老人と子猫
マガウルはその朝、フォーコの旦那から急報を受けてラーナボルカの屋敷に急いだ。今日も散歩の予定だったが、少女たちには言い訳をして諦めていただいた。
まずは先日ついた嘘を解決しなければ。
「戻りました、旦那様。竜の素材ですが、ツイウス王国には見当たりませんでした」
屋敷に滞在中のアラールクに雑な嘘の報告をすると、仮の主人は残念そうに黒髪をかきむしり、老執事は礼をして部屋を去った。
あんな愚物より重要なのはミケだ。
狐獣人のフォーコ婦人が突然決まったミケの召喚に怯えているという。あのご婦人は狐系の獣人がたまに獲得する〈変化〉スキルの持ち主で、騎士団に潜入中だが——。
「こっちだ、マグさん……」
屋敷の通路を歩いていると小さな声がして、マガウルは女子トイレに入った。殺人鬼にためらいなど無い。
来客用の豪華な便所には個室のドアが並んでいて、向かい側には巨大な鏡がいくつも並んでいるあたり、さすが伯爵の屋敷だった。
老人は一番奥の個室に入り、フォーコ婦人と合流した。
「おお、怖い……回り全員〈月〉だらけ。生きた心地がしないね」
Aランク冒険者のフォーコ婦人はそれなりに美形の中年だったが、年齢に合わない桃色の寝巻き姿をしていて、老人が見ている前でゆったりとその姿を変形させた。キツネの耳が垂れた犬の耳に変わり、ニョキシーの姿になる。声も子犬とまったく同じだ。
個室の床には皮のバッグがあり、1レガンの容量しかないが、〈倉庫〉と同じ効果を持つ。フォーコ婦人はバッグから出した赤い首輪を巻いた。
老人は手早く質問した。
「それで、このあとミケが来るのじゃの?」
「さっき寝ているところを叩き起こされて、銀の鎧に着替えろって号令が出された。あいつらの黒鎧には月のシンボルが刻まれてるし、あんまり見られたくないみたいだね」
「しかし三毛猫は、本当におまえを襲うだろうか?」
「確実にね。あの子は何度もうちに泊まっているから、よく知ってる——あの猫は、自分と同程度か、自分より強い子を見つけると喜ぶんだ。出会ったころは毎日のようにユエフーやノールに模擬戦を挑んでいた。冒険者ってより挑戦者の気概を持ってる。必ずあたしに——ニョキシーに戦いを挑むだろう」
「……お前では勝てぬか?」
「勝てるよ? なめんな。しかしそれは、隠し玉の〈鑑定連打〉とか、そういう技を使う場合だ。ニョキシー風に剣一本で戦うなんてあたしには無理だし、戦えば変装がバレてしまうね。
なにより、例の忌々しいロボの時と同じで『殺しは無し』って条件がある——つっても神に課されたルールじゃないよ。よく知ってる子だし、あたしは前科に『子猫殺し』なんて欲しくないだけ」
「……ふむ、心得た。子猫がお主に会わぬよう動こう。わしはミケとは面識が無いはずじゃ——ウユギワ村や迷宮の奥で見られている可能性はあるが、まず覚えてはいまい」
「他にも叡智様からの神託を2、3伝えたいが、とりあえず、ニョキシーの身振り手振りの情報と、爺さん特製のシェイクをくれ。あれは良い飲み物だ。マグさんが〈調合〉した素材を使っているからMPが即座に回復するし、あのハッセとかいう鬼、あたしが間抜け面でシェイクを吸っている間はまず声をかけて来なくなる。念の為に今日は2、3本くれ」
婦人の変身は常時MPを消費する。マガウルは倉庫を開いて5本のシェイクを渡し、倉庫で目にしたニョキシーの言葉遣いや態度を口早に伝えた。
フォーコ婦人は1回聞いただけですべてを暗記し、シェイクをバッグに詰め、2人は平然と女子トイレを出た。ラーナボルカ伯の屋敷は広く、目撃したものは誰も居なかった。
フォーコ婦人は鎧に着替えるため自室に向かい、老人は屋敷の門前で待機した。
暇なので倉庫を開き、この数日、実験のためホウキを持たされ呆然としているアンに自分用のシェイクを注文する。
「明日もフォーコ婦人が欲しがるじゃろうから、たくさん作って凍らせておいてくれ。いつもの通り、香料としてわしが調合したMP回復薬を混ぜるのを忘れぬように」
「りょりょ、りょ……!」
アンは常に無表情と言って良い“ロボ”だが、マガウルが命じるとどこか嬉しそうにホウキを投げ出した。どうも“お掃除ロボ”の実験は失敗らしい。
15分ほど待って再び倉庫を開くとアンは調理を終えていて、老人は冷たいシェイクを受け取り、門の前でのんびりと藁のストローを吸った。このシェイクはマガウルの自信作で、5年前、カオス少年から教わった製法を〈調合〉持ちの老人が改良し、ゲロマズが常識の各種MP回復薬にあって、たぶん世界で一番ウマいと自負している。
甘く冷たい液体でMPを回復させながら老人は思案した。
——お嬢様は現在、お屋敷で本物のニョキシーと共に危険な冒険を嬉々として計画中だが、子猫が店に不在だという情報は少女らにとって朗報だろう。朗報だが……。
伝えるべきか悩んでいると、老執事と同年代の執事を引き連れた子猫が門に現れた。
子猫は銀の鎧を装備していて、マガウルは一昨日の散歩で訪ねた「パルテ」において、どうして子猫が鎧を着ていたのか理解した。
「……アラールク様のご命令で、ここからはわたくしめがご案内します」
適当に嘘をつくと子猫に付き添っていた執事はホッとした顔でマガウルに役目を譲り、老いた殺人鬼は子猫に深々と礼をした。
「マグとお呼びください、騎士様」
「にゃ? きさま、手に持っているのはシェイクか」
「これは博学でいらっしゃる。ご所望ですか?」
「にゃ……?」
変装した状態では何度も店で会っているが、ミケはマガウルの本当の顔を知らなかった。
子猫は銀鎧の腹をまさぐり、首を振った。
「にゃ……シェイクはウマいが、今はそーゆー気分ではない」
「かしこまりました。それでは騎士団とのご面談の後にお持ちいたします」
「にゃ☆ マグとゆったか。マグはさっきのグズと違って返事が早い!」
尊大な子猫からお褒めの言葉を頂いて老殺人鬼は三毛猫を屋敷に通した。この少女は5年前の時点でマグ老人に比肩する実力を誇っていたが、現在は子犬と同様、まるで勝ち目が無さそうに見える。
(……さて、どうするかの。幸いにも子猫はわしの顔を知らぬようだが)
老人はこの後の案を練った。老人は気づかなかったがその頭上には1羽のスズメがあり、冬の近づく秋の空に翼を広げていた。
◇
ラーナボルカ伯の屋敷広間。
老人が見ている前で〈月〉の青年ハッセは子猫に引きつった笑みを浮かべ、副団長のバラキが子猫のお守りを引き受けた。ハッセという男は面倒事を部下に押し付けるタイプのようだ。
騎士団の連中はミケと軽く挨拶を交わすと散り散りに去り、広間には子猫と2人の老人だけが残された。
執事マガウルが立って見守る中、子猫は部屋の隅に置かれた小さな白いテーブルに着き、向かい側には副団長のバラキが座っている。
「……よろしいか、ミケ殿」
「にゃ?」
「貴殿の職務についてお伝えする」
「にゃ」
副団長バラキは生真面目な性格のようで、このあと三毛猫がせねばならない門番のルールやら、レテアリタ法に基づいた騎士の行動規範やら、最後には自分が所属する騎士団の内輪ルールについて長々と語ったが、ずっと沈黙を貫いていた老執事マガウルは、「そろそろやべえかな」というタイミングを見極めて密かに倉庫を開き、話に割り込んだ。
「——失礼致します。お約束のシェイクでございます」
バラキの説教にうんざりしていた子猫は「にゃ☆」と鳴き、冷たいシェイクで喉を潤すついでにバラキの語ったすべてのルールを記憶から洗い流した。
「にゃ。要は、子猫は今から門番で、悪者を通さなければ良いのだろ?」
ミケは雑な総括を示し、不満顔のバラキを見据えて言った。
「それよりバラキ、ミケはニョキシーという子犬に会いたいのだが、どこにいる?」
「……ニョキシー? ああ、第三部隊の団長か。さて、どこにいるのやらな……」
副団長のバラキはなかなかの傑物で、子猫の質問に白んだ髪色を変えずに答えた。子猫は不満げに舌打ちし、殺人鬼はすかさず言った。
「ミケ様、騎士の業務は叡智アクシノ様から賜った神託でございますし、どうかバラキ様の言いつけに従って門番の任務に就いてください。ラーナボルカの第四近衛兵団は現在、多くの商店より回収した竜の亡骸を警護する任務で手一杯なのです」
さらっと騎士団の内実を告げるとバラキは目を見開いたし、子猫は全身を震わせた。
「にゃ……そうか。騎士は大変だにゃ?」
「まことに。まだ若手のシレーナは倉庫持ちですが——」
「黙れ、マグ!」
バラキに怒鳴られ、マガウルは深々と礼をした。副団長は一瞬だけ髪を赤くしたが、しっぽを太くした子猫はそれを目撃しただろうか?
(……それはともかく、フォーコ婦人の情報は確かだったの)
婦人によれば、子猫の狙いは2つある。
ひとつはニョキシーとの再戦で、婦人のためにも、本物を誘拐中の殺人鬼のためにもこれは絶対に避けたい。
もうひとつは騎士団が集めた「竜の素材」の強奪で、こちらの目標に誘導すれば子猫は子犬を忘れるだろうと婦人は言った。
「……出過ぎた真似を致しました。どうか忘れてください」
頭を下げるとバラキは嬉しそうに髪を白髪に戻し、必死に話題を変えようとした。
「そうだ。控えろ。従僕の分際で——それよりミケ殿、その方は『テン=プーラ』をご存知か? とある古代の英雄が我ら騎士団の故郷に広めた料理で、揚げたてに塩を振って食べる。実は昼食に用意しているのだ」
「天ぷら……? そんなもん子猫の頃から食ってる。小麦が安く手に入ったら季節野菜を天ぷらにする。火加減の鑑定が秘訣。ママかカッシェ以外のは食えたものじゃない。パパは通ぶって岩塩を振るが、ミケは断然つゆ派。鑑定持ちはいるのか? それに天つゆは?」
「……テンツユ?」
副団長は虚を突かれた顔を見せ、今度こそ明確に白髪を赤く染めた。しかし子猫は気にしたふうでもなく、シェイクを少し吸ったあと、バラキを無視してマガウルに尋ねた。
「おいマグ、ニョキシーがダメならシレーナという女に会いたい」
「残念ですが、わたくしは居場所を把握しておりません。それに騎士様には門番の任務がございます」
「にゃ……」
バラキは「いいぞ」という目線を老人に送り、何度も頷いた。
「左様、左様! これは神託に基づく任務であることを忘れぬように。では門に参るぞ、ミケ殿!」
「——行ってやっても良いが、マグも来い。バラキは今後、くだらない説教はマグに言え」
「なっ……!?」
バラキは髪を真っ赤にしたが、子猫は平然としていた。
「にゃにゃ? 文句があるならミケと戦うか? 歓迎である——ミケが思うに、この騎士団は例の犬以外くそ雑魚。子犬を出さねば三毛猫は止められません☆」
子猫は銀の鎧から金属音を出しながらゆらりと席を立ち上がり、銀で覆われた右手から不気味な赤い爪を伸ばした。老人が5年前に見たシュコニの刀と同じ色をしている。あの日フィウ様と倉庫に退避した老人は、小さく開いた倉庫の口から炎に包まれた最下層を覗き見て、メイドが命を燃やしながら赤い刀で迷宮主を刻むのを目撃した。
(……しかし子猫は、まるでそう言えと指示されたような無理やりの挑発をするのぅ。カオス少年あたりに台本を用意されているのか)
老人は子猫とバラキの間に体を入れて礼をした。
「かしこまりました、ミケ様。マグはおそばに付き従いますから、どうか門番の任務を」
「……にゃ」
12歳の三毛猫は残念そうな顔でにゃーと鳴いた。




