2-1 あと5分と約束したな。あれは嘘だ
絶賛スランプのため、更新ペースが落ちますが2章突入します!
眠くてたまらない。疲労が体を蝕み、動けない。脳が動く事を拒絶する。このままもう1度、この意識を手放してしまおう。この甘美な深淵に、落ちていこう。深く、深く……
「ほーらー! おーきーなーさーいー!」
そんなショウヘイの眠りは、突然部屋にやってきて鍋をお玉でガンガン殴りつけるアリソンによって妨害された。金属音がものすごい爆音を立て、無理矢理眠りの底からショウヘイを引きずり出す。勘弁してくれ、疲れているんだ。ショウヘイはもぞもぞと布団に潜り込んだ。
「あと5分……」
「信じるかー! ルフィナもそう言って起きないんだから! ほら起きた起きた!」
アリソンに無理矢理布団を引き剥がされ、ショウヘイはベッドから転がり落ちた。常套句のあと5分はアリソンには通じなかったのだ。鈍い痛みが無理矢理にショウヘイの意識を覚醒させる。嫌ではあるが、これ以上の制裁は堪らないのでショウヘイは大人しく起きる事にした。
「うう……おはよう……」
「ええ、おはよう。早く朝ごはん食べよう? みんな起きてるよ」
あのウィンザー邸襲撃からゼップの館に辿り着いたのは夕方になってしまった。トゥルク駐屯地に寄って救出した人の引き渡し、戦闘の報告等、やることが多かったのだ。夕方に帰りつけたのは奇跡と言っていいくらいだった。特に書類仕事を担当したレイジとパスカルは白目を剥きかけながら取り組んでいたのだ。
ショウヘイとしては、アレだけやって疲れているのだから、もう少し眠らせて欲しいところではある。だがアリソンはそれを許さない。お前何もしてないじゃないかなんて口が裂けても言えない。週末家で寝ている父親の気持ちがよくわかる。
ショウヘイは戦闘服のズボンを履き、上はベージュのシャツ1枚。あとは持っていたセカンドバッグに入っていた運動靴を履き、欠伸をしながら広間へ向かう。アリソンは何やらご機嫌そうに鼻歌を歌いながら歩いているが、ショウヘイはそのテンションについていけるほど体力を残していなかった。
広間の大きな観音開きの扉を開けると、そこは死屍累々だった。パスカルは手を膝について机に突っ伏し、ハミドは仰け反って爆睡コース。レイジは膝にルフィナを乗せ、うつらうつらと舟を漕ぎ、ケイスケは椅子から転げ落ちている。それを、ゼップとアーロンは苦笑いを浮かべながら見ていた。
ショウヘイも倒れて眠りに落ちてしまいたいと思ったが、アリソンの鍋を握る手がわなわなと震え出すのを見て眠気が飛んで行ってしまった。これは嵐が起きる。既にアーロンとゼップはピッケルハウベを被って防御態勢を整えている。絶対マズイ。ショウヘイは直感した。
「こらー! だらしないぞー!」
手当たり次第に鍋が頭を強襲していく。頭を鍋で殴られ、何だ何だと目を覚ます。ルフィナは涙目でテーブルに突っ伏してしまった。
「何じゃい、敵襲か!?」
「砲弾落下です班長!」
レイジとケイスケは寝ぼけているのか、砲撃だと騒ぐ。パスカルとハミドは声を出さないが不満そうな顔をしている。そして、全員がアリソンに不満そうな目線を向けた。
「アリソン嬢、俺らが疲れて眠いのお分かりでしょう? なにこの理不尽な暴力?」
パスカルが珍しく不満を口にする。レイジも代休とらせろやと目で訴えかけた。作戦に参加してぐったりしている面々から『お前行ってねえだろ巻き込むなよ』と無言の威圧がアリソンに向けられる。
「みんなだらしないよ? 今日がなんの日だか忘れた?」
「……やばい、不燃物の日だ! 早く行かなきゃ!」
「ここ駐屯地じゃねえから」
不燃ゴミを出しに行かなければと慌てるケイスケの頭をレイジが叩いて正気に戻す。どうやら、駐屯地生活の癖が残ってしまっているようだ。とは言え、レイジも今日がなんの日かは覚えていない。
「なんだっけ?」
「全く……王都にお呼び出し食らってるの忘れた?」
レイジはフリーズした。フリーズしたのはレイジだけではない。ゼップとアーロン、ルフィナを除いた全員がフリーズしたのだ。完全に目を白黒させている。
「兄貴、頭のメモリ不足で熱暴走した?」
「どっちかというとOSがクソ」
「言っちゃうんだ!? 自分でOSがクソって言っちゃうんだこの班長!?」
ケイスケが素早く兄弟のやりとりにツッコミを入れる。切れ味はいい。例え疲れていても本能的にツッコミを入れてしまっているようだ。レイジとケイスケの漫才じみた関係は中隊の宴会の鉄板ネタである。
「それに! トゥスカニアの方でも人狩りに連れてこられた人を返すためにほぼ徹夜で働いてるんだから!」
「言っておくけど俺たちもほぼ完全徹夜だからな?」
ハミドは眠気によるひどい頭痛を堪えながらも反論する。左目だけが白眼をむいてしまっているくらいだ。相当眠いのだろう。そんなこんなしている間にもパスカルがまた白眼を剥き始めた。折角の顔が台無しである。
「うっ……それはそうだけどさ……みんな酷い顔だよ? 洗って髭剃らないと、王への謁見の前に門前払いよ?」
しまった、とばかりに各々が顔を見合わせる。とりあえず顔を洗って髭を剃ったとして、服装はどうしようかと考え始めた。レイジはケイスケに目をやる。ケイスケはレイジが戦っている最中、補給倉庫や武器庫、弾薬庫に行っているのだ。もしかしたら制服を持って来ているかもしれない。だが、ケイスケは首を横に振った。
「制服は持って来ていません。戦闘服と半長靴、あとは89式小銃とミニミの予備部品と84mm無反動砲を1門ですよ。粒子化に滅茶苦茶時間掛かりましたし……」
「どうせ階級章も何もないから仕方ないとして……よくハチヨンが残ってたな……」
「故障して部品請求中のが2門あったんです。だからその場で分解して共食い整備して、なんとか持って来ました。弾は対戦車榴弾と榴弾、照明弾が2発ずつってところですね。発煙弾は3発ありました」
84mm無反動砲"カールグスタフ"はスウェーデン製の無反動砲、簡単に言えばバズーカのようなものだ。後方へ強力な爆風を撒き散らすため、レイジのLAMと比べたら撃てる場所に制限はあるが、LAM以上の威力を持つ。いずれ役に立つかもしれない。
「まあ、今はハチヨンは置いておいて、服装……戦闘服でいいかな?」
「いいんじゃないでしょうか? これしかないって言い張れば」
とりあえず服装問題は解決だろう。レイジとケイスケは戦闘服と半長靴で、ショウヘイは制服で行けばいい。支度がめんどくさ過ぎる。レイジはそう思ってため息を吐く。アイロンをかけなければ。
※
またしてもレイジたちは馬車に揺られていた。レイジとケイスケの服装はかなり気合いが入っている。綺麗にアイロン掛けされ、カミソリのようなズボンと袖の折り目がピンと立ち、半長靴の爪先はこれでもかとばかりに磨かれ、鏡のようになっている。頭は迷彩帽を被り、腹には弾帯と呼ばれる太いベルトを巻いていた。
「兄貴も皆坂さんも、よくそこまでやるよね……」
「当たり前だ。いつもお偉いさんの前ではこうしておくんだよ」
「警衛もですね」
ショウヘイはそれ以上は追求しなかった。レイジとケイスケが死んだ魚のような目に変化していたからだ。どうやら、相当苦労したらしい。
「だーりぃ。なんで俺たちまでわざわざ首都に呼ばれるんだよ。ガキの使いじゃあるめえし。報告なら書類にまとめるからどーぞだってんだ」
ハミドが悪態を吐く。白いカミーズと呼ばれる服に身を包み、白のマントを羽織っている。この前はベージュの戦闘服姿だったのだが、今日は服装を整えてきたようだ。近くでよく見れば、ハミドは頬のあたりに月と剣の刺青を左右対称に入れていた。ショウヘイは痣かと思っていたが、どうやら違ったようだ。
アーロンは黒い礼服一式に腰から装飾の施された片手剣を提げている。見た限りでは執事か何かにも見えてしまいそうだ。普段から物静かな雰囲気を醸し出すアーロンにはピッタリだとショウヘイは心の中で評した。
「アーロン、首都ってどんなところなの?」
「首都グナイゼナウはアリエス聖王国中心にあって、物流、経済が盛ん。聖王のいる場所であるがゆえに貴族の館が立ち並び、経済が盛んになった経緯があるんだ」
「なるほど」
ショウヘイは外を見る。遠くにグナイゼナウから空へ伸びるリベトラが見える。あそこに、まだ見ぬ町がある。ショウヘイの心は未知との出会いに興奮していた。
※
首都"グナイゼナウ"は、天然の要塞とも言えるような地形だ。周囲の切り立った山脈が大軍の侵入を阻む。入り口となるのは東西南北に位置する街道のみ。この街道は、かつては細く、馬車が並んで通れないような道しかなかったところを旧世界の兵器を用いて吹き飛ばし、道を作ったと言う話が残っている。
初代聖王マンネルヘイムはこの地を拠点とし、国を広めたと言う。初期のグナイゼナウはその街道以外の侵入路がなく、少ない兵でも容易に敵の侵入を阻止できた。そこで力を蓄え、十分な兵力を蓄えたその時、旧世界の兵器で道を切り開き、各地へ進軍した。ダムの堰を切るがごとくの進軍、聖王と呼ばれるが所以の善政は、各地の有力な貴族たちの圧政に苦しむ民には神の化身として捉えられたという。
これは神の意志である。そのスローガンのもと、各地で義勇軍が設立され、聖王の進軍を助け、瞬く間にアリエス聖王国を作り上げてしまった。
マンネルヘイムは実際に神"カリニス"の神託を受けたという記述もある。『この地に平穏をもたらせ。平穏をもたらし、民を導くに値するのであれば神はこの国に祝福を与えよう。もし災いをもたらすのであれば、神はその命を奪うであろう』それが、カリニスと聖王の間に交わされた契約であるという。
「なんて話、書庫の本にあったんだけど本当のところはどうなのさ?」
ショウヘイはゼップに問いかける。この質問に詳しく答えられそうなのは王族であるゼップだと考えたのだ。
「大体そんなところだ。マンネルヘイムはカリニスの信託を受け、それを大義名分として進軍を開始した。群雄割拠の時代だったから、軍を起こすことには特に問題もなかったし、結局は勝てば官軍というやつさ」
「それ言っちゃっていいの?」
ゼップの口からかなり衝撃的な回答が飛び出し、ショウヘイは苦笑いを浮かべて反応に困った。そんなショウヘイを見て、ゼップはくすりと笑うばかりだった。
「まあ、言っても問題はないさ。結局、マンネルヘイムもその後の聖王も、ローラシア大陸統一は不能だったし、そもそもこの広大なアリエス聖王国の全部を直接統治するのも無理があったわけさ。だから、信頼の置ける人を各地に配属して、代理として統治させてる。そのうちの1人が僕らアロイス家さ」
「アロイス家って……ゼップたちのこと?」
「そう。聖王の血筋を絶やさないために、マンネルヘイムの息子たちは家を分けたのさ。その分家の1つがアロイス家。5つの家系の中で、最も優秀な者が聖王に即位するんだ」
「要は、競争なんだね……」
一歩間違えば争いになりかねない決め方だと思ったが、それはこの世界の事情である。ショウヘイは口出しせず、見守る事にした。どんな未来が待つのか、少しだけ期待に似た感情があった。
「で、ゼップは現状その中でトップって事か? 前に第一王子とか言ってたし」
話を聞いていたレイジは気がかりになったのかゼップに疑問をぶつけた。
「いいや、生まれた順番さ。便宜上だよ」
第一王子の呼び名は継承権ではなく生まれた順番で振られているらしい。成る程、公の場で呼ぶ時にコロコロと順位が変わっては呼び辛くてたまらないからそういうシステムになったのだろうとレイジは考える。
「で、ライバルは何人いるんだ?」
「2人かな。5家中年頃の男子が僕を合わせて3人。あとは幼いから考えなくていい。今までの統計からして、男しか王になった試しはないしね」
「足元すくわれないようにな」
レイジはそう一言告げてまた外を見る。まだ見ぬ世界に帰還を期待し、いるべき世界に想いを馳せていた。