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Under Domain  作者: 綾部澪
3/6

Under Domain 0-3

 きゅっと唇を噛んで、黙ってしまった智樹に、昂は首を傾げながら言った。

「どうした? いきなり黙り込んで」

「……あの、さ。昂」

 聞きたい事は、ただ一つ。

 もう、智樹に仕事をさせないつもりなのか、という事だけだ。それなのに、たったそれだけの言葉が、口から出てこない。


「なんだ?」

 続きを促すように言った昂に、智樹はちらりっと昂をみやると、意を決したように口を開いた。

「もう、俺には仕事回さないとか、いわねーよな?」

「は? いきなり何を言い出したんだ?」

「だって、失敗を繰り返すアンダーに仕事は回せないって言っただろ」

 昂の顔色を窺いながら、心配そうに言った。

 そんな智樹をマジマジと見やった昂は、次の瞬間、ぷっと吹き出した。そして、そのまま、腹を抱えて笑い出した。

 こちらは、真剣に心配していると言うのに、何故、笑われなければならないのか。

「なんだよっ! 何で笑うんだ?」

「バカだなあ。そんな事、心配したのか?」

 笑いつづけながら言った昂に、智樹はむっとしながら抗議の声を上げた。

「だから、なんで、バカとか言われなきゃいけないんだよっ」

「あー。悪い、悪い。智樹があまりにも可愛いコト言うからさ」

 言いながら笑い続ける昂に、智樹はあからさまに、不機嫌だという表情を浮かべながらブチッと呟いた。

「気色悪いこと言うなよっ! ってか、説明になってねーしっ」

「そういう反応をするから、可愛いとか言われるんだよ」

「――昂」

 ぎっと睨めつけた智樹に、昂はもう言わないというように、両の手を上げると口を開いた。

「大丈夫だよ。多分、今回に関しては、君のミスは、ミスのうちに入らないから」

「どういうことだ?」

「言っただろ? ぶつけられてたって」

「わけわかんねぇよ」

「その頭はお飾りかい? 少しは想像力を働かせないと、この仕事はやっていけないよ」

 諭すような、それでいて、からかうような。そんな口調で言った昂に、智樹は口を尖らせながら「分からないもんは、どうやったって、分からないだろ」と言った。

 そんな智樹を見やり、小さく息をついた昂は仕方なさそうに口を開いた。

「――だから。依頼をぶつけられてた事を見抜けなかった、僕の責任だと言ってってるんだよ」

 よほど言ったくなかったのだろう。昂は、苦虫を噛み潰したような表情で、吐き捨てるように言った。

 不味い所をつついたのかもしれない。

 ぼんやりとそんな事を思った智樹は、息を殺して昂の次の言葉を待った。そんな智樹をちらりっと見やった昂は、くしゃりっと前髪を掻き上げたると、深い溜息をつきながら続けた。

「確かにさ。おかしいとは思っていたんだよね」

「何がだ?」

「智樹は、まだ、ツブシを掛けられるような、アンダーじゃない」

「なんだよそれはっ」

 半人前だと言われたようで、思わずむっとしながら言った智樹に、昂は口もとに薄く笑みを浮かべながら言った。

「不服かい?」

 言った昂の表情は、先程までとはうって変わって、なんとも意地の悪いものだった。「ううっ」とくぐもった声を上げた智樹に、昂は再度溜息をつくと、べったりとソファーに背中を預けた。

「もっとも、こんな簡単な依頼を潰したところで、君の評価が左右されるわけじゃないけどね」

「そういうもんなのか?」

「誰でも出来る依頼を潰しても、あまり意味はないだろう? それこそ、そこまでして、仕事を横取りしたいのか、と言われるのがオチだからね。どうせ、潰しをするのなら、大きなヤマじゃなきゃ、意味がないという事だよ」

「ふうん」

 潰しを掛けられるくらいのアンダーというのは、どのくらいの力を持っているのだろうか。自分以外のアンダーを智樹は、一人しか知らない。彼の仕事をよく知っているわけではないけれど、きっと彼は、それぐらいの能力を持ったアンダーだったのだろうと思う。

「なに? 落ち込んでるわけ?」

 突然黙り込んだ智樹を覗き込むようにしながら、昂が言った。

 小さく息をついた智樹は、ついっと天井を見上げながら口を開いた。

「そんなんじゃねーよ。失敗したって言っても、ヤマに手をつけて失敗したわけじゃないしさ。前金は貰ってるわけだし? 別に、関係ないよ」

「でも、気になってはいるんだろ?」

「まあ――な」

 気にならないと言えば嘘になる。

 依頼の時期は同じだと、昂は言った。要するに、スタートは同じだったはずだ。それなのに、こちらが下調べをしようとしている間に、依頼を遂行されたということは、智樹よりも仕事が速いアンダーなのだ。

「立て続けだしな。誰かが、裏で糸でも引いてるかもしれないな」

「裏って、一体どういうことだ?」

 智樹がそう問い返した時、昂のデスクの上で携帯が鳴った。

 すくりっと立ち上がった昂は、そちらに足を向けると、携帯を取り上げた。そして、発信者名を確認すると、すうっと目を細めて着信ボタンを押した。

「もしもし」

 短く言った昂は、ちらりっと智樹を見やった後、くるりと背を向けた。時折頷く程度で、電話の相手の言葉に耳を傾けていた昂は「分かった」と言うと、通話を切った。

「今度の件。絵は、依頼主のもとに届いているそうだ」

 言いながら、ソファーにどかりと腰をかけた昂に、智樹は目を大きく見開いた。

「って事は――」

「これで、潰しの可能性は、完全に消えたな」

 そんな昂の言葉に、智樹は小さく首を傾げた。

 今回の依頼は、それで解決しているのかもしれない。だが、その前の依頼の顛末を、そういえば智樹は聞いていない。けれど、この話の流れを鑑みるに、その前の依頼も、実は既に片がついているのではないだろうか。

「……なあ。もしかして、前回の分も、片はついてるのか?」

「ああ、智樹には言ってなかったな。ネガは依頼主の手に渡っているそうだ」

「そう――なのか」

 仕事が遂行できなかったのだから、それ以上の情報を智樹に知らせる義務は、昂にはない。ないのだけれど、何も言ってもらえなかったという事実は、やはり自分は半人前なのだと、否応なしに自覚させられた。

 小さく息をついた智樹は、すっと頭を切り替えると、昂を真っ直ぐに見やると口を開いた。 

「じゃあ、多分じゃなくて、確実に、ぶつけてるって事なんだな」

「お、少しは考えるようになったな」

 にやりっと笑いながら言った昂に、智樹はがっくりと頭をたれた。

「昂……。俺の事、ホントに、馬鹿だと思ってないか?」

「まさか。僕は、馬鹿の相手をするほど暇じゃないよ」

 同意しても良いのか、よく分からない事を言った昂に、智樹は再度溜息をついた。

 昂に引き取られてから、もう約十年になるが、未だに、昂の思考パターンは読めなかった。もっとも、理解しようなどとも思っていないし、理解できるとも思っていないが。

「なあ」

「どうした?」

「前回と、今回。同じヤツがやったと思うか?」

 そんな智樹の言葉に、昂は「そうだなあ」と言いながら、黙り込んだ。そして、少し考えてからゆっくりと口を開いた。

「仕事の速さから言っても、手口から言っても、まあ、同じだと見るのが妥当だろうね」

「手口って、あの二つじゃ、違いすぎないか?」

 最初のヤマは、家捜しをしたのではないかと思えるほど、現場が荒れていたと聞いた。だが、今回は、掛かっていた絵が消えてなくなっていただけで、侵入者の痕跡は皆無だったらしい。新聞にかかれていた情報だけだから、実際にどうなのかは分からないが、現場がきれいなものだったというのは、本当だろう。

 状況だけを見る限りでは、とてもそれらが同一犯のものだとは思えない。

 それなのに、昂は手口が同じだという。

「納得できないって顔をしてるね。だけど、依頼の内容から考えれば、分かるはずだ。最初の依頼は、なんだった?」

「強請りのネタになってるネガを、回収してくれって事だろ?」

 言った智樹に、昂はこくりと頷いた。

「ターゲットは、かなり悪質な強請りをいくつもやってたらしいからね。ネガを取り返すだけだと、下手をすれば依頼人に危害が及ぶ可能性があったんじゃないか?」

「だから、わざと、派手にやって、警察沙汰にしたっていうのか?」

「まあ、僕がそう勝手に想像しただけの事だけどね。でも、あのターゲット、恐喝の容疑で昨日逮捕されたようだからね」

「……」

 そんなニュースは知らなかった。新聞には出ていなかったと思うし、TVでも流れていなかったような気がするのだが。

「ニュースソースは、一体ドコだよ」

「そんな事、言えるわけがないだろ。情報屋の命なんだから」

「ふん、よく言うよ。ぶつけられた事にも気がつかなかったのに」

 そんな智樹の言葉に、昂は肩を竦めながら「それは、もう謝っただろ」と言った。そして、深い溜息をつくと天井をついっと見上げた。 

「なんにしても、これからは、もう少しネタの出所を吟味しないとね。この二回は、智樹が手を出す前に片付けられちゃってたからな。現場で鉢合わせなんて事には、ならなかったから良かったけど」

「現場でのバッティング――か」

 そんな事態を今まで想定したことは無かった。無かったけれど、現場で同じ目的をもつもの同士が鉢合わせたとしたら、一体どうなるのだろうか。あまり、良い事が起こるようには思えなかった。

 そんな事を考えていると、昂が些か難しい表情を浮かべながら、すくりと立ち上がると、自分のデスクに足を向けた。そして、椅子に深く腰掛けると「少し暑いな」と言いながら、クーラーの設定温度を一度下げた。ぶうんっと、室外機が唸る音が聞こえて、風が少し冷たくなった。

 今更、設定温度を下げなければいけないような室温ではないのだが。そんな事を思いながら、ちらりと昂を見やった。

 もともと、昂はそれほど暑がりではない。

 なのに、何故、わざわざ設定温度を下げなければならなかったのか。それは、昂が、必要以上に緊張しているからではなかろうか。今の流れで、昂が気をもむようなことといえば――。

「もしかして、次の仕事、来てるのか?」

 ボソリッと言った智樹に、昂がギョッとしたように智樹を見やった。まさか、智樹が気がつくとは思っても見なかった、そんな表情だった。そのまま黙り込んでしまった昂を、訝しげに見やった智樹は、その名を呼んだ。

「昂?」

 智樹のその声に、はっと我に返った昂は、苦い笑みを浮かべた。なんでもない、と誤魔化すには、最初の対応を失敗したという感じだった。深い溜息をついた昂は、しぶしぶ口を開いた。

「珍しく、鋭いね」

「ふん。俺はいつでも、鋭いだろ。で? どんな依頼なんだ?」

 すくりと立ち上がって言った智樹に、昂は机の中から一枚の紙を取り出すと、それを智樹に手渡した。

 この事務所の報告書に模して書かれたそれは、一見しただけでは、ただ単に、相談内容が書かれているだけの報告書にしか見えなかった。

 それを、しばらくじっと眺めていた智樹は、ぺろりと下唇をなめながら口を開いた。

「研究所から、データを盗み出す?」

「ああ」

「産業スパイかなんかの類か?」

「まあ、端的に言えばな。依頼主曰く、相手が自分の会社から、データを盗んだんだ、と言っていたが、実際のところは不明だ」

「ふうん」

 短く言った智樹は、もう一度その用紙に目を向けた。

 不明も何も、盗まれたのがデータだと言うのなら、それを取り返すと言うのは、なんとも間抜けな話だ。

 なにより、データを盗もうとしている人間が、わざわざその言い訳をするのは、見苦しいと思う。というよりも、本当に、データを盗まれたと言うのなら、相手の手に渡ってしまった時点で、もう手遅れなのではないだろうか。

「なんか最近、盗みばっかりなんだな」

「それが、一番面倒が無いんだろ?」

 あっさりと言った昂に、智樹はすうっと目を細めた。そして、少し考えた後「ああ」と短く言った。

「バッティングさせるのに、丁度いいのか」

「そういうこと」

 そんな昂の言葉に、智樹はゆっくりと昂のデスクに歩み寄ると、床に置いてあったシュレッダーに、手にしていたその紙を入れた。

 ガガガッと音を立てて、紙が無数の細かい刃に飲みこまれた。

「今日あたり、行ってみるのか?」

「ああ。仕掛けてみないと、わかんねーし」

 言った智樹は、ちらりと腕時計に視線を向けた。

 もう七時を回った。今日中に仕事を片付けるつもりならば、早めに手を打たなくてはいけない。

 小さく息をついた智樹は、くるりと踵を返すとドアに足を向けた。

「ああ、智樹」

 と、背後から昂のそんな声が飛んで、智樹はゆっくりとそちらに視線を向けた。丁度、その視線の先に、カレンダがみえて、智樹はすうっと目を細めた。

 盆と土日以外は、びっしりと仕事のスケジュールが書かれたそのカレンダに、一日だけ、何もかかれていない日があった。


 八月五日。


 その日だけは、ぽっかりと、取り残されたようになんの予定も入っていない。

 何かから目をそむけるように、くるりとドアに向き直った智樹は、ぎゅっとその手を握りこんだ。そして、低く言った。

「分かってるよ。明日だろ?」

「覚えてるならいいよ」

 言った昂に、智樹はさらにその手を強く握り締めた。

「――誰が、忘れるかよ」

 まるで、搾り出すように言った智樹は、静かに扉を閉めると、そのまま部屋を出て行った。

 閉まった扉の向こうに、智樹の背中を見ながら、昂は深いため息をついた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 八月五日は、智樹の両親の命日だった。

 そして、それは、昂がかけがえの無い親友を失った日でもあった。

 あの日も、とても、暑かった。

 今でも、あの日のことは、まるで昨日の出来事のように、思い出すことが出来る。

 当然、忘れられるはずが無い。

 忘れられるはずも無い。

 それでも――。



「君の場合は、忘れた方が良かったのかもしれないね」


 ポツリとつぶやいた昂の言葉は、当然、智樹の元には届くことは無かった。



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