第10話 歳月人を待たず
ハジメにとってキツすぎる1日目が幕を閉じた。
成長を感じているハジメだったが、2日目にして新たな難題を突きつけられる!!
目を開けると白い天井が俺の顔を覗いている。
横に目をやると机上に可愛らしい観葉植物が置いてあった。
昨日アリシアから聞いた話だが、その植物の名前は『ヴァルム』と言うらしい。その花言葉は『温かさ』だと。
俺はゆっくりと起き上がり体を伸ばす。
暗い紺色の遮光カーテンを開けると、窓の外には美しい木々があり、下を見ると色とりどりの花々が咲いていた。
澄んだ空気に暖かな日差し、前世では考えられないほど素敵な朝だ。
こんな朝には珈琲が合うだろう。
ベッドから降りて歩き出す。
「いっでぇ……」
脚に筋肉痛が走る。
そして階段の手すりを握りしめながらゆっくりと下へ降りた。
扉を開けた瞬間、馨しい珈琲の匂いが俺の鼻腔をノックする。
台所にはアリシアが立っていた。
俺に気づいた彼女が爽やかな挨拶をする。
「おはよう! 今日は早起きなのね」
「うん、おはよう」
俺がテーブルに着くと珈琲を淹れてくれた。まさしく俺が求めていたものだ。
「ありがと」
「うん、美味しい」
「ほんと!? 良かった」
嬉しそうに微笑む彼女に俺の五臓六腑が歓喜した。
そんな彼女を俺はからかう。
「本当に美味しいよ。アリシアとなら同棲できそうだ」
「はぁ? なっ何言ってんのよ!?」
彼女の赤面した顔はいつ見ても可愛い。俺は彼女にこんな軽口を言えるぐらいには成長した。ああ、コミュニケーション能力という点でだ。
「本当に言ってるの?」
俺は黙って頷く。からかっているとは言ったものの本気ではある。
(まぁ、俺がこんな美少女となんて、夢のまた夢だろうけどな)
いや、待てよ。現に俺は同棲をしているではないか。確かに、一緒の部屋で寝てイチャイチャなんてものこそないが、一応同じ屋根の下で生活している。
俺の顔が不愉快だったのか彼女が言う。
「何ニヤニヤしてんのよ。きっも」
「ご褒美ありがとう。もっと言ってもいいんだよ?」
美少女からの罵倒などただありがたいだけだ。
アリシアを見るとドン引きしている。
俺の無敵さ加減が判ったようで絶句したのか。
それはそれとしてもなんと良い朝だろうか。ある一点を除けば完璧だ。
彼女も椅子に座り俺の顔を見つめる。片肘をついて穏やかな表情をする。
「今日も大変ね」
「本当だよ」
彼女と顔を合わせて笑った。
そして壁にかかっている木製の振り子時計の長針がXII
差した。
その時ゴーンゴーンと低い音が鳴った。
「もう9時か……」
「そうね」
日常的な会話だと思うが、そうも言ってられない。何故なら俺には時間がないのだ。
「よし、アリシア特訓しよう!」
俺は立ち上がり机に手をバンと置いて言った。
「オッケー。じゃあ外行くわよ」
「おう!」
外に出るとまた彼女との打ち合いが始まった。
「どう? 疲れはある?」
「大丈夫だよ! 筋肉痛は少しあるけど」
どうやら昨日入った癒しの湯が効いているようだ。筋肉痛こそあるものの、打撲した傷や切り傷その他諸々の疲労自体は取れている。
ロミルダが言っていたことだが、癒しの湯は、天然の回復魔法の成分が液状になって湧いているらしい。
この世界ではこういった場所も珍しくはないとも言う。俺からしたら全てが刺激的で感動できるものなのだが……。
「あの……アリシアさん?」
俺はタオルで汗を拭きながら休憩をしている彼女に話しかける。
「俺って魔法の才能があったりするかな……?」
「ないでしょ」
そんなにはっきりと言わなくても……。
「冗談よ。それは判らないわ。でも、魔法を覚えたいんだとしたら、この1週間では諦めることね」
「どうしてですか?」
「まず、初級魔導書を読み込むこと、そして実際に呪文を繰り返し何度も修練することが必要なわけね。それを1週間でどうにかするのはまず無理。よほどの天才じゃなきゃね」
アリシアは俺の淡い期待をバッサリと切り捨てる。
彼女の台詞に続くようにどこからか女性の声が聞こえてきた。
「そう、それこそ私みたいな天才じゃないとね」
あたりを見渡して見ると2階の窓からロミルダが見ていた。
俺は声をひそめてアリシアに訊く。
「ロミルダって天才なの?」
その質問を聞くとアリシアは俺に耳打ちする。
「ムカつくけど、そうね。天才と言って差し支えないわ。特に回復魔法と支援魔法が得意なの」
「へー凄いんだ」
「そうよ。私は凄いのよ」
窓から身を乗り出してロミルダが言う。
(耳良すぎだろ)
俺は心の中でツッコンだ。
「もっと褒めても良いのよ? アリシアちゃん?」
アリシアの顔を見ると凄く嫌そうな顔をしていた。
「あのバカは無視して続きいきましょ」
「はい」
昨日と行うことはそう変わらない。ひたすら彼女と剣を合わせる。たまに大きい傷を負う、それをロミルダに治してもらう。
小鬼との戦いこそないものの、それ以外は何も変わらなかった。
そして俺もバカじゃない。ただ無心に剣を振っているわけではない、彼女との戦いの中で自分の『弱さ』をしっかりと理解しながらやっている。その度に彼女に対策を訊いて修正を加える。それの繰り返し。1週間と言うあまりにも短い期間で、劇的成長ができるなんて最初から思っていない。
今の目標は『弱過ぎる自分を少しでもまともに』だ。
アリシアが打ち合いの最中に言う。
「あんたは超が付くほど弱いわ。でも、ただの雑魚ではない。そして頭自体は悪くない。それが強みになはずよ」
俺に会話を返す余裕はない。必死に剣を握りしめて彼女の猛攻を防ぐ。
「あんたに今求められてるのは『必死さ』と『少しの工夫』。よーく考えて、考えて考えて考え抜くの」
よく考えろと言われても……難しい。
そして時間は残酷だった。
気がつくと日も暮れて辺りは薄闇が広がっていた。
「今日はもう終わりね」
「う、うん」
「焦る気持ちは解るけど、心に負担をかけ過ぎてもダメよ?」
「そうだよね」
彼女は俺の表情から考えていることを察したようだ。ご明察の通り俺は焦っている。
まだ、5日間ある。いや、5日間しかない。
また癒しの湯に入る。温かいエメラルド色の液体が身体に沁み渡る。
「はぁ、癒されるな〜」
それは俺の心までも癒していた。
俺の今の行動は、焼け石に水だ。ただの付け焼き刃に過ぎないことだ。見る人が見れば愚かと言うだろう。
でも、あの日アリシアの涙を見たんだ。彼女から過去を聞いたんだ。
彼女は仲間を失った。俺は絶対に『その内の1人』になることは許されない。絶対に死んじゃダメなんだ。彼女に悲しい思いをさせるわけにはいかないんだ。
(まぁ、悲しんでくれるかは判らないか)
ふっと笑って口元が緩んだ。
思えば不思議だ。彼女とは出逢って間もないのに、前世の誰よりも大切な人になっている。
「やっぱり運命ってやつか……」
なぁ、運命神様、フォルトゥナ様よ。見てるか?俺は今幸せだぞ。確かに特訓はキツいし、不安なことも焦ることもあるけど、それでも前世の暮らしの何倍も楽しい。生を実感できている。
あんたの気まぐれかもしれない。けれども心の底から感謝している。その気持ちは本物だ。
また、会いたいな……。
そこで俺の意識は途切れた。