2-5 外出に潜む危機
ショウヘイは困っていた。うーん、と唸っては腕を組む。そして、突然うろうろし始めてはまた唸る。そんな姿にとうとうレイジが鎖を実体化させ、ショウヘイを小突いた。
「何するのさ? と言うか兄貴、それ使いこなしてる?」
「お前が漏らしそうなのか唸ってるからやった、あと鎖はそこそこ使えるよーになってきた」
「漏らさないよ! その……この子が何も話してくれないからさ……名前すらも」
「呼ぶのに困るな。頑張れ」
「何か教えてよお兄ちゃんのプロフェッショナル!」
「だーかーらー、無理矢理やっても上手く行かねえよ。こういうのは自分から話してくれるのを待つんだ。そもそも、お前自分の名前教えたか?」
ショウヘイはあ、と漏らした。ついつい名前を聞くことに集中して、自分の名前を教えていなかったのだ。
「自分が名乗ってないのに教えてもらえるわけないだろ、本当に生まれながらの兄弟じゃねえんだから」
ショウヘイは確かにレイジの名前を聞いたことはない。いつの間にか知っていた。そういうものなのだろう。でも、目の前の少女は違うのだ。言わないことにはわからないのだ。
「その……今更だけど俺、翔平って言うんだ。気軽に呼んでよ。ね?」
ショウヘイは片膝をつき、目線を合わせて名乗る。それでいいとレイジは頷いた。
「俺は零士。翔平の兄だ。なんかあったら言ってくれ。主に力仕事関係」
少女は2人の顔を見つめ、また無表情のまま縦に頷いた。口は開かない。
「うーん、話してくれないや……」
「そんなもんすぐに出来ると思うな。信用と信頼は時間をかけて熟成させるんだよ」
「なんか味噌とかステーキとかみたいな言い方だけど……あと服どうしよう?」
「買いに行くしかねえだろ。3人で出かけるか?」
ショウヘイはなぜかその提案が魅力的に思えた。レイジと一緒に買い物に行くなんてことがほとんどなかった。それがこうして、兄弟で買い物に行くという機会が巡ってきたのが、なんとなく嬉しかったのだ。
「そうだね、とはいえこの子の服どうする?」
「体格的にルフィナに借りればいいだろ。お菓子で釣れるはずだ」
※
「と言うわけで頼めるかな?」
「……お菓子で釣れるほど安い女じゃない」
ルフィナはそう言ってレイジをジト目で睨みつけるが、レイジの背嚢に入れてあったチョコバーをムシャムシャと食べているあたり説得力が消滅している気がしてならない。レイジはダメ押しにともう1本のチョコバーをルフィナの目の前でゆらゆらと動かしてみせる。
「頼むよルフィナ〜」
「……仕方ない。今回だけ」
ルフィナは素早くチョコバーをひったくり、袋を破く。交渉成立というわけだ。ルフィナの扱いは案外簡単なものだとレイジはほくそ笑んでいた。
「……レイジ、街に行ったらお菓子買ってきて」
「太るぞ?」
「太らない」
ルフィナはその辺に置いてあったブーツをレイジへ投げつける。レイジはそれを肘で防ぎ、肩をすくめた。
「えらく自信満々だな。太ったら一緒にハイポートな?」
「……平気だもん」
「んじゃ、また後でなー」
レイジは部屋を去る。それと入れ違いにアリソンがルフィナの部屋へとやってきたのはそれから1分ほどのことだった。
「ルフィナ〜……何やってるの?」
「腹筋」
「なんでいきなり?」
「ハイポートやりたくないから」
「ハイポートやりたくなくて腹筋の意味がわからないけど……まあ、運動する気になったならいいわ。本借りるわね」
※
ショウヘイはレイジと少女とともにラドガへと足を運んだ。少女には歩くのは辛かろうとレイジに背負って運んでもらったので、足が疲れたレイジは適当な喫茶店に入って足を休めている。行軍用にお高いインソールを使ってはいるようだが、それでも補助でしかないのだ。もちろん疲れる。
ショウヘイは少女と2人、街を歩く。目的は適当な服屋で少女の服を見繕うこと。後は少しでも心を開いてもらえるよう、何かをすることだ。
「大丈夫? 疲れてない?」
少女は縦に頷く。声は発してはくれない。それでも意思の疎通ができているだけまだマシと言えよう。
「うーん、どうしたもんかなぁ……」
ショウヘイはため息まじりに日本語で呟く。パスカルの暗号によるスピエルの習得は便利ではあるが、自分の知らない言語が勝手に喋れて理解出来るというのはなんとなく気持ち悪い。自分の知らない何かが体にへばりついていたら気持ち悪いと思うのと同じようなことで、母国語の日本語を呟くと少し落ち着けた。
「……極東語、話せるの……?」
「極東語……? あ、日本語のことか……うん、俺の母国語だよ。一応、こっちでいう異世界出身なんだけどね」
漸く口を聞いてくれた。少しでも会話を続けようと、ショウヘイは微笑みながら話しかけてみる。
「カリニスの……招き人?」
「そういうらしいね。だから、俺も兄貴もあんな格好してるんだ。まあ、兄貴は自衛官……兵士だからあの格好なんだけどさ」
「……そう」
少女は再び口を噤む。何かまずっただろうかとショウヘイは考える。ちょっと喋りすぎたかもしれない。聞き手に回るべきだったのだろうか? そう考えていたら、くう、と可愛らしい音が聞こえた。少女のお腹が鳴ったのだ。
「何か食べに行く?」
少女は顔を赤くしながらコクリと頷く。それなら話は早いと、2人はレイジがいる喫茶店へと向かっていった。
※
「なんじゃい、お早いおかえりだな。服買ったのか?」
「ううん、先に食事だよ」
ショウヘイは店に入るなりレイジとそんな会話を交わし、少女と共に席に着く。レイジは書庫から持ってきたであろう本を読み、この世界の勉強をしていたようだ。
「ふーん、とりあえずゼップからこの前の報酬しこたませしめてきたから、好きなもん食いなよ。美味い食事は心を豊かにするぜ? 俺なんか飯と風呂と寝るのが楽しみの毎日だったしな」
レイジは少女にメニュー表を差し出す。少女はありがとうとでも言いたかったのか、コクリと頷いた。レイジはそれに穏やかな笑みを浮かべてみせる。すると、少女も同じように微笑んだ。
「兄貴、やっぱすげえや」
「いきなし日本語でどったよ? お前はさっきから表情固えぞ。それじゃ怖がられる。もーちょい自然に笑え。肩肘から力を抜いてな」
「兄貴の肩肘めちゃめちゃ凝ってるじゃん」
「パスカルからいいマッサージ屋の場所聞いたから後で行く。俺の肩こりは大抵LAMと背嚢のせい」
ショウヘイは少し少女の様子を見てみる。やはり日本語でペラペラと喋るレイジにも興味を示しているようだ。
「しょーへーの……お兄ちゃん……?」
「そのしょーへーの、ってのを抜いてもういち」
ショウヘイはアホなことを言おうとしたレイジを引っ叩いて止める。ショウヘイは名前を覚えていてもらえたことを素直に喜ぶ事にした。
「やっと、名前呼んでくれたね。君は?」
「……美春」
「滝桜の?」
「兄貴、三春ダム関係ないよ?」
2人はいつも通りボケてツッこまれてを披露するが、さすがにこの世界に三春ダムはないから三春の滝桜の話はわからないだろう。
「桜、知ってるの?」
「おうよ、花見もよく行くよな、翔平」
「兄貴が朝っぱらから場所取りさせられてるのを皆坂さんから聞いたよ」
「あれは酷かったよ。じゃんけん負けた。朝5時から場所取りとか最悪」
「……飛鳥にも、桜咲いてる」
美春が呟く。その一言にレイジとショウヘイはもちろん食いついた。
「聞いたか? これは行かねばなるまい」
「そうだね、花見しよう。俺と兄貴、美春とあと適当に誰か呼んでパーっとさ! 兄貴なんか作ってよ!」
「バーッキャロー! おにぎりオムライス風作りたいけどケチャップが見つからねえんだよ! ケチャラーへの拷問かよ!」
「作っちまえよケチャラー! 大人も子供もいい笑顔のオムライスこの世界で流行らせようぜ! 美春に試食してもらおうよ!」
「そんなら油揚げに餅入れてうどんに投入が先だろう!」
「油揚げにお餅……? すごく気になる……」
美春が油揚げに反応したのは妖狐だからというわけではなく、ただの個人的趣味嗜好なのだろうとアーロンの例に当てはめて神崎兄弟は考えた。とはいえ、まずは胃袋を掴むのが効きそうだと手がかりを得た。
「わかったよ、きつねうどんは作る。ケチャップは前に分隊連中で『ミートソーススパゲティ作ろうぜ、でも作るってどこから?』チャレンジで自作したからそれを皆坂と示し合わせて……とりあえず受験生時代に夜食作りで鍛えた腕前見してやんよ!」
「どんなチャレンジしてるんだよ、自衛官は暇人の集団?」
「楽しみがないと死んじゃうんだよ! あんな刑務所みたいなところはよ!」
名付けて『相手の心を射んと欲すれば、先ず胃袋を射よ』作戦は開始されることとなった。
※
適当に食事を済ませた3人はまた街中を歩く。服装センスに関してはショウヘイに任せるという結論になり、ショウヘイは美春とともに服選びのために服屋に入った。レイジは服装センスが壊滅的なのだ。これは元々ファッションにレイジが興味を示さなかっただけで、自衛隊生活の弊害というわけではない。
そういうわけで、その間にレイジはお使いを済ませる事になり、買出しへ行っている。ショウヘイは服屋の中で目を四方八方へ向ける美春に似合う服装を見繕う事にした。
「美春は、普段どんな服着てたの?」
「……巫女服」
「マジか……狐耳巫女、兄貴が見たらマジで喜んだろうなぁ……」
ショウヘイは頭を悩ませる。今美春が着ているルフィナの服は少しフリル多めのワンピースだ。白っぽいのはいいが、あまりそういうのは美春には合わない。もう少し控えめで可愛げのあるものはないかとショウヘイは頭を悩ませる。
ワンピースに麦わら帽子なんてどうだろうかと考えたが、今は体感と書庫での綿密な調査の結果、秋頃と判明したのであまり得策ではない。これから寒くなるとしたらそんな格好は風邪を引くかもしれない。冬物も用意はするが、冬物を着るほどではないが夏物は寒いとなったら厄介だ。
「あ、これなら……美春、これ試着してみようか?」
ショウヘイが目をつけたのは、ジーンズとパーカーだ。なぜこのようなものがこの世界にあるのだろうか考えたが、それは後で異世界組3人で頭を突き合わせて考察に励めばいい。今は美春が着る服を選ぶのが優先事項なのだから。
美春はコクリと頷くと、試着室へ入った。しばらくしてカーテンが開くと、そこにはシンプルながらもショウヘイの時代にいたごく普通の少女を思わせる。白のポロシャツにグレーのパーカー、それにジーンズ。当面にはいいのではないかな? とショウヘイは思った。
「どう?」
「……動きやすくて、暖かい」
「巫女服があればよかったんだけどね。それでいい?」
美春はコクリと頷く。ショウヘイは店員を呼び、会計をする。必要経費はゼップから渡されているので、それで支払い、領収書を一応貰っておく。
「行こうか?」
ショウヘイは美春へ手を差し伸べる。美春はその手を取り、歩き出した。レイジと合流しなければ。
ラドガは建物も多く、建物の間の人目につかない暗がりが多い。そういう場所はトラブルの温床とも言える。カツアゲやら暴行やらはそういうところで行われるのが世の常だ。防犯意識高めのショウヘイはそういうところに入らないよう、日向を歩く。
だが、自分が気をつけていても巻き込まれることはあるのだ。いきなり袖を掴まれ、路地裏へ引きずりこまれてしまった。咄嗟に美春を離すという選択肢が思いつかず、美春を一緒に引っ張り込んでしまった。
出口を塞ぐように2人の男が立ちふさがる。ガラが悪いが、痩せぎすの男だ。もしレイジが一緒にいたら絶対絡んでこなかっただろう。レイジ相手には煮干しのようにポキリとへし折られる姿しか思い浮かばない。とりあえず、舐められたのだろうとショウヘイは唇を噛み締めた。
「何、金出せって?」
「わかってるじゃねえか。金と女置いていきな。お前より可愛がってやるからよ」
「だーれが渡すか煮干し野郎が。恥ずかしくないの? 働きもせずに他の人いびって金巻き上げて恥ずかしくないの? それでそんなガリガリヒョロヒョロで情けなくないの? モテないの? ああ、モテないんだね。貧相な体でこんな日陰でヒョロヒョロのまま過ごして骨粗鬆症にでもなるの? バ〜カ〜な〜の〜? おバカなんだね。死ぬの? むしろ死んで土に還ったほうが世のため人のためになるんじゃないの? 酸素消費して二酸化炭素大量生産するだけで恥ずかしくないの? 恥ずかしいからこんな日陰にいるの? もやしなの? もやしの方が食べれるだけまだ役に立ってるよ? 非生産的かつ存在意義がまるでない哀れな存在なんだね。どぅーゆーあんだーすたーんど?」
やってしまった。ショウヘイは心の中で後悔しようとも一度開いた口は止められない。ショウヘイの必殺技である"口先マシンガン"が火を噴いた。幾度となく兄弟喧嘩のたびに毒を吐きまくり、レイジの心を幾たびもへし折った実績付きなのだ。(ただし"口を開く前に殴り倒して黙らせる"という対処法を得たレイジにより、口を開くなりボコボコにされるようになったので封印していた)
相手はワナワナと震えている。絶対キレている。むしろキレない人は菩薩と呼んでもいいだろう。とりあえず相手は動きを止めている。怒っている相手は動きが単調になる。チャンスは今だ。
「美春、掴まって!」
ショウヘイは美春を抱きしめ、グラビライト石を信じて飛び上がる。壁を蹴ってどんどん上昇し、屋根に到達した。あのチンピラは飛べないようだ。
「やーいお前ん家、おっばけやーしきー!」
ショウヘイはそうおちょくり、屋根の上を走り回って逃走を図る。高いところからあたりを見回すと、やけに目立つ迷彩野郎の姿がそこにあった。ショウヘイは美春を抱きしめたまま屋根から飛び降りる。
「お待たせ、兄貴」
「お前なんだ屋根から来たよ?」
「チンピラにカツアゲされそうになったからありったけ毒吐いて逃げた」
「お前の口先マシンガンマジやめろって……で、なんで美春は気絶してるんだ?」
ショウヘイが腕の中を見ると、美春が青い顔で白目を剥いて失神していた。恐らく屋根からの飛び降りが相当怖かったのだろう。結局、レイジに背負われて屋敷にたどり着く頃までずっと気絶したままであった。
挑発シーンについては煽りのプロである妹の監修のもと執筆しました。
その妹が描いてくれましたキャラクターの立ち絵は活動報告にて公開しています!