下
「では、ほんのちょっとだけ国枝君の票が多かったので、指揮者は国枝君に決定です。はい、拍手―」
ぱちぱちぱち。
まだらな拍手が鳴り響くなか、僕は茫然とした表情で立っていた。
えっ?
この教師はなんと言った?
ほんのちょっとの差だと?
ほんのちょっとの差?
どういうことだよ。
つまり。
僕が。
僕が学年の嫌われ者のあいつと同レベルってことなのか。
いや、半数近くがあいつにいれたってことは。
僕をあいつより嫌っている人が半数弱もいるってことだぞ。
おいおい。
嘘だろ。
嘘だと言ってくれよ。
ふと、隣を見ると、絶望した僕とは対照的に、毒島は結果に対して意外そうな、誇らしそうな顔で立っていた。
俺ってけっこう人気あるじゃん、とでも言いたげだ。
毒島が強いいじめっ子だったら。
みんなはこいつが怖くて票を入れたって、自分を納得させられる。
でも、毒島は弱い。
それに僕と毒島には誰が手を上げたかはわからないようにしたのだ。
無理に毒島に票を入れる必要はない。
だから、僕は。
いや。
そんなはずはない。
僕は力なく笑うと舞台を降りて、一番後ろにいるクラスメイトに声をかけた。
「なあ、日野。僕と毒島って何対何だったの?」
日野は新聞部部長で物事をよく観察し調べる。そして正直者。
位置からして日野は生徒全員を見渡せたはずだ。
日野はとまどったような顔をして言った。
「い、いや……。俺、よく見てなかったよ」
ははは。
何だよ。
僕に気を使うなよ。
僕をさけるなよ。
僕を憐れむな。
みじめじゃないか。
泣きたくなるじゃないか。
そうか。
僕はすごく嫌われてたんだな。
滑稽だよ。
馬鹿にしてた毒島並に嫌われてたんだぜ。
「……学校。やめよっかな」
ポツリとつぶやく。
もう、みんなと会話する自信がない。
不登校になろうか。
どうせ卒業はできるだろ。
今まで不登校なやつはいじめられていなければ、怠け者か根性がないって思っていたけど、実は僕並にすごく嫌われているのかもしれないな。
でも、不登校だと親に迷惑かけるな。
「死のうかな」
年間三万人の自殺者が日本にはいる。
一人増えたところで、たいしたことないじゃないか。
「はあ」
別に、自分が人気者だとは思ってないさ。
性格が合わない人もいるし、生きていれば誰かには嫌われるものだと思っている。
でも、こんなにも嫌われているとは思わなかったんだ。
もう、どうでもいいや。
放課後、僕は家に帰り、母親に寝るから部屋に入らないで、友達が来ても疲れているからと断ってと伝えた。
布団にくるまり静かに嗚咽をもらした。
チャイムの音がした。玄関が開く音。
あの子ったら元気ないのよ、はげましてあげて、という母親の声。
階段を上がる音がする。ノックもなしに扉が開けられる。
「なに、泣いてるの?」
声でわかる。白雪だ。
僕の言いつけを守らない母親といい白雪といい、空気を読まなさすぎる。
「今日はジャンプの発売日じゃないぞ、白雪」
「知ってるわよ、そんなこと」
「帰れって言ってんだよ! もう、僕の家に来るなよ白雪。ほんとは僕のこと嫌いなんだろ、かわいそうなやつって同情してんだろ! 同情されるのは大嫌いなんだよ、人を見下して助けもしないくせにいい人ぶってやがる。人を馬鹿にするやつのほうが勘違いしてないだけずっとましだ」
白雪は背負っていたランドセルを布団にくるまる僕に投げつけた。
痛え。
「言彦、あなた馬鹿ね。
とんでもない馬鹿よ。
馬鹿すぎて罵倒する気も起きないわ。
大馬鹿よ」
僕は布団から起きた。
「お前。何のために僕の家に来たんだよ?」
「なぐさめようと思って。でも、違うのをお望みのようだからののしってあげたの。とんでもない趣味ね」
「いや、そんな趣味無いから」
「ねえ。正直者ほど損をするってのは本当のことみたいね」
「何の話だよ」
「あなたの話。どうしてそんなにショックを受けているの?」
「僕がむちゃくちゃ嫌われていると知ったからだよ。僕は約束は守るし、人が嫌がることはできるだけしないように生きてきた。でも、ほんとうはすごく嫌われていたんだ。僕の生き方を否定されたんだよ!」
「否定されたらすぐに生き方を変えるの? 何も考えずに? 否定した人は責任をとってくれるの? 言彦がコンクリで固められて三河湾に沈められて魚についばまれているとき、藤前干潟で動けなくされて野鳥の餌になっているとき、責任をとってくれるの?」
「おい、変なフラグたてようとするのやめろ」
「結局、責任をとるのは自分自身でしょ。自分で考えて自分で決めなさい。なぜ、あんなことになったのかわからないの?」
「……。指揮者になれば歌わなくて済む、そう楽しそうに友達に言ったことがある。その話が広まって、動機が不純だからと嫌われたのかな。でも、僕は動機なんてどうでもいいと思っている。女の子にもてたいからスポーツをしようが、お金持ちになりたいから政治家になろうが。大事なのは努力をして結果を出すことだと思っている。その考えが嫌われたのか?」
「みんな知っているわよ。あなたが音痴なことも、歌いたくないことも、それでも合唱会に参加したいと思ってがんばっていることも。そして、それを評価している」
「じゃあ、やっぱり僕が嫌われているんじゃないか」
「だから正直者ほど損をするのよ。疑いなさい、人が言うことを。滋田先生が言ったことを」
滋田先生の言うことだと。
「疑ったさ。だから日野に訊いた。僕と毒島の票は何対何だったのかを。日野はとまどったような顔をして見てないと言った。日野は僕に気を使ったんだよ」
「いいえ、違うわ。六年一組の生徒は全員あなたに票を入れた。日野が気を使ったのは滋田先生によ」
「は?」
「六年一組の生徒は全員あなたに票を入れた」
「マジで?」
「考えてもみなさい。あんなやつに票を入れたら女子みんなから距離を置かれるわよ。それに、どうして、あなたと毒島に票が見えないようにしたのに、滋田先生はほんのちょっとの差なんてわざわざ言うの? どうして正確な票数を言わないの? これは生徒に対する圧力、生徒が毒島に対して『票が全く無い』って言わないための。そして、日野は先生が怖いから本当のことを言えなかったの」
確かにそうだ。
秘密選挙にしたんだから僕が勝ったとだけ伝えればいいし、本当にほんのちょっとの差なら票数を言うべきだ。
「でも、なんでそんな嘘をつくんだよ」
「やさしい嘘ってことかしら。猫が死んだとき子供に対して遠くに出掛けたとか、ほんとは体がちっちゃくなったけど幼馴染に危険な目にあわせたくないから大きな事件を手掛けている、と言うとか」
「ちょっと待てよ、滋田先生は厳しいんだぞ。あと一年で中学だと言って、嘘をついたり悪さをするとすごく怒るじゃないか。それなのに自分は平気で嘘をつくのか? いったいなんのためのやさしい嘘だよ?」
「毒島がショックを受けないようにするため、かしら」
「おかしいだろ、それは。あいつは嫌われていることを自覚している。そんなのやさしい嘘でもなんでもない、ただの甘やかしだ」
「じゃあこんなのはどうかしら。毒島は自分が底辺にいると思っていて人間関係をあきらめている。でも、それより上だと勘違いすれば、案外がんばってみんなと仲良くなるかもしれない。それに毒島の親って六年一組の生徒たちにいじめっ子、だとかひどい中傷をするし、校長に抗議したりするのよ。それが面倒なのかもしれないわね」
「なんだよそれ」
教師としてどうなんだよ。
あんなに厳格な態度を示しておいて言っていることとやっていることが違うじゃないか。
「いじめっ子といじめられっ子。多くの意見があるけれど、私はどんな理由があるとしてもいじめっ子が悪いと思う。でも、人を嫌いになることと嫌われる人、これはどちらが悪いかしら。私は嫌われる人が悪い場合があると思う。
なのに、大人にはいじめと嫌うの区別がつかない人がいるの。暴力をふるわれたくないから、嫌なことを言われたくないから避けているのに『無視をするな』『仲間外れにするな』『いじめるな』って勝手なことばかり言う教師も知る。これでは、嫌われている子はますます調子に乗って自分がいじめられているとアピールをするわ。毒島もそんな親に育てられて世間とのギャップに気付いた時には自分は嫌われ者、ある意味被害者かもね。いったい本当のいじめっ子は誰なのかと疑いたくなるわ」
【了】
暴漢に襲われたとき、「助けて!」といってもあまり人は来ません。来ないかもしれません。
でも、「火事だ!」というと大勢の人が駆けつけてくれます。おススメです。