ミンゼン伯爵家
意識が戻って三日ほどして、私はアーサーに連れられて、退院した。
「本来なら、もう少し安静にした方がいいのですけれど」
と、医師は最後まで渋っていたけれど。
普通に考えたら、ミンゼン家の使用人が迎えにくるところなのだけれど、軍の病院ということもあって、アーサーが馬車を手配してくれた。
我が家の馬車よりも乗り心地が良いので、とても助かった。
体調はだいぶ回復したものの、足はしばらく固定されたままで、松葉づえを使えば歩けるけれど、自由に動き回れるとはいいがたい。
アーサーにお姫さま抱っこの状態で、馬車を降りると見知らぬ男性に出迎えられた。
年齢は、三十代後半で、目つきが鋭い。ぴっしりと隙のない三つ揃えの服を着ている。
「あなたは?」
「この度、家令になりましたワンソンと申します」
「ファナックになにかあったの?」
私は驚いて声を上げる。
「詳細はエルフレン男爵にお尋ね下さい」
「そう」
ファナックはもう七十を越えているので、いつ辞めてもおかしくはない。ただ、辞めるという話は全く聞いていなかった。
こんなに突然ということは、病気なのだろうか。
「葬式の時はファナックはいた」
アーサーが私に耳打ちする。
とすると、ずいぶんと急な話だ。
家令が辞めるとなれば、通常は従僕が昇格する。
突然のことで、引継ぎができていないとはいえ、全くその家に勤めたことのない人間が、家令になるというのは珍しい。
不安に駆られながら、私はアーサーとともに屋敷に入った。
「絵が……」
玄関ホールに飾られていた風景画が、知らない絵に変えられていた。
その家に不幸があった時、内装を変えることはままあることだけれど、自分の知らない間に変えられているのは、ちょっと嫌な気持ちになる。
応接室に入ると、叔父夫婦と、その娘のマリアが私たちを出迎えた。
叔父のジャック・エルフレンは白のシャツにズボンというラフなスタイルで、まるで自宅でくつろいでいたかのような服装だった。
叔父の妻であるメアリー・エルフレンは、藍色の簡素なドレス。親類の家の弔問にしては、ややカジュアルだが、それほどおかしくはない。
目を引いたのは、マリアだ。
夜会にでもいくかのようなピンク色のイブニングドレスで、胸元が大きくあいている。
化粧も濃いめだ。
「よく無事で帰ってきた。本当に良かった」
叔父はいつになくにこやかに私を出迎えた。
「ラドリスさまには随分とお世話になりました。ありがとうございます」
そして、かつてないほどアーサーに丁寧に礼を述べる。
「いや。レティシアは俺の婚約者だ。当然のことをしただけで、礼を言われる覚えはない」
アーサーはそっけなく答えた。
私をソファに座らせると、自分もその横に座る。
長テーブルを囲んで、前に叔父夫婦が座り、マリアは、アーサーの近くに椅子をよせた。
「ところで、家令のファナックはどうしたのだ?」
「ファナックは、兄上が亡くなったのを機に引退したいと申しまして」
叔父は苦笑いを浮かべながら、答えた。
「それにしても急ではないか?」
「ええ。今度のことは彼も随分と気落ちしてしまったようです」
ファナックは、父が子供のころからうちで働いていたと聞いている。
父が亡くなったのはかなりこたえたというのなら、それは間違いないだろう。
とはいえ、引継ぎもせずにぷつりと辞めてしまうのはらしくない。
ただ、叔父の話から察するに、病気の類で倒れたとかではなさそうで、少しほっとした。
「エルフレン男爵、一つ確認しておきたいのだが」
アーサーの声はどこか冷ややかだ。
「後見人の認可が下りるまで、あなたには、ミンゼン伯爵家の人事に口を出す権利はないことは知っているな?」
「そ、それはもう。ファナックは、私も引き留めたのですが、意志が固くていたしかたなく」
叔父は汗をかきながら答える。
「それにしては、よく簡単に『次』が見つかったものだ」
「ええ。まあ、偶然ですよ」
叔父は嘘くさい笑みを浮かべた。
普段はどちらかと言えば高慢な叔父だが、ラドリス侯爵家の名前に怯えているようだった。
「そうそう。レティシア。お前の部屋は二階だが、その足では不便だろう。しばらく離れで過ごしたらいい」
「……はい」
離れは、亡くなった祖父母が領地からこちらに出てくるときに過ごしていた場所で、現在は客室にしていた。平屋で、年寄り夫婦用に作られたため、確かに松葉杖の私には良いかもしれない。
ただ、私が客室を使うなら、叔父一家はどこを使うのか。そもそも、葬式も済んだというのになぜ、一家でここに滞在しているのだろう。
「それでは俺は帰るよ」
「アーサーさま」
「レティシアはそのままでいい」
立ち上がったアーサーを見送ろうと腰を浮かせかけたところをアーサーに止められる。
「そうだ、マリア、ラドリスさまをお見送りしなさい」
「いいや、結構」
「まあ、そんな事おっしゃらないでくださいな」
叔父の申し出をアーサーは断るも、艶やかな笑みを浮かべ、マリアはそっとアーサーの腕をとる。
「離して貰えないか?」
「まあ。シャイでいらっしゃるのね」
くすくすと笑むマリア。
「そういう問題ではない」
マリアの手を振りほどくと、アーサーは怒ったように部屋を出ていき、マリアも出ていった。
「ところで叔父さま、リサを呼んでいただけませんか?」
私付きの侍女の名を出す。
「悪いがリサは田舎の母親が倒れて、実家に帰っている」
「リサが?」
ファナックだけでなく、リサもいないと聞いて、嫌な予感がした。
「お前の世話はカーラにさせよう、カーラ!」
「え?」
聞いた事のない女性の名を叔父は呼んだ。
「およびでございますか、旦那さま」
現れた女性は、冷ややかな目で私を見る。
なぜか、背筋が寒くなった。




