2-6 試行錯誤、それは人間の本能なりて
「おいレイジ、お前の弟が腐敗してるぞ。備蓄の食い物腐らせる前にどうにかしろ」
「どうしようもねえ」
パスカルは腐っているショウヘイを見て対処に困り、レイジもどうしようとないと匙を投げた。美春に避けられているため、腐ってしまったようだ。
「ほら、元気出す! すぐ仲直りできるわよ!」
ショウヘイは答えない。この前の飛び降りの一件で美春に怖い人とでも認識されたのだろうか。アリソンに肩をバンバン叩かれてもげっそりとした顔で答えない。
ちなみに美春はショウヘイとかなり離れたところで椅子にちょこんと座っている。ショウヘイには近寄ろうともしない。こりゃ重症だな、とハミドとアーロンは苦笑いを浮かべている。
「ショウヘイ、何かでご機嫌をとってみたらどうだ?」
アーロンはショウヘイを元気づけようとコーヒーを出しつつ、助言する。ショウヘイはコーヒーをすすりながらそれを想像した。
「……名案」
ショウヘイは天啓得たりとばかりに目に光が灯った。レイジとパスカルはやっとどうにかなったとため息を一つついたが、レイジの苦難はここから始まるのだった。
「兄貴、手伝って!」
「ファック」
※
レイジとショウヘイは仲良く厨房に立っていた。ショウヘイは思い返してみれば、レイジとこうして一緒に料理をしたことはなかった。18年も一緒にいたのに、一度もなかったのだ。いつも受験生のレイジが夜食を作り、そのおこぼれに預かっていただけだ。料理は出来なくはないが、そこまでレパートリーは多くない。
「兄貴、何作るの?」
「それなんだよな、ここにあるもので作らなきゃならない。幸いなことに卵にソーセージにパンにチーズにその他諸々揃ってるけど、はてさて何を作るかね」
「その材料があるならピザトーストでどう? 兄貴よく作ってたじゃん」
「ケチャップあるっけ?」
ショウヘイは冷蔵庫を漁る。冷蔵庫は冷却の暗号を仕込んで物を冷却するという仕組みになっている。ショウヘイがその冷蔵庫を開けると、瓶詰めのケチャップがそこにはあった。
「この世界もケチャップあるみてえだ。単に売り切れだっかのかも? それかレアものか」
「なーんだ、あったんだね。というかピザトーストって言ったけどオムライスはどうかな?」
「米あんのかよ?」
「うーん、あるんじゃないかな?」
「クソ適当だなおい……」
レイジはため息を吐きながらも何かないか探す。とはいえ中々見つからない。まあ、そうだろうなとレイジは諦めた。
「オーシット、幾ら何でもヨーロッパっぽいところにあるわけないよな。小麦が主流だろうし」
「ここって時代的には産業革命頃かな?」
「または第一次大戦かもな」
とはいえ、手に入る食材はそんなに現代と変わらないはずだ。あるものを使って出来るように作るのが一番だ。
「狐は油揚げ好きってテンプレみたいなのあるけどよ、油揚げどころか豆腐もねえしなぁ……」
「なら豆腐から作る?」
「大豆はあったけどにがりはどうすんだよ?」
「塩化マグネシウムが主成分だから、海水煮詰めて、蒸留すれば作れると思うよ? 残ったものは塩にできるし」
「海水は?」
「……クソが」
「それはゼップに訊いてみればなんとかなるだろうな。豆腐はまた今度だ。日本料理はちょっと材料的に難しいから……安直にピザトーストコースだな」
ショウヘイもそれで納得し、ピザトーストを作ることになった。ショウヘイが切った食パンにケチャップを塗り、切ったソーセージやコーン、輪切りのトマトを乗せる。
「ん、いいじゃねえか」
レイジはそれにチーズを満遍なく撒き、竃へ入れる。後は待つだけだ。お手軽なので、休みの日の朝食や勉強の時の夜食にレイジが作っていた。
「ところで何分焼くの?」
「ウチのトースターなら250℃くらいだっけ?アレで3、4分だったけど、この竃はどうかな?」
竃は暗号が仕込まれているらしく、薪も何もないのに火が灯っていた。それが何度でているかは不明なので、ちまちま見ないとならない。
「現代で使ってたものがないから試行錯誤……こりゃあ面白いな」
「データを検証しないとね」
レイジは頃合いと見て、ピザトーストを竃から出す。音を立ててチーズが気泡を弾けさせ、狐色の裏面が美味そうに見える。ショウヘイは焼くのに掛かった時間をメモする。他の食材でも試し、目安を作るのだ。
「とりあえず試食してもらうか」
レイジはそう言うと、ピザトーストの量産を始めた。
※
試しにピザトーストを振舞ってみると、中々に好評だったと言える。
「……これはいいな。パスカル、これに合いそうなブレンドはあれか、ピザ用のでもいけるか?」
「十分だろ。ブレンドのレパートリーそろそろ限界な気がするぞ?」
「ふむ、それは考えないとな」
アーロンとパスカルに関してはピザトーストに会うコーヒーのブレンドを議論し始め、そんな事はどうでもいいハミドは豪快にトーストにかぶりつく。ゼップは丁寧に四等分して食べている。
「……レイジ、朝ごはんこれがいい」
「なら、ルフィナのにはピーマン入れないとね」
「お姉ちゃん、鬼畜」
「じゃあアリソンのもピーマン……」
「ふざけんじゃないわよ!」
「あがふっ!?」
レイジの脛にアリソンのキックが華麗に決まり、レイジはうずくまってしまった。弁慶の泣き所は流石に痛い。レイジは涙をこらえて蹴られたところをさすり始めた。
「鬼畜だな……」
「……でしょ?」
ルフィナは目を閉じ、何かを唱え始める。レイジには聞き覚えのない言語で、まるで祈るような詠唱。それとともに、レイジの打撲痕が光を帯び始める。詠唱の終わりとともに光が消えると、打撲痕も痛みも無くなっていた。
「すげえ……もしかしてこれが詠唱魔法?」
「……そう。ヒーリングの詠唱」
「なるほど……詠唱魔法かっけー……」
その頃、ショウヘイは美春の反応を待ち、とても落ち着かない様子でいた。とはいえよく見てみると尻尾をブンブン振っている。どうやらご機嫌のようだ。
「おいショウヘイ、この尻尾……あふんっ!」
尻尾に思わず接近したレイジは美春の尻尾の一撃を受けた。そのモフモフさにレイジは変な声を出して一発で撃沈してしまった。モフモフ尻尾の破壊力は計り知れない。これは危険だ。
倒れたレイジはビクビクと痙攣している。どれほどの快楽がレイジを襲ったのだろうか。狐耳は可愛いが尻尾もまたさらにいい。ショウヘイはモフモフしたい衝動に駆られた。この兄弟はケモナーなのだ。2人揃って重度のオタクという、兄弟仲のいい原因がここへ来て2人の理性を奪いにかかり始めた。
「……レイジ、起きて」
「わかったから蹴るのやめろや!」
ルフィナは倒れて痙攣していたレイジを容赦なくローキックの連発で叩き起こす。そんなことされたら溜まったものではないレイジはさっさと起きることにした。
そんなレイジの目の前の時間が静止する。ああ、来るんだなとレイジは察した。この現象にももう慣れたものだ。
振り向いてみると、白いウサギの耳をつけたルネーがそこにいた。この前のリクエスト通りにつけて来たらしい。レイジは思わず固まってしまう。
「ど、どうかな?」
「……我が神はここにありて」
レイジはサムズアップし、その場に倒れた。白ウサギ、最高なりと薄れゆく意識の中思っていたら、ルネーのビンタで叩き起こされた。
「元気ですかー!?」
「ルネーそれなんで知ってんのさ!?」
「まあ、色々よ。全く、レイジくんのリクエストなのに倒れちゃうなんて……」
「それが尊すぎて立てなくなったんだよ。撫で回すぞこの……」
「ふふ、どうぞ?」
レイジはルネーを抱き寄せ、頭を撫でる。ルネーはちょうどレイジの胸の中にすっぽり収まる。そのちょうどいい背丈に、レイジは無防備にその身を預ける。
「今は全部忘れて? そして、私に任せて、安らいで……」
「どうして、こんなに優しくしてくれるんだ? 俺なんかに……」
「レイジくんだから、よ。貴方は選ばれた。私が選んだ。それじゃあダメ?」
「……それでいいかな」
レイジは何も考えない。思考を放棄して、ルネーに甘える。気丈に振る舞うレイジを、重圧によるストレスが確実に蝕んでいた。ショウヘイを危険な目には遭わせられない。ケイスケも自衛官で、海外派遣も経験してはいるが、まだまだ新米。自分が引っ張ってやらねばならない。その責任感にレイジは独り潰されかけていたのだ。
「痩せたんじゃない?」
「……最近、食っても吐いちまう。食わなきゃ戦えねえって人に言ってるのによ」
「……そのうち、私とデートに行きましょ? きっと、良くなるから。今は、ゆっくり休んで?」
ルネーの手がレイジの頬を撫でる。レイジが落ち着く頃には、ルネーの姿は薄れ始めていた。
「デート、か……」
レイジが世界を見直すと、さっきの喧騒が戻っていた。いつの間にかケイスケもトレーニングを終えて戻って来ており、騒ぎに参加していた。
「やれやれ、どいつもこいつも手がかかるな」
「お前がそれを言うか」
パスカルがレイジに鋭いツッコミを入れる側でアーロンがコーヒーを淹れている。いい香りが漂い、レイジの鼻孔をくすぐる。
「飲んでみるか? 既存のレシピだが、これはイチオシだ」
アーロンがカップを差し出し、レイジはそれを受け取って一口啜る。苦みと共に香ばしい香りが口と鼻を満たし、旨味が口に僅かに残る。アーロンの淹れるコーヒーは美味い。
「いいもんだな、これ……ん……?」
レイジは一瞬視界が霞んで見えた。パスカルとアーロンが何か言っているが、聞き取れない。体を制御できない。
——皆坂のバイクのスタビライザーがぶっ壊れた時より酷えや。フラフラじゃねえか。レンジャー以来だ、こんなになったの。
レイジはそのまま抗うことなく意識を手放す。倒れゆくレイジの体を咄嗟にアーロンとパスカルが支え、ゆっくりその場に寝かせる。
「兄貴!?」
「班長!? 体力調整は終わってますよ!?」
「ハミド! 手伝え!」
「仕方ねえな! アーロン、薬!」
「分かってる!」
パスカルとハミドは手早くレイジを持ち上げ、部屋に運ぶ。アーロンは倉庫へ薬を取りに行った。レイジがなんで倒れたのかわからない。そんな状況に不安を皆が隠せずにいた。
※
「とりあえずは安静にして休養、かな」
レイジが倒れた次の日。ゼップは机に肘をつきながらため息とともにつぶやく。レイジが倒れた原因は極度の疲労。ルネーに癒されてもまだ足りぬ程にレイジは疲労していた。
「レイジ、最近痩せてきていた。夜中に時々水を飲みに行ったりするのを見たな。眠れてないんじゃないのか?」
「アーロンが見たなら間違いではないだろう。一回肩の荷を下ろしてゆっくり休ませてやろう。それでいいか、パスカル?」
「俺に訊くも何も、決めるのはゼップだろ。無理させて使えなくなられたら困るぞ」
「期待しているのか?」
「情報が欲しいだけだ」
パスカルはそう言うとまたいつも通り憮然とした態度に戻る。アーロンはレイジをよく見ていたらしく、少し心配そうにしている。
「パスカル、しばらくレイジたちにあそこで過ごしてもらうか?」
「あそこって、ラドガのセーフハウスか?」
ラドガにはパスカルたちが主に任務の際の拠点代わりに使う民家が一つあるのだ。普通の民家と何も変わらないそこは、確かに落ち着いて生活するにはもってこいだろう。屋敷はなれないレイジたちには負担になり得る。
「そうだ。しばらくゆっくりしてもらおう。それに、兄弟水入らずで過ごしてもらった方が気も休まるだろう」
「たまに俺が行って様子見しろっていうんだろ?」
「そう言うことさ。準備は頼んだ」
へいへい、と言い残してパスカルは窓から外へ飛び出していった。仕事の早い傭兵だと、ゼップは感心していた。
そんな時、寝ている筈のレイジとケイスケの声が外から響いてきて、ゼップは頭を抱えそうになってしまった。
「いち!いち!いちに!」
「レンジャー!」
「いち!いち!いちに!」
「レンジャー!」
「連続歩調〜! ほちょ〜ほちょ〜ほちょ〜……数えっ!」
「いーち!」
「そぉーうれぃ!」
「にー!」
「そぉーうれぃ!」
「さーん!」
「そーれぃ!」
「しー!」
「そーれっ!」
「いち!」
「はい!」
「に!」
「はい!」
「さん!」
「はい!」
「し!」
「はい!」
「いち!に!さん!し!いち!に!さん!し!」
そんなハイポートをしている2人を、パスカルは呆れた顔をしながら止めに向かっていた。
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