川辺に君はいない
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序章 都会の夏
エアコンの低い音と、窓の外を走る車のクラクション。
ビルの隙間から差し込む白い陽射しに、私はベッドで寝転んだまま目を細めた。
スマホを手に取る。
画面に並ぶ未読の通知は、ほとんど親からのメッセージだけだった。
「ちゃんと食べてる?」「授業は出てるの?」
友達からの連絡は、ひとつもない。
「……平和だなぁ」
電車は時間通りに走り、コンビニのレジはいつも笑顔。
都会の生活は便利で不自由がない。
でも、心の中はいつだって冷たく乾いていた。
中学では塾に通い、高校では試験漬け。
大学に入ればバイトばかりで、気づけば講義にも行かなくなっていた。
単位はギリギリ、不登校寸前。
今日もまた、こうして天井を見つめて時間を潰している。
ごろりと寝返りを打った瞬間――カラン、と音がした。
机の端に置きっぱなしだった古いお守りが、床に転がり落ちたのだ。
はっとして身を起こす。
拾い上げたそれは、小さな鈴のついた、色あせたお守り。
指先に触れた瞬間、胸の奥がざわめいた。
――川の光。潮の匂い。笑い声。
今まで忘れていたはずの記憶が、鮮やかに蘇る。
帰りたいという気持ちが、今にも溢れそうになった。
ビルの谷間を吹き抜ける都会の風は、ただ乾いている。
けれど胸の中では、もう一度――あの日の川へ向かって動き始めていた。
◆第一章 出逢い
夏の光を映して、川はきらきらと輝いていた。
潮の匂いを含んだ風が吹き抜け、セミの鳴き声が響く。
私はその川辺に座って、水面をじっと見つめていた。
何を考えるでもなく、ただ流れを眺めるのが好きだった。
――そのとき。
「なにしてるの?」
不意に声をかけられて振り返ると、私と同じくらいの年の男の子が立っていた。
黒い髪が陽の光に濡れたように光っていて、その笑顔はなぜか胸に残った。
「えっと……ただ、水を見てただけ」
「ふーん。じゃあさ、俺と遊ばない?」
そう言って差し出された手。
私は少し迷ってから、うなずいた。
手を取った瞬間、胸の奥が熱くなる。
その日から、私と彼は毎日のように一緒に遊ぶようになった。
川で魚を追いかけたり、飛び石を渡ったり。
日が沈むまで夢中になって遊んだ。
気づけば、私は彼に惹かれていた。
けれど、その夏は永遠には続かなかった。
「ごめんね。私……都会に引っ越さなきゃいけないの」
泣きそうになりながら告げた私に、彼は黙って小さなお守りを差し出した。
「これ、君に」
胸に抱きしめると、涙があふれた。
あの日のきらめきも、彼の笑顔も、全部しまっておけるような気がした。
◆第二章 帰郷
数年ぶりに街へ戻ってきた。
フェリーを降りた瞬間、潮の匂いと夏の熱気が胸を突き刺す。
懐かしいはずの景色なのに、どこか違って見えた。
川へ向かって歩いた。
あの頃、毎日のように遊んでいた川辺。
きらめく水面。笑い声が響いていた場所。
けれど、そこに広がっていたのは、記憶の中の光景とはまるで別物だった。
川の流れは濁り、岸辺にはゴミが散らかっている。
重機の音が遠くから響き、工事のフェンスが川を覆っていた。
あのきらめきは、もうどこにもなかった。
胸が締めつけられる。
そのとき、背後から声がした。
「……あれ? 陽菜ちゃんじゃない?」
振り返ると、近所のおばさんが立っていた。
「久しぶりねぇ。都会に行ったって聞いてたけど、帰ってきたの?」
「はい……少しだけです」
私はぎこちなく笑って答えた。
私は通りかかった人に声をかけてみた。
「すみません……昔、この川で一緒に遊んでた男の子、知りませんか?」
「子どもなんてたくさんいたからねぇ」
「もう引っ越したんじゃないか?」
「……知らないな」
みんな同じように首を横に振った。
そのたびに、胸の奥で小さな不安が膨らんでいった。
けれど、心の中では必死に問いかけていた。
――ねえ、あなたは、どこにいるの?
私は川辺に立ち尽くし、かすかに覚えている名前を口に出そうとした。
けれど、その声は風にさらわれていった。
返事は、どこからも返ってこなかった。
その夜、私はおばあちゃんの家に寄った。
玄関の奥、もう誰も使っていない古い電話台。
分厚い電話帳には、子どもの頃に遊んだ友達の家の番号がまだ残っていた。
――もしかしたら、誰かが覚えているかもしれない。
受話器を握り、震える指で番号を押す。
「……もしもし? 陽菜だけど」
懐かしい声に驚かれつつも、私は必死で尋ねた。
「ねえ、昔この川で一緒に遊んでいた男の子、覚えてない?」
けれど返ってくるのは同じ答え。
「そんな子いたかなぁ」「覚えてないな」
ひとり、またひとりと連絡を取った。
けれど誰も、その存在を知らなかった。
そして最後の番号を押したとき――。
呼び出し音は何度も響いた。
けれど、相手は出なかった。
受話器を置いた瞬間、胸の奥に小さな棘のような不安が刺さった。
「……どうして、出ないの」
窓の外はすでに夜明けの色に染まっていた。
◆第三章 夢の声
その夜。
私は夢を見た。
川辺に、少年の背中があった。
夕暮れの光に照らされ、影だけが長く伸びている。
「まって……!」
必死に呼びかけながら追いかける。
けれど、手を伸ばしても、指先は空をつかむだけ。
距離は縮まらず、逆に遠ざかっていく。
やがて、かすかな声が耳に届いた。
――僕を探して。
――あの川に、もう一度きて。
はっとして目を覚ます。
時計の針は深夜を指していた。
胸は高鳴り、夢と現実の境目が揺れている。
私は布団を跳ねのけ、外へ飛び出した。
夜の街はひっそりと静まり返り、足音だけが響いた。
胸の奥で何かが強く引っ張っていく。
やがて川辺にたどり着いた。
けれど、そこには何もなかった。
重機の影と、工事用の柵だけが並んでいる。
風に吹かれたビニールシートがばさばさと音を立てるだけ。
私は立ち尽くし、力なく膝をついた。
「……いない」
声が震えて、涙が頬を伝った。
夜明けが空を染め始める頃、私は家に戻った。
玄関で待ち構えていた母にきつく叱られたが、そんなことはどうでもよかった。
――やっぱり、あの子はもういないの?
胸の奥に、冷たい影が広がっていった。
◆第四章 記憶のかけら
次の日、スマホに一通のメッセージが届いていた。
――陽菜? 電話くれたの君だろ。ごめん、出られなかった。話せるかな。
見知らぬ番号。
誰だろうと首をかしげていると、すぐにもう一通。
――俺だよ。大地。覚えてる?
胸が跳ねた。
大地。子どもの頃、川で一緒に遊んだ幼なじみ。
私は慌てて返信した。
――会いたい。
――――
待ち合わせたのは、昔よく通っていた小さな喫茶店。
扉を開けると、懐かしいベルの音が鳴った。
奥の席に、大地がいた。
少し背が伸び、大人びた顔になっていたけれど、笑ったときの目元は昔のままだった。
「……やっぱり、陽菜だ」
彼は立ち上がり、笑った。
「どうして番号がわかったの?」と私が尋ねると、大地は少し照れたように答えた。
「……ずっと登録してたんだ。いつか繋がるかもって思って」
胸の奥がじんと熱くなった。
私は返す言葉を探せず、ただ視線をそらした。
大地も大学生で今は海外留学の為の勉強の途中らしい。
将来は海外で働こうとでもいうのだろうか?
私は「意外だなー」と思いつつもコーヒーを一口すすった。
それからは昔の話をして、重ねるうちに、ふと私は言った。
「そういえば、あの川で遊んでた男の子って、いつからいなくなったんだろう」
大地はしばらく考え込み、ぽつりと答えた。
「……開発工事が始まった頃だな。だから、俺は“引っ越したんだろう”って思ってた」
引っ越し。
その言葉が胸に引っかかる。
私は思わず大地の腕を掴んだ。
「……苗字はわからないけど、とりあえず探してみたい。市役所か学校に記録が残ってるかもしれない」
大地は少し驚いたように目を見開き、そして静かにうなずいた。
「……わかった。つきあうよ」
――――
市役所と母校を回った。
名簿や記録を見せてもらったけれど、探している“彼”の名前は見つからない。
そもそも、下の名前しか覚えていないことに、私は今さら気づかされる。
「……ごめん、大地。手がかりが少なすぎるね」
夕暮れ、再び喫茶店に戻って、私は力なく笑った。
「いいさ。久しぶりに陽菜と歩けただけで、楽しかったから」
大地はカップを口に運びながら、さらりとそう言った。
胸が温かくなった。けれど、それ以上に心は重かった。
そのときだった。
隣の席に座った老人たちが話している声が耳に届いた。
「昔はあの川に神様がいたもんだ」
「子どもの頃は、あそこでよく遊んだもんじゃ」
「ははは、懐かしいな。ガキの頃は本気で信じてたっけなぁ」
私は思わず耳を澄ませた。
大地も視線を上げ、私と目を合わせた。
胸の奥に、ぞくりとしたざわめきが広がっていく。
――神様?
お守りを無意識に握りしめながら、私は小さく息を呑んだ。
◆第五章 二度目の夢
その夜、私は再び夢を見た。
――冷たい。
気づけば、私は川の中に沈んでいた。
けれど、それは昔の透明な川じゃない。
濁流に混じって、プラスチックの袋や空き缶、錆びた鉄の破片が流れてくる。
腐った匂いが鼻を突き、喉にまとわりつく。
必死に手を伸ばしても、掴めるのはごみの切れ端だけ。
鋭い金属片が腕をかすめ、血がにじんだ。
「……っ、くるしい……」
泥水の中で呼吸ができない。
声を出そうとすれば、廃油のような黒い膜が口をふさぐ。
そのとき、濁流の向こうに少年の影が見えた。
小さな背中。私が探し続けている、あの子。
――たすけて。
――川が……息ができない……。
声が頭の奥に直接響いてくる。
私は必死に泳ごうとした。けれど、足元が重く沈む。
見下ろすと、コンクリートの破片や黒い土嚢が積まれ、私の足首を絡めとっていた。
まるで、この川ごと埋め立てられていくみたいに。
「……いや……いやだ……!」
必死に叫んだ瞬間、水が一気に肺に流れ込み――。
――――
「はっ!」
私は布団の中で荒い息をついていた。
全身が汗で濡れ、心臓が早鐘のように打ち続けている。
夢だった……?
けれど、まだ喉にゴミの臭いと苦しさが残っている。
あまりに生々しくて、現実との境目がわからなかった。
私はお守りを取り出した。
小さな鈴がかすかに揺れる。
その瞬間、ほんの一瞬だけ光ったように見えた。
「……澄人……」
名前を口にした途端、胸が強く締めつけられた。
夢の中の声と、このお守りがつながっている気がしてならなかった。
――――
次の日。
私は大地に夢の話をした。
「……澄人が、苦しんでる気がするの。川に埋められて、助けてって呼んでる」
大地は黙ってコーヒーを飲んだ。
やがて、ため息をつくように口を開いた。
「陽菜……正直、そんな話、信じられない。
ただの夢だろ。疲れてるんじゃないのか」
「違う!」
声が大きくなり、周りの客が振り向いた。
私は慌てて口を押さえる。
――やっぱり、信じてもらえない。
胸の中に冷たい孤独が広がっていった。
でも、それでも、あの夢の感覚を無視することはできなかった。
お守りを握りしめながら、私は小さく呟いた。
「……私は、信じる」
――――
夕暮れ、川辺に立つと、工事用のフェンスの向こうで重機が土を押しならしていた。
ゴミの山、積まれるコンクリートの破片。
風に揺れたビニールが、不気味に鳴った。
私は一人、濁った川面を見つめた。
――澄人。私は、必ず見つけるから。
胸の奥で、強い決意が芽生えていた。
◆第六章 孤独と決意
夢の話をした翌日から、私はますます川のことが気になって仕方がなかった。
私は町役場に足を運び、工事の計画書を調べ始めた。
そして、街の人々に声をかける。
「このままじゃ、川が……! 街が壊れてしまう! どうか工事を止めてほしい!」
けれど返ってくるのは冷たい視線ばかりだった。
「何言ってんだ。川なんてもう汚れてるし、開発の方がよっぽど役に立つんだ」
「学生の思いつきで工事が止まるわけないだろ」
「神様? バカバカしい」
心臓を掴まれるような痛みが広がる。
必死に声を張り上げても、誰も耳を貸してはくれなかった。
――――
夕暮れの川辺。
私は必死に声を上げていた。
誰にも信じてもらえず、ただ冷たい言葉に傷つきながらも、涙をこらえて立ち続ける。
「……どうして誰も、分かってくれないの」
そのとき、背後から声がした。
「……お前、本気なんだな」
振り返ると、そこに幼なじみの大地が立っていた。
昨日までは半信半疑だった彼の表情は、今は真剣そのものだった。
「神様とか、夢とか……正直、信じられなかった。
でも……お前が誰に笑われても必死に叫んでるの見て、本気なんだって分かった。
俺も……一緒にやるよ。街を守ろう」
涙で視界がにじむ中、私は何度も頷いた。
「ありがとう……ほんとにありがとう」
その姿を見ながら、大地は胸の奥に言葉を飲み込んだ。
(……俺は、お前のことがずっと好きだったんだ)
だが、その想いを口には出さない。
彼女の目が、別の“誰か”を追い続けていることを知っていたから。
それでもいい。
隣で支えることなら、自分にだってできる。
「行こう。俺たちで、この街を守るんだ」
二人は川辺に並び立ち、夕陽に染まる水面を見つめた。
そこにはまだ何も映っていなかったが、陽菜の胸には微かな希望が灯っていた。
◆第七章 仲間たち
大地と二人で動き始めてから、数日が経った。
町役場で資料を集めたり、川辺で写真を撮って証拠を残したり。
けれど二人だけの力では、どうにも限界があった。
「やっぱり、人手がいるな」
大地がそうつぶやいたとき、私はふと昔の友達の顔を思い出した。
――一緒に川で遊んでいた、あの子たち。
――引っ越した子もいれば、まだこの街に残っている子もいる。
「連絡してみよう」
私は決意して、スマホを取り出した。
――――
最初に応えてくれたのは、同じ小学校だった美咲だった。
彼女は島を出て大学に通っていたが、ちょうど夏休みで帰省していたらしい。
「ほんとにあんた、変わらないね。川の神様探してるなんて」
最初は笑いながらも、私の真剣さを見て、美咲は表情を引き締めた。
「……でも、私もあの川が汚れていくのを見るのは嫌だった。手伝うよ」
次に加わったのは、街に残っていた健太。
彼は最初、半信半疑で腕を組んでいた。
「開発に反対って……そんなことできるわけないだろ」
それでも、川辺で遊んだ思い出を語るうちに、頬をかいて笑った。
「……まあ、陽菜がそこまで言うなら、やってみてもいいか」
少しずつ、仲間が集まっていった。
――――
夜、みんなで喫茶店に集まり、作戦会議をした。
工事計画書を机に広げ、赤ペンで囲みながら声を重ねる。
「まずは市民に知ってもらわなきゃ」
「署名活動とかどう?」
「SNSで広めるのもアリだな」
昔はただ遊んで笑い合っていた仲間たちが、今は一つの目標に向かって真剣に話している。
その光景を見ていると、胸の奥が熱くなった。
「……ありがとう、みんな」
思わず声が震えた。
それを聞いて、大地が隣で小さく笑った。
「バカだな。まだ始まったばかりだろ」
夕暮れの窓の外、赤く染まった川が静かに流れていた。
その水面には、どこか懐かしいきらめきが戻りつつあるように見えた。
◆第八章 声を上げる
仲間が集まり、私たちは本格的に動き始めた。
川の写真を並べ、工事計画書のコピーを広げ、街の人々に説明する。
「このままじゃ川が埋め立てられて、街の環境が壊れてしまいます!
どうか署名に協力してください!」
喫茶店で考えた通り、署名用紙とタブレットを用意して、一人ひとりに頭を下げた。
最初に応えてくれたのは、同じ大学に通う先輩だった。
「へえ、面白いことやってるね。俺、署名するよ」
その一言に胸が熱くなった。
けれど、そう簡単にはいかなかった。
「工事は市の決定事項だろ? 学生が何言っても無駄だ」
「開発が進めば観光も便利になるんだ。足を引っ張るな」
「川? そんな汚いもん残してどうする」
私たちの訴えは、冷たい言葉と失笑にかき消されていった。
SNSにも投稿した。
ハッシュタグをつけ、写真と共に必死で拡散を呼びかけた。
だが、コメント欄には心ない言葉が並んだ。
《学生の遊びで街を止められると思うな》
《どうせすぐ飽きる》
《神様ってww》
スマホの画面を見つめながら、胸が潰れそうになった。
――――
夕暮れ、仲間たちは川辺に集まっていた。
みんな疲れた顔をして、言葉が出なかった。
「……ごめん」
思わず、声がこぼれた。
「私が言い出したのに、何もできなくて……」
すると、大地が口を開いた。
「バカ。謝るなよ。これはまだ始まったばかりだ」
「でも……」
「でもじゃねえよ。陽菜、諦めたいのか?」
強い声に、私ははっと顔を上げた。
大地は真剣な目で私を見つめていた。
「一度でうまくいくわけない。何度でもやろう。
……お前が本気なら、俺たちもついていく」
仲間たちがうなずいた。
沈んでいた心に、少しだけ光が差した。
「……ありがとう」
私はお守りを強く握りしめた。
川の向こうで、かすかに水面が光った気がした。
◆第九章 お守り
その夜、私は再び夢を見た。
――川辺。
けれど、そこに広がっていたのは、昔のままのきらめく水面だった。
夕暮れの光に照らされて、川は金色に輝いている。
その向こうに、少年の姿があった。
背中ではない。
初めて、正面から顔が見えた。
「……澄人……」
思わず名前を呼ぶと、彼は驚いたように目を見開き、やがて柔らかく笑った。
その笑顔は、幼い頃に見たままのものだった。
「……覚えていてくれたんだね」
涙がこみ上げる。
会いたかった、ずっと。
胸の奥に押し込めていた想いが溢れていく。
「澄人……! どうして、消えちゃったの……?」
彼は少し俯き、川面を見つめた。
「僕は、この川の神様なんだ。
工事で川が壊されて、力を失って……人の姿を保てなくなっていた」
その言葉に、息をのんだ。
やっぱり――老人たちの話は本当だった。
「でも、君が覚えていてくれた。呼んでくれた。
それだけで、僕は……ここに戻ってこれた」
澄人はゆっくりと手を差し伸べた。
指先が触れた瞬間、私のカバンにつけていたお守りが強く光りだした。
まばゆい光に包まれ、胸が熱くなる。
涙が止まらなかった。
「澄人……!」
彼は微笑んだ。
その声は、風のように優しく耳を撫でていった。
――ありがとう。
――もう一度、会えてよかった。
次の瞬間、光が弾けるように消えた。
私は布団の中で目を覚ました。
胸の鼓動がまだ早鐘のように鳴り響いている。
枕元を見ると、お守りが淡く光を残していた。
「……夢じゃ、ない……」
震える声が闇に溶けていった。
◆第十章 みんなの力
次の日、私は仲間を集めて、勇気を振り絞って打ち明けた。
「……あの子の名前は、澄人。
子どもの頃、一緒に川で遊んだ男の子。
でも本当は、この川を守る神様だったの」
一瞬、沈黙が流れる。
みんなの視線が集まり、喉がカラカラに乾く。
「最初は信じてもらえないかもしれない。でも……夢の中で会ったの。
お守りが光って、彼が“ありがとう”って言ってくれた。
川が苦しんでる、助けてって……」
美咲が小さく笑った。
「……陽菜って、昔からそうだったよね。真っ直ぐで、嘘がつけない」
健太が腕を組んでうなった。
「神様ってのは信じがたいけど……でも、川がこのまま壊れていくのを見過ごすのは嫌だな」
大地は静かにうなずいた。
「俺は最初から信じるって決めてた。だから最後まで一緒にやる」
胸が熱くなり、視界が滲んだ。
「……ありがとう、みんな」
――――
それからの毎日は、嵐のように忙しかった。
清掃活動を呼びかけ、川辺に捨てられたゴミを集める。
SNSで写真を投稿し、少しずつ「若者が街を変えようとしている」と話題になった。
署名活動も広がり、最初は冷たかった大人たちの中にも賛同してくれる人が現れ始めた。
「よく頑張ってるな」
「昔の川を思い出したよ」
そんな言葉をかけられるたびに、胸が震えた。
――――
ある夕暮れの日。
工事のフェンスの向こうに広がる川面が、少しだけ澄んで見えた。
光が反射し、きらめきが戻ってきているようだった。
「……澄人、見える?」
私はお守りを握りしめ、胸の中で問いかけた。
返事はなかった。
けれど、風が頬を撫でた。
まるで誰かが「ありがとう」と囁いているように。
仲間と並んで川辺を見つめながら、私は小さく呟いた。
「必ず、守ってみせるから」
その決意に呼応するように、川面がきらりと光った。
◆第十一章 告白
清掃活動が広がり、工事の一部は見直され、川辺は少しずつ息を吹き返していた。
透明な水面が戻り始め、夕陽が反射して黄金色に輝く。
その日、私はお守りを握りしめながら川辺に立っていた。
仲間たちが笑い合いながらゴミを片づけている。
でも、私はただ一人、川面を見つめていた。
「……澄人」
その名を呼んだ瞬間、風がざわめき、川面が光を帯びた。
目を細めた私の前に、少年の姿が浮かび上がった。
「……!」
幼い頃と変わらない、澄んだ瞳。
ずっと会いたかった、その顔。
「陽菜……」
澄人の声が、確かに耳に届いた。
涙があふれて止まらなかった。
「会いたかった……ずっと、ずっと探してたんだよ……!」
澄人は微笑んだ。
「君が呼んでくれたから、ここに戻ってこられた。ありがとう」
私は震える唇を噛みしめ、胸に手を当てた。
言わなきゃ、今しかない。
「澄人……! 私は、あなたが好き。
子どもの頃から、ずっと……ずっと大好きだった!」
声が震え、涙で視界が滲む。
澄人は静かに首を振った。
「陽菜……ありがとう。僕は神様だから、人として君の隣にいることはできない。
でも、君の想いは、確かに僕を救ってくれた」
「そんな……」
嗚咽が喉を詰まらせる。
「大丈夫。君は一人じゃない。大地や、仲間がいる。
これからも、この街と一緒に生きてほしい」
彼の姿が、光に溶けていく。
私は必死に手を伸ばした。
「行かないで……!」
触れられたと思った瞬間、指先は空をすり抜けた。
眩い光が川面いっぱいに広がり、世界が涙でにじむ。
――僕は救われたよ。
最後に残ったその声が、胸の奥に深く刻まれた。
私は涙を拭い、空を見上げた。
光は消え、そこにはただ夕暮れの川が流れていた。
けれど胸の中には、確かな温もりが残っていた。
◆第十二章 日常の中で
澄人と再会したあの日から、季節は少しずつ移ろっていった。
工事は完全に止まったわけではない。
けれど、市民の声や署名が力となり、計画は見直され、川の自然を残す方向へと動き始めていた。
ゴミ拾いをする人の姿は増え、川辺で遊ぶ子どもたちの笑い声も戻りつつある。
街の空気が、少しずつだけれど確かに変わっていくのを感じた。
――――
放課後、私は喫茶店に集まった仲間と机を囲んでいた。
新しいイベントの企画書や、清掃活動のチラシがテーブルに散らばっている。
「観光大使ってやつ、マジでやってみない?」
美咲が冗談めかして笑うと、みんなが「いいじゃん!」と盛り上がった。
「陽菜が一番似合うよな」
健太が茶化すように言って、私は思わず顔を赤らめた。
「……やめてよ、そういうの」
でも、本当は少しだけ嬉しかった。
私はこの街と一緒に生きていくんだ。
澄人と過ごした日々を胸に抱きながら。
――――
帰り道。
夕暮れの川辺を歩きながら、お守りに触れた。
もう光はしない。
けれど、確かに温もりは残っていた。
「……これからも、見ててね。澄人」
静かな水面がきらめき、風が髪を撫でていった。
それはまるで、優しく背中を押してくれるようだった。
私は顔を上げ、前を向いた。
仲間と共に、この街で生きていく未来を信じながら。
◆第十三章 天国の夏
数年後。
川は人の手で少しずつ息を吹き返し、私たちはときどき集まっては他愛ない話をした。
ある夏の午後、川辺に笑い声が満ちる。
「おかえり!」
「ただいま!」
みんなで水をはね合い、飛び石を渡って、子どもの頃みたいに走り回る。
大地がわざと私の前に立ちふさがると、向こうから――
澄人が、笑って追いかけてくる。
二人が、私を取り合うみたいに、からかい合う。
笑って、肩がぶつかって、また笑う。
やがて、時間が巻き戻るみたいに、
みんなの姿が少しずつ幼くなっていく。
川の光も、声も、夏の匂いも、あの頃のままに近づいていく。
「おかえり!」
「ただいま!」
私の頬を、ひとすじの涙が伝った。
その瞬間、川全体が幸せな光に包まれていく。
――その光景を、確かに“見ていた”。
(ほんの一瞬だけ、背丈の高い影がひとつ。
まわりが幼く還っていく中で、その影だけは変わらず、流れる光の外縁に立っていた。)
光は強く、やがて白に溶けて、音が消えた。
◆最終章 残された者
――アラーム音。
真っ白な光から切り替わるように、ホテルの薄いカーテン越しの朝が広がった。
海外出張中の大地は、ベッドの脇に置いたテレビをつけた。
画面には、現地のニュース番組が映っていた。
やがて、画面下に赤い速報テロップが流れる。
《Breaking News: Major tsunami hits coastal areas of Japan. Massive damage reported in ○○ Prefecture.》
大地は息をのんだ。
次の瞬間、映し出された映像に見覚えのある川と街の名が重なる。
濁流が建物を呑み込み、人々の叫びが世界に響いていた。
手が震え、スマホを手に取る。
通知欄に、未読のメッセージがひとつ残っていた。
差出人:陽菜
『日本に帰ってきたら、一緒に川に行こうね!』
文字がにじみ、視界が揺れる。
大地はそっとスマホを胸に抱いた。
左手の薬指には、指輪がひとつ光を帯びている。
彼はただ、画面を見つめたまま息を整えた。
声を出さなかった。出してしまえば、すべてが崩れてしまう気がした。
ゆっくりと目を閉じる。
まぶたの裏で、川が光る。
「おかえり」「ただいま」と交差したあの眩しい夏が、遠い水音のように寄せては返す。
大地の頬を、涙が一粒だけ落ちた。
――そして思った。
ーーに、君は――いない。
最後まで読んでくれてありがとうございました!
※新しく序章を加筆しました。
都会での陽菜の生活から始まります。




