少年探偵団
この世界には「本」というものがビビるくらい少ない。
本は普通、高価な羊皮紙を使い専門の職人が筆写した高級品で、ウユギワ村はフェネ村長の方針で無料の図書館を整備していたが、あれほど村民の教育に力を入れていた村は珍しかったのだとラーナボルカ市に越してから知った。この街の図書館は大きいが、有料だったからだ。
さらに言うと世界神ファレシラはこの世界に「聖書」のような物語を頒布しておらず、この惑星を統べる神々は人々の口伝の中だけで語られるのが普通だ。最高神が「歌」だというのもあるのだろうが、星の神々は「口伝される者」という立場を受け入れていて、住人の誰もがなんらかの神から加護を受けているのに、神話を記した本は多くない。
だから当然、ミステリ小説なんて上等なものは存在していないし、この惑星は犯罪捜査の概念を欠いていた。
「にゃ……ゲンバ・ケンショーとは?」
俺が発した「日本語」をミケは当然理解できなかったが、レテアリタ語に無い概念なので仕方ない。
「まずは事件が起きた現場を検証するんだ。そうすりゃ犯人の手がかりが得られるはずだし、違う人を犯人だと思って捕まえずに済む——それを現場検証と呼ぶ」
「…………にゃ。なるほど」
わかったのか、わからずとも頷いたのか。
そんな話をしつつ、ハゲで隻眼のリドウスさんに案内されて俺たちはラーナボルカの旧市街にある毛皮屋に向かった。
店の前にはおっさんの奥さんや商売仲間がたむろしていて、リドウスさんが「雇った」と紹介すると、初老の痩せた奥さんは(え、ガキじゃん)という本心が顔に出ないよう必死に努力してくれた。良い人そうだね。婦人の手には1レガンはありそうな白く細長い牙がある。皮と違って盗まれずに済んだ「竜の牙」だ。
街の東側、中央通りを一本裏手に入った路地にある「現場」は荒れ果てていた。
おっさんの店はラーナボルカの旧市街に多い昭和の八百屋スタイルで、店の間口を高価なガラス戸で覆うコストを忌避して単に開放し、お客さんは店内の台に平積みされた毛皮や天井と並行に張った縄に吊るされた毛皮を吟味できるようになっている。
そんな毛皮屋の間口は細長い板を丈夫な麻縄で編んだシャッターで閉じられるようになっていたのだが、シャッターは無残に破壊され、店内に木片を散らしていた。
現場に入った少年探偵団に先立って、最初に口を開いたのはムサだった。シャッターの破片を手にしてつぶやく。
「……泥棒たちは、最低でもレベル15以上すね。この板はスキルで強化された製品ですから、割るにはそれくらい必要なはず——冒険者なら、たぶんランクはE以上すよ」
「叡智アクシノが褒めてますよ、ムサさん。シャッターが破壊されている以上、店の裏口から侵入した可能性は考慮する意味がありませんし、ムサさんの言う通り、犯人の基礎レベルは最低でも15以上でしょう。レベリングしただけの貴族なら20以上は要る」
「にゃ! なるほど、それが『現場検証』か」
日本語の「ゲンバ・ケンショー」に小首をかしげていた三毛猫が手を打った。概念さえ伝われば早いもので、幼馴染の三毛猫はニャウニャウと詠唱し、「怪盗術」を披露した。
〈——怪盗術:探偵殺し——〉
〈——探偵術:地取り——〉
ミケは5年前にウユギワ迷宮で使った「探偵殺し」を起点に「怪盗」の宿敵たる探偵の技を発動し、荒れ果てた毛皮屋の床に蛍光色の足跡が浮かぶ。
それぞれの足跡は赤や緑や青の蛍光色で色分けされていたが、ざっと見ただけでも50名以上あり、これだけでは情報過多でよくわからなかった。犯人一味だけでなく、奥さんや、事件を聞きつけた近所の人の足跡も混ざっているようだ。
「にゃ……子猫にわかるのは、この緑色がおっさんの足跡というだけ。こっちの赤はたぶん奥さん」
「へえ、おれも現場検証が理解できた。おいブック、〈鑑定〉でひとつひとつの足跡を調べてみようぜ」
「——☆!」
店長やタヌキに加勢し、俺も叡智アクシノから神託を受けた。アクシノさんは「謎解き」が楽しいようで、いつもは冷静な声を若干弾ませ、俺たちに概ね同じような神託をした。
〈店主によると、昨晩この店を襲った強盗団は複数で、みな同じ鎧を着ていました。ならば靴も同じ形のはずです。足跡のうち、最も数の多い形に注目しましょう。それが犯人一味の足跡ですし、よく観察すると犯人らが「騎士」であるとわかります。
店先の段差に注目してください。段差に引っ掻いたような筋が見られ、そのすぐ先に強盗団に特有の角ばった足跡のかかと部分があります。なんとなれば、あの細い傷は馬を蹴るための拍車が付けたに違いありません。犯人はなんらかの国に所属する騎士——騎乗する兵士でしょう〉
拍車というのは西部劇のブーツについたギザギザのことだが、確かに店先の段差に細い引っ掻き傷がある。
俺と店長が神託を伝言し、子狸ノールがその横で何度も首肯すると、子猫は「にゃ」と言ってスキルを発動し、大量にあった足跡が一気に減った。大きさこそ様々だが、形はどれも角ばった足跡だ。
候補が絞られればこちらのもので、ミケは静かに興奮しながらリドウスさんに告げた。
「にゃ☆ 子猫は見つけました……いつもは大人しい怪盗の神ファイエモンがゆってる。そこにある一番小さい足跡が、おっちゃんの言う『子犬』の足跡のはず。冒険のニケも昼間なのに珍しく神託してきた。その足跡の持ち主が一番早いし、おっちゃんの足跡と戦った形跡を持つ……!」
ミケの言葉に呼応するように床で光っていた大量の足跡が消え、多くの足跡より1、2割は小さい子供の赤い足跡と、リドウスさんの蛍光グリーンの足跡だけが現場に残る。
リドウスさんは俺たち探偵団の推理——というかスキルに大興奮で、荒れ果てた店に残された自分と敵の足跡をなぞって奥さんに叫んだ。
「昨日のオレの動きそのままだっ! お前も物音を聞いただろ? 真夜中にシャッターをぶっ壊す音がして、お前は上の部屋に隠れて、オレだけ剣を持って1階に出てっ……」
乱れた足跡は店主と「人狼」が下り階段で鉢合わせになった様子を雄弁に語っていた。
「信じられねえ速さだったぜ、あの子犬! 他の強盗と違ってあいつだけ兜を脱いでいたから犬だとわかった。獣人は耳を覆うのを嫌うからだろうな。他の奴らは黒い鉄兜で——とにかく出会い頭にあの子犬はあそこまで飛んだ。瞬きするより早かったっ!」
リドウスさんが指差した店の隅には破壊された棚があり、棚には小さな足跡がついていた。
「真っ暗闇の中でオレは剣を抜いた。そんで子犬と戦った! 『一番強い奴から潰せ』ってのがイサウ先輩の口癖だったからだ!」
リドウスさんは奥さんに熱弁した。
「知ってるだろ? 先輩はオレより年下だったが、オレより遥かに強かった! もう死んじまったが、永久にオレの先輩だ。滅多に剣を教えなかったが……隻眼のオレとか隻腕のレフトとか、可哀想なシュコニには熱心に教えてくれた」
それまで足跡を観察していたミケが目を見開いてリドウスさんを振り返った。
「お前は無事で良かったと言うけど、オレとしては勝てなかったのが悔しいっ」
隻眼のリドウスさんは奥さんに言った。
「切り合いになったが、あれほど強い剣士を見たのは先輩以外で初めてだ。死にもの狂いで1発入れるのが精一杯さ。そのあと刀で峰打ちされて、目を覚ましたら、もう……」
ミケがスキルで浮かび上がらせた激闘の跡は賊の子犬が店外に退却していく様子を描いていて、足跡は店の軒先で途切れていた。その先は多くの人が往来する通路で、三毛猫がMP枯渇上等で追いかけても足跡を追えるか微妙な道だ。
ミケは唐突に出てきた「シュコニ」の名にうろたえていたが、ウユギワ攻略に参加したわけではない吸血鬼は落ち着いていた。パルテはシュコニと面識が無い。
「……ねえリドウスさん、確かに一発入れたんだよな?」
「頬にかすり傷をな。あいつは全身鎧だったが、顔だけは守っていなかった」
「それってたぶん、この血痕のことだよな? 昨日はおっさんとか他の強盗団も怪我しただろうが——ああ、いや、返事は要らない。叡智様が『それ』と神託してくださった……珍しく興奮してらっしゃる。いや、わかってますよ。やりますから落ち着いて……」
パルテは荒れ果てた店の一点に注視していて、その床には蚊を潰した手に残る程度の僅かな血痕があった。よく見つけたなと言いたくなる赤い点だ。
吸血鬼は叡智の神託に返事をしながら左手の薬指を伸ばし、乾いた血を拭い取って、早口で詠唱したあと少し嫌そうな顔で薬指の血を舐めた。
「……アタリだな。この血は犬の——うちの一族風に言うなら、『若い貞淑な雌犬の味』がする」
〈——血脈魔術:揺蚊の群飛——〉
店長の薬指が黒い霧になって霧散し、粒子のひとつひとつが羽音を立てた。召喚された「蚊」の群れが勢いよく店を飛び出していく。
「にゃ? テンチョーのそれ、なに」
「そういや見せるのは初めてか。おれの先祖代々の技だよ。血の味を覚えさせた蚊の群れを呼び出して、同じ味の血を持つ者を探す……カッシェ、教師経由でおれに〈無詠唱〉をくれ。早く。他の社員の鑑定は解除して良い。この技はLv1なんだけど、探索範囲の指示に何度も詠唱しなくちゃダメだし、範囲が広がるほど大量のMPを使う」
俺がステータス画面を操作している間にも店長パルテは元々青ざめた顔を白くし、俺が〈教師〉と〈無詠唱〉の対象に選んだ瞬間、生き返ったように血色を良くした。大きく深呼吸したあとで俺たちに微笑む。
「……相変わらず〈無詠唱〉はエグいな。ブックやカオスばっかりずるいぜ。叡智様もおれにくれたらいいのに——こっちだ。雌犬の血を嗅ぎつけたおれの眷属たちが呼んでる。リドウスさんは店に残ってくれ。強盗団が他の素材を——特に、竜の牙を盗みに来るかもしれない」
黒い紳士服と膝上までのフロックコートに身を包んだ吸血鬼は日傘を差して秋空の街に繰り出し、俺たちは破壊された毛皮屋を飛び出した。




