日式章魚焼の出店に飾られていたサイン色紙
挿絵の画像を作成する際には、「AIイラストくん」と「Ainova AI」と「Gemini AI」を使用させて頂きました。
定期テストが済んだ事で、我が台南市立福松国民中学を覆っていた試験期間特有のピリピリムードは嘘みたいに解けていったんだ。
一年生として在籍している私こと菊池須磨子にしても、その例外じゃなかったよ。
試験の結果が返ってくるまでの短い間ではあるけれど、この肩の荷が下りた解放感は堪えられないね。
そこで放課後を待って、クラスメイトである王 珠竜ちゃんと曹 林杏ちゃんの二人と一緒に近所の夜市へ繰り出したんだ。
何しろここ数日間は試験勉強に追われて、夜市なんか思いもよらなかったからね。
「さぁて、どうするかな…菊池さんに珠竜ちゃん?お互いにこういう所は、ちょっと御無沙汰なんじゃないの?」
「そうだね、林杏さん…私としては温かい牛肉麺とか甜麺醤の効いた牛肉捲餅とかでガッツリと牛肉を摂取したい所だよ。こうしてテスト期間も終わったから、文昌帝君に義理立てしなくて良い訳だし。」
曹林杏さんに話を振られた珠竜ちゃんは、いかにも待ちかねたという感じで夜市の敷地内を見渡したんだ。
何しろ学問の神様として台湾で崇拝されている文昌帝君は、牛に跨った神様だからね。
だから台湾の学生や受験生は、試験期間になると験担ぎに牛肉を控えるんだ。
「どうかな、菊池さん?ここはテスト明けを記念して、私達と一緒に牛肉解禁と洒落込んでみる?」
「それも確かに悪くはないね、珠竜ちゃん。だけど私としては一品目として、何か日本っぽい物を食べておきたいんだよ。選択科目の日本語をもっと得意になれるようにね。」
何しろ生粋の漢族である二人と違い、私は漢族系本省人の母と日本人の父を持つ日系ハーフだからね。
もっとも、私としては自分の事を「日本人」じゃなくて「中華民国人」として認識している訳だけど。
そうした具合に第二外国語として学ぶ身の上だからこそ、自分のルーツの一つは大切にしておきたいんだ。
「だったら良いのがあるよ、菊池さん!あそこの出店、たこやきを出してるよ。」
「ホントだ、林杏さん!最近は台南市にも、日式の章魚焼を売る店が随分と増えたよね。」
とは言え発音してしっくり来るのは、日本語の「たこやき」じゃなくて華語の「章魚焼」な訳だからね。
やっぱり私にとって日本語は、どこまで行っても外国語なのかも知れないなぁ。
そうした日本語と日本文化への様々な物思いを誘発させた日式章魚焼は、やっぱり私にとっては少し異質な存在だったよ。
私が夜市の屋台等で小さい頃から慣れ親しんできた台湾式の章魚焼は、ワサビが薬味として添えられていて中までしっかり焼かれた噛み応えのあるホットスナックだった。
だけど日本式に「たこやき」と表記されたそれにはワサビがついておらず、ソースとマヨネーズが塗られた所に青海苔と鰹節とが振り掛けられていたんだ。
これだけなら単なる好みの話で済むけど、問題なのは中身なんだよね。
「日式の章魚焼は中身が柔らかいから、気を付けて食べないと痛い目に遭っちゃうんだよねぇ…」
そうして表面を軽く食い破ってみたけど、そこからトロッとした半固形の熱い中身が湯気を立てて出てきたんだから思わず顎を引いちゃったよ。
中までしっかり焼かれて噛み応えのある章魚焼と違い、たこやきは中身で喉を火傷するリスクに気を付けないといけないんだもの。
こんなに細心の注意が必要だなんて、まるで小籠包を食べる時みたいだよ。
「ひゃ〜、これは熱いなぁ…」
そうして恐る恐る食べている様子が、林杏さんと珠竜ちゃんの二人には余っ程に面白かったんだろうな。
「アハハ!良いね、菊池さん!まるで日本のリアクション芸人みたいだよ。」
「だよね、林杏さん!うちのお姉ちゃんも大学でゼミ友と一緒に漫才をしているけど、食レポのリアクション芸も勧めてみようかな?」
二人とも腹を抱えて笑うんだから、もう本当に困っちゃうよ。
「それで気付いたんだけど、この日式章魚焼の屋台に飾ってある色紙って日本の芸人さんのサインだよね?」
「ああ、ホントだ!サインは崩し字が激し過ぎて読めないけど、千社札が貼ってあるよ。下に書いてある『土アサはブラリ旅』は、ラジオかテレビの番組名かな?」
そんなクラスメイト達の声に促されるように、私はサイン色紙に目をやったんだ。
「へぇ、『オーボエファイター木村』だって…随分変わった芸名だね。」
物珍しさと好奇心に後押しされたのだろう。
外気に晒されて多少は食べやすくなった日式章魚焼を飲み込んだ私は、気付いたらスマホで撮影していたんだ。
そのまま何もなければ、日式章魚焼の屋台の事もサイン色紙の事も遠からず忘れてしまっただろう。
ところが今日の一件は、予期せぬ形で私の記憶に深く刻まれる事になったんだ。
「ただいま、お母さん!今日は国民中学の友達と一緒に夜市で買い食いしてきたんだけど、そこで変わったサイン色紙を見つけちゃって…」
そうして苦笑しながら差し出したスマホを見つめる母の眼差しは、単なる好奇心として片付けるには少し熱意が強過ぎるように思えたの。
「えっ、これってキムやんのサインじゃないの!へえ、『土アサはブラリ旅』の海外ロケで来てたんだ…あの番組、まだやってたのねぇ…」
それは「好奇心」というよりはむしろ、「懐かしさ」と「親しみ」と言った方が適切だったろうね。
「ちょっと…お母さん!落ち着いてって!順を追って話してちょうだいよ。」
そうして落ち着きを取り戻した母から聞いた話によると、「キムやん」ことオーボエファイター木村は元々は音曲漫才を得意とする上方系のお笑い芸人で、カスタネットパンチャー佐藤って人とコンビを組んでいたみたい。
しかも鼻の穴でオーボエを吹きながらリズムネタをしていたそうだから、かなりの色物芸人だった事が伺えるよ。
「だけど食レポで意外な才能を見せた事から、旅番組での仕事が増えていったの。その一つが『土アサはブラリ旅』ね。お母さんも神戸の大学に留学していた頃はよく見てたわ。近畿地方の観光スポットも特集していたから、菊池君とのデートプランの参考にもしたのよ。」
「お母さんったら…またお父さんの事を『菊池君』って呼んじゃって。一応、私も『菊池君』なんだよ。それにしても…お母さんが大学生だった頃から放送していたって事は相応の長寿番組なんだね、その『土アサはブラリ旅』って。」
油断したらすぐに恋人時代の感覚に戻ってしまう母に苦笑しながらも、私は妙に微笑ましくて喜ばしい気分になっていたの。
何気無く来店した夜市の屋台に、日本の大学で学生カップルをしていた頃の両親の思い出が潜んでいた。
それって、とっても素敵な事じゃない?




