ロコックの義妹
地面に刻まれた魔法陣を踏み抜き、黒鎧の子犬がまばゆい光に包まれた。
安眠中の市民の皆様に申し訳ないほどの爆音を出して魔法陣は発火し、吹き上がった爆風の中から子犬が悠然と現れる。
女騎士ニョキシーはHPの壁に守られながら叫んだ。
「おおー!? 貴様、今のはなんだ!? 突然模様が出たぞ!?」
俺は答えず情報を記憶し、相談した。
(おい、アクシノ……あの子マジで強いんだけど)
〈ふむ。ニョキシーは、少なくとも2HPを持っているようだな。うち1HPはカヌストンから得たのだろうが、他の値は「月」の邪神から得たに違いない。最大値はまだわからんが——これはミケとの模擬戦じゃない。同じ手順でHPが無くなるまでボコれば良いさ。やばくなったら調速も使え。奴はすでに調速を知っているが、結界に混ぜれば効果的だろう〉
HPの壁が消え、俺は目線だけでアプリ画面を操作して〈印刷〉を再び実行した。先程は地面が対象だったが、今度は「鎧」がターゲットだ。
印刷アプリはインクによる印字と対象を削る彫刻が可能だが、子犬が着ている鎧は丈夫で、彫刻はちょっと無理そうだった。あれがただの鉄や岩ならアプリとMPにモノを言わせて彫刻してしまうのだが。
ともあれ、この攻撃の最大の利点は「HPの壁は印刷を防げない」ということだ。
あまりに卑劣なためミケとの模擬戦では封印しているが、俺はニョキシーが装備する黒鎧の胸に火の魔法陣をインクで印刷し、
「……ほえ?」
自分の胸に突如現れた文様にニョキシーは戸惑った。直後に鎧が爆風を上げ、反動で仰向けになぎ倒される。
「な……!? 貴様、わたしになにをした!? スキル表示も出ないのに——」
再びHPの壁がニョキシーを守り、子犬は表情を変えて立ち上がった。マジか。俺と同じ3HP持ちがこれで確定だ。
「貴様……突然、鎧に模様が……卑怯だぞ! それはどのような術だ!? そんな技、故郷には……」
ボクは子犬の胸に無言でもう一度印刷し、
「ひ……!?」
鎧の胸に魔法陣を見た女騎士さんは、今度は小さく悲鳴を上げて爆風になぎ倒された。今度は「絶対防御」が出現しない。
〈ふむ……カヌストンのぶんを除くと、あの子犬にはHPを与える「月」の神が2柱か、もしくはニケと同格の神が加護を与えているのだろうね〉
アクシノさんが冷静に分析し、女騎士がうめきながら立ち上がる。
「貴様……それ、ずるい……」
「なるほど、全部で3HPか。俺と同じだね」
俺は少し可哀想だと思い、自分のHPを教えてやることにした。
「俺はあと2HP残ってるけど……そっちはもう無いよね。まだ戦う?」
この戦いが模擬戦であればニョキシーはミケより強いだろう。この騎士はミケが知らない戦術で俺を驚かせてくれた。
しかしそれは、戦いが模擬戦であればという話だ。
相次ぐ爆発音に周囲の建物で暮らす市民が顔を覗かせた。ここは新市街なので、3割くらいは見覚えのある顔だ。ウユギワ村の出身者たちは俺を見るなり半笑いで自宅に引き返したが、残りの住民は不安そうに俺を見つめている。
立ち上がったニョキシーの黒鎧はヒビだらけで、装備者が動くたびぱらぱらと鋼鉄の破片を地面に落としている。花柄のだせえマスクも全体的に黒ずんでいて、未だに新品同様なのは右手に持った竜の牙くらいだ。
それでもニョキシーは戦意を失っていないようで、竜の牙を俺に向けて言った。
「……勝ったつもりですか?」
「そのつもりだ。もう決着はついたよね」
「あう!?」
即答しながら無詠唱の〈調速〉で転ばせると子犬はひっくり返り、それでも俺を睨みつけた。
「まだだ! わたしは未だに死んでいないし……貴様も騎士なら、正々堂々、最後まで戦え!」
「いやいや、俺は騎士じゃねえし。ただの仕立て屋のバイトだし……あんたの言う『正々堂々』ってのは、まさか魔法陣のスキルを使うなって意味か? そっちは俺より遥かに高レベルの剣術や体術を使って良いのに」
「な……!? 違うっ! わたしがそんな卑怯な者だと!?」
「良かった。じゃあ」
俺はひび割れた黒鎧に再び魔法陣を印刷した。
印刷アプリの指定先は俺の視界の範囲内かつ平坦である必要がある。ひび割れた鎧のうち、まだ平面を保っている部分に暗い中で丁寧に印刷していく。
「わうー!?」
割れた鎧のそれぞれの面に耳なし芳一のように文様を刻まれたニョキシーは子犬のような悲鳴を上げて立ち上がり、印刷を手でこすって落とそうとした。だけどインクはその程度じゃ落ちない。
『おい待て、ずるいぞ! こんなのはダメだ! 魔法陣は普通、職人が時間をかけて描くものだろ!? 〜〜〜〜やめろ! わたしの体に落書きするな!』
鎧に魔法陣を描き加えるついでに額に「肉」と印刷してみた。マスクに「肉」と書かれたニョキシーは、それと気づかず外国語を怒鳴った。
『やめろ! やめろって……ずるい。なんだこれ……わたしにいたずら書きするな! やめろ……』
HPの切れた今、大量に描いた魔法陣を発動させれば相手を殺してしまう可能性がある。
俺は嫌がる子犬に次々と印刷を連打し、マスクに無意味なヒゲなども描きつつ子犬が慌てる様子を眺めた。
ニョキシーは自分の鎧に次々と印刷される魔法陣に怯え、手でインクを落とそうとし、ついには右手に持った竜の牙を自分の鎧に突き立てた。
子犬が口元を緩める。
竜の牙はさすがの威力で、ニョキシーが自分の鎧に突き立てると印刷された文様を削った。牙はついでに鎧も削り落としてしまったが、子犬は「おおー?」と嬉しそうに鳴き、得意げな声で俺に叫んだ。
「ふはは……! どうです、無駄ですよ悪魔! せっかくの魔法陣ですが、こうやって削ってしまえば無害です!」
子犬の主張はまあ、その通りではある。俺が持つ〈結界〉スキルの魔法陣は、文様を破壊されてしまうと効力を失うのだが……。
ニョキシーは自分の鎧を牙で削ぎ落とし、鎧の下に隠されていた自分の体を顕にしていた。
牙で鎧をはぎ落とすたび子犬は見覚えのあるモノを俺に披露していて、
「……え、待って騎士ニョキシー。あんたが着ているそれって、うちの……?」
「む?」
俺は、子犬が仕立て屋パルテでも最高級の「黒の学生服」を身に着けているのを見た。
この子犬、あの服をいつ購入したんだ? ——いや、購入したはずはない。あの服は高すぎて誰も買わず、宣伝のため店員のミケとノールに着せ、もうひとり……。
「……お? おおー!? 読めたぞ悪魔め!」
ニョキシーは頭上に電球でも浮かべていそうな声を出した。
「さては貴様、鎧はともかく布には魔法陣を刻めないのですね!? 鎧にはあれだけ落書きしたのに、この服にはなにも描けていない!」
子犬の指摘は正しくない。印刷アプリは紙へ印刷できるし、紙がOKである以上、似たような素材たる布にも印刷は可能だ。例えば店で売っている安物のTシャツは、パルテが図案を考え、俺が印刷して作っている。職人が染色したわけではないので防御力は特に向上しないが、安物なら印刷で充分だ。
「いや、その服をインクで汚したくねえなと思って」
「え」
せっかく作った黒い学生服の上へ白インクで炎の魔法陣を印刷してやると、子犬は再び絶句した。自分のパーカーを手でこすり、そのあと「牙」で破くか悩む仕草をしたが、そんなことをすればボクに裸を晒すことになる。
「……ねえ、その服、この前うちから盗んだ商品じゃないよね? ノールの報告じゃ制服は盗まれなかったはずだし」
「なにを言う。これはマ……これはわたしの仲間が、わたしの部屋から持ってきたものです。なんか知らんが落ちてたって。わたしの部屋にあったのだから、わたしのものでしょう!?」
俺は深くため息をついた。そういやユエフーはずっとメイド服で……あの馬鹿、屋敷に学生服を忘れて来たのか。
「そうか……それじゃ教えてやるけど、その服はこの街でも最強の防具で、上着もスカートも、俺の全力の魔法攻撃に余裕で耐えるよ。保証してやる。HPが無くても“お客様”は助かるし、最高の服をパクっていたと驚くだろう」
パルテ・スレヴェルの最高傑作に次々と模様が描かれ、子犬が恐怖に肩を震わせる。
「……おい、やめろ……」
さらに子犬の足元の地面にも結界が刻まれた。眠い目をこすりながら見物していた市民たちが悲鳴を上げて自宅に引っ込む。
「……誠に申し訳ございませんが、お客様はお会計を済ませておりませんので」
俺は万引き犯に対しすべての文様を起動させ、深夜の街がまばゆい光に照らされた。
吹き荒れる爆風は新市街の路地を炎でできた蛇のように駆け抜けた。碁盤のように枝分かれした道のそれぞれを炎の舌が舐め、岩で造られた住居こそ無事だったが、道端の雑草が燃え上がる。
俺にはまだ2HPが残されている。
うち1HPが火炎に巻き込まれた俺の体を守り、深夜の街を火と爆炎が吹き荒れたあと、その爆心地には目を回して倒れる子犬がいた。
黒い鎧はもちろん、うちの製品ではない花柄のだせえマスクは燃え尽きている。
女騎士ニョキシーは長い姫カットの黒髪で、毛先を縮れさせながら、それでも我らが最高傑作に身を守られて無事に生きていた。
「……あんた、そういう顔だったんだね」
ようやく顔を見ることができた。黒髪が遠い故郷を思い出させるのもあるが、かなり可愛い少女だと思う。
女騎士は薄紫色の瞳をきつくしながら爆心地に横たわっていて、自分を見下ろす俺に狼のような犬歯を剥いた。少女の武器はもはやそれだけで、爆風でどこかに飛ばされたのか、右手に竜の牙は無い。
「……この質問は2回目になるけど、あんたの負けで良いかな? ……かな?」
「おのれ……」
ニョキシーは勇敢にも起き上がろうとした。しかし〈調速〉で転ばせるまでもなく倒れる。もはや腕に力が入らないらしい。
それはそうだろう。先程の爆発は、装備の作者たる俺が商品に耐えられる限界の火力を出した結果だ。ブレザーは少し焦げ臭かったし、店の社員さんたちが全力で染めたチェックのスカートは少しほつれていた。学生服は子犬の命こそ守ったが、それが限界だった。
「ふむ……やっぱり良い服だ。俺の爆発によく耐えて頑張った。感動した! 職人としては誇らしい成果だね」
『貴様……ずるい……なんだそれ……ただの無詠唱なら、さんざん訓練したからカンで避けられるのに……負けないのに……!』
ニョキシーはめげずに唸ったが、威勢が良いのは言葉だけだった。すみれ色の瞳に涙が浮かぶ。
「……3回目になるけど、負けで良いよね?」
改めて確認すると、女騎士は両目をキュッとつむって顔をそむけ、思わず「おお!?」と叫びたくなるセリフを吐いた。
「くっ……殺せ!」
少女の頬を涙が静かに伝う。
〈——女騎士ニョキシー・ロコックを捕獲しました。ラーナボルカ市の混沌の影()は、5年前に受託した星辰様のクエストを達成しました。天罰は、ここに回避されました——〉




