1-20 思惑ノ帰結
今回で1章は完結となります、2章も鋭意制作中ではありますが、多忙のため更新ペースが落ちると思われます。気長にお付き合いください
帰りの馬車は快適だった。貴族用の豪華なのではないが、トゥスカニアが多めに馬車を持って来てくれたおかげで分散して搭乗でき、足を伸ばしてゆっくり座れた。既に外は夜明けの気配を見せているが、一行は死んだように眠りこけていた。
そんな中で、レイジは目が覚めてしまい、仕方なく馬車の天井に登って空を眺めていた。ラプトルを倒した時、爪による一撃を左腕にもらってしまい、今は包帯を巻いている。戦闘服で隠そうにも、爪で引き裂かれたがために隙間から見えてしまっている。
「眠れなかったか?」
耳元で声がする。グライアスというものはやはりなれない。遠くにいる人が隣にいるかのように声が聞こえるのだ。携帯電話とはまた違う。
「眠れねーよ。パスカルもか?」
「ただの見張りだ」
「殊勝なことで」
レイジは天井にどっかりと座り、夜明けの気配を見せる東の空に目をやる。天頂の星が消えていく。もう帰らなきゃ。まるで、そう言っているみたいだった。夜は明ける。そしてまた日が昇る。この世界は幾度となくそれを繰り返して来ている。自分の世界より大きく見える太陽が昇り始める姿を見守りながら、レイジは少しだけパスカルに問いかけた。
「人間ってさ、なんであんな風に狂っちまうんだろうな。権力や金を手にした瞬間、おかしくなるんだろうな」
「さあな。人なんて欲求塗れだ。無欲だと言っても生存に必要な原始的欲求には逆らえねえ。欲求なんてどんな生き物にもプログラムされているんだろう。少しでも誰かより上に立って、優秀な遺伝子を残せるようにするためのプログラムが、人間はどっかで歪んだのかもな」
パスカルの言う通りだろう。欲ありて行動を起こす。生きるために必要な欲はどうしても切り離せない。そこから欲は膨らみ、競争になり、優劣が出来るのだろう。
「だとしたら、誰かの為に命をぶん投げちまうって言うのは、どんな欲求から来てるんだろうな」
「そんなもの人それぞれだ。俺に訊かずにお前の胸に訊け」
「そう……だな……」
死ぬのが怖いと言えば嘘になるが、死ぬからなんだとしか思っていないのもまた事実なのだ。人間いつかは死ぬ。その死に意味が欲しい。そう願っているのが、間違いだと言うのだろうか。ただ無意味にダラダラと長生きするより、有意義に短く生きることを望む事はおかしいのだろうか。
「俺は俺だ。この想いも、願いも、エゴも、何もかも。俺を形成するための大切なパーツなんだ。譲らないさ」
レイジはそう呟いた。あのルネーのことも、この世界のこともまだ何もわからない。帰還の方法さえも。まだ戦わなければならない。戦って、ショウヘイを、ケイスケを生きて帰さなければ。入隊式のあの時に誓った、服務の宣誓。それを、守り続ける。
「私は、我が国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し、日本国憲法 及び法令を遵守し、一致団結、厳正な規律を保持し、常に徳操を養い、人格を尊重し、心身を鍛え、技能を磨き、政治的活動に関与せず、強い責任感をもつて専心職務の遂行に当たり、事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務め、もって国民の負託にこたえることを誓います」
レイジは1人、入隊式の時に誓った言葉を1つ1つ噛みしめるように呟き、再び自分へ科する戒めとした。これは、自分自身の鎖だ。そう言い聞かせて。
※
ショウヘイは浅い眠りの中で回想していた。あの荒廃した街。人の消えた駐屯地。どっちも、自分がいた日本なのだ。そして、レイジが見慣れた景色の変わりように嘆いているあたり、レプリカではないのだろう。
だとしたら、あれは何だったのか。もしかしたら、自分の世界とは違う、パラレルワールドにでも出てしまったのだろうか。それか、地球が滅びたか。
あそこだけが廃墟になったのか、他のところもそうなのか……今となっては調べようがない。そして、アレが自分たちがここへ来た理由につながっているようにも思えてならない。
まだ点と点を結ぶ線が見えない。未だに記憶の一部が欠落したまま戻らないのだ。重要なピースが足りない。考えても思い浮かばない。あの時空の歪みが何なのか、何で名前を知っていたのか。
後で、疑問をノートにまとめる事にしよう。むしろ、謎を謎のままにしておいて、この世界で生きることを楽しんでみるのもありかもしれない。
考え、考え、ショウヘイの思考はさらに深いところへと入っていく。そして、そのまますうっと落ちていくように意識を手放し、眠ってしまっていた。
※
パスカルはレイジとの会話が終わったと判断すると、今度はゼップへグライアスを繋いだ。例え寝ていようが叩き起こしてやる。そう思って繋いだが、どうやらゼップは起きていたようで、すぐに返答があった。
「終わったようだね」
「苦労したぞ。ウィンザーの野郎は死んだ。自分で出した化け物にあっさりやられて、化け物に成り下がった。後は……面白いもんを見つけたぞ。例の鍵の紋章をウィンザーの私兵が着けてた」
パスカルは手元のワッペンを見る。盾の形に鍵の模様が刺繍されたワッペンだ。ウィンザーの私兵が、否。ある集団が着けているワッペンだ。
「反乱軍のワッペンか……それなら、捕虜から少しだけ情報を絞れた」
「レイジが仕留めた奴らか?」
「そうだ。あいつらを尋問した。少々手荒になったけどね」
「なんて言っていた?」
「こうだ。"我ら反乱軍に非ず。ライプシュタンダーデなり。死せども意思は受け継がれる"だとさ。お望み通り殺してやった。あらん限りの苦痛を以って、ね。本当に命乞いしないで死んでいったよ。悲鳴はバカみたいにあげたけどさ」
「それは上げない奴がおかしいんだろ。で、救出した人たちはどうする?」
「検査して、問題なければ帰してやれ。王位を狙うなら、民草の信用を得るところからだ。間違っても無下には扱うなよ」
「分かってる。分かり易いまでに下心ありありでどうも。報酬割り増しな。報告聞いたら、どんだけ吹っかけられるか真っ青になるだろうよ」
パスカルは暗号屋——暗号を使える傭兵だ。動く理由は単に金の為。金を貰ってその日を生きる。それが暗号屋と言うものだ。貴族に雇われて生活を保障されている方が稀なのだ。
「やれやれ、どれだけむしり取るんだい?」
「クビになってもしばらく困らねえくらい」
パスカルは一方的にグライアスを切った。もう話す事はあらかた話した。後はもうなるようになればいい。そう思って、馬車の中へ戻って行った。一眠りする為だ。
「おうパスカル……あのよ、時空の歪みを越えた前後のこと、覚えているか?」
唐突に寝ていたと思っていたハミドが声をかけて来た。こっちの馬車にいるのはハミドとアーロンだけだ。どうやら、アーロンも眠っているように見せかけて起きている。
「さっき思い出した。強力な認識阻害か?」
「かもな。何なんだろう……」
「知らねえよ。知ってたらすぐにでもネタバラシしてやる。で、お前らはどうなんだ?」
「俺もさっきまですっぽ抜けてた」
ハミドは肩を竦める。アーロンに視線を移すと、何も言わずに縦に頷いた。どうやら、全員がそうならしい。
「調査が必要だ。ゼップには帰ってから報告すっか」
東の地平線から朝日が昇り、赤い空が青く変わる頃、馬車はカレリア領内に差し掛かっていた。レイジは少しだけ後ろを向いて、あの時空の歪みが無数に浮かぶ野原のどこかに、自分たちの世界があったのかもしれないと思いを馳せながら、疲労に身を任せて眠りに落ちて行った。