婚約辞退は致しかねます
最終話です
「マリアさま、何をしているのです?」
通路から現れたのは、ワンソンだった。
「このネズミを片付けるところよ。こいつがいなくなれば、何もかもうまくいくのよ」
「それは困りますね」
言いながら、ワンソンがマリアの体を取り押さえた。
「ちょっと、何するのよ! あなた裏切る気? お父さまに言いつけるわよ!」
マリアは叫びながら暴れている。
ワンソンはめんどくさそうに、マリアを突き飛ばした。
「言いつけられるものなら言いつけてみるといいです。まったく、どうしようもなく浅慮な親子ですなあ」
ワンソンが呆れたような声を出す。
「なるほど。あなたは、叔父に雇われているわけではないのね。ということは、叔父の借金の債権者に雇われているのかしら?」
考えてみればファナックは老いてはいるけれど、決して弱くはない。屋敷に忍び込んだ泥棒を撃退したという武勇伝もあるほどだ。その彼が大怪我を負わされたというのは、ただものではない。
そう考えると、ワンソンの鋭すぎる眼光も納得ができる。
「ほほう。さすがに本物の伯爵令嬢は、頭の回転が速い。あなたとなら、仕事の話も楽にできるというものです」
「ちょっと、どういうことよ!」
マリアがわめきたてる。
「私にこんなことをして、許されると思っているの! お父さまに言って首にするわよ」
どうもマリアには状況が理解できていないらしい。
前から話が通じないと思っていたが、どうやら彼女は人の話を全く聞いていないのだ。
そしてこの男が放っている殺気のようなものも感じていない。
彼女の鈍さがうらやましくなった。
「少し黙っていてくださいませんか?マリアさま。あなたとの会話は何の価値も見いだせません」
言うなり、ワンソンは蹴りを入れた。
マリアは痛みと驚きで声が出ないようだ。
体を丸め床に転がっているマリアには全く興味がないらしく、ワンソンは冷ややかな笑みを浮かべて私を見た。
「さて、レティシアさま。ゆっくりとお話をしようではありませんか?」
「私は話すことなどないわ」
言い返しながらも、思わず一歩後ずさる。
ワンソンはにやりと笑い、胸元からナイフをとりだした。
「あなたには、金庫の番号を教えてもらいたいのですが」
「お教えしたら、あっという間に私も無価値になるのでしょう?」
私はワンソンをにらみ返す。
「痛い思いをしたくなければ、素直に教えたほうが良いですよ」
刀身が冷たい白銀の光を放つ。
「私は別に伯爵家そのものを乗っ取ろうとは思っておりません。収益が得られればそれでいいのですから」
「エルフレン男爵の借金なら、男爵家をまず差し押さえるのが筋というものでしょう?」
無駄なやり取りと思いながらも私は抵抗を試みる。
「おっしゃる通りではありますが、簡単に回収できるのであれば、それに越したことはないと思いませんか?」
「それはわかりますけれど、それにしてはずいぶんと手際がいいですね」
言いながら気づく。
父と私が事故にあってまだ、一月もたっていない。
もともと叔父が我が家の乗っ取りを狙っていたとしか思えないほど、綿密に練られている。
「まるで、私と父が事故にあうことを前もってわかっていたかのようだわ」
私は自分の言葉に息をのんだ。
「まさか……」
「いや、本当に頭の良い方だ」
ワンソンは楽しそうにナイフを回す。
「伯爵令嬢など辞めて、私と組みませんか?」
冷たい刃が私に向けられる。
背中に汗が流れた。
その時、階下から駆け上がった影がワンソンを押し倒した。
「くっ」
影は、ワンソンのナイフを持つ右手をつかみつつ、床に押し付ける。
「アーサーさま!」
どうしてアーサーがここにいるのか分からないけれど、影はアーサーだった。
アーサーがみぞおちに一発入れるとワンソンは意識を失った。
「これはいったい」
ちょうど物音を聞いて使用人達が覗きに来たようだ。マリアはアーサーの顔を見てぐすぐすと泣き始めた。それは明らかに嘘泣きで、思ったよりワンソンの一撃は痛くなかったのかもしれない。もっともアーサーは顔を向けようともしないけれど。
「レティシア」
アーサーは立ち上がると私の頬に手を当てる。まるで泣きそうな顔だ。
「随分と痩せたな。済まなかった。俺がもっと早くに来ていれば」
「いいえ。助けていただきありがとうございます。アーサーさまもお怪我はありませんか?」
いくらアーサーが軍人で強いとしても刃物を持った相手に飛びかかるのは無茶なことは私にもわかる。
「無茶をさせてすみません」
「レティシア」
アーサーは私を抱き寄せた。
「そう思うなら、もっと俺を信じて頼ってくれ」
「すみません」
アーサーを信じてなかったわけではない。ただ待つのが耐えられなかっただけだ。
「だけど、そんなレティシアが好きだ」
アーサーはそのまま私にキスをする。
「これはいったい……」
今頃やってきた叔父がアーサーと倒れているワンソンを見て固まった。
「やあ、エルフレン男爵。いろいろ聞きたいことがある。納得いく説明を聞かせてもらおうか」
「ひいっ。私は何も」
「叔父さま、あなたが父を殺したのですか?」
叔父は床に崩れ落ちた。
その後。
父の死んだ事件は、ルーカスの手下が馬車に細工したとわかった。
借金返済に困った叔父が、提案したらしい。
ルーカスは伯爵家の財産を全て吸いあげるつもりだったらしい。
ちなみに私の書いた手紙とアーサーの手紙は叔父の使っていた部屋で見つかった。偽の手紙はカーラが書いていたらしい。
結局、我が家の後見は義父になる侯爵に頼むことになった。
そして、今日もアーサーに私は手紙を書く。
そんなに心配しなくても、私から婚約辞退はしないのに。
私は、苦笑しながらペンをとった。
お読み下さりありがとうございました




