子貢(2) - 痩せた男
子貢にとって、この学団の中で最も理解しがたい存在が顔回であった。彼は子貢より年下であったが、すでに孔子から最も厚い信頼を得ていた。しかしその生活ぶりは目を覆うほど悲惨だった。彼は都の裏通りにある粗末な家に住んでいる。雨が降れば雨漏りがし、風が吹けば隙間風が吹き荒れる。食事といえば一膳の飯と一杯の飲み物だけ。着ている服はつぎはぎだらけで、洗ってはいるものの生地は擦り切れて薄くなっている。
子貢は顔回を見るたびに胸がざわついた。それは憐憫であり、同時に生理的な拒否感でもあった。
ある夕暮れ時、講義が終わった後で子貢は顔回に声をかけた。
「顔回、少し良いかな」
「はい、何でしょうか」
顔回が振り返る。栄養が足りていないせいか、頬はこけ、首筋は細い。だがその瞳だけは夕日を映して異様なほど澄んでいた。
「君の暮らし向きのことだが…余計なお世話かもしれないが少し心配なのだ。私は衛にいた頃の蓄えがある。もし良ければ衣服や食料を用立てようと思うのだが」
子貢としては精一杯の配慮をし、相手の自尊心を傷つけないように言葉を選んだつもりだった。同じ門下の友がこれほどみすぼらしい姿でいることは、子貢自身の美意識が許さなかったし、世間体も悪いと思ったからだ。
しかし顔回は穏やかに微笑んで、首を横に振った。
「お心遣い、痛み入ります。ですが私は今のままで足りております」
「足りている? その格好でか?」
思わず子貢の声が上ずった。
「はい。寒さを凌ぐには十分ですし、飢えて動けなくなることもありません。それに、あまり物が増えますとそちらに気を取られてしまいますから」
「だが、世間の人はそうは見ない。君ほどの徳がある者がそのような貧しい姿でいることは、かえって道の尊さを損なうことになりはしないか」
子貢は食い下がった。貧しさは美徳ではない。それは克服すべき課題であり、成功の証としての富を持つことこそが君子の威厳を高めるはずだ。顔回は困ったように眉を下げた。
「子貢どの。私は誰かに見せるために生きているわけではないのです」
その言葉は春風のように柔らかかったが、子貢の胸には鋭い棘のように刺さった。
「人知らずして慍らず。先生はおっしゃいました。自分の内側に楽しみがあれば、外側がどうあろうと心は波立たないのです」
顔回はそう言って深々と一礼し、夕闇の中に消えていった。
子貢は一人、その場に取り残された。
足元のぬかるみが急に冷たく感じられた。彼は自分の着ている上質な絹の衣に手を触れた。滑らかな手触り。美しい刺繍。これは彼が努力して手に入れた成功の証だ。誰もがこれを羨み、彼を尊敬する。
だが顔回はそれを「気を取られるもの」と言った。
(負け惜しみだ)
子貢は心の中でそう吐き捨てた。
(彼は知らないだけだ。美味なる肉の味も、多くの人が自分の言葉に耳を傾ける快感も、高価な馬車で大路を行く高揚感も。それらを持たざる者が、自分を慰めるために清貧を装っているに過ぎない)
そう自分に言い聞かせなければ、子貢の中に築き上げてきた価値観が音を立てて崩れてしまいそうだった。彼は顔回の「足りている」という言葉が、嘘偽りのない本心であることを本能的に感じ取っていたからだ。
自分は多くの物を持っている。だが一度として「足りている」と感じたことはない。常に何かを追い求め、焦り、他人の評価を気にしている。
持てる者が持たざる者に、心の豊かさで敗北している。その事実を認めることが、子貢には何よりも屈辱であった。




