亡命貴族と死霊術の部屋
※三人称です
ついに〈月〉までたどり着いたその日、ハッセは興奮しきっていた。
地獄の歌はノモヒノジアの階段を上がるほど強烈に響き、義妹ニョキシー以外の全員が吐いた。しかしハッセは決死の覚悟で仲間たちを励まし、ついに最後の階段を上った。
憧れだった〈月〉の土地に立った彼は、ただそれだけで絶頂しそうなほど興奮した。前髪は完全に真っ赤だったし、2本の角も生やしてしまった。自制するのは不可能だった。
迷宮の最後には3つの——ジビカ様が言うには「少なくとも3つ」の——上り階段があり、彼はそのうちのひとつ、ラーナボルカ市に通じている階段を駆け抜けて、涼しい秋の〈月世界〉に足を踏み入れた。
〈……泣くでない、ハッセ。そうとも。これが「約束の聖地」だ〉
叡智ジビカが優しく窘める。
月の出口周辺には、ハッセの惑星とは似て非なる異世界が広がっていた。
そこは広場のような場所で、大量の屋台が並んでいた。多くの獣人や「蛮族」が平然と歩いているのは気に入らなかったが、ハッセは屋台のひとつに目をつけ、若い鹿系獣人の店主に砂金が詰まった袋を突き出してタスパ語を叫んだ。
『お、おい、この料理はなんだ……? 21人いるが、全員に食べさせてくれ!』
『はあ……? あんたらキラヒノマンサの人か。これは“たこ焼き”って食べ物で、新市街にある仕立屋の——あ、いや、つまり、うちが元祖のラーナボルカ名物だ。21人だったな?』
屋台の店主は素早く砂金を受け取るとハッセの眼の前で小麦を溶いたタネを転がし、その芳しい匂いは、嗅いだだけで疲れ果てた騎士団のMPをわずかに回復させた。
「うめえけど、わたしはオークの串焼きが好きだな」
騎士団のうち妹だけはたこ焼きでMPを回復できず不満顔だったが、ハッセを含む他の騎士は〈聖地の味〉に涙を流した。鹿の店主が「え、泣くほどかよ?」とタスパ語のスラングをつぶやいていたが、悪魔の言葉など聞く価値がない!
たこ焼き6個を食べ終えた団員たちは熱い視線を団長に送り、ハッセは貴重な砂金の袋を握って、近くにあった「焼きそば」という屋台に突入した……!
『——失礼、少々お話を伺っても?』
ハッセが屋台の店主から「マヨネーズ☆ビーム」という翻訳不能な月のサービスを受けていると、初老の男が近寄ってきて声をかけてきた。
目つきの鋭い老人だった。黒の燕尾服を着た彼はハッセに対し深々と頭を下げてみせたが、平身低頭しているふうで、その所作は荒野で死肉をついばむ猛禽類のように油断無かった。
〈——よし、私の予想通りだ!〉
叡智様が嬉しそうに神託した。頭を上げた鷲鼻の老人は、髪を赤くし、角まで生やしていたハッセを冷静に見つめて名乗る。
『わたくしは「マグ」というもので、ツイウス王国の執事でございます。アラールク様のご命令により、この広場で待機しておりました。伯爵様から仰せつかった命によりますと……あなたがたは偉大なる生命様の御眷属で間違いありませんな?』
焼きそばにマヨネーズとからしのビームを受けていたハッセは正気に戻り、角を引っ込めて髪の毛を青くした。
生命様の土地に生まれた鬼族らしく堂々と胸を張り、口元の青のりに気づかないまま老人を睥睨する。
『……そちらは、生命を信仰する正しき人の配下か』
『左様でございます。まずは「コイン」をお取りください。予備はたくさんございますから、落としたり奪われることの無いよう、飲み込むことをお勧め致します』
それから数時間は慌ただしく過ぎた。
マグという油断ならない老人は三日月形の「叡智のコイン」を全員に与え、生まれつき鑑定不能の特殊能力を持つ義妹以外がコインを飲んだ。
〈——よし、老人の案内に従え!〉
叡智ジビカは嬉しそうに指示を下し、ハッセは「ラーナボルカ」という伯爵の家に通された。
そこには政治的混乱により避難してきたと言うアラールク伯爵が寄留なさっていて、姿は見えなかったが、キラヒノマンサ公爵というお方も別邸に滞在なさっているらしい。
ともあれ、ラーナボルカとアラールクは騎士団を歓待し、2人の伯爵は、街の新名物だという寿司や天ぷら、北京ダックを披露してくれた。
天ぷらは故郷に似たものがあるが、他はどれもがジビカ様すらご存じないもので、〈鑑定しろ〉と何度も指示されMPが枯渇しそうになったが、口にしたすべての料理はハッセにMPを与えてくれた。
食後、蜂蜜酒を飲もうとした妹を叱っているとラーナボルカ様は半月の騎士団に「ラーナボルカ領の騎士」という仮の身分を与え、広い屋敷に寝所を用意してくれた。
団員らを先に休ませたハッセは中庭に出て、騎士団長として伯爵らと酒を酌み交わした。会話はすべてタスパ語だ。
『ロスルーコ様の御次男が——リヴァイ様が討たれた……?』
『ここからすぐ南にあるキラヒノマンサの冒険者だ。つい先日、禿げた皮屋がわたしの館まで亡骸を売りに来た。当然、断って追い返したが』
美しい白髪で、貴族らしいふくよかな体型のラーナボルカ様がハッセに酒を勧めながら教えてくれた。黒髪で痩身のアラールク伯も頷く。
『ロスルーコ家は偉大な竜の一族と聞いていますが、残念でしたな。ノモヒノジアの浅層は冒険者だらけですから、竜が無傷でこちらに来るのは難しい』
アラールク様はまだ三十代の紳士で、ハッセの惑星と違い月の見えない夜空に盃を掲げた。
ハッセは月の貴族らの献杯に礼をしつつ、憧れの地にたどり着いた喜びですっかり任務を忘れていた自分を恥じた。
ロスルーコ様の次男は予想通りお亡くなりになられていたが、その亡骸が残されていて、しかも邪悪な月の悪魔が売り買いしていると聞いては捨て置けない。
『どうされました』
アラールク様が盃を置いて立ち上がったハッセに驚いた顔をした。ラーナボルカ様は堂々とした貴族だが、こちらは少し「鬼」に怯えているように見える。
『……わたしはダラサ王国の騎士です。遠い〈月〉の王国で待つロスルーコ伯爵から拝命した任務を果たして参ります』
自分の故郷を〈月〉と呼ぶ不思議な感覚を味わいながら、ハッセは屋敷で休んでいる団員や妹を叩き起こした。
「わかった! 悪いやつらから死体を取り戻すんだな!? わたしを助けたじいちゃんみたいにリヴァイを救えはしなかったけど、でも充分に“騎士”っぽい任務だ!」
妹は騎士に憧れていて、不満も言わず飛び起きた。伯爵様から充てがわれた桃色の寝巻きの尻から短く黒い尾が出ていたが、そのまま黒い鎧に身を包む。
館を出ようとしたハッセらは、大きな門の前でひとりの老人に出くわした。
『……道案内せよと命じられまして』
『マグと言ったな。よかろう、来い』
ハッセはその老人が12年前に祖父を殺害した誘拐犯とは知らなかった。「まがうる」という月の悪魔は当代のロスルーコ伯爵に嫁いだ第二夫人から竜の血を引く鬼の娘を奪い、長年夫人の騎士であった祖父は、命と引き換えに別の赤子を賜った。
ロスルーコ様から褒美として育成を任された娘は今、ハッセの隣で物珍しそうに月の町並みを眺めている。
◇
半月の騎士団と面倒くせぇ集団強盗を終えたマガウルは、深く失望しながらラーナボルカ伯爵の屋敷に戻った。
もう半月以上前になる。
〈——極大魔法・火炎:ヘキサニトロヘキサアザイソウルチタン——〉
スキル表示と共に王宮の天井が一撃で吹き飛んでメアリネ王家が天罰に襲われた時、マガウルは王家の娘フィウの壁になり、夜空に顕現したファレシラとアクシノを相手に戦う覚悟を決めた。勝てはしないが、その間にフィウが逃げてくれれば充分だ。
わしはもう、充分生きた。
しかし執事の悲壮な覚悟をよそにファレシラはフィウ様以外の王家全員を惑星から拭い去るとあくびして去り、あっけに取られていると、まだ上空に浮かんでいた黒髪の女神が流暢なツイウス語でお嬢様に神託した。
〈天罰は下しませんよ、フィウ。あなたは王家と無関係です。しかし王宮がこの有様ですから、例の興味深い実験は一時中断にして、ツナウド島に向かいなさい。すてきな研究に新たな視点を得ることでしょう〉
興味深い? すてき……?
お嬢様の“実験”に困惑していたマガウルは上空の叡智に「煽るな」と叫びたかったが、女神の神託には続きがあった。
〈それに、もしかすると「懐かしい少女」に出会って入れ替わりになり、「月」で実験の続きができるかもしれません〉
最後のセリフはフィウというよりマガウルに向けられていて、老いた殺人鬼は小鬼を抱えて船に乗り込んだ。
(さすが「叡智」を名乗るだけあるの。神託の通り、12年ぶりにあの娘を見た)
黒髪の子犬は幸いにも老人の顔を覚えていないようだったが、マガウルには昨日のことのようだ。キラヒノマンサの裏路地で懸命にあやそうとする老人に対し、誘拐されたばかりの赤子は火がついたように泣いていた。
くだらない窃盗を終えた執事は貸与されている使用人用の個室に鍵をかけ、「常世の倉庫」の入り口を開いた。
(しかし、ニョキシーはちょっと強すぎるのぅ……妙な女も居ったし、騎士団を皆殺しにしてあの娘を連れ去ろうと思ったが、他の誰より子犬が強すぎる)
バイト中のアラールク伯爵から月の騎士が来ると聞いたマガウルは今日、ついに事態が動くのかと期待していた。最近のお嬢様は実験に夢中で月の事など忘れているが、執事の目標は5年前から変わらない。
ウユギワ村で雑草に断られて以来、マガウルはなぜ月へ行けないかについて考え続けていた。彼に加護を与えている常世の女神はおそらく理由を知っているだろうが、彼女はなにも教えてくれない。
かつて自分が月まで誘拐の旅に出た時は、ツイウス王国でも最弱の迷宮に、それでも王国最強の騎士団と共に挑み、最下層でダンジョン・マスターに「宝」を捧げるだけで良かった。
迷宮を攻略するために騎士団の大半は死に、マスターの前に立ったのは彼と数人の騎士だけだったが、それでもマガウルは月に行けたし、常世の女神の眷属らしく、その行程は執事にとって「ワクワク」だった。
今でもたまにあの瞬間を夢に見る。
疲弊しきった中、マガウルが「宝」を——ツイウス王国の国宝級の魔道具や、彼の自慢のスキルを活用し誘拐してきた「英雄の娘」を差し出すと、ダンジョン・マスターは驚喜して彼らを迎え入れ、月ではダラサという王が豪奢な食事や宝を用意して待っていた。これは事前にツイウス王家が月と連絡しあって計画したことで、そこまでは約束通りだった。
しかし、そこで裏切りがあった。月の王は財宝こそ用意していたが子供を出すのを渋り、抗議したマガウルを殺そうとした。殺人鬼は暴れ、フィウを献上させて迷宮を引き返した——そうしなければツイウス王から報酬を得られなかったからだ。
その是非はともかく、迷宮の最下層まで行って、なんでも良いから宝や人質を渡せば月に行ける——マガウルはそれが月旅行の条件だと思っていたが、そうではないとウユギワで思い知らされた。
なにが足りなかったのか。
あの時マガウルが用意した「宝」は竜だったが、竜はこちらの星でだけ珍しい存在であり、月ではありふれた生物だ。旅費には足りないということだったのか? ゴリが村長の死体で月に行けた理由はそれか。死体による経験値はもちろん、ゴリは月では珍しい生物で、通す価値があったということか……?
しかしあの時、人間たるマガウルは自分も月に行くつもりでいたし、雑草にそう宣言していた。どうしてゴリはOKで、マガウルの身では不足だったのか。
マガウルは五里霧中の中で考え続けたが、叡智の神託でついにおぼろげな答を知った。
〈——懐かしい少女と入れ替わりになる形で、月に——〉
宝が問題なのではなくて、フィウが問題だということか。お嬢様が特別視される理由は不明だが、マガウルがかつて拐った英雄の娘との交換であればフィウを月まで帰してやれるということか。
そんな思いでツナウド島にたどり着くと、まるで叡智が設えたかのようにトントン拍子で話は進み、そして今日——マガウルは出迎えた騎士団の中に、イサウの娘ニョキシーを見つけてしまった。
(……なんでじゃ。交換したい人質が、先にこちらへ来てどうするッ!?)
深夜の窃盗に付き合って改めて確認したが、例の子犬はイサウの娘で間違いないだろう。12年前に見た母親と顔立ちが似ているし——剣について、恐ろしいほどの才能に恵まれていた。
老人はやけくそでニョキシーを誘拐し、迷宮の最下層から月に送り返そうと思っていたのだが、老いた殺人鬼に勝ち目はなかった。
使用人室に開いた倉庫の中へ入ると、広大な白い空間では黒い竜がうめいていた。元は15ケドゥアだった全長が短くなっている。
「おい殺人鬼マガウル……お前に頭を下げてやる。だからあの小娘どもを食わせてくれ。フィウとかいう小娘だけでも良い!」
「食ったところでMPになるわけでもあるまい。それにトカゲのようにまた生えるのじゃろ」
つい先日、黒竜は自慢の長い尾を半ばから切断されてしまい、お嬢様の実験材料にされていた。
「それならせめて謝罪に来いと伝えろ! あの小娘、無言でおれの尻尾を切って、お礼もせずに……」
「お喋りな竜じゃの。わしは悪魔と会話する趣味はないし、お嬢様はお忙しい」
お嬢様が尻尾を切って以来、竜はこうしてよく吠える。以前はもう少し無口なトカゲだったのだが。
白い空間にぽつんと立てられた自分の丸太小屋に入ると、入れ子のように常世の倉庫の入り口が開いている。
お嬢様の屋敷に入ると、深夜だというのにピアノの音が聞こえた。曲目は彼女のお気に入りで、5年前、叡智アクシノを迷宮に召喚したと聞く複雑なものだ。
「戻りました、お嬢様。まだ起きていらっしゃいましたか」
屋敷の床には今日の夕飯で執事がくすねた出た天ぷらの尾が転がっていたし、昼間執事がこっそり購入した例の店のシューマイ弁当が空になって転がっている。
「コ……ココッ、こンちわ」
演奏中のお嬢様に代わって、「シュコニ」が所々裏返った声で返事をした。




