クレタ島の女
ラーナボルカ市の冒険者ギルドに入るなり子猫は盛大に舌打ちをかました。
広いホールにいくつもの柱が並ぶギルドの1階には壁際に受付カウンターがあり、そこでは多くの冒険者がその日の稼ぎを披露して対価を受け取っているのだが、ギルドマスターが鎮座するカウンターには栗色のヒゲがいて、夫婦2人はカウンター越しにいちゃついていた。
ああいうのってオフィスラブの範疇に入るのかな。ギルマス視点では職場でキスとかしちゃってるわけだし、冒険者のヒゲにしてもこのギルドに品を卸すのが職業なわけで。
例のマキリンの件で落ち込みつつも付いて来たムサさんが茹でダコのような顔で沸騰寸前なので、たぶんギルティと断じて良いよね。
「おお……ミケ。どしたのかにゃ? さっき港で乱闘があって、ママは忙しいのだが」
ギルドマスターはボクらになにも見られていない体ですっとぼけ、ヒゲも同様に天井を見つめた。
まあ、話題にされたくは無いだろう。
空気が読める女神として評判の叡智持ちのボクは見ていないフリをしてあげたし、パルテやノールもそれは同じだった。
しかし冒険の女神の加護を持つ子猫は「冒険」に出た。
「……にゃ。ママ。オレやっちゃった。あいつの鎧に爪を立て……実は昨晩、ヒトを3人ほどぶっ殺しました」
どこかの女王の名曲が流れそうな告白にギルマスとヒゲは絶句し、子狐のユエフーがツーサイドアップの黄金色の髪をなびかせて子猫に加勢した。
「ほんとですよ、ポコニャさん☆ ミケったら、わたしは止めたのにうっかり心臓を潰しちゃって♪」
「にゃ。それ。ユエフーの言うとうり。人生始まったばかりですが、三毛猫ったらついうっかりで☆」
吸血鬼のこども店長が少しニヤついて倉庫を開くとそこにはモザイクをかけたい血みどろのモノが3つほど見え、
「ニャ……!? フニャーーーー!!」
ギルドマスターの黒猫は叫びながらテヘペロする娘の頬を殴ろうとしたが、すでに敏捷で母にも父にも勝るミケは普通に回避した。ギルドホールの冒険者たちがざわつく。
「おちつけ。子猫には理由があるのです」
◇
「にゃ……今から“神明裁判”になるよ、ミケ。叡智様に忖度無しで調べてもらうのが一番だから」
「にゃ。上等」
ギルドマスターは軽く事情を聞くと被害宅の主パルテと殺人容疑の娘を引っ張ってギルド会館の3階へ去り、親友の猫を心配した狐と狸も一緒について行った。
その一方、ギルマスから指示を受けたヒゲは俺やムサを引っ張ってリドウスさんの店に向かった。皮屋の店主は自分の店の仕事があるのでその場にいなかったが、ギルマスいわく、彼も「共犯」なので呼びつける必要があるそうだ。
街を歩きながらラヴァナさんが言った。
「……話を聞く限り、ミケは全然悪くねえよな。相手は娘を殺すつもりで襲って来たんだろ? ——ていうかカッシェ、そういうのは差し入れに来たときに言え」
「すみません。マキリンのことがあったので、ポコニャさんに伝えるまでは黙っておいた方が良いと思って——俺とギルマスは5年前、あの女を『見逃してやれ』と指示されていて」
「……まあいいさ。おまえを含めて昨晩は3人も『叡智持ち』がいた。知恵の神様が3つの目で見ていたんだし、娘は『神明裁判』で無実確定だ」
そんな会話の中で出た「マキリン」という名前にムサはびくついた。無理もないね。ムサはずっとあの女に惚れていたわけだし、彼の手には今、動画から抜き出した女の顔写真がある。
——もう5年も前になる。
あの日、極大魔法としての「鑑定Lv10」でダンジョンのすべてを看破した叡智アクシノは、瓦礫に飲み込まれた月の眷属マキリンについて俺に神託した。
〈うわぁ……なんかあの女すごいことになってるぞ〉
マキリンは崩落したダンジョンで死にかけていたのだが、可愛がっていたゴブリンに「星辰の霊薬」を飲まされて命をとりとめた。俺がゼロ歳の時に湧かせた〈全快〉の効力を持つ奇跡の霊薬だ。
邪神の名を冠す四百四病即席全快の霊薬はしかし、飲ませ方が良くなかった。
彼女に薬を飲ませたゴブリンは、その時マキリンや自分自身が自由に身動きできなかったのもあって、口移しでそれを飲ませたのだが、「星辰の霊薬」はこの惑星の生物だけに効き目があり、ゴブリンに対しては猛毒として作用する。
さすが邪神のお薬だね。実際、そのゴブリンはマキリンに薬を飲ませると息絶えたし、ゴブリンに対して「毒」として作用している最中の薬を飲んだマキリンにしても、正しい効果を得ることができなかった。
彼女は崩落で下半身をほぼ潰されていたが、霊薬は、本来であれば潰れた両足を完全に復元させるはずだった。
しかし彼女の両足はマキリンの背中に復元されてしまい……すべてを見通した叡智によると、彼女は下半身が無く、背中から2本の足が生えた、「バッタかなにかのできそこないのような見た目」になってしまったという。昨日は足が生えているように見えたが、とにかくその時のマキリンは悲惨な状態だった。
マキリンはそんな姿で必死にウユギワ迷宮を這い出したそうで、5年前のあの日、村の焚き火を囲んでいた俺に叡智アクシノは神託した。
〈本来であれば天罰に相当する女だが、あの姿は充分な罰だろう。村長になったポコニャにも「死亡」として処理させるから、おまえも見逃してやれ。一応怪我は治ったわけだし、あえて生かしてやるのも“罰”だろう〉
目の前でシュコニが死ぬのを見たばかりの俺は同意し、せいぜい元気にやれよと思ってマキリンのことを記憶から消し去った。
〈——どうもワタシは間違えたようだ〉
リドウスさんの店に向かう道中、脳内で知恵の女神アクシノがつぶやいた。いつもよりしおらしい声だった。
(いやいや、別に間違いとは言えないでしょ)
〈……そう思うか? 地球じゃこの感覚を「人権」と呼ぶのだったか〉
(権利ってのも違う気がするが……難しい質問はやめてくれ。俺にはわからねえよ)
〈わからないとか、おまえそれでも叡智の眷属か〉
(眷属に答えを聞こうとするなんて、あんたそれでも叡智の女神か)
心の中でそんな会話をしながらリドウスさんの皮屋に入り、ヒゲがギルドからの出頭命令を伝えた。
禿で隻眼のリドウスさんは「おうよ」と応じ、奥さんに店を任せて堂々と連行された。彼は自分が罪に問われるわけがないと確信しているようだったし、たぶん、その通りになるのだろうが……?
(……おいアクシノ、ひとつ聞きたいのだが)
〈おいおい、先に「聞くな」と言ったのはそっちだぞ。聞いてもワタシははぐらかすだけだ〉
(うわぁ……叡智さん汚い。それが狙いで俺にしおれて見せてたの?)
〈良い天気だな。鳥がたくさん飛んでる。秋は好きだ〉
俺はユエフーを初めて鑑定した時以来の違和感を覚えていた。狐を派遣しやがった邪神に続いて、おまえもなのか、ブルータス。
確かにミケの「前科」ステータスには「殺人」が表示されていないが、なら、どうしてあんたは〈問題ないぞ〉と神託して来ない?
さっきからずっと俺の脳内に語りかけているくせに、どうして〈ミケは無罪だぞ〉と言わない? ラヴァナ夫妻の口ぶりじゃ、「神明裁判」ってのは叡智アクシノが裁定を下す儀式に思えるが……?
現状、アクシノが俺たちに通知している神託は、無罪というより「保留」と呼ぶのが正しくないか? 俺だけではなくパルテやノールの「鑑定」に対して、アクシノはとりあえず“鑑定結果になにも表示しない”という態度を取っているだけだ。
脳内に例のソレの声が響いた。
〈……重ねて言うが、聞くのはダメじゃなかったのかね? 実は今日、ワタシは機嫌が良いのだが、あまり煩わせると天罰しちゃうぞ〉
(なら「鑑定」する。MPを消費して、スキルを使う……ラヴァナさんが言ってた「神明裁判」ってなんだ? 地球の裁判と違うのか)
〈——鑑定スキルには詠唱が必要です——〉
「なら“鑑定”で! それもLv9だ!」
急に鑑定を口にした俺に同行者らが驚いたが、叡智アクシノは俺のMPを1217も奪って渋々と「神託」した。
〈——神明裁判とは、歌の女神ファレシラが統べる惑星において罪を犯したと疑われる被告人に対し、その罪を叡智の女神が裁量し、神託として量刑を下す、神聖にして不可侵な儀式です。かかる神託は——まあ、つまり——ワタシの名において常に公正です〉
公正と言ったね。叡智さんの名において公正なんだね?
〈だから、そう疑うなよ。悪いようにはしないし、我々にも都合というのがあるのだ〉
(……“都合”がね)
この世界に生きて12年になるが、俺は近頃、学んでいた。
叡智アクシノは「嘘が嫌い」だと言いふらし、月の叡智ジビカは嘘つきだと言い張っているが、結局どっちの星の叡智も同じだ。“叡智ども”の本質には差異が無い。
こいつらは、真実と同じくらい嘘が好物だ。
〈ほほう? 極めて心外な指摘だが、ならば神託してやろう。叡智アクシノの名にかけて、次なる言葉は絶対に真実だ。「叡智の神が語る言葉は、すべて嘘である」——これで満足か?〉
アクシノさんは優雅な口調でパラドクスを披露し、疑念を抱く眷属を茶化しやがった。
〈そんなことより空を見たまえよ。よく晴れていて青一色、冷涼の気が心地よい——無害な衛星を持つ地球人にはわからないかもしれないが、秋空に月なんてモノが浮かぶ景色は無粋だ〉
佞智アクシノは——邪神の配下の神々は、俺の親戚の子猫をどうするつもりなんだ……?




