プロローグ
初めまして、リンクスです。なろうでは初めての投稿となります。どうかごゆるりとお付き合いください
夜空というものは心を洗ってくれる。晴れた日は特にそうだ。どこまでも広がる夜空と小さな光を見つめるだけで、心は穏やかになっていく。
清浄で、何にも染まらぬ宵闇。それを照らす無数の星々、我の存在ここにありと主張する月。それは違う世界でも変わらずそこにあった。
肌寒く感じる風が頬を撫でる。吐息は白く、散らばっては宵闇に溶けていく。月を背に黒い蝶が飛んでいくのが見えた。羽は緑に光り、飛びながら燐光を撒き散らし、軌跡を描いていく。その姿が目から離れなくて、いつまでも目で追い続けている。
手に握るボルトアクションライフルの木製グリップからは金属やプラスチックとは違う温もりと、命を奪う冷たさが伝わってくる。物を言わぬ殺意の塊が手の中にある。夜の風の冷たさとは違う冷たさが手に伝わってきていた。
「んじゃ、始めるとするか」
「名誉のために」
高い壁の上から街を見渡す迷彩服姿の男2人はそう呟く。その後ろからついていく俺はベージュの戦闘服を着て、黒い前開きのポンチョを纏っている。着慣れないこの服に着られているようで随分滑稽に見える。ブーツも傷ひとつないピカピカのものだ。みるからに新兵。訓練を積んだことのない学生だったのだから、新兵にも劣るだろう。
「抜かるなよ。お前らにかかってる」
背後から声をかける男は黒の短髪の青年で、目つきはそんなに良くない。同じ黒のポンチョに身を包み、その袖口には仕込みナイフが隠されている。この暗闇でも彼には辺りが見えている。右目とその周辺に書き込まれた魔法陣が暗視の役割を果たしているのだ。
そして彼は地面に手のひらをつける。手の甲が青白く光り、そこから無数の青白い光を放つ線が伸びていく。地上の星と星をつないで、星座を形作るようにも思えるそれは、仕掛けられたトラップを探し出して解除していく。前進経路を確保しているのだ。
魔法使いと自衛官という不可解なこの状況(兄貴はあと6年もすれば魔法使いの自衛官になれるのだが)で俺は何ができるのだろうか。特に何ができるとは思えないが、とりあえず今は荷物持ちと、唯一使える魔法を使ってついていこう。
この先に何が待ち受けているのかが楽しみで仕方ない。死と隣り合わせの場所に行くはずなのに、なぜか心が踊る。もしかしたら、俺は刺激を求めていたのかも知れない。
「行くぞ。状況開始」
二脚の取り外された89式小銃を構えた兄がゆっくり身を起こし、前進を始めた。苦難への進軍が始まる。この先の未来のために、俺たちは足を踏み出すほかなかった。
生き残りたい。そんな思いを胸に秘めながら、初めて握る銃と共に、俺はゆっくりと歩き出した。長い長い旅路への第一歩を。
※
「クソ! 早くぶっ壊せ!」
「やってる! 硬すぎるんだよ!」
鋼鉄の壁に覆われた廊下で、後ろから壁がゆっくりと迫ってくる。前の鋼鉄の扉は開く気配がない。ゆっくり侵入者に迫り、押しつぶされる絶望を味わわせようという悪趣味なものだろう。ギリ、ギリという金属が擦れる不快な音が恐怖を増幅させる。
「こんな所で死ぬわけには行かねえんだよ! 帰らなきゃ……! 帰りたいんだよ!」
俺は持っていたライフルの木製の銃床をひたすら扉に打ち付ける。兄貴のロケットランチャーは近すぎるが故に撃てない。後方の安全距離が確保できないのだ。
爆破の魔法を打ち込む仲間も焦りが見えてきていた。幾ら火力を増しても扉が破れないのだ。このままでは壊せるとしても間に合わずに押しつぶされてしまう。
叫ぶ声が木霊する。恐怖が支配する中でも、誰も絶望を口にしない。この窮地を切り抜けられると信じているか、敢えて口にしないだけなのか。
若い機関銃手がスレッジハンマーを振り回して扉をぶん殴る。鈍い金属音が響くが、凹む様子すらない。傷が増えるだけだ。雄叫びとともにハンマーが振り下ろされ、ただ傷を増やしていく。
6人で殴っても扉はビクともせず、後ろからはじわじわと壁が迫る。この窮地を乗り切る策がないかと考え、ひとつ見つけた。使えるかどうかはわからない。 ただ、この状況を切り抜けられるかどうかは、この鉄粉をくっ付けたテープが考え通りに燃えてくれるかどうかに掛かっているのは確かだ。
役に立てるのは今しかない。戦えない代わりに、知識でみんなを守る。きっと、この異世界に送られた俺の役目はそれなのだろう。
この世界に送り込まれてから窮地は何度も訪れた。俺たちは生きて帰ることを望まれていないかのように、死に直面する機会が幾度となく訪れた。その度に兄や周りの仲間に救われた。だから、今度は自分が動かなければならない。いつまでも負んぶに抱っこではいられないのだ。
「兄貴! こいつでこの扉を破る!」
「分かった! お前に任せる!」
迫り来る死、落ち着いている気になっているが心は恐怖を感じ、手元が狂いそうになる。落ち着け、俺ならやれるから、そう自分に言い聞かせて作業に取り掛かる。仲間たちは壁の足止めをしようと必死になる。この手に、この身にいくつもの命が預けられた。
失ってはならない。未来のために。負けてはならない。生きるために。
※
吹き抜ける風は冷たく、羽織ったポンチョをたなびかせる。この世界の星空はずっと俺を見守ってくれていた。あれからどれだけの時が流れたのだろう。ブーツは傷だらけで、戦闘服も継ぎ接ぎだらけだ。ライフルもいい感じに味を出すようになった。新兵らしさは消えて、いつの間にか歴戦の雰囲気を醸し出すようになっていた。
時には森の中を駆け抜け、砂漠を彷徨い、新しい都市に心を踊らせる。そんな冒険が待っていた。
発見に心を踊らせ、自分の力を役立てられた時に胸が高鳴り、新しい出会いにときめく。また、戦争の惨状に心を抉られ、厳しい現実を前に膝をつき、己の無力さに絶望を感じた。
この辺りでまとめるとしよう。俺たちが生きた時間のこと、仲間たちのこと、忘れたくないことを、そして……誰かの心の中で生きているために、世界にひっそりと残した俺たちの足跡を、ここに記すことにしよう。
俺たちが生きた世界の記録を、もう帰ることの叶わないであろう世界に届けることができる事を願いながら、また手記を記していこうと思う。
2人で1人の、俺と兄貴、そして、周りの人たちの事もひっくるめて記憶に残しておくために。膨大な時間の中に消えてしまわないように。
「俺たちは出来る」
「俺たちが終わらせてやる」
俺の握るライフルのグリップを、兄貴が反対側から握り、2人で同時に引き金を引いた。それと同時に、2人で叫ぶ。その神の名を。
「——!」
点火した火薬の爆音は男2人の声すらも搔き消し、残響が消えるまでに時間を要した。