1-18 結局は火力と君は言う
吸血鬼とは、この世界に様々な伝承が存在する、魔物の中では有名な方であるだろう。スラブ系民族の中では紀元前4世紀頃には既に吸血鬼伝承があったとされる。現在はよく紳士的な吸血鬼が想起されるが、古くから伝わる吸血鬼は悪魔的、魔獣的な描かれ方が多いようだ。今の吸血鬼像が広まったのは大体19世紀後半頃だ。
曰く、死者が不死者として蘇り、人に害悪をなす。
曰く、人の血を吸い、犠牲者も吸血鬼となる可能性がある。
曰く、魔眼を駆使する。
吸血鬼の特徴をあげるとキリがなくなる。レイジが目の当たりにしているのは、この世界の本物の吸血鬼で、レイジやショウヘイの抱く幻想とは大きくかけ離れていた。
流れる水を渡れないのはただのトラウマ。日光に弱いのはただの夜型で寝起きが悪い。ニンニクがダメなのはただの好き嫌い。銀は吸血鬼じゃなくとも体に悪かろうと。血を吸うのはただの栄養補助。
とはいえ、吸血鬼はやはり人間とは違う。アーロンがそれを示してくれた。人間には到底及ばぬ視力が、遠く離れたウィンザーの姿を捉えたのだから。
「パスカル! ウィンザーの野郎が来るぞ! 速い!」
「バカ言え! 奴は自分で放った化け物に殺されたぞ!」
パスカルの目にはまだ見えない。だが、アーロンへの信頼がそれを信じさせた。群衆はこれ以上急げない。確かに、物凄い勢いで突っ込んで来る何かの姿が見え始めていた。このままでは追いつかれてしまう。レイジはパスカルに向かって叫んだ。
「パスカル! 俺らに任せて先行け! 遅滞戦術で足止めしてやる!」
「任せた!」
パスカルは人々を連れて駐屯地の営門を通り、市街地へ入っていった。レイジはその後姿を見送り、1人笑みを浮かべる。
「ホラティウス! 後方200mの敵歩兵! ぶっ放て!」
レイジは即座にケイスケへ射撃命令を出す。ケイスケはすぐさま反転して地面に伏せると、ミニミ軽機関銃の二脚を地面にしっかりと立て、ウィンザーへ向けて射撃を始めた。その間にレイジは下がる。今はケイスケが足止め役だ。ウィンザーは銃弾をくらい、足を損傷したのか動きが鈍る。
「撃ち方やめ! 退け!」
ケイスケは撤退命令に従い、無言でミニミを持ち上げ、走り出す。足を引きずりながら近寄るウィンザーへ、今度はしゃがんだレイジが射撃し、ケイスケの撤退を援護する。
89式小銃の連射はミニミ軽機関銃に劣る。代わりに精度は良い。レイジはそれを活かし、単発射撃で正確にバイタルゾーンを狙い撃っていく。頭を捉えた。銃弾が頭蓋骨の表面を砕き、大脳を損傷させる。ウィンザーが倒れたのをレンズ越しに確認した。斃した。
「目標沈黙! 退け!」
レイジは2歩ほどステップで後退し、弾かれたように走り出した。走れ、走れ。本能がそう叫ぶ。息が弾み、足が悲鳴をあげても走れ。さもなければ、待つは地獄。覚悟を決めたはずなのに、本能がレイジを生かそうとする。忌々しい。この生存本能が忌々しい。レイジは心の中でそう思った。そう思ってしまう自分の異常性に気付くことなく。
「あいつ、まだ動いてるぞ!」
アーロンが叫ぶ。ウィンザーは立ち上がる。銃撃で大腿骨や大脳の一部を破壊されてなお立ち上がる。まるで、そんな損傷がなかった——否、治してしまったかのように。
「あいつ、まだ立てるのか……!」
「班長! 煙幕炊きます!」
苦虫を噛み潰したかのような表情のレイジへ、ケイスケが一言断ってから発煙手榴弾を投げる。たちまち白煙がレイジたちとウィンザーの間を遮る。視界を奪い、追跡を少しでも送らせるのだ。時空の歪みまではまだ少し距離がある。もう少しだけ時間を稼ぎたい。せめて、時空の歪みにあの人々が辿り着くまで。
「少しで良いから耐えてくれよ……!」
レイジは腕を振る。それに合わせて現れた鎖が路地の電柱をいくつも根元から破壊し、横倒しにしていく。その場に足跡のバリケードが形作られていく。
「あいつめ、少しは大人しくなるだろう……」
アーロンも肩で息をしながらそんなことを言う。レイジも思わず膝をついてしまうほどに息が上がっていた。89式が重い。相棒たる銃に苦しめられている気がする。否、元凶は背中のこのクソ重いLAMだ。さっさと撃ってしまいたい。
次の瞬間、コンクリートの流星群が降り注いだ。視界を詰め尽くし、脳が警報を鳴らす。でも遅い。体の各部から既に異常を伝える警報が脳に集中してきている。視覚は生きているけど、情報処理が追いつかない。
スローモーションの世界の中、見ただけでその内容までは理解できず、レイジは気づけば地面に倒れ伏していた。頭はヘルメットが守ってくれた。膝はニーパッドが守ってくれたおかげで砕けてはいない。立てるはずだ。筋肉が打撲で痛い。何が起きたのだろうか。
レイジはゆっくり顔を起こす。そこには足跡のバリケードの破片が無数に散らばり、五体満足のウィンザーが立っていた。頭も何も修復されていた。頭を潰しても、ちゃんと生命維持に必要な部分を破壊しないと殺せないのだろうか。レイジは悪夢であってくれと願った。
足は瓦礫に挟まれて動けない。つまり、ウィンザーがバリケードを破壊し、飛び散った破片の直撃を受けたと言うことだ。体が悲鳴をあげる。89式小銃を構える手が大きくブレる。
ウィンザーはそんなレイジたちへは目もくれず、逃げていった集団の方へ向かって走っていく。抜かれた、レイジとケイスケはその背中へ射撃するが、止まらない。
「ああクソ、魔術銃さえ使えれば……!」
ハミドは自身の魔術銃、Vz-15"マホメット"の引き金を何度も祈るように引くが、弾が出ない。故障だろうか。そんな事よりも、追跡が先決だ。レイジたちはなんとか瓦礫から足を引き抜き、立ち上がった。
※
レイジたちが防戦している頃、ショウヘイは少女を担いでひたすら走っていた。やせ細って軽いとはいえ、ちゃんと最低限の重さはある。ショウヘイの大腿部が悲鳴を上げてきた。こんな体験は初めてだ。体が追いつかない。グラビライト石の効果が途絶えたままなのだ。
「あの世界出た瞬間、魔法が使えなくなるなんてね……パスカル、そっちも?」
「ああ、オリオンが撃てなくなったし、グラビライト石の力が弱まった。あの時空の歪みだったか? あれから遠ざかるほどに弱まってるな。戻れば回復するかもしれない。」
パスカルは先を急ぎたいようだが、列が遅々として進まず、苦虫を噛み潰したような表情を見せていた。もし殿を破られたなら、待ち受けるのは虐殺だ。それは阻止したい。何があったかを知るための糸口なのだ。
最初の不正の証拠を発見するという目標、そして、それと並行して調査していた大量破壊兵器の捜索の答えはこれだ。人狩りの証拠と大量破壊兵器とみられるあの化け物、化け物となったウィンザー自身。どのピースも無くしてはならない。パスカルにはそんな気がしていた。
不意に、轟音が後ろから聞こえてきた。爆発とはまた違う、何かが砕け散ったかのような音。それから遅れて聞こえてくるのは銃声。殿で何かあったのだとパスカルとショウヘイは感じ取った。そして、自分たちに余裕はわずかしか残されていないと感じ取るのはそれから少し遅れてだった。
「おいショウヘイ! 逃げろ! クソ野郎が来る!」
パスカルは列に向かって走れと叫び、人々を急がせる。アーロンがグライアスで突破されたことを伝えてきたのだ。時空の歪みまではもうすぐだ。ウィンザーさえどうにかなれば、ショウヘイはそう思いながら少女を担ぎ直し、走る。弾薬庫と武器庫に行った時に、ケイスケから拳銃を渡されていた。それが、右大腿部のホルスターに収められている。ショウヘイはそれに一度目をやり、また前を向いた。
「兄貴たちは……うん、生きてるよね」
ショウヘイにはレイジが死んだとは思えなかった。直感がそう言っているのだ。きっと、兄は生きている。ショウヘイはそう信じて進む。それが最善だ。
そんな時、屋根の上を跳ねる人型が見えた。ウィンザーが来たのだ。化け物が死を携えてやって来たのだ。来る。ショウヘイは体に鞭打ち、走り始めた。追いつかれれば命はない。本能が盛んに警鐘を鳴らす。呼吸が乱れる。心拍数が上がり、胸が破裂してしまいそうだ。顎の震えが煩い。叫ぼうにも声は出ない。
いつの間にか、ショウヘイは列の後ろに立っていた。他の人々は身軽で、走って逃げられる。パスカルのチェイサーだろうか、青白い光の線を追って、走るだけだ。ショウヘイは少女を背負っている分、遅くなっていた。
放り出して走れば助かるだろう。それでも、そんな選択をしてこの先自分はどうなるというのだろうか? レイジとケイスケには間違いなく見下され、アリソンも失望するということはあっさり予想がつく。そして何より、自分自身がこの先の長い人生で、少女を見捨てた罪を背負い続けなければならない。それに耐えられるとは思えない。
命と罪、どちらが重いのだろうか。罪の意識に苛まれながらも生き延びること。罪を拒み、自らの生還を諦めること。どちらが正しいなんて、誰に断ぜられるというのだろうか。
だから、ショウヘイは選んだ。生きる。この背中の命を背負って。
拳銃を抜く。誰か1人を生かすために、誰か1人の命を奪うこの矛盾。レイジは、パスカルは、ケイスケはやってのけた。ならば、自分だけいつまでも守られているだけではいられない。
「守るために奪う。それが、俺の罪」
ウィンザーが迫ってきた。走る。それでも距離は狭まる。逃げることは諦め、反転して拳銃を構える。狙い方なんて知らない。構え方も適当だ。とりあえず先の方を向ければいい。後は、引き金を引くだけなんだ。
「覚悟しろよ、悪党!」
ショウヘイの拳銃は確かにウィンザーを向いている。あとは引き金を引くだけ。引くだけなのに、それが出来ない。引き金が重い。後もう少し力を入れるだけなのに、指に力が入らない。銃も震え始めた。また呼吸が乱れ、視界が歪み始める。自分の吐息がうるさい。
「ショウヘイ!」
ウィンザーが飛びかかる。ショウヘイは目を見開き、放心したかのようにそれを見つめていた。拳銃を持った腕は真正面に向けられたまま、動く気配がない。
飛びかかるウィンザーを、パスカルの大剣が空中で捉えた。間一髪、打ち付けるようにパスカルの大剣がウィンザーの胴へ叩きつけられ、体を2つに分けた。
目の前で血飛沫が舞う。割れた胴体の向こうから鋭く、冷たい目がこちらを向いている。ショウヘイはハッキリと恐怖を知覚した。殺すことを恐れて、殺される恐ろしさを忘れていた。
「何やってるんだ馬鹿野郎! 走りやがれ! 止まってる暇があれば走れ! 背中に荷物背負って戦うにはまだ早えんだよ!」
パスカルがショウヘイと真っ二つになったウィンザーの間に立ちはだかる。黒のポンチョは所々に返り血が付着し、黒と赤の迷彩のようになっていた。大剣は下げた剣先に返り血が集まり、滴り落ちている。
ショウヘイは振り返り、走り出す。逃げることしか頭にない。逃げろ、その言葉で頭が埋め尽くされる。その背後では、ウィンザーが上半身だけで、腕の力を頼りに這いずっていた。パスカルは中枢神経を破壊してトドメを刺そうとするが、ウィンザーはちょこまかと躱す。飛びつき、転がり、パスカルの攻撃を躱しては反撃に出る。
パスカルはたまらず大剣から手を離し、リストブレードで応戦する。こっちの方が小回りがきく。ウィンザーにはもってこいだ。ウィンザーの下半身はじわじわと再生が始まっている。
させない。パスカルはウィンザーの胴体を左のリストブレードで貫き、動きを押さえる。そして、右のリストブレードで脊髄を狙い、突き刺した。一際大きくウィンザーの体が痙攣し、動かなくなった。
仕留めた。パスカルは確信してリストブレードを引き抜く。だが、ウィンザーの体がまた痙攣を始め、なんと動き始めたのだ。中枢神経を潰したはずなのに、なぜか生きている。
「パスカル!」
追いついてきたレイジがパスカルへ叫ぶ。レイジたちは全員なんとか生きていた。これで漸く優位に立てる。パスカルは確信した。
「下がれ!」
レイジはその場にしゃがみ、LAMを構える。一撃必殺の虎の子だ。確実にここでウィンザーを葬り、逃げるつもりなのだ。
パスカルはレイジの武器が何かはわからないが、咄嗟の判断で近くの民家の屋根に飛び移った。グラビライト石の力が僅かに戻り始めている。
「後方よし! 発射!」
レイジはケイスケたちが側面に移動し、後方の危険区域に人がいないことを確認する。LAMは発射時の反動を相殺するため、後方にカウンターマスを噴きだすのだ。これをまともに浴びれば死は免れない。だからこそ、撃つ時は後方を確認するのだ。
引き金を引いた瞬間、猛烈な爆音が響き、後方にカウンターマスを散らす。そして、弾頭が飛翔し、ウィンザーに命中。炸裂した。戦車すらも屠る対戦車榴弾の威力にはさすがに耐えられなかったのか、辺りに肉片を撒き散らし、今度こそ何も起こらなかった。肉の焦げた匂いが辺りに立ち込める。
レイジは撃破を確認すると、射撃装置についているノブを押し、発射筒を分離する。弾頭とカウンターマスが無くなって軽くなった発射筒を捨て、スコープとグリップが一体化した射撃装置だけが手元に残る。これは後々再利用できるので回収して帰ることにした。
「とんでもない威力だな。粉微塵にしちまいやがった」
「そっちは苦労したようだな。ハミドが気絶してたから時間がかかってすまない」
アーロンが答えながらハミドを見る。ハミドはバツが悪そうに頭を掻いていた。破片が見事に顎を捉え、白目を向いていたのだ。アーロンに運ばれている間になんとか意識を取り戻し、今はこうして立っている。
「とりあえず、さっさと俺たちも帰るぞ。もう1匹の方がこないとも限らない。脊髄は潰したが、こいつみたいに動くかもしれんからな」
全員が縦に頷く。今の所、前方集団に護衛がいない。早く合流しないと、襲撃された瞬間全滅が決まってしまう。それは避けなければならない。
走れども走れども、前方集団は見えない。恐らく、時空の歪みを越えたのだろう。実際、時空の歪みまでには何もなかったのだ。そして、時空の歪みが収縮と膨張を繰り返している。全員、嫌な予感がした。飛び込むという選択肢を選ぶのにそう時間はかからない。我先にと時空の歪みへ飛び込んで行った。