第19話 あの日のあの頃
エルフの館へ招かれたハジメは、1000年前の『異世界からの勇者』についての話を聞く。
リーゼロッテに招かれたのは、先ほど行った『白猫書店』だった。
「入って」
彼女に言われて店に入ると、先ほどまでの本棚が消えていた。
「え?」
俺が思わず声を上げると、彼女は至って冷静に説明する。
「魔法よ。内装を変えたの、貴方にとっては物珍しいのかもね」
そう言う彼女は、心なしか口角が上がっているように見えた。
そして俺は、部屋の奥へと通された。
その部屋は、乙女らしいというか、メルヘンチックな空間だった。
椅子に座らされると、彼女が紅茶を出してくれた。
客人をもてなすのには紅茶と、この国では決まっているらしい。
対面している彼女は、優雅に口をカップにつける。
「飲まないの?」
こちらには目線を送らずに、固まっている俺に一声かけた。
「うん、美味しいよ」
「そう」
彼女は表情ひとつ変えずに、ただ座っている。瞬きひとつしない様子や整った顔立ちから精巧な人形にさえ思えてきた。
それから暫くして彼女が口を開く。
「それで、何が訊きたいんだっけ?」
「えぇっと……」
「ああ、『異世界からの来訪者』と言ったことについてね」
俺の台詞を遮って言った。
彼女はとてもやりにくい相手だ。フランツさんと良い勝負をするぐらいに。
「私の瞳を見て」
そう言われたので俺はじっと彼女の瞳を見つめる。
「どう?」
「え……どうと言われましても」
「聖哲の慧眼、私の固有技能の名であり、私の瞳の名前よ」
「なんかカッコいいね」
俺の頭の悪そうな感想を聞いた呆れたと言う顔をする。頭を中では俺のことを小馬鹿にしているのだろう。
「能力は単純明快よ。『あらゆるを視る』それが私の能力」
いや、その台詞だけでは複雑怪奇だ。もう少し詳らかに言ってもらわないと困る。
「透視、千里眼、未来視、それに加えて人や物の性質や詳細な情報を見ることができる能力。これぐらい言えば良い?」
「……だから、俺の情報も知っているってとこ?」
彼女はこくりと頷く。
「そういうこと。でも、不思議なの、貴方のことは異世界からきたということしか判らない。それ以外のことは判らないの」
「君はその人がどんな人生を歩んできたかも判るの?」
「ええ、私は人の軌跡も未来も視える。だから、貴方とお友達がこの店にやってくることも判っていた。けれど、貴方の過去は何も視えない。まるで深淵のように真っ暗」
そんなことを言われると自分でも怖くなってきた。
例えば、俺の過去の記憶は神によって創られたもので、本当は異世界転生なんてしてなかったとか。
「それはないわ。確かにこの世界の住人ではない。貴方の記憶にある過去が本当のものかは判らないけど、貴方が異世界から来たということは確か」
その台詞を聞いても、別に良かったとは思わなかった。
俺の過去の記憶など良いものではない。忘却でも改竄でもしてしまう方が、むしろ良かったかもしれない。
「とりあえず、貴方のことを知っていたのは、私の眼のせい。でも、安心して、このこと誰かに言うなんてしないから」
彼女は真っ直ぐに俺の瞳を見る。それだけで信頼に値することを示した。
「判った。ありがとう」
「その、もうひとつ訊きたいことがあるんだけど」
「『民衆の勇者』についてね?」
彼女は俺の次の質問をお見通しのようだ。
「うん、お願い」
「いいわ。私はその人に会ったことがあるし」
「ちょっと待って!!」
俺が話を遮ると、彼女は明らかに不満そうな顔をする。いつも人形のように表情を変えない彼女にしては珍しいことだが、今はそれよりも気になることがある。
「確か1000年前の話だよね? 今何歳なの!?」
俺の問いに対して、彼女は冷ややかな目をする。
「レディーに年を訊ねるのは、無礼って知らないの?」
「あ……、ごめんなさい」
「2000歳よ」
「へ?」
「私は、2000年生きているエルフだと言っているの」
2000年前って、俺の世界だったらイエスだとか、そんな偉人達が生きていた時代か……。
「エルフは長寿なの、寿命で死ぬことはほぼないわ。まぁ、私の話はいいでしょ。本題に入るわよ」
彼女は崩した表情を直して、またクールな顔つきへと変わった。
「彼の名前はセルジオス。1000年前にこの世界にやってきた人物よ」
「どこから来たとか知ってる?」
セルジオス……名前的にはヨーロッパの人だろう。
「コンスタンティノープルと言ってたわ。知っている?」
「うん、俺が生きていた時代にはもうない地名だけど、1000年前なら確かに存在していた」
彼はビザンツ帝国、つまり東ローマ帝国出身の人間だったというわけだ。
「その人の元の職業は?」
「報われない農民と言ってたわ」
兵士や官僚ではなく、普通の市民だったのか。絶対的な英雄と言う割には普通の人だったとは、なんか親近感が湧く。
「リーゼロッテはどうしてその人と交流があったの?」
彼女は懐かしむような顔をした。今までで1番温度を感じる顔だった。
「元パーティーメンバー……」
「えぇ!? そうだったの!!」
「運命の道標という名前のパーティーだった。メンバーには、ヴィルフリートとゲラルトという2人の男がいたわ」
俺は1人の名前に引っかかった。
「ねぇ、ヴィルフリートって……」
「意志の集のマスターよ」
「えぇ!! てことは、ヴィルフリートさんって何歳だ!?」
興奮する俺とは正反対に彼女は冷静に答える。
「1000歳ぐらいね。セルジオスが来訪したのが、ちょうどヴィルフリートが生まれた年だから」
話の規模が大きくなり過ぎて俺の頭は混乱していた。
そんな俺にお構いなしで彼女は続ける。
「ついでに冒険者協会を創ったのは私ね」
さらっととんでもない告白をする。
俺はもしかしてとんでもない人と話をしているのかもしれない。
「あとさ、氷天の大賢者って聞いたんだけど」
「そうよ」
彼女が少しだけ得意げな顔をする。
「この世界には5人の大賢者、通称五大賢者という存在がいるの。私がそのうちの1人『氷天の大賢者』よ」
世界に5人しかいないなんて、彼女はやはり相当の実力者なのだろう。
俺が彼女に畏敬の念を抱いていると、彼女は唐突に言った。
「自分に魔法の才があるか気になる?」
「え? 魔法の才……?」
彼女は無言のまま頷くと、紅茶をまた一口飲む。
「気になる!!」
「そう、判ったわ」
彼女が謎の水晶玉を持ってきた。
「これは?」
「魔水晶。これを両手で握って」
俺は言われた通りに、ガラス玉のように透き通っているボーリングのボール程の大きさの玉を両手で握る。
すると突然、魔水晶の中で、黒い靄が少しだけ現れた。
「リーゼロッテさん……? これはどういうことですか?」
彼女は神妙な面持ちで顎に指を当てている。
「なるほどね。そういうこと……」
1人で納得しているところ申し訳ないが、どういうことか教えてほしい。
「まず、この靄の色で貴方の魔力量が判るの」
「それで結果は……?」
彼女は間髪入れずにストレートに答える。
「少ないわね。平均以下よ」
エルフが感受性に乏しいという噂は本当だったようだ。俺の気持ちを考慮することなく淡々と事実だけを述べている。
落ち込む俺に対して彼女はクールに言う。
「魔法の才能は、属性魔法の適性の多さだけじゃないわ。一つ目に魔力量、二つ目に魔法操作のセンス、そして最後、私が1番大切だと思っているものよ。それは想像力」
「じゃあ、俺はまだ、才能なしとは言えないってこと……?」
「そうよ。それに魔力量は生まれ持ったものが大きいけれど、努力で増やすこともできる。だから、落ち込むには早いわ」
その言葉を聞いて少し救われた。
「けど、貴方の適性属性はないわ」
「え? 適性属性って言うのは……?」
彼女は説明するのを面倒くさそうにした。そんな彼女に対して俺は何度もお願いしますと頼んだ。
『はぁ』と大きいため息をついてから言った。
「まず、魔法は大きく分けて、属性魔法、形状魔法、状態付与魔法、特殊技能魔法の4種類になるわ」
「なるほど……」
俺の相槌を確認すると彼女は続ける。
「そして属性魔法と言うのは、炎、水、草、雷などの自然界に存在する属性を生み出す魔法のこと。そして多くの人はどれかしらの属性に適性を持つ、けれど残念なことに貴方はどの属性にも適性がない」
彼女はバッサリと斬り捨てた。彼女に情を期待していたわけではないが、やっぱり酷だと思う。
「俺は才能がないのか……」
「適性魔法というのはあくまで適性。適性がないからと言ってその属性魔法が使えないわけじゃないわ」
「でも……才能はないんでしょ?」
彼女は首を横に振る。
「さっきも言ったでしょ? 魔法の才能は適性魔法の多さでは決まらない。あくまで一要素。貴方には他の才能があるかもしれないわ。まぁ、魔力量も低いし才能があるとは言えないけど」
リーゼロッテは意図していないのだろうが、俺のことを弄んでいる。希望を持たせてからの現実を見せる。なんて非道な女性なんだ。
俺と目が合った彼女は困り顔をした。
「ごめんなさい。こんな時どんな顔をしたら良いか判らないの」
「大丈夫だよ……。別に君のせいじゃないから」
俺は力なく笑う。
そして彼女は先ほどと一切表情を変えずに言った。
「さっきは才能があるとは言えないと言ったけど、ないとも言えないわ。もし、貴方が良かったら私が鍛えてあげても良いわ」
「本当!?」
「ええ、ただし、条件があるわ。その条件を満たせれば、鍛えてあげるだけじゃなくて、アハッツ家の頼みも聞いてあげるわ」
少し前までは頑なに要求を飲もうとしなかった彼女が、急に態度を変えた。不審にも思うが、今は話を聞くしかない。
「その条件というのは……?」
「それは……」