ。
——私があなたの右に立ち、共に橋を守りましょう
レイジが呟く。恐れは既になくなった。今考えるは助けを求める仲間を救うこと。
——私があなたの左に立ち、共に橋を守りましょう
ケイスケが呟く。ミーシャとサンヤを助け出す。その使命感に彼は燃えていた。
オークたちは銃声の方へと移動している。おかげで2人は少し迂回して、ミーシャとサンヤの退路に先回りすることができた。大丈夫。俺たちならやれる。走りながら2人は顔を見合わせ、笑っていた。
V-8の先にミーシャが映る。負傷したサンヤを担いでいるのだ。グラビライト石があるからこそ、サンヤを担いでオークから逃げ延びているのだ。だが限界は来る。それを援護しなければ。
レイジはその場にしゃがむ。ケイスケはミニミのバイポッドを展開し、その間にレイジのてっぱちを挟むかのようにして固定した。レイジは両手でそのバイポッドの下端を握り、しっかり固定する。
「ミーシャ! こっちに逃げて来い!」
レイジが叫ぶ。気付いたミーシャが走って来る。ケイスケはまだ撃たず、V-1のレーザー照射スイッチを押し、ポインターをオークの頭の位置に当てていた。暗視装置なしでは見えない不可視のレーザーが、お前を必ず殺すと無言の殺意をぶつけている。
ミーシャがレイジの隣をすれ違う。これで前にいるのは敵だけだ。
「ホラティウス! 前方50、敵散兵! 指命!」
レイジの射撃号令でケイスケが安全装置を解除する。
「準備よし!」
「てーっ!」
間髪入れずにレイジが射撃命令を出す。ケイスケは待ってましたとばかりにトリガーを引き、弾幕をオークへ浴びせた。暗闇に光るマズルフラッシュと赤い曳光弾の光、暗闇からの突然の奇襲に、オークは対応できずにバタバタと倒れて行く。さらに視界の悪い中で死体に躓き、転倒する個体も現れた。
「撃ち方やめ! 引くぞ!」
今は撃滅が任務ではない。撤退支援が役目なのだ。レイジはケイスケの脚を叩いて合図する。ケイスケはすぐに安全装置をかけてバイポッドを畳み、レイジも立ち上がって走り出す。
「すまない、助かった!」
「いいってことだ! 代わるか?」
「まだ行ける。このまま基地まで逃げよう!」
「ああ!」
レイジはミーシャの肩を叩き、少し速度を落とす。ケイスケと共に殿を預かるためだ。後ろを向いてV-8を使ってみると、追って来る足の速いオークが見えた。レイジは冷静に89式小銃を構え、レーザーを照射する。わずかに誤差を修正して、トリガーを引く。
レーザーが跳ね上がる。オークは全身の力が抜けるが、体は慣性の法則に従って、その推進力で前に倒れる。レイジはすぐに隣へ照準を動かし、もう1発撃つ。命中したのか、痛みでオークの足が止まる。さらにもう1発。すると、口から血を吐きながら悶え、倒れた。撃破確認。レイジはすぐに安全装置をかけて走り出す。
そこから無我夢中で前哨基地へ飛び込む。既にセリョーガとグリーシャが受け入れ態勢を済ませ、アリソンとルフィナも待機していた。暗号灯に照らされた天幕にサンヤを担ぎこみ、簡易ベッドへ寝かせる。
「何があった?」
「物音でバレた。オークの岩で片足潰された上に、ゴブリンズにどっか撃たれてるみたいだ……どうしても岩から抜け出せなくて、仕方なく足を切った」
リョーハにミーシャはなんとか落ち着きを保ちながら答える。その間にもアリソンとルフィナが治癒魔法の詠唱をはじめ、レイジとケイスケはその間に応急処置を試みていた。
左足は膝下からが岩に潰され、脱出できずやむなく切断したらしい。恐らく骨は砕けて肉は潰れていただろうから、銃剣でも十分切断できたのだろう。簡易的ながら有り合わせの包帯や木の棒で止血帯による止血がされていたため、大出血は抑えられている。
「皆坂、どうだ?」
「呼吸が浅く速い……呼吸出来てないっす、脈拍からしてもショックを疑うレベル!」
「胸か?」
レイジはサンヤの服を脱がせる。右胸に穴が空いているのがわかった。銃創は当たった瞬間に衝撃波で傷が広がるが、すぐに筋肉の弾力である程度塞がってしまう。だが、当たった弾が大きかったのか、目視でもその傷は確認できた。
「出血はないな。背中見てくれ!」
「あいあいさ!」
銃撃を受けた際、時折焼け焦げた服が皮膚に張り付くことで出血を抑えている場合がある。サンヤが見かけ胸から出血がないのはそのためだろう。その中まではわからないが。
レイジは胸の穴に準備されていた脱脂綿を詰め込む。開放性気胸と呼ばれるこの状態は、肺に空いた穴から空気が漏れ、呼吸困難に陥る。その処置は、穴を密閉することだ。
さらに貫通して背中にも穴が空いている可能性がある。ケイスケに確認させると、やはりあった。
「密閉しました! 包帯を!」
2人できつく包帯で縛って密閉する。本来なら、手当て用のチェストシールというフィルムを2人は自費購入して持っていたのだが、使えるものが準備されていたこともあり、今回は温存することにしたのだ。
「クソ、こっちが止まらない……!」
「セリョーガ! もっと押えろ!」
「やってるよ!」
リョーハ、グリーシャ、ミーシャが3人がかりで腹の傷を圧迫し、止血を試みるが出血が止まらない。既に負傷から相当の時間が経ち、サンヤも限界が見えてきた。既に顔面は蒼白だ。心音も弱まりはじめた。
「治癒魔法はまだかよ!」
「頑張れサンヤ! まだ死ぬな!」
必死の呼びかけの中、サンヤの首がカクリと横を向いた。アリソンとルフィナの治癒魔法が発動したのはほぼ同時だ。発動したにも関わらず、光も何も発することはなく、2人は察したように、瞠目した。
「……ごめんなさい、助けられなかった……」
アリソンが泣きそうに言う。そんなバカなとミーシャはサンヤへ胸骨圧迫を始めたが、リョーハがそれを制した。
「失血だ。助からない」
「そうかよ……すまねえ、サンヤ……」
情に熱いアリソンは涙し、常に冷めたようなルフィナもこの時ばかりは瞠目した。レイジとケイスケは黙祷し、リョーハは虚空を見つめるサンヤの瞳を、優しく閉じさせてやっていた。
「……お前のことは忘れない。ゆっくり休め、サンヤ……」
必ず、仇は討ってやるから。リョーハの静かな決意とともに、天幕は静寂に包まれた。
※
サンヤの遺体は遺体安置所へと並べられた。後程輸送隊に本国へ送り返して貰う事になる。
リョーハは沈痛な面持ちだが、それでも任務を継続するため、リンデンを集め、斥候の情報をまとめる事にした。
「結果は?」
「俺と皆坂は塹壕1列目を見た。オークどもがいびきかいて寝てたよ。結構いるな。あと、片方の端っこにある岩山、そこの洞窟に塹壕が連結されてた。わかったのはそのくらいかな」
「ミーシャは?」
「2列目を見た。主にゴブリンどもが銃火器構えて待ってたよ。1列目が突破された時に抑え込むためなんだろうな。ライフルと、例のサブマシンガン以外は確認できなかった」
「なら、グリーシャ」
「3列目は多分予備だな。誰もいねえや。あと、陣地の前に暗号の地雷原あったぜ。多分、術者が起爆するやつ。陣前縦深20m、左右幅は塹壕と同じくらい、かな」
リョーハはその情報を取りまとめて地図に書き込む。あとは報告して、上が判断するのを待つだけだ。リョーハは書類をまとめ、報告のために各指揮官の集まる幕舎へと向かっていった。