竜の三態
市民街と貴族街を分かつ門の脇、マガウルは目を覚ますなり太陽の傾きから時刻を予想した。
(……むぅ、午後になっておる。2、3時間は寝かされたか……わしを殺すつもりはなかったようだが、マジで強すぎじゃろあの子猫)
屋敷を出て門まで案内すると、叡智アクシノの判決によって「門番」をしなくてはならないはずの子猫は、「疲れた」「眠い」「なんかムカつく」と理不尽にわめき散らし、ついに耐えかねた副団長のバラキが「黙れ!」と怒鳴った瞬間だった。
老人は、子猫が怪しく「にゃ」と笑うのを聞いた。
『……それじゃ喧嘩にゃ? 喧嘩を売ったのはそっち。……悪いのはそっち』
直後、子猫はほとんど目に追えない速さでバラキを気絶させ、子猫の体に丁寧に合わせた銀色の鎧がわずかにガシャついた。
子猫は続いて老人を襲うつもりで——マガウルも、これで大陸で名を馳せた暗殺者だ。ミケは重たい鎧を付けているし、黙ってやられてたまるか。
〈——なんちゃら流:すごいパンチ——〉
老執事は全身全霊を賭けて迎撃しようとしたが、マガウルの拳は空を掻くだけだった。背後に殺気を感じた。振り向く前に首元で熱い鈍痛が走り、老人は手刀を受けて気絶させられた。
門の脇の詰め所で起き上がると、バラキは未だに泡を吹いて気絶したままで、子猫の姿は見当たらない。
(……これはやべぇの。フォーコ婦人に怒られる——そもそもあの狐、生きておるかの?)
老人はすぐラーナボルカの屋敷に戻ろうとしたが、豪奢な邸宅が並ぶ貴族街の道に子猫の姿を見つけて思いとどまった。
その道は緩やかな下り坂になっていて、子猫はのんびりと下ってきた。
「……にゃ? さすがはマグである。おまえはバラキより早く目を覚ますと思いました☆」
「ミケ様……わたくしめが寝ている間、どこでなにを?」
「にゃにゃ? 勤労な子猫は貴様らが“勝手に”居眠りをするので、真面目に門番をやったあと、屋敷に戻ってお昼ご飯を食べて来ただけだが? 騎士団の天ぷらはイマイチであった……調味料は愚劣にも塩だけだったし、あのハッセとかいう偉そうな馬鹿、たぶん鑑定持ちだと思うが、適切な油の温度というのを知らないのです……」
子猫はまったりとした口調でどうでも良い食レポを披露し、にゃーにゃーと天ぷらの正しい火加減について語った。子猫は特に焦げた秋茄子に憤慨していて、老いた殺人鬼は我慢強く天ぷらの真髄を拝聴してから尋ねた。
「……それでミケ様、ラーナボルカ様のお屋敷でなにか変わったことは?」
「にゃ? 特になにもない。メシがまずかっただけ」
ミケは平然と答え、老人にはそれが真実か見抜けなかった。
(……ふむ。仕方ねえな。この猫は再びわしを襲いそうじゃし、わしじゃ子猫を止められない——なら、別の奴に止めさせるしかあるまい)
老人は、子猫の誘拐を決意した。
自分の倉庫の中に子猫を入れてしまおう。子猫が丸太小屋に——その中に開かれたお嬢様のお屋敷に逃げないよう気をつけて、倉庫の中で飼っている「黒竜」と戦わせるのはどうだ?
月で最強の戦力を持つとされる「竜」には、いくつかの姿がある。
まずはヒトの姿であり、月に生息するほとんどすべての竜は「竜人」の姿をしていた。
この姿は生命の神レファラドが連中に与えた加護の結果で、家が小さくて済むし食事も少量で済むので、多くの竜は「竜人」の姿で生活している。血縁を重視する貴族としては、この姿であれば鬼などの他種族と交配できるのも利点らしい。
竜人は背中に大きな羽を持つのが特徴で、かつて老人が月を旅行したときは、その羽で蛾のように空を舞っていたものだ。
そんな「竜」の第二段階が、倉庫に入れている「黒竜」のような姿だ。
竜人は、その生息地たる月を離れて迷宮に入ると本来の姿に戻ってしまい、ニ枚の羽を持つ巨大なトカゲに変化する。口から炎を吐き、長い尾で敵をなぎ倒すことが可能になって、迷宮でも最強のモンスターとして圧倒的な暴力を発揮する。
マガウルが黒竜を捕獲できたのは単なる幸運だった。
ウユギワ村まで出かけに行く少し前のことだ。ツイウス王国の迷宮で竜が暴れていると聞いたメアリネ王家は、殺人鬼に竜を捕獲、もしくは討伐して欲しいと依頼し、「無理じゃよ」と嫌がる老人の前に大金を積んだ。
仕方ねぇのでマガウルは迷宮に入り、そこで冒険者を食い散らかしている黒竜を発見し——奴が食い残した死にかけを〈死霊魔術〉で操り、動かしてみることにした。
本当に幸運だった。
アホの黒竜は死体がまだ生きていると思い込み、傀儡を追いかけてきて、老人が開いた巨大な倉庫の入り口をくぐり、中まで走ってくれた。
マガウルはすぐ入り口を閉じた。相手がどれほど強力な竜であれ、常世の眷属たる彼の倉庫に入れてしまえば勝ちは確定だった。
黒竜は老人を殺せない——というのも、マガウルを殺せば倉庫は永久に閉じられ、その中身は、竜であろうが星辰の神であろうが、決して抗うことのできない常世の女神の管理下に置かれるからだ。
あの黒竜はそれがわかっているから老人を殺せないし、同じく常世の眷属になったフィウ様に自慢の尾を切られても強く出られなくなった。
(その上、アレはお嬢様が素材集めに使った人間を大量に食べ、経験値を得て、昔に比べ大幅に強化されている——子猫と黒竜、どちらが勝つかの? ……まあ、普通は子猫か。ミケはあの程度のトカゲなら殺すじゃろうが、しかし竜族には最後の奥の手がある)
竜の最後の姿について、マガウルは黒竜本人から聞いたことがある。あのアホを倉庫で飼うことにしてすぐの頃だ。
『——調子に乗るなよジジイ。おれはまだ本気を出していないだけだ』
庫内のニートは得意げに吠えた。
『老いぼれ、“逆鱗”という言葉を知っているか。このおれが少しでも“聖地”に足を踏み入れば、聖地にずっと鳴り響く「地獄の歌」が竜を狂わせるのだ——邪神ファレシラは、実に愚かな魔女だよ。やつは得意の歌でおれたちから理性を奪うのだが、そうなった時、いよいよドラゴンは止まらない。
生命様がこのおれの血に約束してくださった真実の力が開放され、おれたちは自らが殺されるまで敵を殺し続けるのさ……ククク、邪悪な歌が逆鱗に触れたら最後、自分で自分を止められなくなるんだ……』
『ほほう。それじゃ「地獄の歌」とやらが聞こえぬよう、キサマを絶対倉庫から出さぬようにせねばの?』
『……え? うん、いや、そうなんだけど…………イヤイヤ、そういう話じゃねえ! 違うから! 待って謝るからっ! なあマガウル、今の話は忘れてくれ!』
『もちろんじゃw 老人は物忘れが酷いしのw』
『ふおおおおッ、クソがッ、教えるんじゃなかったーーーーッ!?』
馬鹿な黒トカゲの自慢話は、倉庫持ちにとって「だからなに」という与太話だったが、今、この局面だけはありがたい。
異様に強い子猫に対し、倉庫を全開にして「歌」に狂わせた竜を当てたらどうだろう?
(ザコ竜とはいえ全力になった黒竜が相手なら、子猫もさすがに無傷では済まないはずじゃ。逆に黒竜が勝ちそうであれば、その時はわしとアンが子猫に加勢すれば良い……さすがにそれなら狂った竜にも負けんじゃろ)
とにかく、戦いによって傷つき、弱った子猫をお嬢様の屋敷に連れて行こう。屋敷には子犬がいるが、弱った子猫は戦いを挑めないし、この数日観察した感じ、ニョキシーは怪我人に決闘を挑むような卑怯者ではない。あの子犬は「女騎士」たる自分を誇りにしているようだから、きっと子猫が治るまで待ち、正々堂々の戦いを選ぶはずだ。
——時間稼ぎの策としては充分だの。
老いた殺人鬼は考えをまとめ、本人としては無害な好々爺のつもりの不気味な笑みを浮かべて子猫に語りかけた。
「……なるほど、ミケ様。天ぷらは残念でございました。ところで偉大なる“虎”は、ツイウス王家が自慢とするカレーをご存知ですか? 王家に伝わる言い伝えによると、500年前の英雄に教わった料理なのですが」
「にゃにゃ……!? カレーは、我が家がたまに贅沢する日に食べるが?」
「本当に博学ですな。知っておいででしたか」
「にゃ! 舶来品のスパイスがたっぷりで、しかし、代わりに費用もたっぷりで……ママは子猫が食べたいとゆっても『高いから毎日はダメ』とゆう。ナンダカ家ではわりと作っているらしいが、カオスのケチは、自分の家がカレーだった日は差し入れをしてくれません……!」
「なんと、なんと。でしたら——」
誘拐犯の怪しいおじいさんは、子猫を倉庫に誘い込もうとして——口をつぐんだ。
「にゃにゃ? でしたら、なに?」
「いえ……貴族の方がこちらに歩いてらっしゃるので」
上等な赤い服に身を包んだ男がゆったりと歩いてきた。頭部に豊かな茶色の髪を持つが、確実にヅラだ。嫁に比べて男の変装は質が劣る。
「……良い午後ですね、騎士殿。実に眠たくなる」
変装中のフォーコの旦那は子猫に思わせぶりな挨拶をしたあと、ただの執事たる老人の横を無言で通り過ぎて行った。
(……なにも問題無い時は、なにも言わない取り決めじゃったな)
マガウルはフォーコ夫妻からのサインを受け取り、子猫を誘拐する計画を取りやめた。
(……偽ニョキシーは無事ということか。わしが寝かされている間、この子猫は幸いにもしくじったらしい。少なくともわしらが不利になるような成果は得なかった)
——驚かせやがって、くそ。
(……ならわしは、お嬢様に「ミケの不在」を教えてしまおうかの……?)
現在、仕立屋パルテに子猫がいないと伝えれば、子犬はともかくフィウ様は喜ぶだろう。相手にせねばならない強敵がひとり減る。
それに自分の勤め先で「強盗」が起これば、この子猫も騎士ごっこに集中できまい。
「……ミケ様、お屋敷に戻りましょう。ほんの3日ではございますが、お泊りいただくお部屋にご案内します」
「にゃ? カレーの件は?」
「そうですね、わたくしめがハッセ様に頼んでみましょう」
「にゃにゃ!? それじゃ今夜はカレーか? ミケはカツカレーが好きだが!?」
「そうできたらよいのですが、実現できるかはお約束しかねます」
「にゃ……」
急にハシゴを外された子猫は三角耳を寂しそうに伏せ、大人しく老人に付いてきた。




