無愛想令嬢は気づかない
定時を少し過ぎ、そろそろ帰り支度をしようかと立ち上がったときだった。
「よっ、リオラ」
突如として事務室に現れたのは、流れるようなさらりとした銀髪を後ろで束ねた見目麗しい優男。長身痩躯の美丈夫は、どうしたって異様に目立つ。
「もう帰るのか?」
「ええ、まあ」
「だったら、このあと食事に行かないか?」
優男は少し遠慮がちに、とはいえ断られるとは微塵も思っていないであろう余裕の表情を浮かべて尋ねる。
「……別にいいですけど」
真顔で答えると、優男のマリンブルーの瞳がぱあっと輝く。無駄にまぶしい笑顔である。
「ちょっとだけ待っててくれるか? あっちを片づけたらすぐに迎えに来るから」
「……はあ」
嬉々として立ち去る背中を複雑な思いで眺めていたら、隣の席に座るアリス先輩がくすりと笑った。
「レグルス副団長、ここんとこまめによく来るわねえ」
「そうですね。余程暇なんでしょうか」
小首を傾げる私とは対照的に、アリス先輩は何やら訳知り顔でニヤニヤしている。
ここは王立騎士団本部の事務室、そして彼は第一騎士団副団長のレグルス・グラティア侯爵令息である。
レグルス様といえば、騎士団内部のみならずこの国の社交界で知らない者はいないほどの有名人。その圧倒的美貌と第一騎士団副団長という地位を武器に数多の女性と浮名を流す、ふしだらで不誠実で軟派で軽薄で救いようのない女たらし。
ずいぶんな言われようだとは思うけど、事実だから、まあ仕方がない。
私がその噂を知ったのは、事務官として騎士団本部に勤務するようになった頃のこと。
書類の不備を確認したくて騎士団員たちの拠点である騎士棟に向かっていると、何やら言い争う声が聞こえてきたのだ。
「……どうして私以外の女と会うのよ!?」
「そりゃ、いろんな女の子と遊びたいからに決まってるだろう?」
「私だけじゃダメなの!? 私はレグルス一筋なのよ! 全員と別れて私とだけつきあってよ!」
「……お前さ、そういう面倒くさいことは言わない約束だったよな?」
突然の修羅場である。百パーセント痴情のもつれ、完全なる色恋沙汰の真っ最中である。
就職早々、やばい現場に遭遇してしまった。そう思った私は、素知らぬ顔でそそくさとその場から立ち去った。と見せかけて、実は廊下の柱に隠れながら興味津々で覗き見した。純然たる野次馬根性がほとばしるままに、である。
「レグルス」と呼ばれた長身の男性は麗しい銀髪をなびかせながら、端正な顔を歪ませてため息をつく。
「鬱陶しいんだよ、そういうの。誰か一人に縛られるとか無理だし、気を遣ったりまめに連絡したりとかも煩わしいしさ」
「そんな――!」
「はあ、マジで萎えた。悪いけど、お前と会うのはもうやめるわ」
そう言って、長身の男性はさっと踵を返す。追いすがる女性が懸命に引き留めようとするけれど、一切構うことはない。
これは控えめに言って、最低である。最低オブ最低。残念ながら、最低以外の言葉がちょっと見つからない。
偶然目にした衝撃的な場面に半ば唖然としながらも、なんとか事務室に戻った私はすぐさま教育係であるアリス先輩に洗いざらいぶちまけた。
「あー、それはね……」
アリス先輩は目を通していた書類の束をまとめながら、忌々しげに説明してくれる。
曰く、レグルス副団長は学生時代から女癖が悪く、貞操観念の緩い根っからの遊び人で、噂になった女性は数知れないという。
「はっきり言って、あんなのクズよ。女の敵よ」
アリス先輩の強い口調には理由があるらしい。なんでも、学生時代に先輩の友人がレグルス副団長に熱を上げ、散々な目に遭ったんだとか。何があったのかと尋ねたら、「学園を卒業したばかりのあなたには刺激が強すぎるから」と言って教えてくれなかった。すごく気になる。
「だからね、リオラも気をつけなきゃダメよ?」
先輩の気遣わしげな目をじっと見返して、私はさほど表情を変えずに答える。
「私が、ですか?」
「そうよ」
「どう考えても、レグルス副団長は私なんかに興味を持つわけがないと思うのですが」
きっぱりはっきり言い切る。アリス先輩も、理由を察して「うっ……」と唸る。
赤錆のごとくくすんだ茶色の髪を後ろで固く一つに結び、そこそこ分厚い眼鏡をかけ、どこまでも真顔で常に正論を振りかざす私は『能面令嬢』だの『無愛想令嬢』だのと揶揄され、遠巻きにされてきた。
もちろん、これでも学園に入学した当初は気さくでフレンドリーな雰囲気を目指して頑張ったのだ。一生懸命、鏡の前で笑う練習もした。当時同じ屋敷に住んでいた従弟のガルスに「お前なんか何やったってどうせダメなんだから」と笑われながらも、ひたすら努力を重ねたのだ。
でも、結果は惨憺たるものだった。惨敗だった。友だちの一人もできなかった。だからもうしょうがないと諦めて、とにかく学業に勤しんだ。その結果、文官試験に見事合格し、騎士団本部に事務官として配属されたのだ。
そんな真面目で堅物で、地味を極めたような私に百戦錬磨の手練れと名高いレグルス副団長の食指が動くわけなくない?
予想は的中し、副団長とはほとんど接点を持つことなく、日々が過ぎていった。
就職して一年ほどが経った頃、必要書類を返却するため騎士棟にある第一騎士団の執務室へ行ったときのこと。
団長が不在だったこともあって副団長のレグルス様に書類を渡したら、唐突にこう聞かれた。
「あれ? 君は確か、事務室でアリス嬢の隣に座ってる子だよね?」
「……はい、そうです」
「名前は?」
「リオラ・シレンテと申します」
「へえ、可愛い名前だね」
まるで息をするように、誰にでもこういう殺し文句を吐くんだろうなあ、この人。私みたいな能面地味子にも気配りを怠らないなんて、ある意味サービス精神旺盛な神対応じゃない? などと感心する気持ちはおくびにも出さず、私は大真面目に「ありがとうございます」と応える。
「お近づきになった印に、これあげるよ」
そう言って、レグルス副団長は自分の机の上にあった可愛らしい包みをぱっと差し出した。
「……え……?」
「王都の大通りにおしゃれなスイーツ店ができただろ? あそこのクッキーらしいよ」
「あの、でも……」
「いいのいいの。あげるよ」
そのスイーツ店は、事務室でもだいぶ話題になっていた。私も気になって近くまで行ってみたけど、なんせ店の佇まいがおしゃれすぎたのだ。こんな地味子が入っていったら場違いすぎると白い目で見られるのはもちろん、店の品位すら落としかねない。そう思って、一目散に帰ってきたのだった。
「……あ、ありがとうございます……」
気配りの神が施す尊い恩恵がうれしくて、少しだけ笑みがこぼれてしまう。
その様に、百戦錬磨の女たらしが目を奪われていたなんて――――
そのときの私は、知る由もない。
それからというもの、なぜかレグルス副団長に声をかけられることが格段に増えた。
事務室で黙々と仕事をしていれば、書類を提出しに来た副団長に「リオラ、元気か?」とやけに爽やかな笑顔を向けられる。
廊下を歩いていれば「どこに行くんだ?」と暇そうな副団長が寄ってきて、なんだかんだと理由をつけては目的地までついてくる。
しかも、勝手に呼び捨てにされていることをやんわりと指摘したところで、どこ吹く風。私の名前を呼び捨てにする人なんて、アリス先輩と叔父と厄介な従弟くらいなものである。叔母は私のことを名前で呼ばず、「あなた」とか「そこの人」とか言うのでカウントしない。
面倒見のいい先輩でもなく身内でもないまったくの赤の他人に「リオラ」と呼ばれるのは、なんだか不思議な心地がする。
そんな、ある日。
事務室のある管理棟と騎士棟の間にある渡り廊下を歩いていたら、中庭のほうからいきなり「みゃー、みゃー」という鳴き声が聞こえてきた。
近寄ってみると、一列に並んだ低木の陰に小さな子猫が隠れていたのだ……!
子猫は私が近づいても怯える様子がなく、むしろ足元に擦り寄ってきてやたらと人懐っこい。抱き上げても抵抗せず、「腹が減った。何か食わせろ」的なふてぶてしい雰囲気すら醸し出す。なんだこれ。可愛すぎる。
自然にほころぶ口元を押さえながら子猫とにらめっこしていると、「リオラ? どうかしたのか?」なんて声がした。
振り返ると、レグルス副団長が駆け寄ってくる。
「どうした? ん? 子猫か?」
「はい。どうやら迷い込んでしまったらしく」
私とレグルス様がやり取りしている間も、子猫は黙って私の腕に抱かれている。まるで、昔からここが自分の定位置だと言わんばかりの堂々とした態度に、思わず微笑んでしまう。
「……リオラ」
「はい?」
顔を上げたら、面食らったような顔つきの副団長と目が合った。
「なんでしょう?」
「い、いや……」
急に挙動不審になってきょろきょろと視線を泳がせる副団長は、「なんだよその笑顔……」とか「反則だろ……?」とか一人でぶつくさ言っている。
「と、とにかく、親猫が近くにいるかもしれないし、探してみるか」
それから私たちは、しばらく中庭の中をあちこち探し回った。だんだん、なんだどうしたと人が集まってきて、最終的に十人くらいの職員で辺りを探してみたものの親猫らしき猫は見つからなかった。
「この子、どうしましょう……?」
私は騎士団の寮に住んでいるから、猫を飼うことができない。未婚の職員のほとんどがそうだろう。
既婚者は自分の屋敷を持つ人が多く、また団長・副団長クラスや何かしらの役職に就く人も騎士団から貸与された屋敷に住んでいる。
結局、見つかった子猫は既婚の女性職員が自分の家でしばらく預かってくれることになった。やれやれと胸を撫で下ろし、厚かましくもどこか憎めない子猫を引き渡したのはいいのだけれど。
この騒動(?)以降、レグルス副団長は勤務中に声をかけてくるだけでは飽き足らず、どういうわけか今日みたいな退勤後や週末なんかもあれこれと誘ってくるようになったのだ。
特に、週末はわざわざ事前に約束させられて、あちこち連れ回される羽目になっている。
はじめは、アリス先輩や事務室勤務の女性たちにとてつもなく心配された。
「あの女たらし、今度は純真無垢なリオラをたぶらかそうとしてるんじゃ……!?」
「それはないと思いますよ」
あっさり否定すると、女性陣はみんな呆気に取られたような顔をする。
「あれはですね、多分慈善事業です」
「慈善事業?」
「はい。女たらしで有名なレグルス副団長が、私なんかをそういう目で見るわけがないじゃないですか。あれはむしろ、恋愛に縁がなくさびしい人生を送るであろう哀れな小娘のために貴重な体験を無償で提供してくれる、いわばボランティア活動なのではと」
実際、副団長に誘ってもらわなければ、街で有名な人気カフェにも今流行りの観劇にも足を向けることはなかったと思う。だって、そんなところに私なんかが一人で出向くなんて、恐れ多いじゃない? お前なんかにおしゃれスイーツの味がわかるのか? とかお前が観客になった時点で劇の評判を落とすだけだ、とか言われそうだし。
それに、私を連れ回す副団長の態度は、意外にも一貫して紳士的だったのだ。
就職当初、わりと最低な部類に入る修羅場を見学したこともあり、レグルス副団長の印象は当然「噂通りのとんでもないクズ」だった。
そりゃそうだ。
見目麗しい女性たちをとっかえひっかした挙句、少しでも本気になられたら無慈悲に打ち捨てるなんて、人としてあり得ない。言語道断、男の風上にも置けないと思う。ただ、だからこそ、接点が生まれるはずはないと高を括っていた。
それがどういうわけか頻繁に顔を合わせるようになり、勤務時間外のお誘いを受けるようにもなって、副団長が存外まめで親切だということを知った。
何をするにも甲斐甲斐しく世話を焼いてくれるし、時折「会えるのが楽しみ過ぎて、約束した時間よりだいぶ早く来ちゃったよ」とか「今日のリオラはまた一段と可愛いな。可愛すぎて、誰にも見られたくないな」とか、やや糖分過量なリップサービスまで付いてくる。
もちろん、私も外見はともかく中身はごくごく一般的な小娘なので、そういう言葉に多少舞い上がってしまうことは否定できない。でもそれ以上に、「さすがは当代一の女たらし、相手がこんな貧相な地味子であってもまったく手を抜かないとは女殺し道、ここに極まれり」などと感心してしまう。
というわけで、恋愛とか色恋とかが絡まなければ、副団長は案外律儀な、ともすれば過剰なほどのボランティア精神に溢れた人なのだという結論に至った。
だいたい、若くして第一騎士団の副団長にまで上り詰めた人なのだ。乱れ切った女性関係に目をつぶれば、仕事のできる人格者と言えるだろう。あくまでも、ただれた女性関係を考慮に入れないという条件付きではあるけれど。
「リオラ、どうした? 口に合わなかったか?」
思いのほか優しい声に、ふと我に返る。
視線を向けると、レグルス副団長の不安そうなまなざしが私の顔色を窺っている。
退勤後に上機嫌で連れてこられたのは、最近オープンしたばかりの話題のレストランだった。わざわざ予約していたらしい。まめまめしいことである。
「いえいえ。とてもおいしいですよ」
真面目な顔で答えると、副団長はわかりやすくホッとした表情を見せる。
「ところでさ」
「はい」
「もうすぐ、リオラの誕生日だろう?」
「よくご存じですね」
「どこか行ってみたいところはないか? 入ってみたいカフェとかレストランとかさ」
「はい?」
「いつもは俺が勝手に決めちゃってるけど、せっかくの誕生日だし、リオラのリクエストに応えたいなって……」
「……はい?」
つい怪訝な顔になって、副団長をまじまじと見返してしまう。どういうわけか、ほんのりと頬を染めている気がしないでもない副団長。なぜ?
「……それは、私の誕生日を、レグルス様が祝ってくださるということでしょうか?」
恐るおそる、探るように、できるだけ言葉を選ぶつもりが、うっかりストレートな聞き方になってしまった。
ちなみに、二人きりでいるときは「レグルス様」と呼ぶようにとしつこく頼まれている。理由は不明である。
「も、もちろんだよ。リオラの誕生日を俺が祝うのは、当たり前のことだろう?」
「そうでもないと思いますけど」
はにかむような、けれどどこかうっとりと緩んだ表情をしていたレグルス様が一瞬で固まった。それを横目に、私は淡々と言葉を続ける。
「レグルス様には常々お世話になっておりますし、身に余るご厚意には大変感謝しております。でも誕生日を祝っていただくほどの関係ではございませんし」
「は?」
「いつも過分なお心遣いをいただき、申し訳ないなと思っていたくらいなのです。私の誕生日など気にせず、どうぞほかの方々と存分に楽しんでくださいませ」
「……え」
「それに、そもそもその日は叔父の屋敷に呼ばれておりまして」
言いながら、途端に憂鬱な気持ちになる。ため息がもれそうになって、慌てて引っ込める。
「叔父の屋敷……? ああ、シレンテ伯爵邸か?」
「はい。詳しいことはよくわかりませんが、顔を出すようにと言われているのです」
十中八九、誕生日を祝ってくれるつもりではないだろう。嫌な予感しかしないけど、断ることもできない。なんせ、叔父である。一応、私の身元引受人でもある。
というか、叔父に会うのは別に嫌ではない。それなりに恩義を感じているし、悪い人じゃないことはとっくに知ってるし。
でもなあ。なんて、鬱憤まみれの過去をいろいろと思い出していたら、引っ込めたはずのため息がやっぱりもれてしまった。
◇・◇・◇
誕生日当日。
久々に訪れたシレンテ伯爵邸は、相も変わらずじっとりと陰鬱な雰囲気に包まれていた。
かつては私の家だったこの屋敷に、もはや懐かしさも感慨もない。来たばかりだというのに、もう帰りたいんですけど。あーあ。
とほほな気分を持て余しつつ中へ入ると、吊り目の執事が待ち構えていた。この人は叔母の言いなりだから、これまでまともに会話をしたことがない。
そのまま、叔父の執務室へと通された。
廊下ですれ違うすべての使用人たちに邪悪な視線を向けられながら、まあこの家ならさもありなん、と半ば諦めの境地である。
それでも、執務室で待っていた叔父は私の顔を見るとうれしそうに微笑んだ。
「久しぶりだな、リオラ。元気にしていたか?」
「はい、なんとか」
私の答えに柔らかく目を細め、満足そうに頷く叔父。
私が幼い頃、シレンテ伯爵を継いで間もない両親が馬車の事故で亡くなった。
幼すぎて爵位を継げない私の代わりに、父の弟である叔父がシレンテ伯爵を継ぐことになった。私は領地にいる祖父母のもとに引き取られ、そのまま自然あふれる田舎ですくすくのびのびと成長した。
王立学園に入学する年になったとき、「うちから通えばいい」と言ってくれたのは叔父である。祖父母の強い勧めもあって私はかつての我が家に戻り、ここから学園へと通うことになった。
ただ、それを歓迎してくれたのは叔父だけだった。
叔父の妻とその息子、つまり叔母と従弟は私を厄介者としてぞんざいに扱った。叔母は私の存在をことごとく無視し、二つ年下の従弟は「地味女」「眼鏡ブス」などと悪意をもって蔑んだ。
特に従弟であるガルスの言葉は辛辣で容赦がなく、ねちねちとしつこかった。はじめのうちはやんわりと言い返していたのだけど、「やんわり」が通じるような真っ当な相手ではなかったし、かと言って居候の私が真正面から説教するわけにもいかず、結局従弟が垂れ流す罵詈雑言は放っておくしかなかったのだ。
あー、やだやだ。思い出すだけで、気が滅入る。
「リオラ」
ソファの正面に座った叔父は、なぜかおずおずと遠慮がちに口を開く。
「……実は、折り入ってお前に話があってな」
「なんでしょう?」
「お前と婚約したいという相手がいるのだよ」
おっと。これは驚いた。
縁談? まさかの?
今世紀最大の能面地味子と呼ばれている、この私に?
想像の斜め上の展開に二の句が継げずにいると、叔父は少し疑わしげな顔をしてぎゅう、と眉間にしわを寄せる。
「その前に、一つ確認しておきたいのだが」
「はい」
「最近、お前は第一騎士団副団長のレグルス・グラティア侯爵令息とずいぶん懇意にしているそうじゃないか」
叔父の言葉に、私は思わず失笑した。
「懇意って、なんですか? 男女の仲とかそういう意味ですか?」
「違うのか?」
「そんなわけないでしょう? レグルス副団長ですよ? 確かに最近よく声をかけられますけど、あれはなんというか、一種のボランティア、支援活動の一環なんですよ」
「支援活動の一環?」
「とにかく、そういう仲ではないですから」
あっけらかんと答える私に、叔父は幾分納得がいかないながらも話を進めることにしたらしい。ごほん、とわざとらしく咳払いなんかして、唐突に居住まいを正す。
「縁談の相手は、ガルスなんだ」
………………は?
やばい。驚きすぎて、一瞬意識が遠のいた。
「驚くのも、無理はない」
よかった。叔父の感覚も多少まともだった。いや、よくはない。全然よくない。
「どういう、ことですか……?」
やっとのことで、言葉を返す。異常なほど声が掠れている。
「以前から、ガルスにそろそろ婚約者を決めてやらねばと思っていたんだよ。でもあいつはなぜか乗り気じゃなくてね。のらりくらりとはぐらかされていたんだが、この前ようやく白状したんだ。『婚約するなら、リオラがいい』『リオラじゃなきゃ嫌だ』と」
「はあ?」
「いやいや、怒るな。私だって驚いたんだ。なんせ、お前がここにいる間、あいつはお前のことを忌み嫌って罵倒し続けていたのだからな。でも違うんだ。あいつはお前のことが気になって、ちょっと素直になれなかっただけで――」
「なんですかそれ。年端もいかない世間知らずの子どもが好きな子には意地悪してしまうという、あの都市伝説的なあれですか? だから許してやれとでも?」
「いや、その……」
「冗談はやめてください。どうせまた、ガルスの意地汚い策略に決まってます」
ぴしゃりと突っぱねると、叔父は深々とため息をつく。
「まあ、そう言うな。あいつはお前のことを一途に想い続けてきたんだよ」
叔父は私の困惑と拒絶など意に介さず、ガルス本人から聞いたという『片想いエピソード』を有無を言わさず開陳し始める。
でもそれは、はっきり言って拷問だった。聞くに堪えない痛いエピソードの大行進だった。
「眼鏡が似合っていて可愛すぎたから、つい『眼鏡ブス』と言ってしまった」とか、「いつも素っ気ないから構ってほしくて、延々と意地悪をした」とか、「学園を卒業後騎士団の寮に入ってしまったから、会いたくて何度も騎士団本部に通い詰めた」とか、もうなんだそれ? どこからツッコめばいいのかわけわからん。黙って聞かされるこっちの身にもなってくれ。
というか、できれば死ぬまで聞きたくなかった。キモすぎるの一言に尽きる。
「とにかく、ガルスの気持ちもわかってやってくれないか?」
懇願するかのような目をする叔父に、それ以上反論する気にもならず。
せっかくの誕生日だというのに自分史上最大レベルの爆弾を投下され、私は暗澹たる思いで帰宅した。
翌日。
「ちょっと、クマがひどすぎない?」
出勤してきたアリス先輩に問答無用で指摘される。
「すみません、昨日眠れなくて」
「どうしたの? 誕生日だったんでしょう?」
「絶望という名のプレゼントをもらいましたよ」
我ながらうまいことを言ったな、なんて思いつつ、中途半端な笑みを浮かべる。ははは。全然面白くない。
「どういうこと?」
訝しげな顔をして前のめりになる先輩に、私は昨日の一部始終を事務的に説明した。
「え、縁談?」
「はい」
「自分のことを忌み嫌っていると思っていた従弟と?」
「はい」
ちなみに、昨日はガルスと顔を合わせていない。
ガルスは私に会いたがっていたそうだけど、私が衝撃と混乱に打ちのめされるであろう未来を見越した叔父がガルスの突入を阻止してくれたらしい。
どうせならその勢いで、私と婚約したいなんてほざくガルスの戯れ言も一蹴してほしかった。
「その縁談、当然断るのでしょう?」
険しい顔をするアリス先輩は、恐らく私の答えを見透かしている。
「断れるものなら断りたいですけど、断る理由がないじゃないですか。従弟が嫌だから、なんてのは恐らく理由になりませんし、『あいつの不器用な恋情をわかってやってほしい』なんて叔父からも言われてしまいましたし」
「レグルス副団長には話したの?」
食いぎみに尋ねるアリス先輩に、どうしてみんなここぞとばかりに副団長の名前を出すのだろう、という素朴な疑問を禁じ得ない。
「話してませんけど」
「じゃ、じゃあ、すぐに話したほうがいいわよ」
「なぜですか? 副団長には関係ない話ですよ?」
「でもほら、あの人はなんだかんだ言って、男女関係とか恋愛事情とかに詳しいじゃない? 相談してみたら、縁談を断るうまい言い訳を考えてくれるかもしれないし」
アリス先輩、「あいつはクズ」とか「女の敵」とか言ってなかったっけ?
それなのに「とにかく今すぐ行ってみるのよ!」なんて言いながら、どさくさに紛れて私を事務室から閉め出してしまう。
追い出された私は腑に落ちないながらも、渋々騎士棟に向かうよりほかなかった。
ところが――――
「レグルス副団長なら、一週間の休暇届が出ていますね」
「休暇、ですか?」
「領地にいる侯爵夫妻から急に手紙が来たと仰っていましたから、会いに行かれたのではないでしょうか?」
別に、なんの期待もしていなかったくせに、レグルス副団長の不在はどういうわけか、私の心に重く響いた。
翌週。
またしても、私はシレンテ伯爵邸に呼び出されていた。
今日は真正面に、諸悪の元凶ガルスが座っている。
どことなく緊張した面持ちで対峙するガルスに、さすがにこれまでとは違う態度を見せてくれるのだろうと半ば当然のように予想していたのだけれど。
「お前みたいな地味女、ほかにもらってくれるやつなんていないんだからさ。黙って俺と婚約すればいいんだよ」
清々しいほど何も変わっちゃいなかった……!!
いや、今更好きだのなんだの言われたところで鳥肌しか立たないだろうけど、でもまずはそういう話があって然るべきでは?
だいたい、私はこの話を受けるなんて、一言も言っていないのだ。
だというのに、ガルスの中でこの婚約はすでに決定事項らしい。
「伯爵夫人になるんだから、騎士団の事務官も辞めろよな」
「は?」
「事務官なんてしょぼい仕事、わざわざ続ける必要ないだろ?」
「いや、でも――」
「お前は俺の言うことだけ聞いてればいいんだよ。ったく、いつまで経っても可愛くないよな」
だったら嫁にもらおうとするなああああああああ!!! と雄叫びを上げそうになったときだった。
「リオラ!!」
ドタバタと足音がしたと思ったらいきなりバタンとドアが開いて、振り返るとレグルス副団長がはあはあと息を切らしながら立っている。
「え……?」
「リオラ!」
副団長はもう一度私の名前を呼ぶと、すぐさま駆け寄って跪いた。
そして痛いくらいの真剣なまなざしで、私を見据える。
「リオラ、好きだ。好きなんだ。俺と婚約してくれないか?」
「……え?」
「いきなりこんなこと言っても信じてもらえないと思うけど、本気なんだ。もうずっと、俺はリオラしか見ていない」
「え……?」
言葉を失うとはこういうことを言うのだな、と頭の片隅でぼんやり思う。我ながら妙に冷静なのは、目の前の現実をすんなりとは受け入れられないからだろう。
「ちょ、ちょっと待てよ! いきなり入ってきて何なんだよあんた!」
やや置いてけぼり感のあるガルスが、慌てた様子で副団長にぎゃんぎゃん噛みついた。
「俺か? 俺はレグルス・グラティア、第一騎士団副団長だ」
「そんなこと知ってるよ! 俺のリオラを断りもなくあちこち連れ回しやがって!」
その一言で、どうやらガルスはこっそりと私の動向を把握していたらしい事実が図らずも判明してしまった。いや、キモい。キモいしかない。できれば一生知りたくなかった。
それに、私はあんたのものじゃないっての。
「俺たちのあとをこそこそつけ回すやつがいるなとは思っていたが、君だったのか」
「う、うるさい! あんたなんか、そこら辺の女をとっかえひっかえしてればいいだろう!? 面白がってリオラにちょっかい出すのはやめろよ!」
「面白がってなどいない。さっきも言ったが、俺は本気だ」
レグルス様はそう言って、私の手をそっと握った。
優しい、触れ方だった。
「確かに、今までの俺は女性に対して不誠実だった。楽しく遊べればそれでよかったし、誰かを本気で好きになるなんて馬鹿げてるとさえ思っていた。でもリオラに出会って、いつのまにか本気で好きになっている自分に気づいたんだ」
私を見上げるマリンブルーの瞳が、心から愛おしいと言っているようでちょっと直視できない。
こんな私を好きだなんて、もしかして変な性癖でもあるのでは……? などと、だいぶ失礼なことを考えてしまうくらいには私も動揺しちゃっている。
「もちろん、これまでの俺の言動を考えればにわかには信じ難いと思うし、全部自業自得だってわかってる。でもつきあいのあった女性たちにはちゃんと謝罪して、全員きっちり別れたんだ。俺にとってはリオラだけが唯一無二の存在だし、リオラさえいてくれればそれでいい。本当は、リオラの誕生日に婚約を申し出るつもりだったんだよ」
真っすぐに愛を請う甘い視線に迫られて、私はずず、と後退りする。「あ……」とか「その……」とか意味のない言葉を羅列することしかできない自分が恨めしい。
「というか、俺の想いがリオラにまったく伝わってなかったなんて、正直ショックなんだけど」
「……え?」
苦笑ぎみに肩を落とすレグルス様の、ため息は深い。
「今まで散々デートしてきたし、好意はそれとなく示してきたつもりだったのに」
「好意、ですか?」
「そうだよ。評判の悪い俺が好きだのなんだの言ったところでそう簡単には信じてもらえないと思ったから、まずは行動で示そうと……」
「ああ、あれって、慈善事業の一環じゃなかったんですか?」
口をついて出た言葉に、レグルス様はがっくりと項垂れる。
と思ったらいきなりがばりと顔を上げて、「もうわかった」と苛立たしげに独り言ちる。
「俺がどんだけリオラを好きか、嫌というほど思い知らせてやる」
次の瞬間、レグルス様は突然私を横抱きにして、ひょい、と担ぎ上げた。
「え、ちょっ……!」
「こら、暴れるな。黙って抱かれてろ」
「ええぇぇ!?」
じたばたともがいたところで、屈強な騎士団員でもあるレグルス様に敵うわけがない。一見細身の優男なくせに、しっかり筋肉がついちゃってるのが服越しにもわかって途端に恥ずかしくなる。
「ま、待てよ! 勝手に――」
「あ、そうそう。近々グラティア侯爵家から、リオラに婚約を申し込む書簡が届くはずだ。格上の貴族家からの申し入れだし、断る理由はないだろう?」
「はあ!?」
怒りに震え、ぱくぱくと口を開けたり閉じたりしながら立ち尽くすガルスを置き去りにして、レグルス様は満足そうに高笑いする。
「リオラ、いい加減覚悟しろよ?」
「な、何をですかああああ!?」
いきなり抱き上げられた私は軽くパニックになって、レグルス様の首元にしがみつく。
そんな私の耳元に顔を近づけたレグルス様は、ひたすらとことんどこまでも甘い声で「リオラ、好きだよ」とささやいた。
このあとの展開は、『浮気性な副騎士団長の愛は伝わらない』(レグルス視点)の後半でお楽しみいただけるかと……!
『浮気性な副騎士団長の愛は伝わらない』はこちら
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