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深夜の短編集

子供時代の杞憂

作者: yu

大人になったら、子供だったことを忘れてしまうだろう。だから子供である今、見ていたもの、聞いたもの、食べたもの、食べなかったもの、思ったこと、好きだったこと、嫌いだったこと、分からなかったこと、色んなことを覚えておかないといけない。


そんなことを考える小学生であったような気がする。

そんなことを思うなら日記をつけなさいよと思うが、今となっては後の祭りだ。


これはきっと、父親が良い父親でなかった、というのが大きいように思う。

別に嫌いなわけではなかったけど、子供に根気よく言い聞かせることができなかったり、自分の思いどおりにならなかったときに機嫌が悪くなったり。手が早かったり。自分が言うのも何だけど、子供っぽい人だったのかな。


色々と頼み事をしても聞いてもらえなかったような記憶もある。

今の年になると、休日は遅くまで寝ていたいから早起きしてゲームなんて嫌だとか、1桁足す1桁の計算ができても大したことは無いとか、まとまりのないお喋りに付き合いたくはないとか、そういうことも分かるのだけど。

当時の自分は対応の悪い大人だな、こいつ。という落胆があるのみだった。


だから自分が父親になったなら、ということを考えたとき、良い父親であるためには自身が子供であったことを覚えておかなければならないのだと思っていたのだな。

手を変え品を変え、根気強く言い聞かせる。どんなにつまらないものでも、褒めてほしい顔なら褒めてあげる。自分にとっての当たり前は全て当たり前ではないことを理解して向き合い続ける。そうでなければ、良い父親にはなれないのだと。


何というか、我ながら奇妙な小学生だな。子供ながらに自分の子供に対してどう行動するかを考えてたなんて。


もしくは無意識ながらに大人と子供の違い、埋められない差というものを感じていたのかもしれない。

大人が注目するものにはたいてい興味を持てなくて、ドラマも音楽も芸術も雄大な景色も好きじゃなかった。テレビを見てもそこまでありがたいものは多くなかった。大人たち世間一般とは自分は違うのかもしれない、と思うこともあった。

だから大人になったとき、今の気持ちなんて覚えていないのだろうと恐れがあった。大人になったときにも、今の子供の自分が残っていて欲しいと願っていた。


結果的には三つ子の魂百までと言うべきか、相変わらず一般人が考えなさそうなものを考えて文章を生産する人間が居るわけだが。


杞憂である。

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