ブルックス医師
退院して三日が過ぎた。
どうやら叔父は、私をこの離れに閉じ込め、伯爵家をのっとるつもりらしい。
ただ、私とアーサーとの縁談は、国の許可を得たもので、そう簡単に覆すことはできないはずだ。
それこそ、私が死なない限り。
とはいえ、私が不審な死を迎えたら、アーサーが黙ってはいないだろう。
現在の私は、骨折はしているけれど、死ぬような怪我ではない。
叔父もラドリス侯爵家に疑われるようなことはしたくないはずだ。
ここ三日、私は離れに閉じ込められている。特に痛めつけられているわけではないけれど、粗末な食事と、外界との接触を断たれているのは、地味にしんどい。
カーラは相変わらず、私の面倒を見るどころか、会話すらしない。
最初はそういう人なのかと思ったが、どうも意図して私を無視しているように思える。
おそらく、叔父は私に何か要求したいことがあって、私が音を上げるのを待っているのだ。
それがなんなのか。
まだ、それがわからない。
わからないうちは、絶対に折れてはだめだ。
「レティシアさま、ブルックス医師がいらっしゃいました」
ソファに座って、レースを編んでいると、珍しくカーラが私の部屋に入ってきた。
ブルックス医師はミンゼン伯爵家と懇意にしている人だ。
「私は別に病気ではないけれど」
「一度、ブルックス医師にも診ていただくようにと、男爵さまからのお言付けです」
「……そう。わかったわ。はいってもらって」
別にブルックス医師を信頼していないわけではないけれど、骨折した足はしばらく固定することになっていて、次の診療は一か月後でよいと言われている。
痛みが出た時の痛み止めも、すでに軍の病院で処方してもらっていて、診てもらう必要を感じない。
ただ、久しぶりにカーラ以外の人と話すのは、気晴らしになる。
私が頷くと、カーラは扉を開き、ブルックス医師を部屋に招き入れた。
ブルックス医師は、四十代後半。割とおおざっぱで、ちょっと医師として大丈夫か不安になるけれど、腕は確かだ。私の小さい頃からの
ゆったりとしたいつもの白いガウンをはおり、大きなかばんを抱えて入ってきたブルックスは、心なしか表情が暗いように思えた。
「ブルックス医師、お久しぶりです」
「こんにちは。レティシアさま。この度のこと、心からお見舞い申し上げます」
ブルックス深々と頭を下げる。
「ありがとうございます。座ったままですみません」
「いえ、レティシアさまはどうぞ、楽にしてくださいませ」
ブルックスの声がいつもより硬い気がするのは、私と父を襲った突然の不幸のせいだろうか。
「足を骨折なさったと伺いましたが?」
「はい。右足を。しばらく固定したままで置いておかないといけないと聞いております」
ブルックスは私の前にあるソファにそっと荷物を置いた。
「診せていただいてもよろしいですか?」
「ええ」
ブルックスは私の前で膝をつき、遠慮がちにドレスのスカートに隠れた右足を診る。
「さすが軍の病院の手当ては、丁寧ですなあ」
ブルックスは感心したように固定された足を観察する。
「こちらは私が手を出すところはありませんね。それでは念のため、脈をとりましょうか」
ブルックスの手が伸びて、私の右腕の手首に手を当てる。
いつもやっていることだが、なぜかブルックスの手が震えていた。
そして、表情が青ざめている。
「レティシアさま、脈がちょっと弱っております」
ブルックスは俯きながらそう言うと、かばんの中から薬の入った袋を取り出した。
「事故の後でお疲れなのでしょう。こちらを服用なさってください」
薬袋を持ったブルックスの手が、先程以上に小刻みに震えている。
明らかにおかしい。
ブルックスはいつもいくつかの薬を所持しているけれど、今日の薬の出し方は、最初からこの薬を出すことに決めていたかのようだ。
正直、骨折していること以外で、不調は感じない。
あえていうなら、空腹だということくらいだ。そんなことで、脈は弱くならないだろう。
「ありがとうございます。毎日飲みますわ。カーラ」
私は、薬袋を受け取ると、部屋でじっと見つめているカーラを呼んだ。
「なんでございましょうか?」
「久しぶりだからブルックス医師ともう少しお話ししたいわ。熱いお茶を淹れてきて」
「いや、私は」
「私の体の状態について、詳しく教えてください。心配なのです」
出来るだけ不安気な声を装って、腰を浮かせようとするブルックスを制する。
「承知いたしました」
いつもなら、私のためにお茶など淹れないカーラだが、他人がいるときはどうやら別らしい。
頭を下げて出ていった。
「申し訳ないですけれど、そこのペンと便箋を取ってくださる?」
カーラの足音が遠ざかるのを待って、私はブルックスに頼む。
ブルックスは首を傾げたものの、私の望み通りペンと便箋を取ってくれた。
走り書きでブルックス医師について調べて欲しいと書く。
「これを第二騎士団のラドリス副長に届けて下さい」
「レティシアさま?」
おそらくブルックスは脅されている。普段のブルックスなら、たとえ私が死の病におかされていても、震えたりしない。真っ直ぐに私の目を見て話すはずだ。
「薬はどのような効果がありますか?」
私は小声で問いかける。
「即死ではありませんよね?」
「あ、あの」
「毒殺を疑われてはブルックス医師も困りますもの。大丈夫。私は何も気づいていないことにします」
にこりと微笑むと、ブルックスの顔がさらに青ざめた。
「意識を鈍らせ、従順になります」
ブルックスがかすれた声で囁く
「従順に……」
叔父はいったい何を企んでいるのか。
気になるけれど。
カーラの足音に気づき、私はペンと便箋を編んでいたレースで隠す。
私が毒に気づいたことをカーラに知られてはいけない。
「父は本当にお薬が苦手でしたね」
強引に思い出話を始め、ブルックスに目で合図する。
「亡くなった奥さまにいつも叱られておいででしたねえ」
話を合わせたブルックスは、少しだけほっとしたような顔をしていた。