クララとグラムと氾濫
おじいさんに言われて、クラークさんが不貞腐れた顔のクララを連れて着た。
気のせいかクラークさんの顔色も悪かった。
村で見たクララとはちょっと感じが違うけど、年齢を重ねたら同じになるのかもしれないって思った。
「クララ、この子に素材を渡せと言ったのかい?」
おじいさんは穏やかに聞いた。
「その子から返したいと言って来たんです。わざわざダンジョンに呼び出されて行ったら怒り出して」
はぃ?
…呆れておじいさんを見てしまった。
「この子が何故素材を持ってるのか、クララは知ってた様だね。誰から聞いたのかな」
おじいさんは口調を変えないで聞いた。
「もちろん孫のクラークからよ。氾濫の討伐に行かせたら戻って来なくて素材を持ち逃げされたって困ってたから、私が取り返しに行ってあげたのよ」
クララは、話のつじつまが合わないとか思わないの?
胸を張るクララをおじいさんが可哀想な子を見る目で見て、次に厳しい顔でクラークさんをチラッと見た。
「氾濫の討伐に行った時はこの姿じゃなかったのに良く分かったね」
おじいさんがクララを誉める口調だったから、クララも安心して話しだした。
「勿論よ。金髪になって変装して行くように、ってクラークがこの子に命令したのよ」
おじいさんは1度ゆっくり息を吐いてから、クララに話し出した。
「氾濫を鎮めたのは少女だよ。この少年じゃない。真実と違うことを言ってはいけないよ」
「嘘よ。クラークは少女が少年に変装して偽のギルドカードも持ってるって言ったもの」
思わずクララの隣で横を向いてるクラークさんをキッと睨んでしまった。
クラークさんがそこまで話してしまってたら、もうおじいさんでも誤魔化せないだろう。
覚悟を決めるしかない。
止めていた息をゆっくり吐き出した。
「もう逃げられないわよ。この泥棒猫、猫ばばした素材を速く出しなさいよ!」
掴み掛かってこようとしたクララを、おじいさんがやんわり止めて奥に声を掛けた。
「クララを静かにさせてくれ」
奥から知らない青年が現れて、クララに手をかざしたら急に大人しくなった。
え?
幼い子供のように、クララは青年に手を引かれて奥へと連れて行かれた。
何が起きたの?
退場するクララとおじいさんを交互に見た。
「さてクラーク。前回も、今回も同じ過ちを繰り返すのは愚か者だ、とあれほど説いても分からぬのか」
「そんなつもりでクララに話したつもりはない」
「結果又同じ過ちを繰り返しておる」
あ、クララがチェスター国を出されて帰れなかったのは、クラークさんのせいなの?
でも、ハルナツさんの村で会ったクララは、そんな話1つもしていなかった。
何故?
「お前の審判は神に委ねよう」
おじいさんの静かな声に、クラークさんがぐらぐらと椅子からずり落ちた。
「クラークを奥へ」
さっきとは違う青年が奥から出て来て、絶望してるクラークさんを促した。
「ルアンには説明が必要そうだのう」
おじいさんは、クララとクラークさんの関係を短く説明してくれた。
「クラークはクララに負い目があるから、クララには逆らえないのじゃ」
『負い目?』
古い昔、川で溺れたクラークを助けるためにクララの娘、クラークの母親が死んだ。
「クララは事ある度にクラークに思い出させ、クラークはそれを自分の罪として受け入れてきたんじゃ」
『クララは生まれ変わっても言い続けるんですか?』
おじいさんは頷いて、それに打ち勝つ精神力をクラークさんが持つよう今まで導いきたと言った。
「クララから離れたクラークは、チェスター国の門番を任せられるほど信頼できる男なだけに残念じゃ」
再会しないはずのクララとクラークさんを、私が引き合わせてしまったんだ…。
私がクララと会ったと念話した時、クラークさんが受けた衝撃の強さが想像できた。
絶対的な相手に対する恐怖。
私も父親に逆らえなかったから、クラークさんの言いなりになってしまう気持ちは自分と同じだと十分理解できた。
2人を会わせてしまった事への罪悪感が津波のように押し寄せてきて、クラークさんへ持っていた不信感がすぅーっと消えていった。
「気に病む事はない。それが巡り合わせよ」
おじいさんは、クララのチェスター国での記憶を抜いてモナーク国への馬車に乗せると言った。
『記憶を抜いて?でもハルナツさんの村でのクララはチェスター国の記憶がありました』
「執着が強すぎて、消しきれなかったようでの」
チェスター国で何をしたかの記憶は消えていたから、捨て置いたとおじいさんが言った。
そう聞いて、ハルナツさんの村のクララとおじいさんの話すクララが重なった。
「クララの様に記憶を消してモナーク国へ送られる者は数年に1人での。大半は送って直ぐに消える」
『私が知ってるだけで、冒険者5人がモナーク国に行ってますけど、それは?』
「自分の意思でモナーク国へ行く者たちは、このチェスター国では物足りない輩でのう。止められん」
物足りない?
頭の中に10の町の無口な少年が浮かんだ。
彼は自分の意思で11の町へ行ったんじゃないから、帰りたいと思ったとき帰って来れたんだ。
なら私は?
自分の意思でチェスター国から出たよ?
疑問をそのままおじいさんに聞いた。
「ルアンは神の使命を受けて氷の竜に会いに行く者。神の箱庭のチェスター国が拒むはずがない」
おじいさんのところから14の町へ転移した。
早目に宿へ落ち着いておじいさんの話を考えた。
『グラムはどうしてるの?探しても反応が無いくて』
「わしにも分からん。恐らくは魔物の氾濫を起こす力を己の回復に使っておるのだろう」
回復が済めば一気に溢れるとおじいさんは言った。
魔物の魔力を回復に使っている?
私1人じゃ途中で魔力切れを起こすから、悔しい気もするけど魔物の力を借りるのは当然だと思った。
回復するまでどれくらい掛かるんだろう。
そしてその時、グラムは正気なんだろうか。
1人で考え始めると悲観的になってしまうから、お風呂に入って今は忘れてしまおう。
翌日から攻略を始めたダンジョンは、雑魚雑魚雑魚でうんざりしたけど収穫は2つと上々だった。
3日潜って初級で出てないのは残り8つ。
中級も半分以上埋まっている。
これならいけるかも。
コレクターの性がひっそりフルコンプを期待してた。
14の町に4日居て、夕方に20の町へ転移した。
温泉宿に行ったら、部屋は1杯だから違う宿に泊まるように言われてしまった。
諦めて、ダンジョンに近い宿を選んで部屋を取った。
夕飯の前に日課の地図を開いて、一瞬息が止まった。
朝には何の兆しも無かった。
なのに今は、今日明日には大規模な氾濫が30の町を襲うところまで迫っていた。
私が20の町に居る時にこんな信じられないような偶然が起こるなんて、これが神の采配なのかと疑ってしまう。
急いで冒険者ギルドに向かった。
町の人は氾濫が起こってる事を知らないから、のんびり歩いてて私の苛立ちを増長した。
冒険者ギルドに着いてあの青年を探してもいなくて、ますます焦りだけが増していく。
どうしよう。
私が慌ててるのにギルドの職員は全然慌ててなくて、もしかしたら氾濫は私の見間違いだったんじゃないかって思えてきてしまって、もう1度地図を見直した。
あ、…。
慌てて飛んできたけど、氾濫はまだ30の町へ届いてないし王都を襲ってもいない。
これって…私の早合点で、先走りだ。
大きく深呼吸して、宿の部屋に転移した。
待つしかない。
今はグラムが王都に着くまで待つしかなかった。
こう言うのを「手をこまねいて」って言うのかな。
それか「だるまさん」の手も足も出ない?
違う感じがするけど、ただ待つのは辛かった。
朝になって。
氾濫は30の町の直ぐ手前まで迫っていた。
朝食を食べてもダンジョンに行かない私を怪しんで、宿のおじさんが部屋の前の廊下をうろうろした。
追い出されるようにダンジョンに潜ったけど、注意力散漫で何度も先手を取られて冷や汗が出た。
進展無いのに、つい地図を開いて見てしまう。
これじゃ駄目だ。
もしここで死んじゃったら、後悔しか残らない。
冷静になろう。
何度も何度も深呼吸して、始めから潜り直した。
待つだけしか出来ないなら、目の前の事をしよう。
そう自分に言い聞かせた。
夕食の前に地図を見たら、氾濫は30の町の前で足踏みしてるみたいに見えた。
グラムが私を待ってる?
動かない地図に、そう錯覚してしまいそうだった。
30の町に取り残された住民たちは、どこかに逃げられただろうか。
逃げる最後のチャンスは今しかない。
前は魔物で後ろは陥没した穴だから、逃げるとしたら町を囲む森を抜けて隣の町か近くの村へだ。
チラッとノアンの顔が頭を過ったけど、助けに行って絡まれるのは嫌だった。
氾濫はもう目の前なのに、宿の食堂で30の町の話は不思議なくらい出ない。
何故?
氾濫が30の町を襲うのを誰も知らないの?
まさか、軍が情報操作してるの?
状況を知りたくて、夕食の後冒険者ギルドへ行った。
冒険者ギルドは静かだった。
依頼完了の冒険者もまばらになって、職員も夜勤の人と交代してるところだった。
昨日も居なかったけど、今日もあの青年は居ない。
嫌な予感で背中がぞくぞくした。
宿に戻って、チェスター国のおじいさんの元へ転移したら、難しい顔のおじいさんとクラークさんを除いた3人のおじさんが集まっていた。
『どうしたんですか?』
おじさんの1人に末席を勧められて座った。
「孫がモナークの軍に捕まった」
おじいさんが消耗して疲れた顔で言った。
え?
捕まった?
瞬間頭の中に隷属の首輪を付けたグラムが浮かんだ。
『まさか首輪を…』
「チェスターの国民に首輪は意味がない」
おじさんの1人が重い口調で言った。
おじいさんを気遣って、他の2人も頷いた。
『私にも?』
「ルアンは神の使命を受けた者、国民と同じか否は我々の決める事ではない」
おじさんの話だと、チェスター国の青年5人で今後の予定を確認してるところに軍が乗り込んだらしい。
遅れてきたもう1人が、捕まった5人が連れて行かれた現場を見ていて知らせてきたそうだ。
まさかあの茶髪の青年の思惑に?
想像するだけで胸がぎゅっと締め付けられる。
『どこへ連れて行かれたか、分かってるんですか?』
「モナーク国の王都だろう」
「結界が張ってあって場所を特定させないが、軍の施設にも冒険者ギルドにも5人の姿はない」
『何のために?』
「氾濫を討伐させるための人質だろう」
不思議だった。
何故王都に?
モナーク軍は氾濫のボスがグラムだと分かってないはず、と思ってハッとした。
私も思い込んでて、グラムなのか確かめてない。
『ボスはグラムですか?』
「龍人だ。偵察に行った者が全身の波紋を見ている」
『別の龍人の可能性は?』
「無い。魔力の色が同じだ」
魔力の色?
それって波長の事?
使う属性で魔物の魔力の波が区別できる、と前にプレイヤーの1人が威張ってたけどそれの事?
私には区別出来ないからおじさんを信じるしかない。
気持ちが動揺してて、ぎゅっと目を瞑った。
「もうすぐ氾濫が30の町に届く」
おじさんも声が硬い。
夜の闇に融けてグラムが30の町を襲う。
目を瞑るとその姿が見えるようだった。
奥から少女が来て、おじいさんにメモを渡した。
「やはり来たか」
おじいさんがメモを隣のおじさんに渡して、受け取ったおじさんは読んで次のおじさんに渡した。
3人目のおじさんは、躊躇い無く私に寄越した。
メモにはスパイを5人捕まえたと書いてあって、5人は氾濫が襲うであろう王都に移してある、とあった。
さっきの疑問の答えはメモに書いてあった。
メモには5人を引き渡す条件に、魔法使いをモナーク軍で従事させろとあった。
私を差し出して今を乗りきっても、次は私にチェスター国が脅かされる。
「捕まったと見せて5人を奪還出来ないか」
おじさんの1人の無茶な言い分に笑いが出た。
モナーク国もチェスター国も、自分たちに都合の良い事ばかり要求してくる。
氷の竜に見離されても当然だと思えてきた。
もうここへ居る意味も無い。
立ち上がって、転移する前におじいさんを見た。
「待ってくれ」
おじいさんが震える声で呼び止めて、距離が離れてるのに私に体ごと手を伸ばしてきた。
「君に見離されたらチェスター国の明日はない」
言ったおじさんも、おじいさんの悲痛な声で自分が何を言ったか気付いて手で口をふさいでいた。
『ここは『神の箱庭』私が居なくても、神はこの国を見離したりしない』
「そうではない。神は君を使わしてこの国を、いや人間と獣人を試しているんじゃ」
おじいさんは震える手を私に伸ばして言った。
距離があるから捕まる心配は無いけど、すがられてるような嫌な気持ちだった。
『そうと知っているなら何故改めない。今回の事も私にさせたら神の目にはどう写るのだろう』
おじいさんだけじゃなく、おじさんたちも怯えた顔で私を見てきた。
私は、その顔に答える言葉を知らない。