Under Domain 0-2
智樹は二年前から、とあるバイトをしていた。
とはいっても、普通一般的なアルバイトとは一線を駕すもので、『よろず引き受け業』と呼ばれるものだった。
同業者の中ではアンダーと呼ばれているこの仕事を、一言で表現するなら、私立探偵に似て非なるもの、だろうか。探偵と決定的に違うところは、アンダーは非合法――例えば窃盗であったり、殺人であったり、そんな依頼であったとしても、成功報酬次第ではそれを受けるという事だ。
何でもありなだけに、探偵社では受けないような仕事ばかりが、アンダーのもとに集まることになるわけで。その仕事の殆どが、非合法であることは否めなかった。
アンダーに仕事を頼みたい依頼人は、アンダーとつながりのあるコネクタと呼ばれる情報屋と渡りをつけ、それ相応の対価を払って仕事を依頼する。だが、世に数多とある探偵社と違って、アンダーは表立って仕事を受けているわけではないし、コネクタとコンタクトを取ること自体がそう簡単な事ではない。
それなのに、この依頼人はわざわざ、複数のコネクタに依頼をした、というのだろうか。
何か、腑に落ちなかった。
「複数のコネクタに依頼するって、そんなの、ありなのか?」
「依頼していけないというルールはないが、まあ、普通はしないだろうな。たとえ相手が訴えられない事が分かっていても、事は犯罪なわけだし。秘密は、最小限に留めておいた方がいい。コネクタだって、そう簡単に繋ぎが取れるわけじゃないしな」
「だよなあ。俺なんか、昂しかコネクタは知らないし」
「知る必要もないよ」
さらりっと言った昂に、智樹は小さく肩を竦めながら、もう一度ソファーに腰をおろした。
この仕事が、リスキーなものであるという事は、智樹も自覚している。
そして、コネクタである昂が、智樹に渡す仕事をある程度選んでくれているというのも、十分理解している。だから、他のコネクタから依頼を受けようとか、そういうつもりは全くないのだか、興味がないといえば嘘になる。
そんな思いを振り払うように、ぶんぶんっと頭を振った智樹に、昂は首をかしげながら言った。
「どうかしたのか?」
「あ――いや。なんでもねえよ。それよりさあ。昂、今回のヤマは、絶対に表沙汰にならないって言ってなかったか?」
「本来ならな」
「なら、何で新聞沙汰になってるんだ?」
今回、智樹が受けた依頼は、とある資産家の家から、絵画を一枚盗んでくると言うものだった。もともと盗品で裏のルートで手に入れた絵だったから、盗まれたとしても、闇から闇へ葬り去られる事件であって、表沙汰にはならないはずだったのだ。当然、新聞になど載るはずもない。それなのに、それが、こうして堂々と新聞記事になっている。
「さっき確認をとったよ。奥さんは盗まれたものが、公表できないものだったと言うことを、知らなかったらしくてね」
「で、警察に通報しちまったってか。その奥さん、ホントに知らなかったのか?」
「ああ。まあ、そういう世界に足を突っ込んでるのは、旦那のほうだけだからな。奥さんはしらなくて当然さ」
「で、どうしたんだ?」
「旦那が、慌ててもみ消したらしいよ。被害届が取り下げられれば、警察はそれ以上、動かない。まあ、新聞までは止められなかったみたいだけど、『絵画』が盗まれた、程度の書き方だから、それほど問題はないだろうな」
「ふうん」
要するに、このまま有耶無耶と言うことだろう。
「そういえば、前回の時も、新聞報道されてたよなあ。あれも、表には出ないって言ってたのに」
言いながら、ちらりっと昂を見やると、昂は小さく肩を竦めた。
「前回のは、運が悪かったんだよ。何しろ、隣家の住人が警察関係者だっただろ? そういう意味では、君が関わらなくて良かったんじゃないか? 下手したら、捕まってたかもしれないよ?」
「ふん。そんなヘマするかよ。つーか、警察関係者とか関係ないだろ? あれだけ、派手に家捜しすれば、気付かれるのは当然だ」
「けど、結果的に、これで二回連続、出し抜かれた事になる」
そんな昂の言葉に、智樹はぐっと押し黙った。
そう。新聞の報道など、どうでもいい。問題は、そこなのだ。
智樹が受けていたはずの依頼のターゲットが、仕事をする前に掻っ攫われたのだ。それも、これで二度目だ。
「多分、依頼があった時期は同じはずなのにねえ」
意地の悪い笑みを浮かべながら言った昂に、智樹はふんっと鼻を鳴らした。
「うるせぇなっ。出し抜かれたとか言うけどなあ。依頼がかぶってたなんて話は、俺は聞いてねーぞ」
噛み付かんばかりの勢いで言った智樹に、昂はあっさりと言った。
「そうだろうな。俺も知らなかったし」
「知らなかったとか言ってる場合かよ、情報屋が!」
言った智樹に、昂はふんっと鼻を鳴らすと、椅子にふんぞり返った。そして、全く悪びれる事なく言った。
「仕方ないだろ? 俺も、まさか、ぶつけられてるとは思わなかったんだから」
「じゃあ、何だと思ってたんだよ」
納得がいかない、というように食い下がった智樹をちらりっと見やった昂は、少し考えた後、「潰し」と短く言った。
「潰し?」
「ああ、智樹は知らないか。たまにいるんだよ。特定のアンダーの仕事を、片っ端から潰して楽しむバカがさ」
「なんだ、それ。そんな事してどうするんだ?」
わからないと言うように首を傾げた智樹に、昂はくすりっと笑い声を漏らした。その声が妙に癇に障って、智樹は口を尖らせながら言った。
「んだよ。なんか文句あるのか?」
「文句はないよ」
「ならなんだよ」
「いや。こんな仕事してるのに、智樹は健全だなあと思ってさ」
「――昂。もしかして、俺の事、馬鹿にしてないか?」
「馬鹿になんてしてないよ。羨ましいなあと思っただけだ」
言いながら、椅子から立ち上がった昂は、智樹のもとまで歩み寄ると、智樹の髪をぐしゃぐしゃっとかき混ぜた。まるで、子供扱いされているようで、面白くない。その手を振り払いながら、智樹は抗議の声を上げた。
「なにすんだよっ!」
「でかくなったなあ。ホントに」
「当たり前だろ。来年には、二十歳だ」
「そうか。もう、そんなになるんだよなあ」
しみじみと言いながら、さらに、髪をぐしゃぐしゃっとかき混ぜた昂の腕を、がしっと掴んだ智樹は、きっと昂を睨めつけながら言った。
「バカな事やってねーで、さっきの続きを話せよ」
「続きって?」
「だから、潰してどうするってヤツだよ」
せかすように言った智樹に、昂は仕方なさそうに息をつくと、智樹の前にどかりと腰をおろした。そして、少し考えた後ゆっくりと口を開いた。
「この商売、大事なのは何だと思う?」
「何って、依頼の完全遂行と、秘密厳守じゃねーの?」
「そうだ」
こくりと頷いた昂は、智樹を真っ直ぐに見据えると続けた。
「もともと、非合法な依頼が殆どのこの仕事だ。成功率は100%でなければ、話にならない。悪くしても90。それが限度だ」
「まあ、そうだろうな」
「だが、今回のように、表沙汰になってしまったり、依頼自体を遂行できなかったりしたら――」
「アンダーとしての信用が、なくなる?」
「ああ。当然、コネクタの信用も、な。だから、失敗を繰り返すアンダーに、仕事は回せない。いや、回さない」
そう言い切った昂の顔が、とても冷酷に見えて、智樹はごくりっと生唾を飲み込んだ。それをいうなら、自分はこれで、二回連続で失敗したことになる。今まで、全く失敗をした事がないとは言わない。けれど、昂がこんなことを言ったのは初めてだった。
もしかしたら、もう仕事を回さないつもりなのだろうか――。
そんな思いが頭を擡げた。