第二話「努力と汚れ石」
フィーネ・クルーガーが走り回っているらしい、と噂が来た。
市場で何かを探しているとか、工房を訪ねているとか、夜には目を赤くしているとか。私にとっては興味のないことばかりが聞こえてくる。せいぜい頑張って。それしか思うことはないというのに。
王城はよく喋る。
『フィーネさんは一生懸命ね』『殿下のために頑張っているのよ』『かわいいわね』……きっとそう言いたいのだろうし、言えばいい。私には関係ないのだから。
それに絡めて『どうせイース様は何もしない』とか『恥ずかしいと思わないのかしらね』なんて言われても何も感じない。
私は拾ってきた石ころを部屋の隅に置いたまま、何のやる気も感じず窓から外を眺めている。
ふとそこへ、侍女の悲鳴が聞こえてくる。
「お嬢様ァ! 昨日よりひどくなってませんかこの臭いッ」
「経年変化でしょう」
「昨日から一晩しか経ってません! なぜでしょうか!?」
「もしかしたらすごい力を持った石なのかも……」
「ありえませんわ。こんな石、はっきり言って……」
「これは献上品よ? 冒涜したら不敬で地下牢行きよ?」
「くっ……せめてもう少しまともなものを……」
彼女の不満は正しいが、それを受け入れるつもりはない。
私はもう決めたのだ。このゴミを持ちあげて祝詞を宣じなければならない王子のひきつった顔を一番近くで堪能すると。
「せめて臭い消しをかけるとか?」
「駄目よ。きれいになっちゃうでしょ?」
「献上品ですからきれいでいいんですよ!」
「却下。品質保持の観点から」
「何の品質を保持しているんですか!?」
侍女がその場にしゃがみ込んでしまった。
主の意思と希望を尊重することを決めたのでしょう。良い心がけですわ。
私はすたすたと廊下を歩く。通りすがった貴婦人が鼻を押さえた。その側近の一人が眉根を寄せ、こちらを睨んでくるが無視して私は真顔のまま歩き続けた。
献上の儀まで持ちこめばいい。そのあとは何が起きても、殿下の手は汚れる。
その姿を見るのが楽しみすぎて、廊下の角を曲がったところでそこにいた女と正面衝突しかけた。
フィーネ・クルーガーとその侍女一行だった。
彼女は両手で木箱を抱えていた。蓋に細工模様が入った化粧箱だ。中は見えない。ただ、持ち方の丁寧さと箱の重さが、そこに大事なものがあると主張していた。
私の手元にあるのは、みすぼらしい袋だった。手を動かすと袋の底でごろりと音がする。
同時にあの嫌な臭いが振りまかれる。
無言のまま、彼女と視線が交差した。
フィーネ嬢が何かを言いかけたようだけど、すぐに口を閉じた。私も何も言わなかった。
すれ違う。
背後でフィーネ嬢の侍女たちがひそひそ言うのが聞こえた。『やっぱりイース様は頭がおかしいわ……』『フィーネ様とは大違いです……』。
私だって真面目に心を込めて贈り物を選んだのだから文句を言われる筋合いわないのよ。ちゃんとあの王子様から頂いた待遇に見合うものを考えたのよ?
一方、フィーネさんはフィーネさんで真摯に考えたのでしょう。
それだけだ。それだけのことだ。
つまり同列。
献上の間の前に列が出来ている。
儀礼官が趣旨を読み上げる。
愛だの誠意だの努力だの。婚約の前祝いとしての意味合いをこんこんと説かれる。
ただの綺麗ごとを並べただけの意味のない言葉の羅列にしか感じなかった。そんなものを私に押しつけないでほしい。
とても静かな空間。声に出してはいけない雰囲気なので、本音は喉の奥で握りつぶした。
「フィーネ・クルーガー嬢……」
まずフィーネさんの名前が呼ばれた。
彼女が歩み出る。
その手に持った整えられた木箱を大事そうに抱えて前に出て、整えられた所作でそれを儀礼官に差し出した。フィーネ嬢が小さな声で何か言葉を添えた。地方の名工が手掛けたものらしかった。細工の緻密な宝飾品が姿を見せると、称賛するような空気が大広間を揺らした。
レオンハルト殿下が、表情をほぐした。彼はわざわざ立ち上がってフィーネ嬢の手を取り、言葉を重ねる。彼女が頬を赤らめる。
完璧な恋愛の絵だった。
これが正解の景色か、と思った。
どうじに押し寄せる吐き気。
もうこうなっては自分の心の中には何もないと思っていた。それなのに少し、空洞が広がった気がした。正しい物語の外にいるという事実が、もしかしたら思ったより重かった。
しかしそれは私が選んだものではない。
選んだのは王子。選ばれたのはフィーネさん。
にもかかわらずここに参加させられる私は道化。
とっくにわかっていたことよ。
何が悔しいのかも、何が羨ましいのかも、分からない。分からなかった。
静かに息を吸う。
次は私の番だから。
「イース・セリーヌヴァロア嬢……」
儀礼官の厳かな声が私の名を呼んだ。
私は自分自身理解できないもやもやとした感情を振り払って堂々と立ち上がり、相変わらず異臭を放つ小汚い袋を持って歩み出た。
私を見つめる者たちの視線はどれもこれも哀れみや蔑み、嫌悪を含むものだった。




