半月の騎士団
※三人称です
ハッセ・ロコックはダラサ王国の子爵であり、国王陛下から騎士の栄誉を与えられている“鬼族”だ。
あえて長めに伸ばしている青い前髪は整髪剤で邪魔にならないよう整えている。
ハッセを含む鬼族階級の者は、感情に応じて目や髪の色が変化してしまう弱点がある。戦闘中ならともかく、本来は青いはずの髪や目を黄や赤に変えるのは無様とされているので、部下を持つ身としては、伸ばした前髪で自分の「色」を把握しておく事は重要だった。
アホの妹はそんな鬼族の作法について「それじゃアニキは禿げたら最高だな?」と目を輝かせるが、ハゲるのは勘弁だ。仮に禿げても目の色が変わるという点を妹は忘れているし。
ハッセや妹を含む「ロコック」の一族は代々信仰と武勇を誇る家柄で、祖父は12年前に〈月〉から来た悪魔に殺されたし、竜騎士だった父にしても、5年前、灼熱と水銀の吐息を誇る先代のロスルーコ伯爵様と一緒に〈月〉と戦って果てた。同行した騎士は勇敢な最後であったと伝えてくれた。
父が死んだ当初は右も左もわからず、ただ妹と共に父の死を悼むくらいしかできなかったが、ハッセは今年、24歳を迎える。
家督を継ぎ、上流社会の酸いも甘いも体験した彼は、鬼族としての自覚を持ち始めていた。
——国王陛下とレファラド様の騎士として、一族の悲願たる〈月〉を取り戻したい。偉大なる生命と星辰の神が人々に約束してくださった〈蒼き聖地〉を奪還しなければ。
ハッセは今、自分の祖父や父親と同様に、ダラサ王国の下級騎士たちを率いてノモヒノジア迷宮に挑んでいた。
この行軍の本来の目的は「救出任務」であり、半月ほど前、迷宮で行方不明になったロスルーコ伯爵の次男リヴァイ様を救出することだったが、ハッセは半ば目的を諦めていた。
どれだけ探してもリヴァイは見つからなかったし、ハッセを加護する叡智ジビカも〈残念だが、彼は「月の悪魔」に殺されているだろう〉と仰る。
だからハッセは目標を切り替えていた。
犯人を見つけて復讐してやる——仮に犯人を見つけられずとも、迷宮とは生命様が蒼き聖地を奪還できるよう創造してくださった神聖な場所だ。広大なノモヒノジア迷宮を少しでも長く探索し、迷宮に入り浸る悪魔どもを見つけたら殺してやる。
そして、もしも可能なら……迷宮を突破し、幼少の頃からの夢だった〈聖地〉に足を踏み入れてみたい…………。
ハッセが指揮する軍団の兵は、全員が黒い鋼鉄の全身鎧を身に付け、肩に真紅のマントを掛けている。
赤いマントには白抜きで「+)」というシンボルが描かれていて、このうち「+」は生命様が賜る聖剣を表し、「)」は歌の邪神が不当にも支配する半月——取り戻すべき「聖地」の印だ。
ハッセはダラサ王国の「半月の騎士団」の団長として、総勢21名の騎士を指揮していた。
◇
迷宮の旅は苦難の連続だった。
聖地へと続く迷宮の道は、そこへ一歩踏み入れた瞬間、偉大なる男神が造り給うたこの星の生命を強くしてくださる。しかし邪悪な〈月の歌〉が騎士団の行く手を遮っていた。
——歌め。わたしの妹以外には致命的になりうる〈歌〉め……!
例えばここに、一匹のウリボウがあったとしよう。
外界ではただのイノシシだった子豚は、迷宮に入るなり生命の男神から加護を得て「オーク」に変身し、勇敢にも聖地の奪還に挑む。かかる変身は「生命」たるレファラド様の御業であり、月の邪悪な連中が「魔物」と呼ぶ動物たちの中には、僅かながら知恵を獲得するものすらいた。
本来であれば、そうした勇敢な動物たちはハッセらの頼もしい仲間になるはずだった。
しかし月の邪神ファレシラはそうした動物たちの耳元で〈地獄の歌〉と呼ばれる歌をささやき続けていて、純粋無垢な動物たちの心を狂わせていた。
本来なら同じ星に生まれた仲間のはずなのに、迷宮に入った動物たちは〈生命〉によって強化され、〈歌〉のせいで心を惑わされハッセらを襲ってしまう……。
騎乗する兵を意味する騎士が馬を迷宮に持ち込めないのもそれが理由で、全員が徒歩で軍務をこなすしかなかった。
無論、偉大なる星辰様も黙って魔女を見過ごしたりはしない。
迷宮にはそれぞれレファラド様に遣わされた使徒たち——月の連中から「ダンジョンマスター」と呼ばれている天使たちがいて、懸命にその心を正常にしようと努力していた。
しかしその権力が及ぶのは迷宮でも1層か2層に過ぎない。他のフロアにはいつだって邪神の歌が響いていて、生まれながらに理性を持つ「鬼族」や、生命様によって理性を獲得した一部の動物たちだけが邪神の歌に抗うことができた。
ハッセらはダラサ王国ロスルーコ市に開かれたノモヒノジア迷宮に入り、その第1層——月では10層と呼ばれている階層ではなんの苦労もしなかった。
迷宮の浅層では天使様のご加護によって鬼族が動物に襲撃される恐れは無い。ハッセらは星辰様から力を得た愛らしい動物たちに時折餌を与えたりしながら行軍し、迷宮の第4層までは楽に進むことができた。
ハッセたち鬼族は、そこで急激に自分たちの力が弱まるのを感じた——歌の邪神のせいだ。
理性によって自分を律することができる鬼族は、動物のように心を失うことはない。ただ、4層に入った瞬間足が重たく感じられ、槍を振るう手が鈍く感じられた。この現象は階段を上に登るほど強くなるし、より上層では吐き気を引き起こす。
騎士団の皆が困惑する中、唯一無事なのはハッセの義理の妹だけだった。
子犬の妹は元気よく声を上げた。
『兄上、兄上! ……どうしてでしょう、この階層はなにやら良い匂いがします!』
蒸し暑い常夏の4層に入るなり、黒髪の妹はタスパ語の上品な口調でハッセに報告した。
ハッセの妹はダラサ王国のダラサ語と「タスパ語」を操るが、母国語のダラサ語を喋らせると口が悪かった。ハッセは、部下の前ではタスパ語を喋るよう言い聞かせていた。
普段の妹はハッセを「アニキ」と呼ぶが、タスパ語であれば「兄上」と呼ぶし、他の言葉も上品なものしか使わない。ハッセが義妹にタスパ語を伝授したとき、一切のスラングを教えなかったからだ。タスパ語は聖地でも使われていると聞くので、その点でも上品だろう。
ハッセの義理の妹は12年前、彼の祖父が命を賭して「まがうる」という誘拐犯と戦い、命と引換えに助け出した〈聖地〉の少女で、生まれながらに〈月〉とこの惑星の神々の双方から加護を受けている逸材だった。
『……わたしの妹。「良い匂い」とはなんだい?』
ハッセはタスパ語で優しく聞いた。
『うぅ、わかりません……匂いじゃなくて、音かも……? とにかく、なんかこう、良い感じなのです!』
祖父が命と引き換えに入手し、ハッセの父が養子に迎えた「ニョキシー・ロコック」は、真面目な顔をして内容のない答えを返した。
義兄としてはため息が出るくらい「アホな子犬」だ。今回の行軍にしても連れてくるか迷ったが、散歩をさせろとうるさく吠えるので折れた。
聖地で生まれた義理の妹は、向こうでは「人狼」とか「狼獣人」とか……多少侮蔑的な言い方で「犬」と呼ばれる種族だそうで、髪の色が青・黄・赤しかない鬼族としては珍しく感じる艷やかな黒髪を持つ。瞳はすみれのような淡い紫で、偉大なる神々からはもちろん、月の邪剣カヌストンから恐ろしいほどの加護を得ていた。
例えばニョキシーは叡智ジビカ様の全力の鑑定すら跳ね返す〈詮索無効〉の守りを生まれつき持つが、なにしろ鑑定が不可能なため、どのような神がどのようなスキルで妹を守っているのかは不明だ。
妹の自己申告によると常世の女神ではないことは確かで、ある時期から邪剣カヌストンが義妹の秘密を守っていると言い出したが、ジビカ様は剣にそのような能力は無いはずと仰る。叡智の予想では、実際に鑑定を跳ね返しているのは生命の男神レファラド様の配下の神で——偉大なる叡智様でも、そこまでしか見通せなかった。
ハッセは詳しく知りたかったが、しかし、妹は強力な加護と引き換えに知性が絶望的だった。誰が彼女に加護を与えているか聞いても「わからん」としか言わず、今も「なんか良い音がする」という曖昧な報告しかしない。
ハッセは灼熱の孤島で汗をかきながら問いかけた。
『そんな説明じゃわからないよ、ニョキシー。音というのは?』
「おおー? 知りたいかアニキ。わたしには聞こえる気がするんだ! すごく小さな歌声だけど、こんな感じの可愛い曲でさ……♪」
アホの妹は急にダラサ語で喋り、奇妙な鼻歌を披露した。それはレファラド様の信徒としては看過できない邪悪な行為で、部下の兵士たちが「歌」に殺気立つ。歌っているのが義妹でなければハッセも殴ってやめさせるのだが——子犬には、謎の神と邪剣カヌストンが与えたHPの壁があった。
「よしなさい、やめろ……鼻歌をやめろ!! ニョキシー、何度も注意したね?」
「おお、しまった。ごめんねアニキ☆ あ、違う、タスパ語で——『すみません兄上。レファラド様に怒られてしまいますね!』」
黒く重厚な鋼鉄の全身鎧に身を包んだ12歳の妹はふやけた笑みを見せた。切りそろえた黒髪——カオスなら姫カットと呼ぶ前髪の下ですみれ色の目を緩め、狼獣人らしく桃色の舌を出す。
その頭の左右にはヒトの耳とは別に犬の黒い耳が垂れていて、尾は短いため全身鎧の中だ。妹が着る漆黒の鎧は騎士団が貸与したもので、体に合っておらずぶかぶかだった。
ハッセはため息をついた。脳裏に亡き父の顔が浮かぶ。
妹は、これで大昔はマトモな少女だった。月から誘拐されてきた彼女は最初の数年こそ環境に馴染み、新しい母はもちろん、ハッセの実父で養父たるアクラによく懐いていた。
その父が戦争で亡くなり、2人で大いに泣いて以来、妹はネジの外れたバカ犬になってしまった。
おそらく心が壊れてしまったのだと思う。
実際、妹はその時を堺に「鬼」たるハッセを凌駕する力を見せるようになった。黒い子犬はまともなヒトなら誰でも知っているはずの「手加減」を忘れて暴れるようになり、父に代わって飼い主になったハッセは何度も手を噛まれた…………。
誘拐されて義妹になった可哀そうな子犬に微笑み、ハッセは優しく道理を教えた。
「……ダメだよニョキシー。おまえの犬耳が捉えている音を私は聞きようが無いが、その音はきっと〈地獄の歌〉だろう」
「おお……? ほんとか、これが噂の〈地獄の歌〉なのか、アニキっ!?」
「それは邪悪な音だから忘れなさい。その雑音は動物たちを狂わせてしまうし、わたしや団員たちの力を奪ってしまう魔女の声なのだ」
「おおー!? わかったよアニキ、気をつける! あ、いえ、『控えます、兄上!』」
理解したのかしないのか、大きすぎる鎧からちょこんと顔を出し、ニョキシーはだらしない顔で笑った。
アホの義妹の明るい返事に呼応するように、孤島を覆う密林の奥から動物たちの足音が聞こえてくる——荒々しい蹄の音だ。
「警戒しろ。この足音の数……魔女の歌声に心をやられた動物たちの群れだろう」
ハッセは盾と長い槍を構えながら警告を発し、団員たちも武器を構えた。




