第2話 如月 カノン の場合
私は如月 カノン。
25歳で事務職の仕事についている。
1年ほど前に実家から出た私は、コーポ近くに小さなカフェを発見し、虜になった。
大通りから少し離れたおしゃれなカフェ、ストロベリームーン。
ピンク色した月をモチーフにした、ロゴの可愛いお店。
店長が手掛けるラテアートは可愛くて見るだけで気分が上がるし、飲み物としてもとても美味しい。
さらには、お店自慢のサンドイッチたちに、私の胃袋はがっちりつかまれてしまった。
初めての1人暮らし。
不安でいっぱいだった私は、癒しの場を見つけたようで嬉しかった。
その上、カフェのスタッフの女の子と仲良くなった。
20歳そこそこの彼女は、高校卒業と同時にアルバイトから社員になったらしい。
その子の名前は一色 もえちゃん。
明るい笑顔が可愛い女性だ。
もえちゃんをはじめとしたお店のスタッフさんもみんな感じかよくて、居心地がいい。
だから、お店の常連になるのに、時間はかからなかったと思う。もうかれこれ、1年は通っているのだから。
そんなこんなでカフェに通っていると、このカフェ ストロベリームーンの異名を耳にした。
恋を叶えてくれるカフェ
としても知られているんだって。
もえちゃんの話では、オーナー夫妻がまだお店を直接経営していた時、このカフェがご縁で何組もの恋人たちが誕生したんだとか。
ただ、現店長はそういうことに疎いらしくって、のほほんと経営している。
のに、それがいいのか、気が付けばお客さん同士が仲良くなっていたりすることがある。
と、不思議そうにもえちゃんは言っていた。
そして私も、そのご縁にあやかれたらいいな、と、思っている1人である。
そのお相手は。
「こんにちは、如月さん。今日もミルクたっぷり特性カフェラテで良かったですか?」
と、カウンター席の奥で素敵な笑顔を向けてくれる店長の東雲 涼さんだ。
コーヒーが苦手なことを話してしまった私のために、東雲さんはメニューに無い、ミルクたっぷりカフェラテをいつも作ってくれる。それが妙に特別感があって、ドキドキしてしまう。
(ああ、今日も癒される……)
ドキドキ高鳴る鼓動と、いつもと変わらない笑顔に安堵する。
「東雲さん、こんにちは。あと、今日のおススメパニーニをお願いします」
私の定位置となったカウンター席に腰を下ろすと、東雲さんは、
「わかりました」
と、笑顔を向けてくれる。
このカウンター席は、偶然手に入れた東雲さんの近くに居られる私の指定席。
コーヒーを丁寧に入れる東雲さんを、近くでいくらでも眺めていられる場所。
(私は東雲さんに好意を抱いているけれど……)
東雲さんの私への態度は、お客としての距離を程よく守った良くも悪くも常連さん扱い。
(まあ、東雲さんを意識するようになったのは、この席に座るようになって話しかけられて、かわいいって言ってもらったからなんだけど……)
思いがけず、社交辞令にときめいてしまったのは、東雲さんが私のタイプの顔だったからだろう。
その後も、スタッフに対する態度とか。
困ったお客さんに対処する姿とか。
1年も通っていると、やはりよく見えてくるわけで。
私が恋に落ちるのも時間の問題だった。
ただ、この場所と時間が居心地が良すぎて、これ以上の関係に踏み込む勇気はなかった。
いつかこの想いを打ち明けられる日が来るのかな。
そんな風に思うくらいだった。
なのに、その考えに後悔した。
それは平日のお昼の出来事。
(今日は午後休取れたから、ストロベリームーンにでも行ってみようかな♪)
そんな軽いノリで仕事帰りにお店を覗いて驚いた。
お店に入ってしまったけど、Uターンして帰りたくなった。
でも、痛みを感じた胸が苦しくて、動けなくなってしまったのだ。
東雲さんが、きれいな女の人と話している。
お客さんと言葉を交わすこと、それはいつものことなんだけど。
(距離が近い……)
のだ。
女性は今にも東雲さんにくっついてしまいそうな距離で、嬉しそうに話している。
しかも、私とは真逆の大人な女性。
色気たっぷりのお姉さま、そんな風に見える。
(……東雲さんの表情が見えないのが救いだな)
東雲さんが見たこともない顔で笑ってたりしたらもう、立ち直れない。
入り口を背にしている東雲さんは、私が入ってきたことにも気が付いていないようだった。
「あ、カノンさん。いらっしゃいませ。平日に珍しいですね」
入り口付近で立ち尽くしている私に気が付いて、もえちゃんが声をかけてくれる。
「あ……」
止まっていた時間が動き出したようだった。
夢でも思い違いでもない。
私は二人から視線を外してもえちゃんを見る。
「今日は午後からお休みをもらったんだ」
と、引きつってしまう私の笑顔を見て、もえちゃんは心配そうにする。
「え、大丈夫ですか? 体調、不良ですか?」
「ううん、もともとお休みの予定だったの。ちょっと、有休、たまってて」
慌てて両手を振って体調不良ではないアピールをしつつ、目に入った文字に逃げ道を見つけた気がした。
「お店、テイクアウトもしてるんだ?」
「あ、はい。サンドイッチをお土産に持って帰りたいって言って下さるお客様が多かったので半年ぐらい前から」
(お店で食べることが当然だったから、気が付かなかったんだ……)
「……。じゃあ、カフェラテとたまごサンド、テイクアウトでお願いできるかな?」
「……食べて行かれないんですか?」
「うん、この後、用事もあって……」
用事なんて、あるはずない。
でも、この店にはいたくないかも。
そう思って口ごもる私を心配そうにするものの、もえちゃんはテラス席近くにいる東雲さんの後姿を一瞥すると。
「少々お待ちください」
そう言い残して店の奥へと入って行った。
カウンターの席でもえちゃんが戻ってくるのを待っていると、近くのお客さんの声が聞こえた。
「あの子、店長さんのことが好きなのかしら?」
「そうそう、がんばってるわよね」
「……」
東雲さんと、あの女性の話をしているようだった。
耳が勝手にそちらの会話に集中してしまう。
「毎日毎日、積極的ね」
「いいわね、若いって」
「でも、店長さんはどう思っているのかしら?」
「どうかしらね。あんな美人さんに言い寄られて悪い気はしてないんじゃないかしら? いつも丁寧に対応されているわよ」
「店長さん、奥手そうですものね。グイグイくる女性には弱いかもしれないわね」
「そうね。店長さんが落ちるのも、時間の問題かもしれないわね」
おほほほほ。と、二人の様子をほほえましく見守っているかのような笑い声が聞こえる。
常連さんらしきそのおば様たちの話を聞くに、二人はいい感じのようだ。
「……」
胸が、えぐられるような思いがした。
私の居場所は、もうこのお店にはないかもしれない。
居場所……?
もともと、そんな場所はなかったし。
そもそも、私は居たかった場所は……
東雲さんの、隣……
(あ、ヤバ……)
あふれてきそうな涙に慌てて思考を停止する。
顔を上げて、涙をこらえていると。
「店長が淹れたラテじゃなくてすみません」
と、もえちゃんが紙袋を持ってきてくれた。
「私、もえちゃんの入れてくれるラテも好きだよ」
笑えているかな? と、思いながら、私は紙袋を受け取った。
「カノンんさん」
「?」
「……また、お店に食べに来て下さね」
何かを感じ取ったのだろう、もえちゃんは乞うように私を見る。
そんな気持ちが嬉しくて、私は
「うん」
と、答えた。
しかし、その返事では納得いかなかったようで。
「私、待ってますからね。絶対ですよ」
と、強く言うもえちゃんに見送られて、私はお店を後にする。
(東雲さん、最後まで私に気が付かなかったな……)
また、ずきッと胸が痛む。
(気が付いたからって、どうにかなるワケでもないけど……)
私と正反対の女性。
彼女のような女性がタイプなら。
「……私は絶対、叶わないな」
声に出た言葉は、さらに私の胸を傷つけるだけだった。
翌日。
「うわっ! 如月さん、どうしたんですかその顔」
と、会社の後輩が驚いた声を上げた。
昨晩泣きつくし、目が腫れている私の顔を見ての言動だった。
(なにしても、涙止まらなかったんだよ。おかげで今日の視野が狭い……)
私は開かない目をさらに細めて目の前に居る後輩を見る。
彼、八神 悠斗くんはうちの会社の新人営業マン。
入社直後にちょっとしたご縁があり、姿を見かけたら声をかけてきてくれる。
たまに、一緒にお昼もしたりする仲だ。
気遣いができて、思ったことをこんな風に口にするものの、深くは詮索しない頼りになる後輩だ。
八神くんには会ったら何か言われるだろうなと思っていたので、あらかじめ考えてきた理由を告げる。
「昨日、午後休だったんだ。DVD見てたら泣けてくる話だったみたいで、久しぶりにギャン泣きしてて。おかげでストレス発散できたよ~。思いがけない泣き活?」
「えー、そうなんですか? そんな泣けるの? ……泣き活かぁ……」
と、何か考えるようにその会話は終わる。
「今度、俺にもそのDVD教えてくださいね」
と、社交辞令で彼は仕事に戻って行った。
詮索しない子だと分かっていても、ホッとした。
今はまだ、言葉にしたら泣いてしまうだろうから……。
その後も何度か、仕事帰りとかにお店の近くであの女性の姿を見かけた。
閉店間際の平日、彼女がお店の前で待っている姿は、閉店後のデートの待ち合わせのようだった。
(カフェの閉店時間は19時だから、夜のデートには十分なんだよね)
それもあって結局、私はストロベリームーンに行けなくなってしまった。
1か月、2か月。
それはもう、ずるずると3か月。
(ああ、私ってあきらめが悪いよな……)
そう自覚はしていても、心は3か月前のあの日のまま。
何も受け入れられなくて、何も変わらない。
東雲さんに会いたいと思うし、カフェの味が恋しくなる。
でも、行けない。
傷つきたくなくて、逃げている。
そんな日々の繰り返しで。
会社以外に家から出ることはなく、完全に引きこもりになってしまった。
そんなある日。
営業さん達の手が回らないということで急遽、私は八神くんの付添人として必要書類のお届けに数件の取引先に出向くことになった。
(ここ、ストロベリームーンに近いな……)
お昼を取りそびれていた私たちは、ひと段落した取引先の近くで遅い昼食をとることにした。
ストロベリームーンのことを考えていた私の心を見透かすように、
「あ、如月さん。あんな所にいい感じのカフェがありますよ? あそこにしませんか?」
と、少し離れたところに居た八神くんが、ストロベリームーンを指さしていた。
そのお店を見て、ドキッと胸が飛び跳ねる。
(ああやっぱり、3か月たっても動揺しちゃう)
私があからさまに嫌そうな顔をしていたのか、
「如月さんの知ってる店でしたか? ああ、そういえば如月さんの家ってこの近くでしたね」
と、八神くんは考えるように呟くと。
「もしかして如月さん、行きつけのカフェとかですか? 以前話してくれたことありましたよね? サンドウィッチがおいしいんでしたっけ? 俺、行ってみたかったんですよ」
と、私をキラキラとした瞳で見つめる。
「あー……、確かに話したことあったかもね。でも、最近は、全然行ってなくて……」
言葉を濁す私に、八神くんは気が付いてるはずなのに容赦ない。
「ああ、この前話してた失恋相手のお店ですね」
「へ?」
思ってもいない返答に、思わず変な声が漏れた。
「えー、如月さん、俺が気が付いてないとでも思ってたんですか?」
言葉を失っている私を気にするでもなく。
「この前の話だと、その女性とその店長が付き合ってるとは決まってないですよね?」
「え、でも、閉店後も会ってるみたいだし……」
「……2人で居るところではなかったんですよね?」
「……まあ、そうだけど。……でも、確定だよ」
力なくつぶやく私を、八神くんはしばらく見ていたと思う。
そして。
「今も好きなんですね。ふーん……。俺、やっぱりあのカフェに行きたいです。行きましょう」
と、私の手を引く。
「えっ、あ、待って、八神くん、私は……」
拒否する私に、八神くんは笑顔を向ける。
「俺も一緒なんで大丈夫ですよ。いざとなったら俺がどうにかするんで」
そう言って私の手を引っ張ったまま、ストロベリームーンへと歩いていく。
(どうにかするって……?)
一抹の不安はあるものの、近づいてくるストロベリームーンに、私の胸の鼓動はそれどころじゃないぐらいに苦しくてどうにかなってしまいそうだった。
「あ、カノンさんっ!」
3か月振りのもえちゃんの嬉しそうな笑顔に、じわっと暖かいものが胸に広がる。
が、私と一緒にお店に入ってき八神くんを見て、もえちゃんは怪訝そうな表情になった。
「……今日は、お二人ですか?」
「あ、そうなの。ヘルプで外回り中で。……席、空いてるかな?」
「はい、もちろん。テーブル席、ですよね」
二人だもんね、と、言わんばかりの瞳が私を見ている。
「あ、できたら隅っこで。カノンさん、奥の席でいいですか?」
と、私たちの間に入ってにこっと笑う八神くんに、私ももえちゃんも呆然とした。
「え……」
(カノンさん……? どうして急に名前で……)
「あ、うん、大丈夫だよ」
八神くんの意図がわからずに、私はただ同意する。
その様子にもえちゃんは、ますます怪訝そうな顔をしたが、
「では、こちらへどうぞー」
と、無表情にニコニコ顔の八神くんを案内した。
私たちが席に着いたのを確認して、もえちゃんはいったん店の奥に戻って行く。
もえちゃんが引っ込んだものの、八神くんは『カノンさん』呼びを止めなかった。
「カノンさんのおススメは何?」
戸惑っている私をよそに、八神くんはメニュー表を目にしている。
「えっと、カフェラテとたまごサンド、かな」
「ああ……、ラテってアートされてるんだ。カノンさん、好きそうですよね」
メニュー表に載っていた写真を見て、八神くんは呟いている。
そんな私たちの元に。
「いらっしゃい、如月さん。お久しぶりです」
と、お水を持ってきてくれた東雲さんが声をかけてくれた。
ドクンと締め付ける胸の鼓動と、逃げ出したい感情に、心がごちゃごちゃして何も考えられなくなってしまう。
「最近、ずっと来てくれてなかったので。心配してました」
その言葉に、ずきっと胸が痛んだ。
「あ……、ちょっと忙しくって」
ダメだ、顔が上げられない。
声をかけてくれている東雲さんの顔を見れなくて、私は俯いたまま答えていた。
3か月も経ったのに……。
少しも気持ちが整理できないことを情けなく感じる。
「あー……、注文いいですか?」
メニュー表から視線を上げて、八神くんが私の分も含めた注文をしてくれた。
東雲さんはいつもと変わらないトーンで注文を受け、席を離れていく。
その後ろ姿を横目で見ながら、
「あの人、ですか?」
と、確認するように八神くんは私に尋ねてくる。
「……うん」
小さく頷く私。
「ふーん」
八神くんのそっけない返事の後は、何気ない会話をしてサンドウィッチが運ばれてくるのを待った。
持ってきてくれたのは、やっぱり東雲さんで。
「ごゆっくりどうぞ」
と、これまた今までと変わらない接客をされた。
「カノンさんのおススメのたまごサンド、うまそうですね」
ちょっと寂しく思っている私の前には、目を輝かせてたまごサンドを頬張っている八神くんがいる。
こうして、このカフェはファンが増えていくのだろう。
私もいつかまた、普通に来られるようになるといいな。
そんなことをフッと思ってしまい、私は思わず微笑んだ。
「でしょ? 八神くんも、もう他のお店のたまごサンド、食べられなくなっちゃうよ」
と。
変わらない、東雲さんの接客。
おいしそうに食べてる目の前の八神くん。
次第に、私の心は落ち着いていく。
1人ではまだ無理だけど、
こうやって八神くんを巻き込んだら、また、来られるようになるのかもしれない。
私は1人、胸の中でそんなことを思いながら、
3か月ぶりのたまごサンドを食べるのだった。