2-8 もう戻らない、あの日々に
最近、執筆ペースが上がっているのでじゃんじゃん投稿します!
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レイジは吹雪の中に佇んでいた。遠くの山脈も、自分の足元も吹雪が白く染め上げ、視界さえも遮る。そんな中にも見える緑色の半球体の物。それは何かよく目を凝らしてみると、レイジの被る88式鉄帽。着剣した89式小銃が地面に突き立ててあり、その銃床に被せてあるのだ。
1つだけではない。辺り一面にまばらに突き立つ名も無き兵士の墓標は、誰の墓だろう。
吹雪の中で膝をつき、天を見上げるレイジには、曇天の空しか見えなかった。雪と氷に閉ざされたここは、きっと墓地なのだ。そして、ここが自分が眠るであろう場所となるのだ。
眠ってしまおう。このまま、安らかに。きっと、穏やかに眠らせてくれるだろうから。
「——!」
次の瞬間、レイジは飛び起きた。そして記憶を整理する。昨日は楽しい夕食を終え、片付けをした。問題はその後だ。疲労感に耐え切れず、さっさと部屋で寝たらあの悪夢だ。あれはなんなのだろう。
「……寝覚めが悪いなクソッタレ」
腕時計を見る。異世界で電波が途絶えても、ソーラーバッテリー搭載のこの腕時計は律儀にその時間を刻み続けている。手動で時刻規正をしてからというものの、一度も止まらず働いてくれていた。
そんな相棒とも呼べる時計曰く、今は夜中の2時。変な時間に目が覚めてしまった。時々こういうことがあるのだ。ストレスのせいだろうか。レイジは溜息をついてもう一度ベッドへその身を横たえる。
——眠れないの?
「……眠れないや。睡眠障害かな?」
天井を見つめていた視界にひょっこりとルネーが入り込む。心配しているのか、その手をレイジの額に当て、熱を測ろうとしている。
「病気、というわけではないわね。もう、ストレスの溜まりすぎなんだから……」
少し膨れながらもルネーはゴソゴソとベッドに潜り込もうとする。なぜかルネーに懐かれていて、理由は知らないが満更でもないレイジも流石にその行動は止めようとした。男の布団に可愛い女の子が潜り込むものではない。
「おい待て、何をする気だ?」
「こうする気よ」
ルネーはそう言うと、レイジを抱きしめる。まだ発育途中の胸にレイジの顔を引き寄せ、少し伸び始めた髪を撫で始める。
「……ルネーの添い寝とは、なかなかに役得だな」
「ご褒美、よ。レイジくんは頑張ってるもの。壊れて欲しくないわ」
「……前も聞いた気がするよ。何が目的なんだ?」
「頼みたいことがある、と言うところね。あとは、レイジくんの胸板が抱きつきたい衝動に駆られるからかしら」
「どんな理由だよ」
と言いながらもレイジはクスリと笑う。そして、大人しくルネーに甘える事にした。最近疲労が溜まっているのは感じていた。ストレスはなかなか抜けないものだ。厄介な事に、この体を蝕まれてなかなか落ち着くこともできず、いっそ殺してくれとまで思うほどなのだから。
「……なんで、そんなに疲れているの?」
「あれさ、弟や仲間を生きて帰らせてやるためにも、俺がいろいろ頑張らなきゃって張り切ったのと責任感に潰されたらしくてな……情けない事に」
「レイジくんだけが背負うものなの? みんなでやればいいじゃない。私もいる、みんなもいる。それなのに、なんでレイジくんだけが苦しむの?」
そう言われるまで考えてもいなかった。ケイスケはまだ入隊したての下っ端とはいえ、海外派遣も経験している優秀な奴だ。ショウヘイも心配なところは多いがもう18歳。もう自分で判断できる年頃だ。
それを考えると、無理をしていたのが何故だろうかと思えてくる。階級章に縛られていただけなのかもしれない。襟の階級章さえなければ自分も一般人で、誰かの命まで背負う義務はない。
それでも、レイジは自衛官としての行持はやはり捨てられずにいた。そんな頑ななレイジの心を、ルネーはゆっくり溶かしていくかのように語りかける。
「適度に人に頼ったり甘えてもいいの。レイジくんは頑張ってるんだから、たまには休ませてもらわなきゃ。ね?」
「……たまには、そうしたほうがいいのかな」
レイジはルネーの胸の中で気持ちを穏やかにしつつ、眠りに落ちていった。弱いところを隠して強く振る舞うのは疲れる。想像を絶するほどに体力と気力を消耗し、長続きすればするほどその体を蝕む。
人の心はガラスの城だ。遠くから見れば透き通るようだが、近くで見れば細かい傷やひび割れがある。遠くにいる人にはわからないが、それを内から見ている自分にはよく見える。そういうものなのだ。
「……人間って、不思議ね。レイジくん、あなたは、なぜ生きることに意味を求めるのかしら?」
ルネーは寝静まったレイジの後頭部からそっと腕を引き抜き、レイジの寝顔を見守りながら、いつものように——霧のように消えていった。
※
ここへ引っ越してきてから数日が経ったある朝、いつも通りスッキリ目覚めたショウヘイは居間へ向かった。受験というしがらみもなく、やりたいように生きられる。そう思ってから体が軽く、寝つきも良くなった。
居間のテーブルには既にケイスケがいて、新聞を読みながら朝のコーヒーを楽しんでいる最中だった。そんなケイスケはショウヘイを見つけるなり、笑顔を見せた。
「おはよう、翔平くん。眠れた?」
「ぐっすりですよ。皆坂さんも?」
「まあね、しがらみなく過ごせるからやっぱり楽だよ。早起きの癖は抜けないけどね。朝は何にしようか」
「小麦粉とか手に入ったし、ホットケーキと洒落込んでみたいですね」
「決まりだ。班長が寝てるうちにやっちゃおう。死ぬほど疲れてるようだし」
ケイスケは新聞を畳んで席を立つと、ショウヘイとともに台所へ向かう。肩の力を抜いて、この生活を心から楽しむかのように鼻歌を歌いながら作業を始めた。ショウヘイが歳が近い事もあり、気兼ねがいらないのが楽なのだろう。
「皆坂さんって手際いいですよね。料理とかしてたんですか?」
「まあね、共働きの家だったし、上には姉ちゃん、下に弟もいたし、腹減ったと騒ぐ弟に姉ちゃんと2人で何か作ってたのはいい思い出だよ。だから、上の立場も下の立場もよく分かってるつもりさ」
ははは、とケイスケは気さくに笑いながら卵を片手で割り、小麦粉やベーキングパウダーを混ぜ合わせていく。この世界でもベーキングパウダーを売っているのを見つけた時、3人でいたずらを思いついた子供のようにニヤリと笑ったのはいい思い出だ。
ボウルの中で材料が混ざり合い、薄黄色の粘り気のある生地ができてくる。この手で何かを作り出せる。それがとても面白く思える。自分の手が何かを生み出す。まるで神様にでもなった気分になれる。
「翔平、ご飯……」
フライパンを加熱していたら、起きて来た美春がやって来た。眠そうに目をこすり、耳は垂れている。街で調達したピンクに白の水玉模様の入ったパジャマ姿がまた愛らしい。
「今作ってるから待ってて」
「……うん」
ショウヘイは温まったフライパンへ生地を流し入れる。中心へ落とされた生地が円形に広がり、ある程度の形を作る。しばらく加熱すれば表面にプツプツと気泡が浮かび上がり始める。片面が焼けたサインだ。
ショウヘイは素早くフライ返しを差し込み、それをひっくり返す。薄茶に焼けた表面が食欲をそそるがまだまだ焼かねばならない。美春の耳はピンと立ち、尻尾もピクピクと反応している。
「……今!」
ケイスケが横合いから竹串をホットケーキ中心部に突き刺す。その先端には生地がまとわりつくことはなく、中まで火が通ったことがわかる。素早くショウヘイはホットケーキを皿へと移し、次の生地を流し込んだ。
「よし美春、試食の時間といこうじゃないか!」
待ってましたとばかりに美春はマイフォークを取り出し、器用にもホットケーキを切り分け、口へ運んだ。一口には行かず、小さな口でかじるように食べる姿がなんとも可愛いらしい。
「……うん、美味しい。合格」
「ありがとー! って、審査員!?」
「なーにやってんだお前ら? おい翔平、そこの焦げてる失格!」
気づけばフライパンからは何やら変な音がしている。慌てて生地をひっくり返すと、表面は焦げてしまっていた。
「失格!」
——姉ちゃん、これもう焼けてる?
——あっ、バカ! まだ生焼けよ! そんなの食ったら腹壊すじゃない!
——そう言う姉ちゃん焦がしてる!
ケイスケはふと、神崎兄弟のやりとりを見て昔のことを思い出した。しばらく会っていない姉と初めてホットケーキを焼いた時。やいのやいの言いながら2人で焼いて食べたホットケーキは確か微妙な味ではあったが、いつの間にか笑っていた。
大学生へ進学した姉とは違い、一足先に社会人になった。自衛隊というまた一風変わった世界で、心をすり減らす事も多かった。そんな時姉に電話すると、一通り話を聞いてくれた後、背中を押してくれたし、紛争地への派遣の時にはお守りもくれた。無事に任務を終えて帰れば泣きながら迎えてくれた。いい姉がいたものだ。
——姉ちゃん、心配してるかな
帰れるのだろうか。帰れるとしても、それまで生きていられるのか。あの何気ない日常がもう戻らないかもしれないと実感して、初めてかけがえのないものに思えた。今は今で楽しいが、やはり、望郷の念が湧いて来てしまう。
『移ろう 時の中
振り向く 景色に
忘れて来た 思い出
拾う旅に出よう』
ケイスケはポツリポツリと、よく聴いていた歌を口ずさむ。自分に重ね合わせるかのようなその歌は、きっと、忘れないための合言葉なのだ。
※
美春はホットケーキにメイプルシロップとバターという王道トッピングを堪能し、朝食が終わってもご機嫌そうに尻尾を振っていた。そんな時、ドアチャイムが鳴った。誰だろう。ショウヘイは訝しみながら玄関へ向かい、ドアを開けた。
「やっほー、顔出しに来たよー!」
「お姉ちゃん、みんないなくなってからずっとそわそわしてた……」
「余計なこと言うなー!」
ドアの前にいたのは、どこにでもいそうな町娘の格好をしたアリソンとルフィナだった。
「ごめん、もう朝飯食べ終えちゃったよ」
「食事をたかりに来たんじゃないわよ! 第1回、お家でわかる魔法講座! をやりに来たの!」
アリソンは少し膨れながらも用件を伝える。それはショウヘイにとっては僥倖である。暗号や詠唱魔法を真面目に習えるのであれば、この前みたいな状況に陥ったとしても何かしら対抗できるだろう。
「サンキューアリソン! 早速入ってよ!」
「ちょい待ち!」
ショウヘイがアリソンを招き入れようとしたまさにその時、息を切らしながらハミドがやってきた。なにやら急ぎの用事のようだ。
「どうしたのはハミド?」
「アリソン嬢が魔法教えるとか言い出したから止めろとゼップに言われてきたんだよ! お前ら才能の塊だから人に教えられるわけねーだろ!」
ショウヘイはギョッとした顔でアリソンとルフィナを見る。アリソンは不満そうな顔をして、ルフィナはそっぽを向く。ハミドの言う通りなのだろうか、少し試して見ることにした。
「ねえ、魔法ってどんな風に使うの?」
「そんなの簡単よ、ちょっとこう、パパッと唱えればバビュッと火が出たりするんだから!」
「お姉ちゃん、それ多分伝わらない……」
「もう、ルフィナはああ言えばこう言う!」
「ファッキューアリソン! これはルフィナに同意だからね!?」
確かにショウヘイは学力優秀ではあるが、流石にあんな大雑把極まりない説明で理解できるような頭は持ち合わせていない。ルフィナにチラリと目をやり、救いを求めるが、ルフィナも目を閉じて首を横に振るばかりだった。
「私は、感覚でやってるから……」
「秀才は天才に勝てないとは言うけどこれはやばいよ!」
ツッコミ疲れたショウヘイが肩を落とすと、ハミドが肩をポンと叩いた。
「だから俺が来たんだよ。教えると言うかなんと言うか、そう言うのの専門家がいる。基礎から理論から何から何まで学べるぜ?」
「本当!?」
ショウヘイは目を輝かせてハミドを見る。このお調子者が教えられそうには思えないが、傭兵仲間にすごい人がいるのだろうか? ショウヘイはハミドに期待を寄せることにした。
「マジだ。ゼップからそこのおバカなお嬢様もついでに連れて行って教わって来いと……」
おバカな、に反応したアリソンとルフィナはなんともぴったりのタイミングで前後からハミドへ回し蹴りをお見舞いした。ちょうど身長的にはキックがハミドの股間くらいの高さにくる。前後から挟まれれば腰を引いて逃げることもかなわず、ハミドは男の最大の弱点に美少女のブーツのつま先を叩き込まれ、石畳に倒れ伏せてしまうこととなった。
「何やってんだお前ら?」
2階の窓からようやく目を覚ましたレイジが声をかける。何やら股間を押さえて悶絶するハミドの姿が他人事に思えず、自分も自然と内股になってしまいながらも声をかけると、ショウヘイが肩をすくめて見せた。とりあえず面倒な事になったと予感しつつ、着替えて一階に向かうのだった。
それからしばらくして、ようやく事情を理解したレイジはハミドへ付いて行こうかなと考え始めた。ルフィナに少しだけ聞いてみたところ、ルフィナは専門性が高すぎて初心者には理解できない領域に入っているのだ。それならハミドの言う通り専門家に聞きにいくのが一番だろうと判断した。
「で、アポなし?」
「そ、アポなしだ。まあ、俺が行けばアポなしでも喜ぶだろーよ」
どんな知り合いだよとレイジは心の中で呟くが、突っ込んだら負けだろうと考えを切り上げた。
「班長、行きますか?」
「行く。皆坂はどーするよ?」
「行きますよ、魔法気になりますもん。それなら、美春ちゃんも連れて行きますか? お留守番は不安ですし」
「まあな。翔平が面倒見てくれるだろうし、連れて行こう」
美春は何やらルフィナと向き合ったまま動かない。似た者同士、通じる何かがあるのかもしれない。それはいいとして、ショウヘイが先程からアリソンとコソコソ何かをしているのが気になる。何を仕掛けているのだろうか。レイジは後で2人を問い詰める事にした。