『徳川イエス』
キリシタン大名徳川イエスが天下を握ってエド幕府を開いてから、我が国の歴史は大変換をみせた。
神道は軽んじられ、仏教徒は弾圧された。ときの帝は御怒りで抗議の御譲位をあそばされたし、僧侶や仏教徒は信仰のため“隠れブディスト”となったりした。
仏徒一揆は各地でおこったがことごとく弾圧され、寺院は破壊された。その跡地には次々と教会が建てられていった。
国中の他の建物も西洋風の造りに改められ、人々は洋服を身にまとった。藩主から庶民までみな洗礼を強要された。
伊達マンショ、前田ミゲル、毛利マルチノ、島津ジュリアン……。
やがてそんな無理がたたり、大規模なクーデターがおこった。神のもとに平等という考え方が、主従の関係を希薄にしたことも大きかった。自害を拒否した徳川イエスは磔に処された。
そして……。
――徳川イエスは復活した。しかし、それは戦国大名としてではなかった。歪んだエド時代にとってはパラレルワールドにあたる、現在の我が国に復活したのだ。
神は言った。
「汝が生まれることなく時を経た汝の国の末路だ」
「ああ、主よ、私はどんな困難にも耐えてみせます」
しかし彼は、異常な状況を飲み込んだのか、ひどく落胆した。
――私の理想はここまでか。
しかし彼は、主やキリストを讃える歌を耳にしたり、飾り付けを目にするにあたって、希望が湧いてきた。
そう、街はクリスマスムード一色であった。
よく見ると街じゅうの見慣れぬ建物には英語の看板が立ち並び、人々は変わった洋服を身にまとっている。
目の前を女の子が通り過ぎる。
「これ、真理亜、待ちなさい」
父親が呼び掛ける。
目の前を男の子が通り過ぎる。
「これ、瑠偉、待ちなさい」
母親が呼び掛ける。
徳川イエスは思った。
「幼い子供までがみな洗礼している。どうやら私のいない世の中でも私の理想は叶っているらしい。神よ、感謝申し上げます。アーメン」
ナンセンスなオチをお赦し下さい。