第四話「王と獣の見苦しい奪い合いと、とんだ余波」
広間は、静止したままだった。
玉座の陰から飛び出した神獣様、血の気を失った国王陛下、唖然としている王子とフィーネ嬢、そして私。そんな様子を眺める儀礼官に貴族、侍従たち。
全員が固まっていた。みんな意味はわかっていなかった。
そんな中で神獣セルヴァノス様が宝玉を胸に抱え込み、重心を落とした。威嚇ではなく、本能的な動作……価値のあるものを誰かに渡したくない、という生き物の所作だった。
「返せ」
国王の声は静かだった。静かすぎた。玉座から一段降りながら、手を伸ばす。
「セルヴァノス。それを寄越せ」
「断る」
神獣が人語で答えた。短く、明確に。
「お前に渡す道理がない」
「道理を言うのか。お前が勝手に奪ったくせに」
「奪ったのではない。保護した」
「それはここにいるイース嬢がレオンハルト王子に贈ったものだ」
広間の誰も動けなかった。なぜ急に国王陛下と神獣様が争い始めたのか理解ができない。
第一王子は口を半開きにしたままだ。フィーネ嬢は茫然と二人を見比べている。
国王が一歩前に足を踏み出すと、神獣様は一歩下がった。あくまでも石を渡すつもりはないようだ。
「それを渡せ」
「断る。王子はこれを投げつけたではないか」
「渡さないなら力づくでいくぞ?」
「来い。できるなら」
「……このっ」
そこから先は、格も礼法も関係ない、子どもじみた争奪が始まった。
国王陛下がつかみかかり、神獣様がかわす。宝玉を反対の手に移す。国王が回り込む。神獣が爪先でいなす。王位にある人間と国家の守護神が、狭い半径の中でみっともなく手を出し合っていた。
玉座前の大広間が、子どもの喧嘩の場所になっていた。
「……旧知だから遠慮がないのでしょうか」
侍女が隣で囁いた。
「深刻な話なのでは……?」
「どっちも笑えない顔してる……」
笑えない顔だった。どちらも本気のように見えた。争いは終わらない。
神獣様が後ろへ体を傾けた瞬間、翼のような部位がばさりと広がり、風圧になった。
「ちょっ……うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
呆然と見守っていたレオンハルト殿下が吹き飛んだ。
正確には横によろけて礼服の裾が台座に引っかかり、見事な格好で床に転がり風に流されていった。
「返せ!!!!!」
「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁ」
フィーネ嬢も、国王陛下の動きの余波で持っていた木箱ごとよろめき、壁際まで押し流された。
……ああ。
胸の奥で何かが緩んだ。
二人が吹っ飛ばされて、なぜだか私の中にあった醜い感情が薄れていく。
さっきまで私を罵っていた人たちが、陛下と神獣様の争いの余波で本筋から弾き出された。儀礼の主役たちが、神話レベルの出来事の前では単なる背景になっていた。
留飲が下がった。
石を提出した甲斐があったわね。
考えていたものとは全然違う形になったけれど。
神獣と国王の争いが続いている。誰も止める人がいない。混乱の中で、宝玉がまだ光っていた。
神獣の手が少し下がった瞬間、私は動いた。
宝玉に手を伸ばす。指先が触れる。神獣様が『あっ』という顔をした。国王陛下が『待て』という顔をした。
「王子殿下には、お気に召さなかったようですわね」
振り返らずに一言だけ言った。声に棘はつけていない。事実を述べただけだ。
「イース嬢、ちょっと待て」
国王陛下が廊下を塞ぐように前に立ちはだかった。袖の端が乱れていた。
「その輝石、私に渡せ」
「……」
「代わりに、お前は私の側に置く。どうだ」
求婚だろうか。今?。
宝玉は私の腕の中にある。国王陛下の目は本気だった。衣服は乱れたままなのに、声だけは真剣だった。
「いや、それは我に渡せ」
今度は後ろから声がした。
神獣様が立っていた。体は大きい。でもその声は切実だった。
「宝玉は我が守る。お前もついてくるならそれでいい」
そちらも求婚らしかった。
「お前が悪い。彼女が先に見つけた」
「お前こそ、儀式を利用して混乱を起こした」
「お前が奪ったから話がこじれたんだろう」
「こじれたのはお前の息子のせいだ」
また始まった。
二人は私の目の前で、宝玉の所有権と私の帰属先をめぐって、見苦しいほど本気の口論を再開した。
私は宝玉を抱えたまま、二人の間に立っていた。
「……王子殿下には、興味がないんですけど」
それだけ言った。
「知ってる」
「知っている」
二人が同時に答えた。
王子への興味がない点では一致しているらしかった。
視界の端で王子殿下が震えているのが見える。
そろそろ疲れた。
とりあえず、帰りたかった。
国王陛下と神獣様が廊下を塞いでいた。
不思議と、嫌な感じはしなかった。帰れないのは、まあ、仕方がない。




