2-13 遭遇戦
先頭の馬車の屋根に開けられた穴から顔を出し、ミニミ軽機関銃を据え付けたケイスケは、馬車が走る間にも周囲を警戒していた。どこから仕掛けてくるか分かったものではない。
今頃、レイジば馬車の中でウトウトしている頃だろう。疲れているだろうし仕方ないと、ケイスケはレイジの身を案じつつ、警戒を続けた。
既に日は落ち、V8を使わなければ何も見えはしない。そんな時、足を誰かが叩いた。
「はい?」
「今日はそこらで野営って連絡だ。見張り代わるから寝ておけ」
そう言ってくれた兵士はケイスケを銃座から降ろし、自分が銃座についた。
「交代しなきゃ集中が切れる。ゆっくり休めよ?」
「ありがとう。そうするよ」
ケイスケはミニミを粒子化させると、適当に横になって他の兵士たちと同じように仮眠をとり始めた。休息は大切だし、眠れる時に眠るのが重要なことはレンジャーで学んで来た。怒鳴る助教もいないし、ゆっくり休んでまた見張りにつけばいい。
それから幾許の時が経っただろう。ケイスケは自衛隊の3トン半トラックに乗っていた。荷台のベンチには所狭しと見知った小隊の仲間が座っている。隣のレイジもかなり神妙な顔をしている。
「到着まで3分! いいか、これは実任務だ! 訓練を活かせ!」
小隊長の石澤3尉が声を張り上げる。実任務? ケイスケは自分のミニミに目をやると、ミニミの機関部下部に箱型弾倉が取り付けてあり、そこから実弾のベルトリンクが給弾口へと伸びているのが見えた。まだ半装填だが、間違いなく実弾だ。
声が出ない。喋れない。考えることは出来るが、手の微妙な動き、貧乏ゆすりさえも意図せず勝手に体が動いている。夢か何かを見ているのだろうか?
トラックが停車する。左右のベンチの1番後ろに座っていた隊員が幌をあげ、後板を下ろし、下車する。体が勝手に動き、それに続いてトラックにから飛び降りるように下車した。衝撃が足に伝わる。ミニミの重みが肩に加わる。
そしてそこは、あちこちから黒煙が上がり、悲鳴が響き、逃げ惑う人々と、グレーの戦闘服を着て、旧式のライフルを持った兵士達がそれを追い立てる光景があった。建物を見るからに、東京らしい。
既に練馬駐屯地や習志野から来た部隊が応戦している。ならば、宇都宮からわざわざ来た中央即応連隊はそれの増援ということだろう。市街地戦は訓練を積んで来たのだから。
「皆坂! 行くぞ!」
レイジが声をかける。既にケイスケの所属する2分隊は分隊長の畑山2曹を中心に横隊展開し、敵兵へ射撃を始めていた。ケイスケの体が再び勝手に動き、地面に伏せるや否やミニミの二脚を展開して地面に据え付け、制圧射撃を始めた。
「どうなってるんだこれは! 神崎! なんかわかるか!?」
「知らないっすよ! 俺や皆坂の読んでるラノベじゃあるまいし、何がどーなってるかさっぱり! 畑山班長こそ、なんか聞いてないんすか!?」
「聞かされてたら教えてるわ! とりあえず分隊命令は達した通り、避難所である国際展示場の防衛! 神崎、皆坂! 展示場と付近の駅の間の建物を制圧して援護態勢をとれ!」
「了解! 行くぞ皆坂!」
レイジがケイスケの肩を叩く。ケイスケは二脚を畳み、レイジに続いて走り出した。建物に隠れながら、目に付いた敵を次々と射殺する。レイジもケイスケも、実際に人を撃つのは初めてのはずなのに、なぜこんなにも簡単に撃てるのだろうか。
「やーべーなこれ。コミケなんて目じゃねえほどの戦場じゃねえかクソが! 今年のコミケ無しになったらマジで末代まで呪ってやる!」
文句を言いながらもレイジが次々と路地をクリアリングしては前進して行く。ケイスケはそれに付いて回る。思考だけは他のことを考えていた。なぜかこの光景が初めてには思えないのだ。
次の瞬間、建物の角を飛び出した2人と、同じく向かいの角から顔を出したオークの目があった。間違いない。異世界で見たオークと同じ姿形をしていて、手に持っているのは岩と呼んでもいい大きさのコンクリートの塊を握っていた。
「ヤバい、戻れ!」
咄嗟にレイジがケイスケに体当たりして飛び出た角へと押し戻す。次の瞬間、建物の角にあたり、飛んでくるコンクリートの塊と、砕けた建物の破片が流星群のように襲ってくる光景が視界に焼き付いていた。
爆音が聞こえた。何か硬いものが木の板を砕く音だ。咄嗟に目を覚ませば、砕けた荷台の側面の壁と、あたりに飛び散った木片、壁に付着した血と、大きな石が頭に当たり、顔面を潰されて絶命した隣の兵士が視界に入っていた。
そして、脳が激しい痛みを知覚し、悲鳴を上げていることに気づいた。左の脛から激しい痛みがする。言葉にならない激痛に視界が歪み、悲鳴が止まらない。涙に視界が霞み、悶え、のたうち回る。
思考が停止する。ただ痛みに悶え苦しみ、何が起きたのかわからぬままにのたうちまわる。左脛が何か生暖かい。出血だ。だがそれに思考を向けられるほど、ケイスケに余裕は残されていなかった。
※
少し前。日の出頃になり、野営をしていた部隊は再び馬車を走らせ、周辺を警戒しながら進んでいた。レイジは2台目の馬車の屋根に上がり、伏せて周辺を双眼鏡で監視している。1台目以外は銃座用の天窓がないのだ。
レイジが近くの丘に目をやる。次の瞬間、茂みが盛り上がり、オークが姿を現した。咄嗟に右手に握っていた89式小銃を引きつけて構え、双眼鏡を左手に握ったまま構え、射撃する。
射殺されるより早く、オークが石を投げた。間一髪間に合わず、オークの投石を許してしまった。そしてその石は、ケイスケの乗る1台目の馬車の側面を破り、貫通して後輪の車軸をへし折り、馬車は傾いて急停止した。
「敵襲! 丘に偽装して隠れてる!」
レイジは天井を殴りながらグライアスを同調させて叫び、馬車を飛び降りた。ケイスケが危ない。レイジは救出のために急いで先頭の馬車に向かった。
近くに岩が飛んで来た。走るレイジの足元に落下し、地面をえぐって土を飛ばす。咄嗟に足を止めたレイジはよろけて転びそうになるが、すぐに態勢を立て直して走る。
「クソ、誰か援護頼む!」
飛んで来た石を見て咄嗟に伏せつつ、叫ぶ。
「レイジ! これ使え! バリアだ!」
パスカルが暗号をレイジへと投げる。レイジはそれに咄嗟に手を伸ばし、キャッチした。その暗号が手のひらに刻まれた。それを咄嗟に地面に押し付けると、その暗号が緑の光を放ちながら手から地面へと線が伸びる。
それは地面から空中まで伸びていき、半球体となり、レイジを囲む。レイジはパスカルの事を信じて再び走り出した。
また石が飛んでくる。恐怖を堪え、レイジは伏せる事なく走り続けた。そして、石は暗号に当たると、急激にその推進力を失い、地面へと落下してしまった。
「サンキューパスカル!」
「早くしろよ!」
レイジは馬車の後部ドアを開ける。そこは地獄の惨状だと言えた。辺りは撒き散らされた血で汚れ、悲鳴や苦悶の声が響く。負傷者と戦死者で溢れかえったそこは、目を背けたくなる。レイジにはその全てを救う力はないのだ。
「皆坂! 無事か!?」
奥の方に見慣れたてっぱちを被ったケイスケがいた。叫んでいる。
「皆坂!」
駆け寄ってみると、その左足は石が直撃したのかあらぬ方向に曲がっていた。服の下ゆえに骨が飛び出しているかどうかはわからないが、出血がひどいのはよくわかった。緑の迷彩服が赤黒く染まっているのだ。
「あああああああ! 足が、俺の足が!」
「今助けてやる! 落ち着け!」
レイジはメディカルポーチからCATと呼ばれる止血帯を取り出し、ベルトをケイスケの大腿部に巻き付け、バーを回す。こうする事で、ベルトの中のゴムバンドが締め付けられ、止血できる。止血帯による止血を迅速に行うための器具なのだ。
「ほら、ここから連れ出してやる。死ぬなよ!」
「痛えよ……母ちゃん……姉ちゃん……俺まだ死にたくねえよ……助けてよ……班長……」
そんな悲痛な叫びに、レイジは耳を塞ぎたくなる。抗いがたい死の恐怖にケイスケは苦しめられているのだ。胸が痛い。苦しい。
レイジはケイスケを担ぎ、再び走り出す。パスカルのバリアがどれだけ守ってくれるかはわからないが、今は信じる他ないのだ。無数の石がバリアを叩き、所々暗号がほころび始めているのが見える。
レイジは自分の乗っていた馬車の陰に飛び込み、ケイスケを寝かせて叫ぶ。
「誰か、こいつを助けてくれ! 衛生兵! 衛生兵はいないか!? 早く来てくれ!」
レイジが叫ぶが、衛生兵は来ない。それもそのはずだ。負傷者はケイスケだけではないのだから。他の兵士たちもオークとの戦闘にかかりきりで、パスカルも突撃してくるオークの迎撃に手一杯だ。
「誰でもいい、助けてくれ!」
頼む、とレイジは泣きそうになりながら叫ぶ。そんなレイジの前にひょっこり現れたのは黄金色の狐耳。美春が馬車を降りてやって来たのだ。
「怪我……?」
「ああ、なんとかしないと……!」
すると美春は1枚の呪符を取り出し、骨が砕け、曲がってしまった足に乗せ、目を閉じた。そして、祝詞のように、祈るように、歌うように、何かを唱え始めた。
その言葉をレイジは理解しきることはできなかったが、確かなのはケイスケの足がゆっくりと元に戻り始めたことだ。流れた血液までは戻らないが、負傷部位は治っている。
「……傷は治した。痛みもないと思う……」
「凄え……すげえよ美春!」
そんな時、オークとはまた違う鳴き声が聞こえ、レイジは咄嗟に上を見た。そこには、ダガーを持ったゴブリンがいて、レイジたちを格好の獲物とばかりに見つめて鳴いていたのだ。
「ゴブリンまでいやがるぞ!」
「なんでオークとゴブリンが!」
「なんでもいい、早く殺せ! 厄介だ!」
周りの兵士たちが叫んでいる。レイジもそれに反応するのは早かった。粒子化せずに常に携行している9mm拳銃をレッグホルスターから引き抜き、ゴブリンへ向けて2発発砲した。
被弾したゴブリンは短い悲鳴をあげて後ろに倒れる。胸と頭を撃ち抜かれれば耐えることは出来ない。
今度は側面から現れた。レイジは片手でなんとか狙いをつけ、ゴブリンを撃退するが、いかんせん数が多い。装填数の少ない拳銃はすぐに弾切れを起こしてしまった。
「弾切れ! 誰か援護!」
再装填したくても誰も援護してくれない。粒子化した89式小銃を呼び出す暇もなく、レイジは咄嗟に銃剣を抜いて迫るゴブリンの首根っこを掴んで足を払い、押し倒して胴を滅多刺しにする。
「押し切られる! 美春、逃げろ!」
銃剣でも効率が悪い。肉薄され、89式小銃を出したとしても近すぎて捌き切れない。レイジは最早これまでと思い、せめて美春は逃がそうと叫んだ。
美春は怯えながらも、未だ目を覚まさないケイスケのそばに寄り添っている。2人を置いて逃げることができないのだろうか。レイジは再び叫んだ。
「早く逃げろ! お前まで死なせたら翔平に合わせる顔がねえ! 早く行け!」
咄嗟にレイジは鎖を出し、ゴブリンを薙ぎ払う。ルネーからもらったこの力だが、数体倒すのが精一杯だ。どれだけ勢いをつけて振るっても、すぐに鎖の勢いが殺されてしまい、上手く倒せない。
鎖を飛ばして足止めしようとも、数に押し切られる。少しばかり、レイジの心に諦めが生まれ始めた。ここで死ぬのだろう。咄嗟に手榴弾に手をやる。せめて道連れだ。
「零士!」
その声に反応するのにワンテンポ遅れてしまった。美春が叫ぶとは思わなかったのだ。そして見えたのは、呪符をレイジ目掛けて投げる美春と、飛んで来た呪符。レイジは咄嗟にその呪符を掴んだ。
掴んだ呪符が膨らみを持ち始める。質感も紙ではない。握るのにちょうどいい太さになると、前へと長く伸び始めた。それは黒く、切っ先の鋭い刀。いつのまにか呪符は漆黒の大太刀へとその姿を変えていたのだ。
「"黒ノ呪縛【零ノ式】"……使って!」
レイジは視線を前へ戻す。獲物を仕留めようと、ジャンプしてダガーを構えたゴブリンが視界に入る。レイジは握った黒刀を一歩踏み出しつつ、斜めに切り上げた。
ゴブリンの体が2つに割れる。レイジを挟むように割れた体は推進力を保ったまま飛び、レイジを越えてから傷口から血が噴き出し、地面へと転がり落ちた。刀身には一滴の血も、刃こぼれもなかった。
ゴブリンは一歩引くが、すぐに数で押し切ろうと突っ込んで来た。だが気付いたことは、同時には飛びかかってこないことと、美春とケイスケより先にレイジを始末しようとしてくることだ。1番やばいのを先に仕留めたいということだろう。
やって来たゴブリンへ刀を振り下ろし、肩口を抉る。蹴りでそのゴブリンを吹き飛ばしつつ、刀を抜き、次に飛びかかって来たゴブリンへ肘打ちを入れて撃墜し、地面に倒れているところへ刀を突き立て、心臓を貫く。
耳障りな鳴き声と共にダガーで斬りかかられても、それを上手く弾き、刀身を返して首を切り裂く。まるで、刀に意思があるかのように体が動く。
「班長……! 逃げて!」
レイジは咄嗟に横へ走る。次の瞬間、ゴブリンの群れを濃密な弾幕が襲った。意識を取り戻したケイスケがミニミを伏せながら構え、ゴブリンの群れに対して掃射したのだ。これにはたまらずゴブリンも倒れ、気がつくと最早動く個体は居なくなっていた。
「レイジ! 無事か!?」
漸くオークを撃退したパスカルがやって来た。その頃にはゴブリンも全滅し、精根尽き果てたレイジが馬車にもたれかかっていた。
「遅いよ……なんとかなったが」
「そのようだな。早く負傷者を収容して逃げるぞ。オークとゴブリンが共同で襲ってくるなんて前代未聞だ。早く報告しなければな」
レイジはパスカルの手をとって立ち上がり、馬車へ乗り込んだ。
「ほら、早く乗れ」
レイジは荷台から手を伸ばし、美春の手を掴んで引き上げてやる。ケイスケからはミニミを受け取り、荷台に登りやすくしてやる。これで漸く、一息つくことができそうだった。
「災難だったな皆坂。大丈夫か?」
「……死ぬかと思って、怖かったっす……」
「仕方ねえさ。あとで落ち着いて話そう。ところで美春、刀、ありがとな。助かったよ」
「……零士が使って。正しく、使ってね?」
「もちろん、だ」
レイジは黒刀を粒子化させた。少し惜しくも思えたが、携行性を考えるとこれが1番だ。美春からの贈り物を、大切に使わせてもらうとしよう。レイジはそう決めた。