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銀座

作者: tokoro10

 私の家というのは裕福な家庭ではなかったものの、一家三人食い道楽だった。幼い頃から、何度か銀座の鳥ぎん本店に連れてきてもらったことがある。今はすっかり美しい店舗へと変わったが、私が両親に連れてきてもらったお店は、もっと煙たくって壁一面に芸能人のサインがびっしりと飾られていて、隣の席との感覚も近くって、煩い印象の店だった。地下鉄銀座駅の数寄屋橋交差点出口の石の階段を登って、ソニービルの交差点にくると、その大きさに東京に住む田舎者ならではの関心を抱いたものだ。そのあたりに来ると両親は鳥ぎんの場所を覚えているか?と私に尋ねる。わかる、と言って先導して細い路地の先にあったんだったな、隣にゲームセンターがあったんだったな、と思い出しながら、仰ぎ見るようなビルの林に行き交う、大人たちの間を早足になって店を目指すのだった。当時は言葉で理解はしていなかったろうが、さしずめ「今日は銀座。鳥ぎん。さあ、美味しく幸せな時間がはじまるぞ」といった期待に胸をふくらませて、笑顔で歩をすすめていたに違いない。

 私の母は料理上手で、美味しく食べるための一手間を惜しまない人。だから、ご飯を食べるために箸を並べたりすることは幼い頃から手伝わされたし、料理ができあがれば、温かいものは温かいうちに、冷たいものは冷たいうちに食べろ、といわれた。そういう教育というか、薫陶というのか、我が家の家風というのか、価値観めいたものは受け継がれるもので、同棲相手と食卓を囲む際、料理を作った私の口からは母と同じ文句が出てきた時に、私が母の息子なのだとはじめて気づかされた。そんな愛情を一身に受けてきたのだから、大概のものは美味しく食べてきたものだが、大切なお金を使っても家族でゆきたいと思わせてくれたのが鳥ぎんだったのだろう。

 鳥ぎんでは、焼き鳥は勿論のこと、スープや釜飯が格別で、幼心に感じたあの味わいは、遊園地に連れていってもらう楽しさではなく、母のコーディネイトながら自分が一番似合うといわれるような服を着させられているせいなのか、七五三の時に感じた大人たちからの扱いを思い出させてくれて、晴れ晴れとした気持ちにさせられる味だった。

 私が大人になって、これまで特別な供応をする機会があっても、鳥ぎんに誰かを連れていくなんてことはしたことがない。決まって、鳥ぎんに連れていく人は大事にしたい、家族のような情交をする相手だけに自然となっていた。同棲相手とは、とうとう鳥ぎんには来れなかった。精神の具合があまりにもよくない状況だったので、実家で療養している中、私の目の届かぬところで自殺してしまった。幼いあの日に来た煩い鳥ぎんではなくなっているけれど、あの当時から通っているのだろうなという老いた客を見ると、両親と共に鳥ぎんに来れる回数があと僅かも無いことに気がついてしまう。

 これまで数年間、私は自分らしい人間性を打ち捨てていた。あきらめていた。とうに終わったのだと思い込んでいた。だけど、ようやく私が何者なのかわかった今。あの鳥ぎんに両親を連れていきたいのだと、銀座が気づかせてくれた。

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