地獄の歌
魔女ファレシラの「地獄の歌」が耳鳴りのように響き続けている。
ノモヒノジアの探索は4層から天使様の加護を失い、邪悪な「歌」のせいで極端に難易度を増した。
ハッセたちは否応なしに子豚や仔ウサギを殺すことになった。灼熱の孤島たる4層でハッセらを襲った動物たちはいずれも邪神に拐かされていて、その死肉はハッセらの腹を満たしてくれたものの、塩を振って焼いたオークの串焼きは生命様の悲しみの味がした。
こんな死肉を食んでMPに変えられるのは、祖父が魔女の地から救い出した義妹だけだ。
『ふおおっ!? 兄上、黒豚はウマすぎます……! これは……まさに……天国のような味! もっと黒オークをぶち殺しましょう!』
ハッセはアホの食レポを聞き流し、常世の倉庫を持つ団員に持ち込んだ兵站の在庫を報告させた。
新人のシレーナが代表として報告に来る。
「飲み水や薪はまだ何日も持ちますが、パンは高価ですから、あと2日ほどしか。どこかで米や小麦を入手できれば良いのですが」
「そうか……お前の倉庫に豚の余りを入れておいてくれ。妹以外はMPを回復させられないが、腹の足しにはなるだろう」
聖地を由来とする「米」や「小麦」、「砂糖」といった食料は、ハッセらのMPを回復させられる貴重な食料だ。これらは迷宮の中でしか取れないし、一面に小麦が生えているとされる〈月〉は、その豊かさもあって〈聖地〉と呼ばれている。
さらに言うと、食料をいかにして持ち歩くかも難問だった。
騎士団には「倉庫」のスキルを持つものが少なく、最近入団したシレーナが大きな倉庫を持つ以外は皆レベル1か2だ。死神が与える常世の倉庫は生命様が支配する故郷では貴重なスキルで、使える人材が常に不足していた。
蒸し暑い孤島の浜辺で子豚の亡骸を焼きつつ、騎士団長のハッセは思案した。
残りの食料でどこまで行けるだろう。
ノモヒノジア迷宮は各階に8つの階段を持ち、そのうち7つは逆戻りしてしまい、1つだけが月に通じている。見分ける目安は階段の向きで、上向きの階段を進めばその先は〈月〉だし、迷宮内の大半の道はハッセを加護する叡智ジビカが案内してくれる。
まれに月の邪神ニケによって道が変わることがあるそうだが、まず迷うことはない。むしろ問題は、階層を上がるごとに弱体化する自分たちだ。
団長は、大昔に妹と探検したルドの迷宮を思い出した。初夏だった。あの時はまだ父が健在で、妹が従者に指名した謎の少年がいて……。
歌の強さはダンジョンによって異なり、迷宮を支配する天使様のお力が強いほど魔女の歌は弱くなる。ノモヒノジアはルドより歌が弱いが、それでも4層でこれほどの弱体化だ。
仮にこの島よりも先に進めば、魔女の歌声はますます響き——そこには邪神に狂わされた動物以外にも「冒険者」と呼ばれる〈月の悪魔〉が待ち受けているだろう。
不気味なことに悪魔とハッセら鬼族の見た目はほとんど変わらず、叡智ジビカの話では交配すら可能だそうだ。しかし〈月〉の連中の中にひとりでも佞智の加護持ちがいれば、アクシノという邪神が号令を出し、悪魔どもは鬼族を襲う。
下賤な奴らだ。
噂によると、聖地で「冒険者」と呼ばれている悪魔どもは聖地でも最下層の身分であり、邪神に心を惑わされただけの動物たちを虐殺し、その死肉を月の住民たちに売って生活しているそうだ。
——なんて可哀想な〈月〉のひとたち! 生命様の愛を知らない未開な月の蛮族が、レファラド様の覇道を阻んでいる……!
ハッセは「孤島」の砂浜で、前髪を危うく黄変させながら義憤に燃えた。抜けるような夏の青空には子供の頃から憧れ続けた〈聖地〉が浮かんでいる。
そんな光景はレファラド様の土地に生まれた者からすれば当たり前の景色だが、暗い迷宮を抜け、蒸し暑い常夏の島で仰ぎ見る〈聖地〉は格別だった。
あの青い球体に生まれた月の住人たちは、自分たちが暮らしている惑星が「外」から見てどう見えるのかについてなにも知らないと聞いている。歌の邪神が隠したりしなければ〈天国〉で暮らす悪魔たちも青空に我々の母星を見つけるだろうに。
「『兄上』……アニキ! あれを見てくれ。あれは月の悪者か!?」
——そこで突然、ニョキシーが叫んだ。
その時ハッセら騎士団は白い砂浜を歩いていたのだが、義妹が指差す方を見てみると、今まさに森へ入ろうとする5人の集団が見える。
確実に〈月の悪魔〉だ。そのうちのひとりなんて、邪神を思わせるカビ色の髪をしていた。
「アニキ、アニキ! あれは月のワルモノたちだろっ!? ぶっ殺すか!?」
「——静かに! 全員、身を隠せ!」
ハッセは興奮してダラサ語を叫ぶニョキシーを黙らせ、同じようにざわつく騎士団に静寂を求めた。自分も前髪が赤みががっているのに気づき、心を落ち着ける。
『……いいぞ、ニョキシー。よく見つけた! あれは、そう……魔女の配下たる『月の眷属』で間違いない』
「やっぱりな。アレが月の悪魔か! ……ぶっ殺しに行くよな!?」
妹は腰に佩いた野太刀に手をかけ、興奮した顔でささやいた。ハッセは迷いながら答える。
『そうとも。悪魔さ。だけど殺すのは……認めたくないが、難しい。わたしに加護を与えてくださっているジビカ様が『全滅』を警告している!』
叡智持ちのハッセは悪魔どもを目にした瞬間「鑑定」を願っていた。
「——全滅!? 嘘だ、アニキが負けるはずないよ!」
「落ち着け! わたしもそう思うが、ジビカ様が『絶対』と神託なさっている! ……それにバカ犬、タスパ語はどうした!?」
ニョキシーは遥か遠くに見える5人の悪魔に怯えた顔を見せた。犬らしく桃色の舌を見せ、ハッハと浅く呼吸する。
妹は丁寧なタスパ語でささやいた。
『あの悪魔たちは、そんなに強いのですか……!?』
『鑑定によると、あの悪魔どもはタスパ語で「剣閃の風」というパーティだそうだが……ジビカ様の予想によると、目に見えている5人を皆殺しにするだけなら我々でも可能だそうだ。しかし奴らには「混沌の影www」というふざけた名前の悪魔が目に見えぬ力を与えていて、そのせいで、ニョキシー以外の全員が「即死」する!』
『わたし以外を全滅……!? 兄上はわたしよりお強いでしょう?』
『叡智様を信じろッ! 神託によると、おまえだけは邪剣カヌストンらが寄越したHPで助かるそうだが……それ以外は「火災」や「水害」の邪神によって、わずか3秒以内に溺死か焼死させられる——この予想は、ジビカ様がウユギワという迷宮の滅亡と引き換えに得た貴重な情報だ!』
『……それが貴重な情報? 騎士たちが命を賭けて挑んでいる迷宮をひとつ無駄にして、“わたし以外が負ける”という情報だけ……?』
義妹ニョキシーは不遜な言葉を口にしたがハッセは取り合わなかった。小声で副団長の老騎士を呼びつけて指示を下す。
「バラキ、全員をここで待機させろ。わたしが偵察に出るから——半月の騎士団たち! 不測の事態があればバラキに従え。それで、鑑定持ちのわたしと、護衛に——シレーナ、来い」
背中に竜の羽を持つワイバーン系の亜竜人が即座に前へ出て頭を下げた。
「わたしたちが偵察に出る。念の為、ニョキシーも護衛についてくれ。ジビカ様の予想によると悪魔どもに『鑑定感知』のスキルは無いから、もう少し近づいて正確な強さを鑑定したい」
「おおー!? 任せろアニキッ、こっそり悪魔の調べるんだなっ!?」
『タスパ語だ、我が妹よ』
『おお……? ——失礼しました、兄上』
義妹の子犬は桃色の舌を出して嬉しそうに笑い、ハッセは蒸し暑い密林の木々に身を隠しながら「剣閃の風」に近づいた。




