1-14 ステルス・エントリー
民家の屋根からレイジが双眼鏡でウィンザーの館を確認する。左のレンズには観測用の十字レティクルが入っていて、門の衛兵をそれで何メモリ分か測り、大体の距離を割り出していた。
「距離約500mだ」
「確認しました。と言っても当てられるような距離ではないですね。もう少し近寄りますか」
レイジのダットサイトは等倍率だから狙いにくい。ケイスケのミニミの照準眼鏡は3倍率だが銃の反動が強い。いずれにせよ、有効射程距離外だ。下手な事をして見つかるのも考えものだ。
「近寄るぞ。お前らの銃、音デカイから出来るだけ撃つな」
パスカルはそう言って屋根を飛び降りる。レイジとケイスケも銃をスリングで提げ、屋根を降りる。下ではショウヘイとハミド、アーロンが待機している。
「どうだ? 行けそうか?」
「門はしっかり固めてるな。どこか静かに突破したいところだ。地下水道ってあそこに通じていないか?」
パスカルは問いかけて来たアーロンに答えつつ、打開策を検討し始めた。ハミドは指をパチンと鳴らし、石畳の道のあちこちにあるマンホールと思わしき蓋のうち、一つを開ける
「ご覧の通り、繋がっております。悪臭さえ我慢すれば裏庭直通便。いかがでございましょう?」
「おふざけはいいから案内しろ。というか、なんで知ってるんだ?」
「昔、依頼でコソ泥に入ったことがあってな」
「その時ウィンザーをぶち殺してくれりゃ楽だったのに」
「俺に死ねと? そんなことしたらミランダに腕ひしぎされちまうよ」
ハミドは肩をすくめる。ただのコソ泥で貴族を殺して地の果てまで追いかけられることになってはたまったものではない。どう考えても割に合わないのだ。そんなことをするわけがない。
「ミランダって誰?」
ショウヘイはアーロンに小声で問いかけると、アーロンは少し考えるようなそぶりを見せ、答えた。
「ハミドの彼女」
「え? ハミドって彼女いるの?」
「そのようだ。とりあえずそれは置いておいて、遅れるぞ」
ちょっと話しているうちにパスカルたちはマンホールに飛び込んでいた。ショウヘイは慌てるようにマンホールに飛び込む。鼻をつく臭いが立ち込めている。中は通路があちこちに広がり、水路が無数に分かれている。これがこの世界の下水システムなのだろう。道があるのは清掃等の作業用だろうか。
レイジとケイスケは既にV8を装着している。パスカルは目に仕込んだ暗号で見えているようだ。アーロンは吸血鬼だから何もしなくても見えているのだろう。ショウヘイはあまりよく見えていない。
「翔平、真ん中ばかり見るな。周辺視だ。中心以外のところで見ろ」
「どうやるのさ?」
「目の中心にある細胞は暗い所を見るのが苦手だから、凝視すると見えなくなる。中心以外のところで物を見るようにしてみろ」
ショウヘイは半信半疑ながらもレイジの言葉に従う。とはいえレイジと違って訓練を受けたわけでもないから、まあいつもよりマシ。そんな程度だ。それでも十分助かる。何も見えないよりは、はるかにマシだ。
レイジとケイスケを後ろから追いかけると、暗視装置からわずかに緑の光が漏れているのが見える。不可視のレーザーを照射して照準をしながら先へ先へと進む。ショウヘイの持つエクリプスMk-Ⅲにはレーザーなんて大層なものはない。この暗闇ではほぼ役立たずだ。
「おい、何かいるか?」
「見えません。パスカルは?」
「今のところは何もいないな。ハミド、その辺にトラップを仕掛けてやれ」
パスカルはまた地面に手をつき、トラップサーチャーを発動する。パスカルがトラップを探している間、ハミドが壁や地面に暗号を書き、トラップを仕掛ける。人を感知した瞬間に爆発するもので、敵味方の識別すらもできてしまう優れものだ。
「おい、トラップ仕掛け終えたがそっちはどうだ?」
「サーチャーに引っかかった。警報系だな。お前の抜け道、バレてるみたいだぜ」
「おいマジかよ、俺っちの抜け道なんだぞ?」
そんな軽口は叩いているが、目は鋭く、周囲を見回している。警報があるということはどこかに敵がいる可能性がある。レイジとケイスケも銃を構えて周辺を警戒する。待ち伏せが来る。そう予想して構えていた。
パスカルのコードディフューザーがトラップを解除し始める。暗号を使っているパスカルは無防備な状態だ。援護しなければ。壁になりそうなものは何もない。
「シュレディンガー、足音が聞こえます。2人くらいかと」
ケイスケが小声で報告する。目の前はT字路だ。どちらからか来るだろう。既にケイスケはその場に伏せ、ミニミ軽機関銃に標準装備されている二脚を立てて射撃体制を取っていた。レイジもしゃがみ、89式小銃を構える。
声も聞こえ始めた。巡回のようだ。足音が近づく。グローブの中が湿り始める。鼓動が高鳴るのを呼吸法で抑えつつ、時を待つ。レーザーサイトから照射された不可視レーザーの線を暗視装置越しに見つめながら。
トリガーにかけた指が今にもトリガーを引いてしまいそうになる。それを抑え、ひたすらに待つ。待ち伏せは我慢比べだ。来る、来る。その緊張と戦い続けなければならない。
足音が遠ざかり始めた。引き返して行ったのだろう。パスカルのコードディフューザーもその役目を終えたらしく、光が消え始めた。上手いこと光を隠しながら解除したのだろう。パスカルは額に汗をかいていた。
一瞬の安堵。ケイスケはミニミ軽機関銃の安全装置をかけてからバイポッドを畳み、レイジは銃口と視線をリンクさせたまま辺りをサーチし、敵が本当にこないことを確認してから安全装置をかけて銃口を下ろした。
無言でハミドが先頭に立つ。道を知っているのはハミドだけだ。誘導してもらわなければならない。下水道は迷宮のようになっているのだ。迷ってもマンホールから脱出はできるが目的地にはたどり着けなくなってしまう。
ハミドはカトラスを抜いたまま前へ進む。その両隣にレイジとケイスケが並んで援護態勢をとる。角から何が来るかわかったものではない。パスカルは周囲を見渡し、眉を顰めていた。
「ハミド、そこはどっちに曲がればいい?」
「左だ。そのまま道なりに行けば奴の屋敷。どうやら地下水路が奴の秘密の脱出口にでもなってるらしいんだ。迷わないようになってる」
「なるほど。おい、走れ」
パスカルはそういうと走り出し、曲がり角から飛び出す。強行突破を決め込むようだ。遅れて反応したレイジとケイスケもそれについて行く。
「あーりゃりゃ、行っちまった……」
ハミドはふと振り向いて凍りついた。壁を赤い光の線が這い、暗号を形作り始めていた。ハミドにはその暗号が何かわかった。爆発型のトラップだ。トラップサーチャーを前に出していたため、後ろにあったのを見落としたらしい。パスカルはそれにいち早く気づいて、解除が間に合わないと見て逃げたらしい。
「ショウヘイ! ハミド! 走れ!」
アーロンが叫びつつ、後方に暗号を書き記した札を投げる。札が当たったところから青白い波動が周囲に広がる。とはいえ爆発を抑えるものではないらしく、アーロンは全力で走っていた。
ショウヘイとハミドも走りだし、角に飛び込んだ瞬間トラップが爆発し、辺りに爆風と破片を撒き散らす。だが音はしない。
「やれやれ、潜入なんだから音を出すわけにはいかないだろう? 貴重なデッドサイレンスの暗号なんだからあまり使わせないでくれ」
「音消しか? 便利だな」
レイジは一言言いながら荒く呼吸をする。アーロンの投げた札に仕込まれていた暗号が音を消す暗号だったようだ。あちこち壊れたが問題はなく、音も聞こえなかったから警戒員に気づかれた可能性もないだろう。
「ハミド、アーロン。前から2人来るぞ。どうする? お前らで始末するか?」
パスカルの指差す先、緩いカーブからはランタンの灯りが漏れて来ていた。敵が歩いて来ているのだ。このままでは鉢合わせとなってしまうだろう。
「そうだな、お前にばっかりやらせてられねえよ」
ハミドはカトラスを構え、アーロンは手を体の前にかざし、片手剣を実体化させた。2人で仕留めるつもりのようだ。任せるべきだろう。レイジはそう判断してその場にしゃがみ、壁に身を寄せて周辺の警戒に移った。
アーロンがデッドサイレンスの札を投げ、周囲を無音にする。それを合図に角を飛び出し、2人は得物を手に突撃して行く。敵が叫ぼうとするが、無音にされているため誰にもその声が届くことはない。
片方がライフルに取り付けた銃剣で突く。ハミドはそれをカトラスで上手く絡めとり、弾き飛ばす。そして刃を返して肩口から脇腹までを切り裂き、水路へと蹴飛ばした。敵はそのまま水路へ落ちる。隠しておいたのだろう。
もう片方は咄嗟に対応できなかったようだ。アーロンの片手剣に横薙ぎに斬りつけられ、同じく水路へ落ちていく。暗い下水道に落ちたなら、しばらく見つかることはないだろう。
行くぞ、とハミドが手招きする。パスカルはそれを確認して進みだす。後続のレイジたちもそれについて進んで行く。巡回を始末したからしばらくは楽に進めるだろう。
だがそれでも緊張が解けるわけではない。むしろ張り詰めている。半長靴の底が地面を叩く音でさえよく響いているように聞こえる。てっぱちのなかはもう汗でジメジメとしている。
ハミドが前方のハシゴを指差した。あれが目的地ということだろう。上から待ち伏せされたらたまったものではない。だが上がれるのはそこだけだ。
「自分が行きます。ちょっとこれ持ってて」
「え、待って……って重っ!?」
ケイスケはミニミ軽機関銃をショウヘイに預けると、迷彩柄のネックウォーマーで顔を覆い、拳銃を抜いてハシゴを片手で登り始めた。レイジはその下で89式小銃を上に向けて構え、バッグアップの体制をとる。
「シュレディンガー、援護位置についた」
「了解、ホラティウス行きます」
拳銃を握ったままの手で慎重に蓋をを押し上げながらゆっくり外を見ていく。敵がいないと確認しながら開く。と、30度くらいまで傾斜がついたところで、誰かの指が蓋を掴み、一気に開けた。敵兵とケイスケの目が合う。
咄嗟に動いたのはケイスケだった。体をはしごに引きつけつつ、拳銃を片手で構えて発砲する。そして、体を引きつけたことでレイジの射線も開き、レイジも支援射撃を始めた。拳銃弾2発、小銃弾2発を体に受けた敵兵は力を失って前に倒れ込み、そのままマンホールに転落した。
肉の潰れる音と骨が砕ける音に、ショウヘイは思わず吐き気を催してしまう。胃から内容物が溢れ出してきて、ミニミを適当にその辺に置いて、逆流してきたものを全て下水道へと吐いた。余りの光景だった。
「ほらよ、口すすげ。胃酸で歯が溶けるぞ」
レイジはショウヘイへと水筒を差し出す。ショウヘイはそれを受け取って水を口に含むと、口の中を念入りにすすいで吐き捨てた。水筒を受け取るなりレイジはそれを腰に戻し、カラビナを掛けて脱落防止をした。何でもかんでもカラビナ付きの紐で落っこちないように脱落防止をするのが自衛隊流だ。
「ごめん、流石に今のは……」
「仕方ねえ。あんなもん見たら最初は誰でもそうだ。とりあえずさっさと上がるぞ。銃声に気づかれたはずだ。ここじゃ蜂の巣にされて終わりだぞ」
既にケイスケが上に上がって周囲を警戒しているが、拳銃1丁では分が悪い。すぐにミニミを届けてやらなければ。レイジはショウヘイの置いたミニミを粒子化してひょいひょいとハシゴを登っていく。兄が遠くていってしまう。ショウヘイはそれをただ見守っているしかなかった。
レイジは登り終えるとケイスケにミニミ軽機関銃を渡し、自身も89式小銃を構えて周辺の警戒につく。パスカルたちが登って来るのを援護するのだ。庭の植え込みに隠されていたマンホールから出て、茂みに迷彩を活かして隠れておく。
「よう、災難だったな」
「翔平くんの方が災難ですよ。仕方ないですが」
「これでへこたれたら次から留守番だ。これが、戦場なんだ。これで足を止めたら生き残れない」
レイジは戦いに関してはシビアだ。例え弟でも作戦遂行に支障をきたすなら最初から外しておく。それは正しいのかどうかは人によって変わる。正誤は人によって変わることなんていくらでもあるのだ。だから、自分が信じる正に従う。それだけの話なのだ。
「何ででしょうか。ああいうもの見るのが初めてじゃない気がします」
「救急法の教育でエグい写真見たからじゃないか? 1人くらい途中で吐きに行っただろ」
「それにしては、違う気もしますがね……」
そんなことを今考えても仕方ない。レイジがそうため息をついていたら、ケイスケが側頭部を抱えてうずくまり始めた。
「なんだ、偏頭痛か?」
「違う……これは……民間人が……」
「おい大丈夫か?」
レイジがケイスケの肩を叩くと、ケイスケは我に返ったように目を見開いた。額に汗をびっしょりとかいている。
「すみません、何か見えた気がして……なんだったんでしょうか……」
「わからん。今は目先の任務の方にしよう」
レイジは今はどうしようもないと結論づけ、パスカルたちが登り切るまで集中し直すことで忘れようとした。